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第5話 保健室の先生はゴリマッチョ

 



「はっ……!」


 目が醒めると見慣れた保健室の天井が真っ先に視界に飛び込んで来た。

 状況を把握する為に、落ち着いて周囲を見渡す。保健室のベッドに横たわる自分、といういつも通りの状況だ。

 普段と何ら変わりは無い。けれど、今回は少し違う事を覚えている。


「そうか……わたしは……」


 記憶を辿るようにゆっくりと思い出す。

 わたしは運動不足だった。四六時中、本にかじりつく日々に体は鈍りまくっていたのだ。

 更に、わたしは寝不足の上に空腹だった。寝る時間も食べる時間も勿体無くて、限界を感じるまで後回しにするのがわたしの常だ。

 そんな自分が、騎士を目指しているだけあって運動神経抜群のネイトに追いつける筈は無い。追い付くどころか、走った後の記憶が無いレベルなのだから思い出せる事も無い。


「……あの野郎、裏切りやがって。声くらいかけろよ」


 悪友のいつもの薄情さに腹を立てながら愚痴る。

 わたしも自分で壊した学園内の調度品をネイトの所為にして先生に密告したりしているのだが、それとこれとは別。お互い様とも言えるだろう。

 実際、ネイトの方がよく物を壊す。ひとつくらい増えたところであまり変わらないだろうし、奴は曲がりなりにも貴族なので弁償が可能だ。

 逆に、奴にとって遊びに分類されている魔法実験で起こした騒ぎは、全てわたしの責任となる。魔法の暴発は奴が起こしたものも複数あるが、先生に注意されるのも反省文を書くのもわたしだ。

 なんて腹立たしい利害関係。やめられないね!


「あっ、わたしの魔法陣」


 悪友ネイトへの報復について考えていると、そこでふと自身の手元に何も無い事に気がついた。わたしの大切な魔法陣と、その実験結果を記した紙の束がどこにも無い。

 ベッドから飛び起きて布団を豪快に剥ぎ取る。白いベッドの上には何も無く、それを把握すると同時にわたしはベッドから降りて周囲を隈なく探し歩いた。

 焦燥に駆られながら保健室を隅々まで見た後、迷子の子供のように呆然と立ち尽くす。


「無い」


 無機質な声だった。しかし、状況を声に出した途端、現実がストンと目の前に現れて感情が爆発していた。


「無い!!」


 わたしは脇目も振らずに保健室を飛び出した。学園内の廊下を走っている途中で靴を履いていない事に気がついたが、今更保健室に逆戻りするのも馬鹿馬鹿しくてそのまま走り続けた。

 窓の外は日が暮れ始めており、授業も終わっているので生徒の姿は疎らだ。走るわたしを阻む者は誰もおらず、それを見るぎょっとした視線も一瞬で過ぎ去った。


 やがて辿り着いたのは、今日の昼頃に悪友と魔法の実験をした場所だった。そこに魔法を使った痕跡は無く、こじんまりとした更地があるだけだ。

 わたしは口で荒い呼吸を繰り返し、脱力した膝から地面に崩れ落ちる。胸を圧迫するように心臓が早鐘を打って、額からはだらだらと汗が流れた。

 今にも倒れそうな中、わたしは何の変哲も無い地面を凝視しながら思考する。

 風で飛ばされたのだろうか。それとも誰かが拾ったのだろうか。生徒?先生?外部から来た人?いや、考えが飛躍し過ぎだ。普通に考えれば倒れた時わたしの一番側にいた鬼軍曹か、或いは目覚めた時には居なかった保健室の先生だろう。


 結論を出して勢い良く立ち上がった瞬間、ぐらりと世界が揺れて体がひっくり返る。気づいたら、わたしは地面に仰向けになって寝っ転がっていた。

 見上げた空の向こうの雲が不穏だなーなんて思いながら、自身の不自由な体に想いを馳せた。

 人間って脆い。それにめんどくさい。ドラゴンと呼ばれていた頃は、体は刃も通らないくらい頑丈で、体調不良なんてモノを知らなかったし、食べ物も睡眠も必要無かった。おまけに、空を飛んで何処へだって行く事もできたのに。

