16:みんな不調
ゼラニウムとローリエは勉強に来なかった。
それぞれの養母が、今日は休ませますとだけ言い、それ以上詳細は語らなかった。
バジルとチコリも神殿の使いに抱えられて来たものの離れようとせず、そのまま使いは申し訳なさそうに何度も頭を下げ帰って行った。
結局勉強に集まったのは、教会に住むヤクル達五人だけであった。
クローバーもワイルディも表情は暗く俯いたままだが、それでも同じ建物内だからしょうがないと言った様子で参加している。
「ここ教えてくれよ」
気を紛らわそうとワイルディの隣に座るニールが、簡単な計算式を指差すも、ワイルディは首を振るばかり。
やはり今日の勉強の内容を変えず正解だったと、ヤクルはレイの顔を一度見上げる。
レイは眉を下げ微笑みはしたが、いつも通り昼の鐘が鳴るまで勉強を教えていった。
勉強が終わっても、相変わらずクローバーとワイルディは俯いたまま、部屋から出て来なかった。
大人達もぴりぴりしている今、外出するわけにも行かず、ヤクル達は食堂でだらだらと暇を持て余していた。
「あ、おいエスカ、ヤクルの首を差し出せば俺達金持ちになれんじゃね?」
「良いわねそれ」
「もれなくお前らもとっ捕まるけどな!」
名案だとばかりにニールは口を開くも、ヤクルの言葉にそうかと再び突っ伏してしまう。
「ワイルディ達と遊べないとこうも暇なんだな。なぁ、俺達ってどうやって暇潰ししてたっけ?」
「すっかり子ども生活が板についたわね。どうやってって、酒飲んででしょ」
椅子の背もたれにぐったりと寄りかかったままヤクルが問えば、テーブルに突っ伏すエスカが答える。
「んなずっと酒浸りじゃねぇよ」
「て言うか俺達、魔族のせいでそんな遊んだり暇だーって思う余裕無かったんじゃね?」
ふとニールが言えば、二人はああと納得し沈黙する。
「もしかして、私達遊び下手?」
エスカが声を裏返し二人の体を揺するも、二人はぷいっとそっぽを向いたまま返事もしない。
「お前らは良いだろ、魔法と薬の研究が出来んだから」
俺は素振りだぞとヤクルが腕を振ると、ようやくニールとエスカが笑った。
エスカは座り直しノートを広げると、ぱらぱらとページをめくっていった。
広げたページの見出しを見ると『最強回復薬』と書かれていた。
「最強回復薬」
「そ。今クローバーと開発してるの」
仰々しい見出しにヤクルが乾いた笑いをもらすと、ニールもノートを広げページをめくりはじめる。
めくってもめくってもびっしりと書き込まれた法陣に、エスカとヤクルは顔を顰めた。
「何、そんなに大変なの? ファイヤーブレード」
「空飛ぶ豚小屋の方だよ」
がりがりと法陣を書き始めたニールに、エスカは更に顔を顰めると、そっと顔を反らす。
「要素が多すぎて、全部クリアするとなると魔力が足りねぇんだわ。調整して調整して調整しねぇと無理」
賢者の魔力ですら足りない魔法と聞き、今度はヤクルが顔を背ける。
「お前らも苦労してんだなぁ」
「素振り千回よりましだと思ってる」
呆れるヤクルに、ニールとエスカは口を揃えて反論した。
しばらく無言で各々作業をしていたが、突如ニールがペンを置き動きを止めた。
完成したのかと二人がノートを覗き込むと、ニールはそのまま顔から倒れ込んでしまった。
「駄目だ。調子悪ぃ……」
ぐるりと横を向くと、ニールは真顔のままそう一言だけ言い、また黙り込んでしまった。
エスカとヤクルはお互いを見やり目を見張る。
二人の輪郭が不規則に揺れ、魔法が解けかかっているのが分かったからだ。
ヤクルはニールを抱え上げると、そのまま自室の前まで走って行く。
しかし、ドアノブに手をかけたまま動きを止めると、一度エスカを見やり頭を抱えた。
自室にはワイルディ。エスカの所にはクローバーが居る。
いつ大人に戻るかわからない状況で、二人の目の届くところに居る訳にはいかない。
「大丈夫だよ~まだまだいけるから~ちょっとだけ寝かせてくれよ~……」
「ちょっと止めてよ、何その弱々しい口調……」
「戦場でも聞いた事ねぇよそんな声」
ヤクルに背負われたニールがか細い声を上げる。
普段の口調とはガラリと変わったニールに、ヤクルとエスカは何か大丈夫なんだと舌打ちをする。
「何か、大量の何かが法陣の上に居るらしくてよ、ちょっと多めに魔力送らねぇと法陣にかけた状態維持魔法が解けそうでよ。俺様の魔法が揺らぐって、何が乗ってて何してんだか……」
へへっと鼻で笑ったニールは、ヤクルの背中に顔を埋めると、そのまますぅすぅと眠ってしまった。
ニールが眠ると同時に二人の体はぴたりと安定し、ニールが言った通り魔法が解ける事は無さそうだった。
しばらくそのまま体とニールの様子を見てから、ヤクルは自室に入りニールをベッドに寝かし毛布で包む。
さすがにワイルディも気になったのか、ニールの顔を覗き込むと顔を顰めた。
「グラス、真っ白だぞ」
「貧弱だから、たまーになるんだって。ご飯も食べたから大丈夫って」
エスカの酷すぎる適当な説明に顔を背けるヤクルだが、ワイルディは本気で心配らしく、自分の毛布もかけてやった。
ニールは寝惚けながら、ワイルディの毛布を抱きかかえ穏やかな寝息を立て始める。
それでようやくひと心地ついたワイルディが、ほっと小さくため息をもらした。
「俺、今日はグラスと一緒に居るよ」
ワイルディはニールに寄り添うようベッドに座り込むと、ヤクルとエスカの顔を交互に見て顔を伏せる。
「なんか俺もちょうし悪くて、今日は遊べないんだ」
「分かってるよ」
エスカがぎゅっとしがみつけば、ワイルディは唇を噛み小さく震えた。
しかし、すぐにぱっと顔を上げると、ニカッと無理矢理に笑みを作る。
「だけど! あしたは元気だから、また素振りせんかいだぞ!」
「お、おぉ……」
ヤクルの顔をビシッと指差し宣言するその姿に、ヤクルはつい笑みが零れる。
周りを気遣う姿が痛々しかったが、口だけのリーダーでは無いのだと、ヤクルとエスカは目頭を熱くする。
「分かったから、寝かせてくれよぉ……」
弱々しい声に三人が視線を下げると、ニールは毛布に潜り込みながらワイルディに手を差し出していた。
反射的にワイルディがニールの手を取ると、ニールは一度ニッと笑顔を作り、再び眠りに落ちてしまった。
感極まり目にいっぱい涙を溜め込むワイルディは、ぐしゃぐしゃと顔を擦ると、ニールの毛布に潜り込んで行く。
心配させまいと配慮しての行動だっただろうが、ワイルディからしたらニールが自分を頼ってきたと思えただろう。
「じゃあワイルディ、お願いね」
エスカの声に、ワイルディは大きく何度も頷いて見せた。