18:山から大勢来る
翌朝、まだ朝食の時間にもならぬ薄暗い時分に、老婆が教会へ駆け込んで来た。
丁度廊下の掃除をしていたメリッサが慌てて駆け寄ると、老婆は息も絶え絶えに外を指差すだけ。
何の騒ぎかとレイも顔を出し、ヤクル達も部屋から顔を覗かせる。
老婆の手を取り食堂へ案内しようとするも、老婆はその手を振り解きレイにしがみつく。
メリッサがしばらく背中をさすり続けると、老婆は深く深く深呼吸をした。
「山、山から大勢来るよ!」
老婆はそう叫ぶと、頭を抱え蹲ってしまった。
部屋から飛び出したヤクルが、老婆を食堂へ連れて行くメリッサのすぐ脇をすり抜け入り口に駆け寄る。
しかし、直ぐさまレイがヤクルの服の首を掴み取り押さえ、後から続いてきたニールとエスカもまとめて小脇に抱え上げる。
「メリッサは食堂で、あなた達は部屋で待機していなさい」
「でも!」
「分かりましたか?」
一人で出て行こうとするレイにヤクルが食らい付くも、レイはきっぱりと言い聞かせ、三人を部屋に放り込み跳び出して行った。
全員で窓にしがみつき外を見ると、薄暗い中、レイが立ちつくしているのが分かる。
すると、すぐにレイの元にリリックが駆け寄り、山を指差したかと思うと、二人はそのまま走って行った。
「剣……」
走って行くリリックの手に、短剣が握られているのを、ヤクルは見逃さなかった。
「神殿はあっちこっちに剣がささってる。敵と戦ったときのままなんだ」
ヤクルの言葉に、ワイルディが神殿を指差す。
ヤクル神殿の表しか見たことが無かったが、よくよく見れば所々何かが壁から飛び出している。
ヤクルは側に居たニールの手を強引に引き、ニールの手を丸め自身の目にあてがう。
ヤクルの考えを理解したニールは、もう片方の手を自分の目に当て、指に魔力を込める。
神殿の横側に、物で隠されているが確かに剣が刺さっているのが見えた。
そのままぐるりと村中を見渡すと、異変を察知したのか、家々の窓からそっと外を確認する人影がちらほら見える。
レイとリリックが走り去った方を見るも、残念ながら二人の姿は見えない。
確か老婆は山と言っていた。
ヤクルはぐいっとニールの手を引き見える範囲の山に注視してみる。
すると、崖の上にちらりとリリックのローブらしき物が、更に奥へと走って行くのが見えた。
今ワイルディが口にした『敵』は、間違いなく魔族の事だろう。
もし仮に、老婆が言った山から大勢来る何かが魔族だったら。
平和になったとてはたして国境沿いはどうか。
魔族全体が大人しくなったと言い切れるのか。
もし魔族だったらリリックの短剣だけでは。
ヤクルは次々に頭を過ぎる可能性に、ニールの手を放り出すと、一目散に扉に走って行く。
「駄目! 絶対駄目!」
しかし、扉を飛び出した途端、それが分かっていたかのようにメリッサがヤクルを取り押さえ部屋に押し戻そうとする。
「でも二人だけじゃ――」
「それでも駄目なの!」
メリッサはヤクルを部屋に押し飛ばすと、外から鍵をかけてしまった。
尚も扉に飛び付き鍵を開けようとするヤクルに、今度はワイルディとニールが飛び付く。
「行ってどうすんだよ!」
「助ける!」
「馬鹿言え! 子どもなんか足手まといになるだけだ!」
暴れるヤクルに押し飛ばされたニールは、ヤクルに言い聞かせると見せかけて遠巻きにワイルディにも言い聞かせる。
ワイルディと揉み合っていたヤクルは、何か言いたげに声にならない声を上げ口をぱくぱくとさせたが、観念したように舌打ちをする。
「コリウスの馬鹿力」
ごんっとヤクルの頭にげんこつを落としたワイルディが、ふんっと鼻を鳴らしそっぽをむく。
ヤクルが馬鹿力なのは致し方ない事だが、そのヤクルをどうにか抑え込もうと奮闘したワイルディの力もまた凄いものだ。
早々にはじき飛ばされ、ベッドの横でしたたか体を打ち付けたニールは、ようやく大人しくなったヤクルの足を小突き、ワイルディにハイタッチをする。
「さっすがリーダー。頼りになるぜ」
ふらふらと起き上がったニールは更にぐっと親指を立てワイルディを賞賛すると、そのまま後ろにひっくり返ってしまった。
床に倒れ込む寸前で、どうにかワイルディが抱き抱えると、ニールは見事に目を回し失神していた。
「グラス、軟弱……」
信じられない物を見たような上ずった声で、ワイルディはヤクルを仰ぎ見る。
ヤクルもまた、まさか押し飛ばしただけで目を回すとは思ってなかったのか、唖然とした表情のままワイルディに視線を合わせると、ゆっくりと頷いた。
あまり揺らさないように二人でニールの体を持ち上げ、ベッドに移動させる。
不安そうにワイルディが呼吸を確かめ一つ頷き、毛布をかけてやる。
「グラス軟弱すぎ。起きたら素振りせんかいで鍛えなきゃ」
「いやー……それは死んじゃうかも」
ヤクルは苦笑いでワイルディに返事をするも、昨日といい、日に日にニールが弱っている様な気がし、頭の中はそれどころでは無かった。
次々に増える心配事にヤクルがため息をつくと、ワイルディがもう一度ヤクルの頭を軽く小突く。