 戻りたいとは思わないけれど、比べずにはいられない。元々のわたしはあっちだったから。


 空腹の所為で酷い吐き気がする。

 ああ、やっぱ人間は食べて寝なきゃダメだな。

 その場から動く体力も無く、取り留めのない事を考える。誰かわたしを保護してくれないだろうか。

 ポツポツと雨が降り始め、わたしは「こんな時に雨かよ」と悪態をつきながら、気絶するようにその場で寝落ちた。



 ***



 1週間、わたしは体調不良で授業を休んだ。

 只でさえ体調が悪い時に長い間雨に打たれたのだから、当然と言えば当然だ。保健室の先生が行方をくらませたわたしを探さなければ、もっと酷い事になっていたと思う。

 流石にその1週間は鬼軍曹も現れず、わたしはぜえぜえと重苦しい体を引きずりながら、図書館で「自由だ!」と笑いながら本を読んでいた。

 わたしの様子を見に来たネイトは、そんなわたしを見て「寝ろよ」と引き気味に言ってきた。が、今の状況をチャンスだと思っていたわたしは、無駄に元気な「大丈夫!」のひと言で片付けた。

 そして───


「クレアー、親友が遊びにきてやったぞー」

「本を……!本をくれ……!このままだと暇すぎてわたしは死んでしまう……!」

「じごーじとくだろ。ちゃんと休んでればとっくに治って元気してたって、先生が言ってたぞ?」

「わたしは元気だ!」

「熱下がってから言えよなー」


 まるでサウナの中にいるように顔を真っ赤にさせ、荒い呼吸を繰り返しながら「熱なんて無い!」と叫ぶ。叫ぶと同時に、聴くに耐えない血反吐を吐くような咳が保健室に響いた。

 そんなわたしは手足を拘束されて、ベッドに貼り付けられていた。見兼ねた保健室の先生が、図書館で倒れていたわたしを捕獲して監禁したからだった。

 1週間の後半、保健室のベッドから離れられなくなったのは言うまでもないだろう。


 そして、わたしの魔法陣と実験結果を書いた紙はまだ見つかっていない。

 保健室の先生には真っ先に聞いたが、見た覚えは無いそうだ。ちなみに、わたしを運んで来たのは鬼軍曹だったらしく、彼なら知っているかもしれないとも言われた。

 あれからまだ会っていないので聞いていないが、やはり鬼軍曹が持っているのだろうか。捨てられていないかどうかが心配だ。

 別の可能性を考えてネイトにも探してもらったのだが成果は無く、今のところ頼みの綱は鬼軍曹のみである。


 体調が回復して夕方ごろ保健室から釈放されると、わたしは真っ先に鬼軍曹を探した。

 十二分に休んだわたしの体は、久々に万全のコンディションだ。空腹も眠気も無く、健康そのもの。今なら校庭10周を余裕で走れる心持ちである。

 元気が有り余って廊下をスキップとエセ格闘技で闊歩していたら、運悪く規則に煩いと評判の先生に遭遇し説教を受ける羽目になった。

 散々な目に遭って元気を奪われた後は、普通に歩いて鬼軍曹を探した。……が、小1時間ほど学園内を歩き回っても目的の人物は見つからない。


「そういえば、いつもあっちから会いに来るから鬼軍曹の活動範囲とか知らないな……」


 わたしは長い廊下の窓から外を眺め、首を捻りながら呟く。

 寮に帰ったのか?男子寮はさすがに入れないよなぁ。

 普段どこにいるのかなんて考えた事も無かったし、ついでに言えば鬼軍曹の本名も知らないので人に聞く事もできない。特徴を言おうにも目立つ何かがある訳でもなく、強いて言えば『生真面目』ってところだろうか。

