第3話 類は友を呼ぶ
今日は天気も良いし気分転換に外で読書でもしようかな、と思って外に出た途端に分厚い雲が太陽を覆い隠した。
雨が降っていないだけ良いだろうと結論付け、校舎内のテラスの隅っこで図書館から持ち出した2冊の本を備え付けのテーブルに置く。
座ろうとした椅子の脚が折れたが、まあそれも良いだろう。暇だし、ついでに直そう。
今日のわたしは機嫌が良い。魔法の創作に関する興味深い本を見つけたからだ。
もしもの時の為に携帯していた、小さな容器に入った接着剤をポケットから引っ張り出す。
接着剤は今みたいに物を壊してしまった場合に役立つので、持っていて損は無い。逆に言えば無くてもいい物だが、今のわたしは学園から金銭的な支援も受けているのでそれなりに余裕がある。
椅子をひっくり返して、折れた脚の断面を確認した。欠けてる部分も無いし、綺麗にくっつくだろう。
接着剤の蓋を外して中身を取り出そうする───直後、背中に何かがぶつかった。
「なっ」
わたしは側にあったテーブルを巻き込んで前のめりに倒れ込んだ。同時に、手に握りしめていた接着剤の中身が勢い良く飛び出す。
「ああああ!!」
「うおっ、なんだ!?」
視線の先で接着剤を被った本を見て、わたしは咄嗟に叫んだ。その声に驚いたのが、わたしの背中にぶつかって来やがった物体だった。
いや、今はそれよりも……!
わたしは接着剤で汚れてしまった1冊の本を拾い、慌てて手のひらで拭う。しかし、本はベタベタのままだ。
サッと血の気が引く。平民のわたしに高価な本を弁償する余裕までは無い。
「は?どうしたんだ?俺のせい?」
背後から顔をのぞかせて来たのは、快活そうな同年代の男の子だ。どうやら友達とふざけて遊んでいたようで、少し離れた場所にもうひとり戸惑っている男の子がいた。
わたしは汚れた本を握りしめながら、ぶつかって来やがった男の子を凝視する。その並々ならぬ様子に男の子は後ずさり、わたしは接着剤でベトベトの手を男の子の肩に乗せて言った。
「これ図書館の本なの」
「へ、へえ……なんかごめん」
「一緒に先生に謝りに行こう」
「い、イヤだ!」
「まさか、わたしひとりで謝りに行けと?」
「くっ……!」
言葉に詰まり、明らかに嫌そうな顔をした男の子。自分の非は認めているようだ。だがしかし、奴は往生際が悪かった。
「俺いそがしーから!」
「んなもん知るか!来い!」
「イヤだ!」
「わたしに体当たりしておいて無罪放免で逃げられると思うなよ!!」
「イヤだあああ!!」
切羽詰まっていたわたしは容赦無く、嫌がる男の子を連行する。奴と一緒にふざけていた友達は、極限にまで気配を消す作業に忙しそうだった。
男の子の名前はネイトと言うらしい。
本を汚してしまった事を一緒に謝ると、先生に「またお前らか」と呆れられた。どうやらネイトも頻繁に先生のお世話になっているようだ。
本は魔法で何とかしてくれるらしいので、ひとまず安心する。今後はこの様な事が無いようにと先生のお説教を聞いて、ようやく解放された後にネイトと溜息を吐く。お互いげっそりしていた。
「あーつかれたー。俺もう寝るー」
「もうぶつかって来ないでよ」
「わかってるって。じゃ、おつかれー」
バイト終わりかよ。あいつ反省してないな。
ネイトは気怠げに手を振って、のそのそと歩き出した。あのまま寝てしまいそうである。
いっそ盛大に転べ。
奴の背を呪ってから、わたしも図書館へ向かう為に歩き出した。
今日も今日とて、床に這いつくばって本に埋もれながら本を読む。最近は傍に紙とペンを置いて、たまに内容を書き写したり疑問を並べたりもしている。
この頃になると、本を読むのに熱中しすぎて授業を忘れたり、寝不足と空腹で気絶し保健室に運ばれる事が増えていた。
わたしはただ自分のやりたい事を無我夢中でやっているだけのつもりだ。それこそ、自分の体調に気を遣えないくらい。
授業にはクラス別と学年別の2種類があって、クラス別では主に魔法に関する事を学び、学年別では経済や地理、歴史等の貴族にとっての一般教養を学ぶ。
