12:健やかにあれ、俺
深夜、再び酒瓶を片手に教会を抜け出した二人は、崖の上で今日聞いた事を反芻する。
「元の噂がどんなだったか気になるな」
「精々、俺が国境の警備やら平和になった世界を見に行ったーとかなんとかだろ」
「それが元ネタって、歪曲して広めたヤツ頭悪すぎか」
至極真面目な顔で見上げてくるヤクルに、ニールは酒瓶を持ち中腰のまま動きを止めた。
「これが正解だったのかなー。何も言わず抜け出して、人相変えて善意に付け込んで教会に潜り込んで。元の姿のまま、世界を旅しても良かったかなー」
ごろりと崖っぷちに寝そべってしまったヤクルは、誰に向けるでも無くそう独り言ちるや、膝を抱え丸まってしまった。
ニールとエスカの予想に反し、ヤクルはあの変な噂を気にしているらしい。
ふぅんと、相槌の様なただのため息の様な声をもらしたニールは、丸まったヤクルの横っ腹にどっかりと腰を降ろした。
「今から移動しても良いぞ。その気になればエスカだけ引っこ抜いて召喚出来るしな。でも良いのかー? 楽しそーに遊んでたじゃねえか」
人一人が横っ腹に座っていると言うのに気にならないのか、ヤクルはその体勢のまま相槌をうつ。
「そうなんだよなぁ。意外にどうにも最高に楽しいんだよなぁ」
「ははっ! まぁ、善意に付け込んだのが気になるなら、王都に戻った時支援してやれば良い」
にやりと笑うヤクルの上で、ニールもつられてにやりと笑う。
魔族との争いが一際激しい時代に生まれた三人は、こうやって友達と山をかけ野を走り山菜を摘んで夕方まで遊び倒すなんて事は経験してこなかった。
多少、子どもなのだから遊んだりするが、いつどこで魔物に襲われるか分からないので、遊ぶのは大人の目のある場所でと厳しく言いつけられていた。
そう言ってしまえば、この集落の子ども達も崖の上に行くなと厳しく言われているようだが、平和になったからか、大人達もそこまで厳しくしていないようにも見える。
ただ、崖の上から眺めていて気付いたのは、定期的にメリッサや神殿の人間が集落を周り、異常が無いか確認しているらしかった。
ヤクル達を引き入れた時、少しだが『また街の人間が』と言っていたのを覚えている。
メリッサ達が見て回っているのは、集落に異常が無いか、捨て子がないか、はたまたもっと違う理由があるのかは定かでは無い。
しかし、そんな謎だらけの集落に居ながらも、ヤクル達は今の暮らしが楽しくてしかたがない。
「帰るまでにはここが何処か調べとかないとな」
「あーそうだったわ。結局、俺どこまで飛んだんだろな」
酒瓶の口を開けながら、ニールは忘れていたと顔を顰めるる。
すると、一軒の家に灯りが灯ると、人影が姿を現す。
誰か分からないがもよおしたのか、外のお手洗いに立ったらしい。
動揺したヤクルが勢い良く体を起こすと、ヤクルの上に座っていたニールは綺麗にはじき飛ばされ、そのまま崖に放り出されてしまった。
「……ッーー!!」
座ったままの体勢で小さく『あっ』と声をもらし、背中から崖の下に吸い込まれていくニールの姿に、ヤクルは声にならない悲鳴を上げるや、何故か追うように頭から崖下へ飛び込んだ。
「いぃい!? 何でお前までく痛!!」
「喜べ! 反射的にだ! 良いからどうにかしろー!」
綺麗にニールに頭突きをしがっちりとしがみついたヤクルは、そのまま背骨をへし折らん勢いで締め上げ叫ぶ。
バキバキと木の枝を何本もたたき折り、地面に激突する寸前の所で、ニールの転移魔法で崖の上に戻り事なきを得た。
しかし、二人ともその一件で一気に疲れが押し寄せ、この日は酒を飲むこと無く教会に戻っていった。
翌日、勉強の為神殿に来てみれば、どうにもリリックの様子がおかしい。
何か思い悩むように体を曲げ地面に伏せっていると思えば、はっと顔を上げ祈り、かと思えば罪悪感にかられたように顔を顰め泣きそうになる。
勉強用の一番奥の部屋に行く為の、狭い通路の真ん中でそんな調子のリリックと遭遇した子ども達は、全員通るに通れずただ佇んで見守ることしか出来ない。
狭い廊下に子どもが溢れているのに気付いた神殿の人間がリリックを取りなし、ようやく今日の勉強が始まった。
「今日は、長きにわたる魔族との争いを終わらせた勇者様御一行のお話です」
ノートを開きいざペンを握った三人は見事に硬直した。
ワイルディが喜びリリックを囃し立てる中、リリックは教壇に置かれた本の表紙をひと撫でし咳払いをすると、朗々と語り出す。
「勇者様が剣を振れば光りの柱が現れ、聖女様が祈れば暗雲が割れ、賢者様が杖を振り上げれば、夜空に赤々と陽が昇る」
「すっげー!!」
歌うように話し出したリリックに、ワイルディは興奮しっぱなしで、椅子の上を飛び跳ねる。
ワイルディが勉強に興味を示し話に夢中なのは珍しい光景だが、三人は全くそれどころではない。
「すげぇなヤクル。どうやったんだ」
「祈ったら空って割れんのか」
「夜が昼って、本当に大迷惑」
三人が三人、とんと身に覚えの無い話に、他人事のように変に感心しはじめる。
「光りの柱が辺りを包み込むと、魔族の姿は消え、辺り一面花が咲き誇っていた」
思い切り頭を抱え記憶を探り出すニールの隣で、エスカは半笑いでヤクルの腕をつつく。
「分かった! 神話か!」
「違います! これは神話などでは無く、昨年世界を救った勇者様達の実際のお話です!」
思いの外声が大きかったのか、ヤクルの言葉にリリックが目をつり上げ噛み付いてきた。
素直にヤクルが頭を下げると、リリックは咳払いをし話を続ける。
リリックの話す事に何一つ身に覚えのないヤクル達は、自分達以外にこの辺りに勇者がいたんじゃ無いかと疑いながら、リリックに急かされるままメモを取っていく。
神官であるリリックが、神話は作り話とも取れる発言をしたのは今は置いておくとし、ヤクル達はこんな状況もだんだんと楽しくなって来ていた。
「その時賢者様はおっしゃられたのです『健やかにあれ』と」
「健やかにあれー!」
ニールとワイルディが元気に復唱すると、リリックは目を輝かせ軽快に歩き回る。
「その時の賢者様の表情たるや、この世に神がいてたもうたかと……いや、神などという言葉では言い表せない、慈愛に満ち満ちた、眩いばかりの――」
「自愛?」
「なる程。『健やかにあれ』俺」
リリックの言葉にエスカがニールを囃し立てると、ニールはきりりと眉を上げニヒルに笑う。
それがまたおかしく、ヤクルとエスカは机に突っ伏し笑い、ニールとワイルディはリリックと一緒に大盛り上がりだった。