 もう探すより待っていた方が早い気がする。あっ、でも授業には出るだろうから、明日教室に行けばいいのか。


「やあ、クレアさん」


 腕を組んで悩んでいると、横から唐突に声が掛かる。完全に油断していたわたしは目をカッと見開いて、素早く声の掛かった方向に顔を向けた。

 そして、そこに立っていた人物を見て、わたしは眩しい物でも見たかのように目を細める。

 第二王子エイベルは、相変わらずの輝かしい笑顔でそこにいた。


「あっ、あー、お久しぶり?です」

「うん。こうして話すのは久しぶりだね。驚かせてしまったかな?」

「まあ、いえ、全然問題ないです」


 今自分が何を言っているのかよく分からない。彼をを前にすると、わたしはどうしても冷静ではいられないらしい。

 挨拶だけなら度々交わしていたが、ふたりきりで対面するのは初対面のあの時以来だ。間が空いたからか、前は彼とどう話していたのかを思い出せない。

 わたしと第二王子の距離感って、どのくらいなのだろう。確か『暇な時の話し相手』……だっけ?

 世間話でもする?あ、近況報告とかした方がいい?

 ぜんっぜん、わかんないや。


「体調を崩していたと聞いたのだけれど、今はもう大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫です。健康過ぎるくらいです」

「それは良かった。クレアさんにはこのまま『健康過ぎる』状態でいてくれたら、僕は安心できるのだけどね」

「あー、それは……どうでしょうねぇ」


 第二王子に『できない』とは断言できず、明後日の方向を向きながら言葉を濁す。

 見透かされている気はするが、何も言われないので上手く誤魔化せた事にしよう。生暖かい目を向けられているのは多分気のせいだ。


「クレアさんはこんなところで考えごと?」

「人を探していたんですけど、見つからなくて途方に暮れてました」

「『鬼軍曹』って人?」

「えっ、何で知って……さっきの独り言聴いてました?」

「うん。ごめんね」


 自分の失態に脱力する。何も考えずに呟いてしまったわたしが悪いのだから、これは仕方ないけれど。

 少し反省していると、第二王子が思いもよらない事を言った。


「もしかして、レナードのことかな?」

「レナード……?」


 聞き慣れない人名を反芻し、頭の中で覚えのある顔と照らし合わせる。そこでようやく、聞いた事も無い名前と不機嫌な顔が合致した。

 ……レナードって名前なのか、鬼軍曹。今更知っても違和感しかないな。


「お知り合いですか?」

「そんなところだね。名前までは知らなかった?」

「うーん、自己紹介とか友好的な事はしてないですね。あっちが敵意むき出しなので」


 レナード……鬼軍曹の方はわたしの名前を知っているのだろうか。呼ばれた覚えも無いし、怪しいところだ。そんな仲良くもないしね。

 彼の威圧的な態度を思い出し、わたしは身のすくむ思いで苦笑いを浮かべた。10歳前後の男の子相手に、こんなに怯えるなんて可笑しいだろうか。

 第二王子はあからさまに嫌な顔をするわたしを見て、くすくすと笑った。


「そんなに苦手なの?」

「苦手です。一目見て合わないなって思いましたもん」


 正直、第二王子の事も苦手ではあるけれど、鬼軍曹とは違う種類の苦手意識だった。

 第二王子への苦手意識が漠然とした不安から来る物ならば、鬼軍曹への苦手意識は思い通りにならない不満から来る物だ。

 鬼軍曹にはわたしの理想の生活リズムを崩されまくっているし、やりたい事を満足にやらせてもらえない。それなのに何故か逆らえないのだから、『苦手』と言わずして何と言う。

 切実なのは断然、鬼軍曹の方だ。


「僕は相性が良いと思うけどな」

「えぇ……全然良くないですよ。どうしてそう思えるんですか」


 第二王子がわたしと鬼軍曹の関係をどこまで把握しているのかは知らないが、それは無い。ぜっったいに、無い。

 すると、げんなりとしたわたしの前で、第二王子は心なしか楽しそうに「ほら」と言葉を続けた。


「君にはああいう存在が必要なんじゃないかな?」


 その言葉に、わたしは色々と察して口を噤む。

 必要……必要ねぇ。

 気が重くなってつい溜息を吐く。そして、改めて口を開いて自身の見解を話す事にした。


「……言いたい事は分かりますよ。わたしは日頃から授業サボって不摂生な生活してますし、自己管理ができていない自覚ありますし、だから彼みたいな存在が必要だって言いたいのでしょう?」

