第2話 白と黒の邂逅
図書館は校舎とは別の独立した大きな建物だ。
外観は由緒ある西洋のお屋敷を彷彿とさせ、内部は吹き抜けの高い天井が開放的でありながら、本の壁が所狭しと単調に並び、こじんまりとした迷宮のような印象を受ける。
訪れる人は学園の生徒が多いが、外部の人間も頻繁に利用しているようだった。
わたしはひと気の少ない奥の一角を陣取り、興味を持った内容の本を片っ端から周囲に積み上げて読み耽っていた。
昼は窓から差し込む光で明るかったが、夜は真っ暗で小さなテーブルランプの明かりだけが頼りになる。この時間になると大抵の人は帰って行くので、落ち着いて本に集中できた。
ちなみに、わたしは夜になっても寮には帰らない。寝るのは図書館でもできるし、帰る目的は食料調達かお風呂くらいだろう。自室は物置と化していて、滞在時間はお風呂の時間を入れても30分程度だ。
当然かもしれないが、わたしは学園で変人扱いされていた。益々周囲と距離ができた感じはするが、最初から浮いていたので変わらないような気もする。
前世からそうなのだから、これはもはや運命と呼べるのではないか。
そんなある日、崩れ落ちてきた本に埋もれながら床に寝転んで本を読んでいると、キラキラと眩しい男の子がわたしを見下ろしていた。
わたしは自分の記憶を探りながら、寝転んだままの間抜けな体勢で男の子を見上げる。
「えっとぉ……」
「初めまして。僕はエイベル。君と同じクラスなんだけど知っているかな?」
「えいべる……?エイベル……あー、あっ!?第二王子!!……ですよね?」
「うん。知っていてくれて良かったよ、クレアさん。本に押し潰されているみたいだけど、助けた方がいい?」
「あ、いえ、お構いなく」
積まれた本がわたしに倒れて来るのは日常茶飯事であったし、助けてもらったとしてもすぐ同じ状況に陥るのは目に見えていた。
それよりも、この国の第二王子がわたしに何の用だろう。ちょっと困る。
この学園では家柄などの身分で上下関係を築く事を禁止されている。誰もが魔法を学ぶ対等な『学生』の身分……とはなっているが、やはり暗黙の了解もあった。
それなりの対応は求められるのだが、いかんせん、わたしは礼節に疎い。何か失礼をしてしまわないか内心ドキドキだ。
彼の幼いながらも整った顔立ちを見上げて本心を探ってみる。しかし、読心術を嗜んだ事など無いので分からなかった。
「何を読んでいるの?」
「えっ、ああ、魔法の種類について知りたくて、そういう本を片っ端から……」
わたしは目的の分からない会話に戸惑いながらも、聞かれた事には真面目に返事をする。
第二王子の男の子は屈んで目線を低くすると、わたしの手元にある本を覗き込んだ。そして、優しく微笑みながらわたしに問いかけてくる。
「面白い?」
「勿論、面白いですよ。魔法って色んな事が出来るんだなぁと、感心するばかりで」
何でも出来るんじゃないかと思えるくらい、今のところ魔法に限界は見えない。魔法を行使する側の人間に力量の限界さえ無ければ、本当に死者蘇生すら理屈が通ってしまいそうな危うさがある。
わたしはそこに魅力を感じながら、一向に見えてこない限界を探る為に本を読み漁っている。