クラス別の授業は魔法を好きになるきっかけになるくらい面白かったし、本にも載っていない基礎の基礎の部分を学ぶ為に真面目に授業を受けていた。しかし、本を読む方が自分の知りたい事を好きな時に学べるようになると、自然と授業の出席率が下がった。
言わずもがな、学年別の授業は初めから真面目に受けてはいなかった。わたしは平民なのだから、必要最低限の事だけ知っていればいい。
授業中はいつも上の空で別の事を考え、その時間が勿体無いと思うようになると全く出席しなくなった。
この学園には出席日数の概念は無く、成績さえ良ければ問題は無い。無いのだが、我ながらヤバイ感じだった。
「えーと……この魔法陣を簡略化したのがこれで、省かれた部分がこれで……ん?何でここがいらなくなるの?ちゃんと発動するの?威力はどの程度……」
そして、本を読んで考えているだけの現状に限界を感じていた。いくら考えたって、それは机上の空論でしかないのだ。
知識だけ溜め込んでもつまらない。これは実践しなくてはいけないだろう。
ブツブツと呟きながら紙にペンを走らせる。読ませる気の無い文字は、他人が見たら意味不明の落書きだ。
「うーん、どこか人がいない場所……」
すぐに思いついたのは魔法の実技の授業で使う、広い更地の訓練場だ。しかし、あそこを使うには先生からの許可が必要で、いつでも使えるわけじゃない。勝手に生徒が入れないよう結界が張られているので、侵入もできないだろう。
何より、他にも自主練をしている生徒がいるので、あまり派手な事は出来ない。
「仕方ない、これも魔法の為だ」
わたしは悪ガキのネイトに力を借りる事にした。
あれからネイトとは度々遭遇するようになっていた。ネイトはわたしに当たり屋の如くぶつかりまくり、お弁当をひっくり返したり、本を床にばら撒いたりした。
わざとではないらしい。……本当か?
酷い目に遭わされながらも、わたしはネイトとは割と話すようになっていた。
「ねえ、人があんまり寄り付かない場所って知ってる?」
「ええーそれ教えたら俺まで先生に怒られたりしないよな?それだけはカンベンだぜ」
「いいだろう。責任は全てわたしが持とうじゃないか」
「おっ、さっすがクレア!おとこまえー!」
「一度言ってみたかったんだよねー!」
ゲラゲラとふたりで笑い合う。
誰がどう見ても10歳の男の子と、生きた年齢が既に○○○歳に達している者同士の会話とは思わないだろう。転生する事で精神年齢も戻っているのかも知れない。というより、成長してないのか?
ネイトはわたしが平民である事に興味が無いらしく、本人も貴族の子供らしからぬ自由奔放っぷりだった。だからなのか、意外と仲良くなれてしまった。
ネイトは興味津々と言った様子で目を輝かせる。
「そんで、なにすんの?なにすんの?」
わたしはそんなネイトの期待に応えるように脇に抱えていた本を開き、とあるページをネイトの眼前に向けた。
「じゃーん。この魔法を試し撃ちします」
「おおー?それすげーの?」
「ド派手な火の玉が出るらしい。使ったこと無いからよく分かんないけど、上級魔法ってあるし絶対に凄いやつだよ」
「おおー!上級魔法って俺見たことねーよ!」
「あ、でも失敗するとどうなるか分かりません」
「うわっ、ちょうハイリスクー!」
「まあ良くて不発、悪くて暴発でしょう」
「めっちゃヤベェ!」
「学園の上空に火の花を咲かせてくれるわ!!」
「かっこいー!!」
完全な悪ノリである。
とにかく、今の自分がどの程度の魔法を使えるのかを試してみたかった。本を読むだけでは分からない、現実を知りたかった。
危険は承知の上で、防護魔法に関しては自信があったし、少しでも不確定要素があれば中止するくらいの慎重さはあるつもりだ。
慢心は無い……とは言えないけど。
軽くどうでもいいやり取りをした後、ネイトは「うーん」と唸りながら腕を組む。
「人目につかなくて、でもなんかあった時は先生がすぐ駆けつけられて、広い場所かー?」
「そうそう。ある?」
「じゃあ俺が先生から訓練場のカギをぬす……」
「アウト!チェンジ!」
