第5話『逃走2』
背後の空間を矢が通過した。男が遠くから狙撃しているのです。二人はその狙いから必死になって逃げ出します。また一本の矢が背後を通過する。その度に空気を割く音が聞こえてきます。
二人が必死になって逃げている最中、
「二人共、こっちへ来い!」
声が響き、二人はその方角を見ました。そこには地面の割れ目があり、中から一人の男性が手招きしていました。それはカイトの父親でした!大急ぎでそこへと逃げます。敵は狙撃を一度停止したようです。
割れ目の中は暗く、洞窟状になっていました。カイトの父が二人を誘導し奥へ。暗い氷の洞窟を三人は歩いていきます。
「カイト、それにルマ。こんな場所で出会うとは思わなかった。敵に追われているようだな。急いで逃げるぞ。」
「父さん。何で、ここにいるの?」
カイトの素直な質問。父は答えます。
「お前たちが逃げてゆくのを見たという人物がいた。こっちの方角だったから適当に探していた。すると、偶然にも今さっきの様に出くわした訳だ。」
ルマがカイトの父の前に立ち、父の足を止めました。心配な目付きで父を見上げる。父も無言でルマを見ていた。カイトはその状況を不思議そうに見ていた。
「すいません、こんな時に。」
ルマは静かに呟いた。
「ルマ、何がしたい?俺に何かして欲しいのか?」
「一つ…訊きたい事が…。」
カイトはその言葉を聞いて、ちょっと苦い顔になった。ルマが訊きたいことをカイトは理解していました。今のルマが訊きたいこと、それは一つだけしかありません。
「私の…私のお母さん…無事かな…。」
父はギクッとした表情で顔が硬直しました。しかし、再び気持ちを落ち着かせると口を開き、
「…そう言えば…ルマの母さんは朝から出かけていたはずだ。そうだよな、カイト?」
(ゲッ!こっちに回さないでよ、父さん!)
「…あ、うん。そ、そうだった…よね?」
カイトはなるべくそうだった風に見せかけて言いました。ルマに嘘を付いていることに、カイトは罪悪感を覚えていました。だけど言うことはできません。ルマは悲しそうに俯き、
「分かりました…ありがとうございます。」
そう言ってカイトの横に戻りました。父はそれを無言で見つめる。ルマがどれだけ母親を心配しているのかは明白でした。父はルマの前に座り、ルマの頭を撫でました。
「そうかー、ルマ。母親のことが心配なんだよな。ルマの唯一の家族だからな。」
カイトはそれを聞いて、マズイ顔つきになりました。ルマの母親がどうなったのかを知っているのはカイトだけ。カイトは涙目になって黙っていました。
「ルマは母親と似ついて心配性だな。大丈夫、考えすぎだ。多分、今頃母親もお前と同じように心配しているに違いない。だから、お前が心配している必要はないさ。お前が元気でないと母親が困っちゃうだろ?」
ルマは黙って下を向いていた。
「ルマ…ごめん。僕は何も…。」
カイトは震えた声で呟きました。ルマはカイトを悲しげに、でも不思議そうに見つめました。カイトの頬を一筋の涙が伝っています。
「カイトは何も悪くないよ…。何で泣いてるの?」
カイトは何も言わず、無言で泣いていました。
「カイトもルマも、二人共元気出せ。そんな悲しい顔してると不幸が訪れるぞ?だからな、もっと笑顔になれよ。じゃないと―――」
父が急に話を止めて、目の前にいたルマを背後へと突き飛ばしました!ルマは地面に体を強打して倒れる。カイトがルマに駆け寄ります。
「大丈夫、ルマ?!父さん、何して―――て…。」
カイトは目の前に仁王立ちしている父を見ました。父の胸部に一本の矢が突き刺さっていた!胸から出血し、地面に流れ落ちます。父はそのまま崩れ落ちました。カイトは父を受け止めた。
「父さん!」
父は青い顔をしていた。咳をして、口から吐血しました。心臓部に矢が深く刺さっています。致命傷でした。誰がやったのかは予測できる。あの男に違いないでしょう。ずっと留まっていたから射程距離内に詰められてしまった。父はルマを庇って矢を自分で受けたのです。
「父さん!死なないで!僕の家族は父さんだけなんだよ!だから死なないで!」
カイトは必死に訴えかけます。父は何とか目を開き、口を動かした。
「カ、イト…ルマ、を連れて、北極に行け…。南、極はもう…駄目だ。北極に俺の…知り合いがいる…。後はそいつに…任せる…。カイト…ルマ、死ぬな…よ―――」
父は瞳を閉じた。カイトの体に父の血液が流れて赤く染め上げます。カイトは死んだ父の体を抱きしめて泣きました。ルマが立ち上がり、カイトに寄り添う。
「カイト…。」
ルマは何も言い出せなかった。カイトの父親が死んだのは自分のせいだと分かっていたから。罪悪感が湧き出てくるけど、今はそれどころじゃない。残酷ではあるけどカイトを父から引き離して一緒に逃げるしかない。でも、言い出せなかった。
ルマは無言で座り尽くしていると、カイトが急に立ち上がり、ルマに手を差し伸べた。
「ルマ…行くよ。」
「え?」