最初は他にやりたい事が無かったからでしか無かったが、寮で過ごす時間が減るのに比例して、わたしは魔法自体に心を奪われ始めていた。
「魔法の発動方法による違いとか。指一本でできたり、大きな魔法陣が必要だったり、媒体を使ったり、何が出来て何が出来ないかとか」
「どれに一番興味があるの?」
「今は指でできるやつですね。自然系統魔法。わたしが初めて使った魔法がそれなので」
「そうなんだ。どんな魔法だったの?」
「スプリンクラー……じゃなくて、雨を降らせる魔法です。これくらいの小さな雨雲で、わたしの頭上から絶対に離れない粘着質な……って、こんな話聞いていて面白いですか?」
「あはは、面白いよ。質問攻めにしてごめんね。僕は君の事が知りたいんだ」
知ってどうするんですか。……とか、聞いても良いのだろうか。
口説き文句のような台詞を爽やかに言ってのけるリアル王子(10歳くらい)に末恐ろしさを感じる。女子の集団が彼を巡って熾烈な争奪戦を繰り広げる姿が容易に想像できた。
面倒ごとが嫌いなわたしには、正直苦手なタイプである。
話しかけて来る目的が分からず困惑していると、眩しい笑顔が向けられた。目が潰れてしまいそうだった。
心を見透かされているような気がするのは考え過ぎだろうか。……なんて思っていると、第二王子はやはりわたしの心を見透かすような事を言った。
「何か聞きたそうな顔をしているね。どうして僕が君の事を知りたがっているのか、かな?」
「えっ」
「顔に出ているよ」
「まじですか」
何となく自分の顔に触れて、頬をむにむにとマッサージする。別にこれで何かが変わる訳ではないが、顔に出ていると言われたから何となくだ。
第二王子は楽しそうに笑いながら「たくさん質問に答えて貰ったから、今度は僕が答えるよ」と言って、わたしの目を真っ直ぐに見つめた。そして、悠々と話を始める。
「僕はね、クレアさんの魔力に興味があるんだ」
「わたしの魔力……?」
「魔力の測定をした時の事は覚えているかな?」
それを聞いて思い浮かんだのは、腫れ物に触るような大人達の対応だった。
わたしが魔法を使える事が判明すると、直ぐに王都から人がやって来て、最初にやらされたのが魔力測定だ。
魔力の測定に使われたのは『魔石』と呼ばれる拳大の透明な石だったのだが、わたしが触れた瞬間、真っ黒に色を変えて驚いたのを覚えている。一点の濁りも無く黒く染まった石は、まるで黒曜石のようだった。
これは後から知った事なのだが、魔力には四元素の属性があり、属性によって魔石は色を変えるらしい。そして、魔力の総量によって色も濃度を変える。
魔石には魔力を吸収し保存する性質があり、普段は魔具の電池のような役割を担っているらしい。しかし、魔力に属性を持たない人が触っても何も起こらず、魔石は魔力を吸収しない。
属性の有無が、魔法を使える人と使えない人の明確な違いだと言う。
わたしの場合は……大人達の反応から見て、結果が異常だったのだろう。更に、あまり歓迎されてはいない様子だ。
色がマズかったのか、濃度がマズかったのか、平民として過ごしてきたわたしにはよく分からない。
「覚えてはいますけど……」
「僕の魔力は真っ白なんだ」
「しろ?」
わたしとは真逆という事か?