「あっ、東校舎の裏!あそこ整備されてないから人あんまいないけど、となりの北校舎は人いっぱいいる!先生の壺割って逃げた時に見つけた!」
「でかしたネイト!あんた最高!」
「いえーい!」
パチン!とハイタッチをして、お互いの悪い顔を突き合わせる。学園に来て初めて、わたしに気の合う友人ができた。
その日の夕方頃。
爆発音が学園に響き渡ると、クレアは先生に捕まり、あっさりと共犯者の名を口にした。
友人は友人でも、悪友だった。
わたしはもう学園内では知らぬ者がいない程の知名度となっていた。勿論、問題児としてだ。
しかし、わたし自身はたまーに騒ぎを起こすだけで、普段は大人しいものだと思う。図書館で本を読んでいるだけだし、成績は良いし……まあ、図書館に引きこもり過ぎて授業には出ないし、相変わらず保健室とは仲良しだけど。
「なるほど、この魔法式を消すと発動の難易度が下がる代わりに威力が低下して下級魔法に……これならわたしでも簡単に使えるかな」
自分でも使えそうなものと、ギリギリ使えそうな魔法陣を紙に書き写す。後で訓練場を借りて実践する為だった。
上級魔法の失敗を経て、今は自分に出来る魔法を探している。まずは出来る事と出来ない事を理解して、基礎からレベルアップしなくてはいけない。
先生にも上級魔法は基礎を完璧にするまで使用禁止だと言われている。次また使えもしない魔法を使おうとしたら、わたしは寮で謹慎処分になるらしい。
更に、魔法陣に割り振られた等級は発動する際の危険度を表しているようだ。一番上の特級なんかは限られた者にしか使用を許可されておらず、それ以外の者が使おうとすると危険人物として国に拘束される……と、念を押された。
くやしいが、当分は使う機会も無いだろう。いつかは絶対に使ってやるがな。
燃え上がる野心を胸にペンを走らせていると、視界の隅に綺麗に磨かれた靴が現れて手が止まる。
「……こんな所で何をしているんですか?」
「え?」
苛立ったような声に顔を上げると、真面目そうな男の子が立っていた。しかし大人しそうな感じは無く、何と言うか……神経質そうだ。
一目でこの人は自分と相容れない、苦手な部類の人間だと直感する。わたしは男の子から放たれる高圧的な雰囲気に身構えた。
「な、なんでしょう」
「あと10分で授業が始まります」
「授業……?ああ、そうなんですね」
「行きますよ」
「えっ、行く?誰が?」
「貴方以外に誰がいますか」
「えっ?」
誰なんだこの男の子?何でわたしに授業を受けさせようとしてるんだ?なんか怒ってる?どこかで会った事でもあっただろうか?
疑問が溢れ出して混乱してきた。しかし、状況を整理する間も無く話は進む。
「早く立ってください」
「なっ、なんで?」
「貴方は学生でしょう。優先すべき事は分かりますよね?」
「いや、でも今は手が離せなくて」
「中断してください」
「あと少しで描き終わる良いところで」
「授業に出るのが先です」
「わたしは授業よりもこっちがやりたいんでちょっと行けないです」
互いに一切の譲歩を見せず、押し問答を繰り返す。すると次の瞬間、男の子の目つきが鋭くなった。相手に対する敬意なんて微塵も感じさせない、親の仇に向けるような目だった。
えっ、わたしそんな恨まれるような事した?
男の子のあからさま過ぎる態度に驚愕する。初対面の相手に向ける目じゃない。
そして、さっきまでの丁寧な言葉遣いが偽りであったかのような、荒々しい語調で号令をした。
「立て!!」
「ふあいッ!!」
鬼気迫るものを感じ取り、反射的に立ち上がる。
わたしの上に乗っかっていた本が大きな音を立てて床に落下した。遅れて手に持っていたペンが滑り落ち、無造作にカラカラと転がる。
途端に静まり返った空間で、男の子の鋭い視線と、わたしの緊迫した視線が交じり合った。
……え、今のなに?
そして、今度は落ち着いた声色で命令された。
「授業に出てください」
「はい!出ます!」
静かに、しかし迫力は衰えず。
わたしの研ぎ澄まされた野生の勘が、この人に逆らってはいけないと警鐘を鳴らしていた。