第18話『北極上陸』
半年間ぐらいの月日が経過しました。
光に反射し、大地は白く輝いています。荒い波が打ち付ける音が耳に良く入る。空は青々と晴れ渡り、風は嵐のように吹き荒れています。気温は氷点下を下回るこの地に、カイト達は足を踏み入れました。懐かしい寒さが体を凍てつかせます。ウィンドブレーカーを着ていても寒さは貫通する。ちなみに、カイト達が立っているこの場所は海。氷点下を下回る大気が海を凍らせ、大陸を作っているのです。この地の名前は北極。
「…ついに…ついに…北極に来たね。」
カイトは感動の声を漏らしました。南極から北極まで、期間にして大凡2年弱。
「あまり変わらないね。ここが北極…。」
ルマも感心した表情で辺りを見回していました。
「・・・・・。」
ヘルメスは無言。どんな感情なのかは分からないけど、とりあえずはニヤケ顔でした。
三人は南極と似ている北極の地を歩いて行きます。早速、一つの村を見つけました。その村は氷を削り洞穴を作り、その中に作られていました。三人はちょっと警戒気味で慎重に入ります。
「おぉ!もしや、そこにいるのは!」
一人の老人が三人の前へと走ってきました。言語は同じ、通用しています。
「もしや、カイト?!」
その老人はカイトの事を知っていました。
「はい!でも、何で名前を知って―――」
「顔を見れば分かりますよ。父親そっくりだ。さ、他の方も一緒に私について来てくだされ。」
そう言われ、三人はその老人についていく事にしました。
三人は氷の洞窟の中にできた一つの家に入りました。ほとんどは氷、少しだけ布が装飾してあるだけの粗末な作りではあったものの、それは高い保温効果を発揮していました。氷と布でできた家です。三人は氷の上に布を被せた椅子に腰をかけます。その前に老人も座りました。
「話は聞いていました。カイト、あなたの父から。まさか、こんな齢にしてここまで来る事態に陥ってしまうとは。…あなたが生まれるずっと前、私は父と約束をしました。…緊急事態の時はお互い、関係者も含め、自分の家に匿う(かくまう)事を。」
「でも、わざわざ北極と南極に分かれる理由って?」
カイトはそう疑問を投げかけます。
「あなたの父は非常に用心深いと言いますか、過度と言いますか…。同じ大陸では安全が保証されないからと、わざわざ数年かけて南極へ…。」
「でも、やっぱりおかしいですよね?」
カイトはどうしても引っかかる事がありました。質問せずには終われません。
「だって僕ら、ツンドラ族は北極から逃げて来た訳でしょ?なぜ、北極に父はいたのですか?」
老人は表情を一切変えず、真顔のままで答えました。
「カイトの父親の先祖は南極まで逃げてはいません。北極を出たあとの大陸で止まりました。カイトの父は決心をしたのですよ。南極へ行くことを。」
それを聞いたカイトは何かを考え始めたのか、そのあとは黙り込んでしまいました。
「…まぁ、みなさん。せっかくですから、北極探検でも行ってみてはいかがでしょうか?南極とはまた違った景色が観れるはずですから。」
老人はそう促します。カイトは考え事をしていてずっと座り込んでいました。
「じゃあ…せっかくだから、行こうかな。」
ルマとヘルメスは洞窟を抜けて外へと出て行きました。家の中、考え事をするカイトと無言でそれを見つめる老人の二人だけ。静かな空気が流れていました。
「私たちは邪魔者みたい。二人で話がしたかったんだよね、多分。」
「…まぁ、どうだって良いが…それより、俺には一つ、やり遂げなければならない事があってな。」
ヘルメスは感情のこもっていない口調でそう呟きます。ルマは不思議そうにヘルメスを見上げていました。
「…お前には関係ねぇよ、ルマ。カイトに用があったが…最後くらいは二人きりで話がしたいだろ。」
「…最後?」
「…お前には関係ねぇよ。カイトの事だ。」
カイトは何かを閃いたのか、急に飛び上がった。老人はそれに驚いて腰を抜かしてしまいました。
「あの、お話ありがとうございました!お名前って何ですか?!」
カイトは急ぎ目にそう訊きます。
「あたたた…あー…私はレドーですじゃ。」
腰を押さえながらそう言いました。
「ありがと、レドーさん!」
カイトはそれだけ言って、大急ぎで洞窟を出て行きました。
「…若いってのは良いねぇ。この年になると…いててて…腰痛とかも酷くてな…。」
洞窟を飛び出たカイト。その入口付近でルマに出会いました。ルマは地面に座り込んで景色を眺めていました。
「カイト?どうしたの、そんなに大急ぎで?」
不思議そうに訊くルマ。カイトは焦り模様のまま答えます。
「ルマ、ヘルメスがどこにいるか知って―――」
「カイト、ここだ。」
ヘルメスの声がしました。カイトは声のした背後を振り向きます。氷の洞窟の上にヘルメスが立っているのが見えました。ヘルメスはカイトに向けて弓を構えています。その光景に一瞬硬直するカイト。
「ああ。俺を呼んだか?俺の名前…本当はヘルメスじゃない。本当の名はクロノス。今まで嘘をついていた。」
カイトは訝しげに訊きます。
「冗談?」
クロノスはニヤリと笑います。
「もちろん、本気だ。カイト、お前を待ってたぜ。」
「な、何で?何で僕に向けて弓を構えているの?今まで僕ら、一緒に困難を乗り越えてきた仲間じゃないか。何でそんなこと…。」