「ルマ、早く逃げるんだよ!あの男がまた狙撃してくるに違いない!もう誰も死なせたくない!急ごう!」
カイトはルマの手を引いて立たせ、一緒に氷の洞窟内の奥へと走っていきました。父の死体を背にして。
「カイト…大丈夫?」
ルマが心配そうに問いかける。カイトは涙を流しながら走っていた。
「ごめん…ごめん…ごめん…。」
ずっと涙を流しながらそう呟いていました。
洞窟を抜け出した二人。そこは雪が積もって雪原になっていました。カイトがルマに合図を送り、二人は洞窟の出口から左右に分かれて飛び逃げた。直後、出口から数本の矢が通過していきました!カイトとルマは積もった雪に埋まった顔を出し、すぐさま氷の洞窟の上へと登る。その数秒後、洞窟から一人の男が飛び出してきました。手には巨大な弓矢。全身を白い服で統一している身長の高い男です。男は二人を探している模様。二人は洞窟の上に潜んで男を見ていました。
「あれが父さんを殺した男…。」
カイトは腰に付けていた小型の弓矢を持ち、矢を番えて構えます、狙いを男に向けて。
「カイト…殺しちゃうの?」
「殺らなければ殺られる…そう父さんが言っていたんだ。父さんは僕らに死ぬなって言ってた。だから、僕らはここでは死んでられないんだ。」
「でも、あの人は死んじゃうんだよ?」
「そうだけど…仕方ない。」
「あの人にだって家族がいるんじゃないの?」
「だけど、あの男は僕の家族を殺ったんだ。仇討ちをしてあげたいんだ。」
「それでも…人を殺すって事は―――」
「分かってるよ。でも戻れない。僕はすでに人を殺した。手を汚してしまったんだよ。だから、僕は人のために手を汚すことにしたんだよ。」
「…カイト、どうしても?」
カイトは構えていた弓矢を下ろし、ルマを見つめました。ルマは心配顔でカイトを見ていました。
「ルマだったらこの状況、どうする?」
ルマは心配そうに、だけどキリッとした目付きで、
「…怖いけど…あの人の前に出るよ。話し合えばきっと分かってくれるはずだから…。」
カイトは小さくため息を吐いた。
「じゃあ、こうするしかないよね。」
カイトは立ち上がり、持っている弓に矢を番え、男に向けて構えました。狙いを定めています。
「カイト?」
「僕はここにいる!」
大声で叫んだ!下にいた男が反応して振り向きました。直後、カイトは矢を放った!矢は猛スピードで男に飛翔してゆきヒットした!ルマが悲鳴を上げて目線を逸らしました。
「大丈夫、本体じゃなくて弓の弦だけだからさ。」
カイトはルマを連れて下に下ります。
「大丈夫でしたか?」
男は無言で立ち尽くしていました。その足元に弦の切れている弓が落ちています。
「カ、カイト…。」
「どうしたの、ルマ?」
ルマが男を指す。良く見ると、白いウィンドブレーカーに隠れて矢が胸部に刺さっていた。男は口から赤い血を吐き出し、その場に崩れ落ちました。全身の白い衣服が血で赤く染まっています。
「当たってるじゃん!カイトのバカ!」
ルマが涙目でカイトの肩を叩いた。カイトは唖然とした表情で倒れている男を見ていた。
「ルマ…ごめん。本当はこんなつもりじゃなかったんだけど…。」
「って死ぬと思ったか?」
男が立ち上がった!何も起きてなかったのかのような表情で矢を引き抜き捨てました。
「え?…エェェェェェ!何で?!胸部に刺さったのに!さっき口から血を吐いたのに!」
カイトは驚いて飛び上がり後退。男が笑顔でカイトを見ている。
「お前の弓技センス、気に入った。あの距離から弓の弦だけを切断する技術、素晴らしい。完敗だよ、認める。お前は俺をいつでも殺せたはずだ。なのに殺さなかった。なぜだ?」
カイトは無表情のまま口を開く。
「僕はあなたを殺そうとした。あなたはルマの…じゃなくて、僕の父親を殺した。許せなかった、絶対に。何があっても、あなただけは殺しておかないといけない、そう思ってました。だから、僕はあなたの体に弓矢を向けた。あなたが今、僕と話すことができるのは僕の横にいるルマのおかげです。ルマが殺したくないって言ったから…。」
男はカイトの横のルマを見る。ルマは心配そうな顔でカイトの背に隠れました。
「ありがと、小さな精霊さん。俺はお前らに完敗した。俺をどうしようがお前らの勝手だ。煮るなり焼くなり、殺すなり好きにしろ。」
そう言うと男はその場に座り込みました。
「カイト…。」
「分かってるよ、ルマ。」
カイトは座り込む男に手を差し伸べました。男はカイトを見上げます。カイトは笑顔で言いました。
「僕はあなたを殺しはしない。見捨てはしない。傷つけやしない。あなたは僕をこの瞬間、殺すことができるはずです。弓がなくても矢はまだ余っているはずですよ。」
男はウィンドブレーカーで隠していた矢を数本取り出し、
「ご名答。」
それを地面に置く。そしてカイトの手を取り、立ち上がりました。
「で?俺に何かして欲しいみたいだが、何をすれば良い?」
カイトは男の瞳を見つめ、そしてニンマリと笑うのでした。