第7話 囚われの問題児
わたしがこの学園の生徒になってから早4ヶ月。
進級直前の春に学園の門をくぐり、2週間後の進級と同時にEクラスからAクラスへの大躍進を果たした。
第二王子のエイベルに目をつけられ、現在の不摂生な生活に至るまでに1ヶ月を要し、同時に授業への出席も減った。
2ヶ月経った頃には授業に全く出なくなり、悪友ネイトと一緒に騒ぎを起こしまくる問題児として名を馳せた。
不真面目な生活をしながら3ヶ月が経つと、鬼軍曹ことレナちゃんの奇襲が始まり、嫌々授業に出るようになった。
体調不良で保健室に監禁されたり、レナちゃんの観察に勤しんだりしていたのが4ヶ月経った頃。
そして今、帰省の時期が訪れようとしている。
この学園は夏と冬にひと月の休止期間があり、その間は授業も、通学義務も無い。前世で言う夏休みだ。
学園の生徒はその休みを利用して領地……実家へ帰り、家の用事を済ませる。学園に残っていても構わないらしいが、まあ生徒はごっそり居なくなっているだろう。
春と秋は個人で自由に短期の休みを取れるらしいが、こちらは申告制なので生徒によってあったり無かったりする。わたしは無かった方だ。
実家には悩むまでも無く帰るつもりだった。
4ヶ月ぶりに家族に会って話がしたいし、わたしが魔法学園に行ってから周囲がどう変わったのかも知りたい。あまり変わってなければ良いと思う。
気掛かりなのは、魔法に関われない時間だ。
わたしの実家はここからかなり遠方にあり、長期の休みがほぼ移動時間に費やされる。更に、移動手段は退屈で大変な馬車。
図書館の本は外に持ち出せないし、学生であるわたしが学園外で魔法を使う事は無免許運転と同義。暫く魔法とは無縁の生活になるだろう。
瞬間移動できないかな。
転移魔法陣は上級魔法に指定されていて、転移の対象が人となると特級魔法に分類されるので無理な話なのだけど。
ところが、そんな心配は杞憂に終わる事となる。
学園外への外出禁止が言い渡された。
理由はわたしが希少な黒い魔力の持ち主だから……というのもあるが、大きな理由はわたしが制御不能の危険人物と認定されたからだ。
繰り返すようだが、わたしの実家はここからかなり遠方にある。何かあった時、すぐに駆けつける事はできないし、監視の目も無ければ何をしでかすか分からない。
学園側としては何の対策も無く、わたしを野放しにする事はできないのだろう。つまりは信用が無いのだ。
真面目に、従順に過ごしていればまた違ったのかも知れないが、今更であるし、分かっていても同じ結果になったと思う。
もはや魔法はわたしの生き甲斐と化している。
そんなこんなで、今わたしは閑散とした寮内のオープンテラスで、椅子に体をぐでっと預け、放心状態で空を見上げている。強い日差しが降り注ぎ、その姿はまるでカラッカラの干物だ。
普段は生徒に開放されている図書館も今日は休館日で、点検やら清掃やらで追い出されてしまった。その後、行くあても無く辿り着いたのがこの場所だ。
自室にいても良かったが、わたしの部屋の殺風景さ加減を舐めてはいけない。まるで刑務所に収容されているかのような気分が味わえる。
「あー……、ひまだ……」
図書館から借りた本は読み尽くし、一度は読み返したものの、3周目に突入しようとは思わない。
ならばと、会えない家族に手紙をしたためようとしたが、刑務所からの手紙になりそうな気分だったので止めた。
大好きな魔法陣を描いて気分転換を図ってみても、良いアイディアが思い浮かばず筆が乗らない。インスピレーションが刺激されるような、わくわくする本が読みたかった。あいにく、図書館は閉まってるけど。
今日はそういう日なのだ。なんか、こう……上手くいかない日。
ド派手な魔法でもぶっ放そうかな。でも、ネイトの野郎は帰省してるんだよな。何であいつだけ帰省してんだ。
テラスから見える学園の校舎に目を向ける。休止期間中は授業も無いので、閉鎖されていて入れない。たまに、先生が出入りしているくらいだろうか。
「……本とかありそうだな」
授業の参考に使う本が残っていてもおかしくない。本棚もどこかの部屋にあったような気がする。