「話が早いね」

「まさか鬼軍曹をわたしに(けしか)けているのは……」

「僕は流石にそこまでしないよ。彼は優等生だから、大方先生に頼られて断れなかったんじゃないかな」

「いやいや、あれは先生の頼みを断れないようなタマじゃないでしょう。初対面で号令をかけて来るような肝の据わった奴ですよ」

「そうなの?」

「そうなんですよ」


 驚いたような顔をした第二王子は、「それは知らなかった」と愉快そうに笑った。その掴み所の無い反応に調子が狂う。


「と、とにかく、ですよ。わたしはわたしの生活スタイルを変えるつもりはありません。何故ならこれがわたしのベストだからです。規則正しい生活や規律を守る事より、わたしにとって価値があるからです」

「それならそれで良いと思うよ。強要するつもりは無いしね」

「……思いの外あっさりしていて驚いてます」

「僕はクレアさんが授業に出席しているかどうかについて関心は無いからね。できれば君に健康でいて欲しいだけだよ」

「わたしが黒い魔力を持っているから……?」


 そう言うと、第二王子は肯定も否定も無くただ眩しい笑顔を返した。どちらかと言えば、肯定の反応だった。


「君がレナードを苦手に思っている原因は、彼の事をよく知らないからだと思うよ」

「そんなことは……」

「ほら、僕の知っている彼と、クレアさんの知っている彼とでは隔たりがあるようだから。レナードはそんなに『肝の据わった奴』じゃないよ」

「ほんとですか……?」

「ほんとだよ」


 疑念たっぷりに第二王子を見るが、彼の笑みには一寸の狂いも無い。あったとしても、それを見抜ける程のスキルはわたしに無かった。

 わたしの鬼軍曹のイメージと、第二王子の話すレナードの人物像は微妙に噛み合わない。わたしだけでなく、第二王子の方もわたしの話す鬼軍曹を意外だと思っているようだ。だからこそ、どちらが正しいのか判断がつかなかった。

 ていうか、鬼軍曹とレナードって本当に同一人物か?


「ああ、良い事を思いついた。試しにクレアさんからフレンドリーに接してみるのはどうかな?」

「ええっ!?」

「軽く挨拶をするだけだよ」

「無理です。むりむりむりむり」

「じゃあ、僕と練習する?クレアさん、僕のことも苦手でしょう?」

「くああぁ……!」


 不意を突かれて奇声を発する。

 バレていた!苦手に思っている事がバレていた!否定できない正直な自分が憎い!

 こうして押しの強い第二王子エイベルに説得され、わたしは不本意ながら鬼軍曹レナードに挨拶をしてみる事になった。もはや罰ゲーム感覚である。

 そして、やると決めたからには全力でやる。それがわたしだ。



 翌日、早朝の教室で目的の人物の姿を見つけたわたしは、満面の笑みを浮かべて、気さくに男の子の肩に手を置き言った。


「おはよう!レナちゃん!」


 わたしなりに最大限の親しみを込めた結果だった。

 案の定、向けられたのは凍てつくような冷たい視線。おおよそ『レナちゃん』なんて可愛らしい呼び名が似合う顔ではない。

 バシッと強めの力で肩に乗せた手を払われて、「馴れ馴れしい」と言葉を吐き捨てられる。

 全然仲良くなれる気がしない。こんなのとどう距離を詰めたら良いんだ。

 ……あっ、わたしの魔法陣と実験結果の紙のこと聞きそびれた。


 その事を第二王子エイベルに報告すると、呆れたように「いきなりそれは馴れ馴れしいよ」と(さと)された。



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