まあ、彼が真っ白い魔力を持っていても違和感はない。なんか眩しいし。
わたしが『だから何だ』と不思議そうな顔をしていると、第二王子は自身の言葉の意図を説明をする。
「白い魔力を持っているのは今現在、この国には僕しかいないんだよ。君の黒い魔力も同じだ」
「えっ」
元々珍しい魔力である事は知っていたが、まさかそこまでだとは思っていなかった。『この国』がそんなに狭く無い事を、わたしは世界地図で知っている。
魔法を使える人の人数だって、この学園の生徒数で大方把握は出来るが、決して少数ではない。
「ま、まさかわたしを実験対象に……!?」
「うーん、否定はしないけど、君の考えているような事はしないかな」
急に怯えた態度に変わったわたしの言葉に、第二王子は冷静に切り返す。自分だけ盛り上がっているみたいで、わたしは何事も無かったように驚愕の表情を引っ込めた。
「ただ、個人的に興味があるだけだよ。『何かしたい』じゃなくて、『知りたい』だけ。僕と対極にある魔力だからこそ、かな」
「お互い珍しい事に変わりは無いと思いますけど」
「それはそうなんだけどね。クレアさんは、この国の始まりの話は知らない?」
わたしは少し前の記憶を辿る。
この国の伝説は歌で覚えていた。お祭りの日によく聴いていて覚えている。
「確か、光の勇者が闇の化身を打ち倒して、その勇者がこの国を作ったって……」
それに何の関係がと怪訝に思い、慎重に先程までの会話と照らし合わせてみた。
白い魔力と黒い魔力。
光の勇者と闇の化身。
そこから連想できる事柄は……
「僕はね、勇者と同じ属性の魔力を持つ者として、この魔力の価値が知りたいんだ」
何だろう、この嫌な予感は。
「わたしは何もできませんよ?」
「君は何もしなくていいよ」
「そんなこと言われましても……」
「じゃあ、暇な時にでも僕の話し相手になって欲しいかな」
じゃあって……本当にそれで良いのだろうか。でも、これ以上わたしが何を言っても仕方が無い気がして、もう無理矢理納得するしかなかった。
何か言いたそうに黙り込んだわたしをよそに、第二王子は満足気に眩しい笑顔を向けてきた。
「代わりというのも変なのかも知れないけど、困った事があったら言ってね。力になるから」
「あ、ありがとうございます……?」
返事に困り、取り敢えずお礼を言う。しかし、これで合っているのだろうか。今からでも断った方が良いのでは?
わたしが迷っていると、第二王子は話を切り上げるように立ち上がった。そして、晴れやかに笑ってから「じゃあね、クレアさん」と軽く挨拶をして、わたしの前から居なくなる。最後は何も言わせて貰えなかった。
他者の気配が無くなり、冷静な思考ができるようになったところで、わたしは第二王子の顔を思い浮かべる。何となく見覚えがある気がしたが、ゾッとした恐怖心に掻き消された。
……まさかね。
確か、教科書に常識的な事を書いた物があったっけ。
わたしは自分の上に乗った本を退かして起き上がり、その辺に放っていた教科書を拾う。そして、目当ての教科書を探し当て、パラパラとページをめくった。
魔法の取り扱いについて、魔力の属性について、そして、おとぎ話レベルの歴史……あ、これだ。
以前は軽く流していた一文を見つけ、今度は感慨深く声に出して読んだ。
「世界初の光属性の魔力を持った勇者と、同時期に現れた闇の化身『ドラゴン』……」
ドラゴンなんて日本では創作物として当たり前に出てきていたけれど、まさか……
「わたし?」
ドラゴンだった頃の自分を思い浮かべる。闇の化身と呼ばれた記憶は無いけれど、そうとも言える見た目はしていた。
人間の建造物を軽く踏み潰せる巨体に、並大抵の攻撃では傷ひとつ付かない鱗に覆われた強靭な身体。そんなドラゴンを倒した、聖剣を携えた人間。
わたしの体験と、この伝説が完全な別物とは言い切れない。
そして何よりも、わたしがこの世界に転生した事に理由があるのなら……いやいや、普通に考えれば1000年以上前のドラゴンがわたしの筈が無い。そんなに長い期間、人間として転生は繰り返した覚えはない。
もしそうだったとして、わたしに出来る事は何も無いだろう。せいぜい、静かにおとなしーく暮らすくらいだ。
ていうか、この妄想が現実だとすれば、第二王子エイベルはわたしを殺した人間の子孫って事になるじゃないか。あー、考えたくない考えたくない。
「うん、あり得ないな」
わたしは思考を切り替えたくて、ぽいっと教科書を投げた。すると、意外と派手な音を立てて教科書が床に落ちる。
ふと図書館の床に目が行って、わたしは本が散らばり雑然とした光景を見下ろした。
いつの間にこんな散らかったんだ?
後日、第二王子と校舎の渡り廊下で偶然顔を合わせた際は、何事も無かったかのように挨拶だけ交わした。
……えっ、それだけ?