図書館は貴重な本もあるので警備は厳重だが、校舎はそこまでではない。先生に見つかりさえしなければ、侵入も容易いだろう。
一縷の希望を胸に、重い腰を上げて校舎の方へ向かう。その間、寮の玄関で寮長さんに会う以外誰ともすれ違わなかったのは、それだけ人が居ないからだ。
わたしを閉じ込めてる割にはチョロいな。
校舎から少し離れた場所で侵入の計画を練る。
普段から先生が出入りしているのは裏口だ。そこ以外のドアや窓は誰も入れないように魔法が施されていて、窓を蹴破ろうとしても傷一つつかないようになっている。
ひとつしかない裏口のドアを開けるには専用の鍵が必要で、関係者以外立ち入り禁止というやつだ。
狙うなら窓。わたしに鍵開けのスキルは無い。しかし、魔法の知識ならある。
あの魔法がどんな魔法式によって成り立っているのかは大方予想がついている。伊達に本を読み漁っている訳ではないのだ。
裏口以外のドアにも鍵はかかっているだろうが、窓ならば魔法をどうにかした後は、鍵がかかっていようと割ればいい。
わたしは校舎の周りを歩きながら、侵入する窓を物色する。これだけ大きな建物に魔法を掛ければ、余程の魔法使いでない限りムラはある。
図書館の方はその余程の魔法使いが関わっているみたいだが、こちらはそうではない。上階の辺りはあまり手が回っていないようだし───
「えっ、あの窓開いてない?」
足を止めて3階の窓を見上げる。やはり、窓はしっかりと開け放たれて、カーテンが風で揺らめいている。
閉め忘れ?えっ、さすがに警備が緩すぎない?休み明けには貴族の子供が通うんだよ?大丈夫なの?
窓を割る手間が省けたのは良いが、何者かが仕組んだ罠なんじゃないかとすら思える緩さ。窓が開いている辺りに意識を集中させれば、魔法の力も極端に弱く感じた。
……わたしの侵入がバレても、学園側の責任にできるんじゃないだろうか。
悪い考えをしながら、わたしは使いたい魔法の魔法式を頭に思い浮かべて魔法陣を構築する。以前、既成の魔法陣を分解して、ちょっと弄る遊びをしていた時に出来た魔法だった。
暗記はしていたので魔法陣は数秒程で完成した。発動と同時に足元で黒く発光して、わたしの体が浮かび上がる……が、わたしの体はガクガクと震えていた。
「くっ……やっぱり改良が必要だな、これ……っ」
体幹トレーニングばりに結構なバランス感覚を要求されている。浮いているのにこんなのアリか。油断したらひっくり返りそう。更に言えば、ぐるんぐるん回り出しそう。
浮遊感と伸し掛かる重力が喧嘩をしておかしな事になっている。支点もおかしいし、足で踏ん張れないのが辛かった。
この魔法は元々、物を少し浮かせる魔法だ。人を浮かせる事を想定していない。わたしが手を加えたのは浮力制限の部分くらいで、その辺りは考慮していなかった。
人を浮かせる魔法もあるにはあるが、構造を理解しないまま使うのは悔しかったし、どうせなら自分で作りたい。そこでようやく理解が及ぶと思うのだ。
手始めに、子供でも使える単純構造の魔法を改良する事から始めてみたものの、上手くいかない事は多い。
「くそっ、一部パクるか……」
上手くいかないので、ちょこちょこ必要そうな魔法式を引用するのは、別に悪い事じゃないと思う。
あれはもうフリー素材みたいなもんよ。完成しても、初めから最後まで自分が作ったオリジナルだと言い張るつもりだ。
わたしは生まれたての子鹿のように震えながら、3階の高さまで体を浮かせる。地面から足が遠く離れて怖かったが、耐えられない程ではない。
窓に近づいて中を覗いてみると、そこは物で溢れた小さな一室だった。人ひとりが入るだけでギリギリなんじゃないだろうか。
床には所狭しとダンボールが積まれ、細い一本道を残すのみだ。部屋の端には小さなデスクと横長のソファがあったが、いずれも物で埋め尽くされている。
あれは何かの機械……?物置部屋か?
しかし、何よりわたしの興味を引いたのは、ただでさえ小さな部屋を、更に圧迫するように並べられた本棚だ。
「うおおっ!お宝があんなに!」
壁一面の本!図書館程じゃないが、なんて素晴らしい空間!本の内容はこの際なんでも良い!
