闇の彼方から
(1)
「ふーっ」
私は深くため息をついた。
今はもう夜の10時に近い。
高校生の私が、こんな時間まで駅のホームで座り込んでいるのには、それなりの理由があった。
今日は仲のいい眞美子と一緒に、別のグループの女の子たちと合流して遊びに出かけた。
眞美子は、背がすらりと高く、腰まで伸ばした髪がサラサラと風に揺れた。すれ違うととても良い匂いがする。自然にクラスの中でも目立った存在になったが、それでいて取り巻きやグループを作るわけでなく、いつも自然体で振る舞っていた。
それに対して、私は背が低く、顔じゅうのソバカスに、不釣り合でに大きなメガネの痩せっぽちの女子である。いつも短く切り揃えられる後ろ髪が恥ずかしくてたまらない。
でも、そんな私と眞美子は小学生の頃がずっと一緒だった。お互い子供同士だったら、背の高さも、顔の作りも、そんなに差はないだろう。だが、成長するに従って、容姿や性格の違いがだんだん目立つようになってきた。私たちはあまりそんなことは気にしないようにしていたし、共通の話題が途切れないように努めて同じ何かを好きになるようにした。でも、周りはそうは見なかった。すぐに私たちの間に入り込もうとしたし、眞美子を自分たちのグループに加えようとした。そんな時、眞美子はぎゅっと私の肩を抱いて、「あたしに用事があるときは、まずこの親友を通してちょうだい」と言った。そうすると、相手も半ば諦めたように私たちから距離を置くのだ。
もちろん、私が眞美子を独り占めできたわけではない。眞美子は誰に対しても公平だった。それは幼馴染の私に対してもである。眞美子は好意を示してくる相手には、やはり公平に好意を返した。そんな相手が多くなるに従って、眞美子の私に対する気持ちが薄くなる気がして寂しくなった。もちろん、眞美子はいつも私のそばにいてくれたし、私も眞美子のそばにいた。でも、本当は私だけを見て欲しい。私とだけいて欲しい。そんな親しげな笑顔で他の子と喋らないで欲しい。
(2)
今日も、眞美子は、女の子たちの中心だった。最初に行ったボーリング場では、彼女が爽快にストライクを決めるたびに、袖で腰に結びつけたチェックのシャツとミニ丈のプリーツスカートが揺れた。透明な汗を飛ばしながら、笑顔で振り返る眞美子のポニーテールがとてもまぶしかった。
ほかのグループの女の子たちは、まるで昔からの友だちのように、次々と眞美子とハイタッチをする。でも、爪が割れやすくて、ボーリングが苦手は私はその輪から少し離れて座っていた。ひとり取り残された気分だった。
鏡に映る自分の姿を見ると嫌になる。厚ぼったいシャツに長めのスカート、大きくて野暮なスニーカー、そして不似合いな眼鏡。眞美子の真似をして、スポーティな服を着ようとしたけど、貧弱な身体の線が強調されて、ますます眞美子と不釣り合いに思えた。
眞美子は、「あんたは、あんたのままがいちばんだよ」って言ってくれるけど、ほかの女の子たちの中に入るとひとりだけ完全に浮いてしまう。
眞美子の周りをぐるぐると女の子たちの輪が幾重にも取り囲んで、私の入る隙間がどこにもなかった。お昼に、みんなでファミリーレストランに入った。女の子の一人が眞美子の腕をつかんで、真ん中の席に引っ張っていった。そして、あっと言う間に眞美子の周りの席は埋まってしまう。出遅れた私は、眞美子と同じテーブルに席がなくなって、また離れたテーブルでひとり座った。そんな時、眞美子はいつも、テーブルを離れて私の隣に腰を下ろしてくれる。そして、周りが羨むほど親密な関係を見せつける。
今日もそんなことを期待していた。
でも、眞美子はそんな素振りは全く見せずに、両隣の席の子とメニューを見て笑いあっている。お昼の光が窓から射しこんで、眞美子の顔を白く光らせた。眞美子が顔いっぱいの笑顔で、アハハと声をだす。眞美子はあんな声で笑うんだ。でも、なんか遠いところから聞こえてくるみたいで、私の知っている眞美子じゃないみたい。
私は悔しくて、運ばれて来たハンバーグステーキのナイフをわざと大きな音を立てて下に落とした。すると、びっくりして女の子たちの何人かは私の方を振り向いた。でも、眞美子は顔をこちらに向けもしなかった。気が付かないはずがない。わざと無視してるんだ。
どうして?あなたに不似合いな幼馴染に興味がなくなったの?
ねえ、眞美子、私はここにいるのよ。見てくれないの?声をかけてくれないの?