テンションが上がって窓の向こうに飛び込もうとするが、見えない壁に阻まれて弾き返される。こんな魔法さっさと穴開けて、早く本を読もう。
わたしは懐から紙とペンを取り出して、見えない壁を机代わりにして魔法式を書く。生まれたての子鹿状態で書きにくかったが、目の前にお宝があるのだから気にしていられない。
わたしがやりたいのは、まず特定の範囲のみの一時的な魔法効果の解除と、それを術者に気づかせない隠蔽工作。その為の魔法式を書き出して、魔法陣を構築しなければいけない。
一部でも壊してしまえば確実に術者には気づかれてしまう。だから、気づかれないよう魔法陣を一瞬だけ書き換える。
先生が出入りする裏口の部分と同じように、この場所にも穴が空く、といった具合に。
「よし、できた!」
魔法式を書き出した紙と、魔法陣を描いた紙を掲げる。なかなか良い出来ではないだろうか。
わたしは魔法陣を描いた紙の方を見えない壁に押し付けて、インクを走らせた部分に魔力を巡らせる。同時に魔法陣が強い光を発して、わたしは窓の向こう側に吸い込まれていた。
浮遊の魔法が解けて、ずしゃっとダンボールの上に着地する。ようやく体幹トレーニングの時間が終わった。
わたしは早速、本棚に駆け寄って背表紙をざっと見る。どれも厚みのある立派な本で、魔法に関するタイトルが並んでいた。
輝かせた目であっちこっちの本を眺め、何から読もうかと胸をときめかせる。付加魔法についての本が多い気がした。付加魔法は道具も必要だし、授業ではまだ習っていないので使った事が無い。今の内に知識だけでも溜め込んでおこうかな。
そんな時、うろうろと小さな部屋を歩き回っていると、異様に存在感のある本を見つけた。
革の装丁がされた高級そうな本だ。目立つような見た目はしていないのだが、それでも目を引いたのは、その本が魔力を帯びていたからだった。
こんな本は初めて見る。あれだけ沢山の本がある図書館でも見た事が無い。
無機物に魔力が宿る事なんて、魔石か魔具くらいしか知らなかった。となると、この本は魔具なのだろうか?
魔力を帯びた本に興味を引かれ、わたしはその本に近づいて至近距離で観察する。
やはり、間違い無く魔力を帯びている。魔力の属性は魔法陣を使う時のように可視化されていないから分からないけれど、魔力の気配がある。
恐る恐る手を伸ばして、重厚感のある本を手に取った。経年劣化が見られるので、おそらく年代物の本だろう。
表紙を開くと、茶色っぽい紙に魔法陣が描かれていた。前置きも目次も何も無く、いきなり正体不明の魔法陣が現れた事に驚く。しかも、その魔法陣は緑色に淡く光っていて、今この瞬間、魔法が発動している事を表していた。
「何の魔法?これの所為で魔力を帯びていた?」
見たことも無い魔法式で構成された魔法陣。分かる所だけを繋ぎ合わせて考えれば、何かしらの契約に関する物だと分かるが、それだけだった。
パラパラと以降の頁を捲って内容を探る。そこには魔法式の羅列と文字化けした魔法陣が交互に繰り返され、文章と呼べる部分は何も無い。
あまりにも不親切すぎて、読む為の本ではないと思った。魔法陣に至っては、文字化けしてその形態を成しておらず、本当に魔法陣と呼べるかも怪しい。
「なんだこれ」
本当に魔具……なのだろうか?
魔具には必要不可欠な筈の魔石がどこにも無い。魔力の出所は正体不明の魔法陣のようだし、いよいよこの本が何なのか分からなくなった。
首を傾げながら魔力を帯びた本を眺めていると、突然背後で物音がした。心臓が跳ね上がり、物音がした方向に素早く目を向けると、眠たそうな瞳と目が合った。知らない男の人だ。
「……だれ?」
寝起きの掠れた声で問いかけられる。こちらの台詞だと言いたいが、勝手に入って来たのはわたしの方だった。
横長のソファで毛布に包まれながら密かに寝ていたらしい彼は、いまいち焦点の合っていない目でわたしをジッと見ている。多分、中等科か高等科の先輩だろう。
不法侵入したのはこちらなのだと観念して、わたしは手に持っていた本を閉じてから彼に向き直る。
「初等科5年のクレアです」
「くろあ……」
「クレアです」
「くるあ……」
「クレアです」
彼は相当、寝ぼけていた。