(3)
「バイバーイ」
「バイバーイ」
駅で眞美子は女の子たちに大きく手を振って別れを告げた。
そして、私と眞美子は2人きりになった。
私はこの時を待ってずっと我慢していた。だって、眞美子は私の親友だもの、私だけの親友だもの。今日はあの子たちに眞美子を一日だけ譲ってあげた。でも、また私たちは二人きり、きっともとの親友同士に戻るんだ。
「ねえ」
私はいつまでも手を振っている眞美子の背中に呼びかけた。光に満たされた駅の入り口は、まるでそこだけ夜が切り出されたように見える。夜はとても深くて、そしていろんな色に満たされていた。街のネオンの色、行き交う車の色、信号の三色、通りを歩く人たちの服の色。
その色に満たされた闇に向かって、駅の光を堰き止めているような眞美子の背中。
その背中に向かって、私はもう一度声をかけた。
「ねえ、眞美子」
それに眞美子は振り向かずに答えた。
「桜良、私思うんだけど・・・」
私の名前の呼び方に感情がこもっていなかった。眞美子は、あえてそうしているのか、彼女の心のうちが透けて見える気がして、私はだんだん心が冷えてくる気がした。
そして、その抑揚のない声のまま、眞美子は続けた。
「友情ってさ、義務でするもんじゃないよね」
「え・・・?」
そして、振り向いた眞美子は、いつもの親しんだ幼馴染の顔だった。しかし、その口から出たのは・・・、
「私たち、頑張って友達やってたけど、お互い無理ばかりして来たんじゃない?それって、まともな関係なのかな?それって、私も桜良だって、幸せじゃないんだよ。別に、あんたより、あの子たちがいいってそう言うんじゃないの。ただ、今日、私、普通の私でいられた。いい子でも、悪い子でもない、そのままの私、それで皆んないいって言ってくれたし、とても楽だったの。桜良のこと、嫌いなわけじゃないし、どちらかと言えば一番の友だちだし、でもね、少し離れてみるのもいいかなって」
親しげな笑みを浮かべながら、それでいて眞美子は淡々と耳を塞ぎたくなるような言葉をなげかけた。それを振り払うように、私は強めの言葉で応酬をする。
「何言ってんの。それって、体のいい絶縁宣言じゃん!」
それで、少し戸惑った顔の眞美子。
「もう、いいよ!」
言葉を吐き捨てて、私は駅の改札に飛び込んだ。
だけれど、心は裏腹で、眞美子はもう一度声をかけてくれると思った。謝ってくれると思った。
でも、振り返ると、眞美子はそのまま駅の入り口から夜の街に溶け込んでいった。もう私になんか、なんの未練もないかのように。
(4)
でも、眞美子はどうするのだろう。
うちが近所の彼女も電車に乗って同じ駅で降りなければ、家に帰るのにとても時間がかかると言うのに。
だから、きっと眞美子も後でこの駅から乗るに違いないと思った。
気まずくて、しばらく時間を潰してから電車に乗って帰るつもりなんだ。だったら、私もここで眞美子を待っていよう。そして、駅のホームで私を見つけて驚く彼女に、さっきはひどいことを言ってごめんなさい、と謝ろうと思った。
それから、何本も、いや何十本も電車をやり過ごした。でも、眞美子は現れなかった。
ひょっとしたら、家の人に電話して迎えに来てもらったのかな。ひょっとしたら、夜の街を何時間もかけて歩いているかも知れない。ひょっとしたら、次の駅まで歩いて行って、私に合わないように帰ったのかな。
なら、こんな馬鹿なことはやめなきゃ。身体が冷え切って風邪を引く前に、さっさと電車に乗って帰らなきゃ。
でも、私はどうしてもここから動く気にはなれなかった。だって、ここが唯一眞美子と私を繋ぎ止められる場所だから。ここで、本当に別れてしまったら、もう二度と口をきけない、そんな気持ちがしていた。
だけど、もう時間は夜の10時近く。私は3時間近くここに座り込んでいたことになる。
「ふーっ」
深いため息が出た。
あまり遅くならないうちに帰ろうか。きっと眞美子もうちに帰っているに違いない。これ以上待っていたって何になると言うの。
その時、ホームの端に人影が見えた。線路に沿って彼方までつづく闇の中、ポッカリと浮かんだ光の島が駅のホームだった。しかし、その端は、暗闇に溶け込んでいた。その闇の狭間にその影は立っていた、そして、その影は小柄な女の子の姿に見えた。
「眞美子?」
ううん、彼女があんなところに立っているわけがない。
暗い輪郭の中、ぼうっと白い光が滲んでいた。
私は目を疑った。
何なの?
そう、それはホームの端に立っていなかった。ホームを外れたもっと向こうに立っていた。いや、浮かんでいた。
なぜなら、ホームが切れた向こうは線路の他に何もなく、街から突き出したコンクリートの柱があるだけだったから。
まるで水の中をたゆとうように、白い影は揺れていた。そして、私はしばらくそれから目を逸らすことができなかった。
そして、まるで画像をズームするように、それが大きく見えた。
違う、ものすごく不自然に私との距離を縮めてきたのだ。そして、気がつけば目の前にいた。
それは、白い顔だった。
でも、目のあるべきところに
暗い穴が空いているだけの
虚ろな
何かだった。
そして、次の瞬間、私は大きな叫び声を上げた。