「俺が仲間…か。悪くない響きだな。だが、俺はずっとお前らのことなんか仲間と思っちゃいねぇな。」
ルマは不安気に呟きました。
「嘘はやめてよ、ヘルメス。だって、あんなに私たちの事を信頼していたのに…。」
「ここまでは俺一人じゃ来れない領域だ。利害が一致した上で助け合っていただけの…単なる道具に過ぎない。そして、ここに着いた今、お前らは不要だ。ここで死んでもらう。」
カイトはルマを洞窟の穴へと押し飛ばした!そこなら死角、クロノスの攻撃は当たりません。即座に回転回避で横へと飛び退きます。その回転中に腰の弓を掴み、立ち上がって即座に弓を構えました。その瞬間、顔の真横をクロノスの矢が飛んでいき、構えていた弦を引きちぎりました。
「どうだ、今のは?唖然とした表情ってところか。お前が教えてくれたんだ、俺の弓を切ってな。貸しは返したぜ。そして、お前に貸し付けの一撃を与えてやる。」
クロノスは矢を放った。その動きをカイトは両の目でしっかりと捉えていました。放つ直前にカイトは動き出し、放った矢を紙一重で避けた!そしてその矢を右手で掴み、弓を構えて放ちました!弦が切れているはずの弓。なぜか矢はしっかりと撃たれました。クロノスはその不意打ちに驚いて身動きが取れませんでした。矢は男の右頬を掠めます。
「どう、今のは?驚いたって感じかな。ヘルメスのおかげだよ、一緒に小さな舟を漕いでくれたからね。じゃないと、あの時の巨大な化物と戦うこともなかった。そして、相手の放った矢を使う考えも思いつかなかった。それと、この弓はずっとウィンドブレーカーで隠れて見えなかったと思うけど…実は弓を二つ持ってるんだ。これでヘルメスが今射った矢の貸しは返したよ。」
カイトは弓に矢を番えた状態で言いました。クロノスは矢を番える時間がなく、無防備です。
「そして…ヘルメスに貸し付けの一撃を与えてあげる。なんてこと…僕にはできないよ。」
カイトは構えていた弓を下げ、そして投げ捨てました。
「僕がさ、あなたがクロノスだと知ってるのに、なんであなたをずっとヘルメスって呼ぶか分かる?僕にとってあなたは旅仲間で、僕の知ってるあなたはヘルメスだからだよ。ヘルメス…僕は今、無防備さ。『僕をどうしようとあなたの勝手。煮るなり焼くなり、殺すなり好きにして。』」
その言葉は、南極でクロノスがカイトに言った言葉と同じでした。
クロノスはニヤけます。
「くくく…やっぱり、お前には完敗だよ。…戦闘でも、内面でもな。」
「ヘルメス、僕はずっと君を差別してた。守護の対象外だったよ。だけど、やっぱり違う。ヘルメス、もう一度、僕らの仲間に…いいや、今から仲間にならない?僕らのさ。」
カイトは笑顔で届くはずのない手を差し伸べます。クロノスは微笑して、
「答えはNOだ。俺は仲間になることなんかない。あるとすれば、こうだ。」
クロノスは片手に矢を持ち、自分の首に押し当てました。カイトはクロノスが何をしようとしてるのか即座に理解できました。自殺するつもりです。
「やめろ、ヘルメス!」
止めに入ろうとするが、洞窟の上にいるクロノス。確実に間に合わない。
バキッ!
直後、クロノスが持っていたはずの矢が折れました!その数秒後にクロノスの足元に一本の刃物が落下して地面に刺さりました。それはルマの投げた刃!ルマが下から投げた刃が矢をへし折ったのです。
「許さないから…。私のお母さんを殺しておいて…一人で逝くなんて…許さないから。」
ルマが洞窟の真下にいます。悲しげな表情でカイトを見ていました。
「…知ってたんだ、母さんのこと。…ルマ、ごめん。俺、頑張ったけど―――」
「いいよ、カイト。もう言わないで。」
クロノスは驚いた表情で硬直しています。まさか、ルマが攻撃を仕掛けるなんてことは夢にも思いませんでした。しかも、精密な投撃。口がポッカリと空いている。
俯きながら歩くカイト。悲しげな顔のルマ。その二人の背を黙って見つめているヘルメスこと、クロノス。氷の洞窟の中、無言で歩く彼らの間に憂鬱な空気が流れていました。
「カイト、急に飛び出たりしてどこへ行っていたのかい?」
先ほどの老人、レドーがカイトを呼び止めました。
「レドーさん…先ほどは驚かせてしまい、すいませんでした。」
カイトは暗い声でレドーに謝ります。レドーは少し動揺したものの、冷静な口調で言いました。
「気にしなくて良いぞ、カイト。ただ、一つだけ話し忘れたことがあるのじゃ。それを聞いてくだされ。そこにいるお嬢ちゃんも一緒に。」
その言葉にルマは目を丸くしてレドーを見ました。レドーはニコリと笑い、二人を誘導していった。ヘルメスは一人、その場に取り残されました。
レドーについて行き、再びレドーの家にやって来た二人。
「僕らに聞かせたい話っていうのは何?」
レドーは先ほどの笑顔とは変わって、真剣な目付きになります。カイトとルマも同じ様にレドーに集中します。
「これは…カイトの父親に言うなって言われたことだけれど…今となってはその約束も敗れたと同然。だから、今日、この場で二人に告げよう。…準備は良いかな?」
「うん…僕は覚悟できてる…。」
「…私も同じ…。」
二人は真剣な表情でレドーを見つめている。しばらくの間、三人は黙り込んでいました。まるで時が止まったかのような時間が流れ、レドーが最初に口を開きました。
「父はカイトにこう告げたことがあるかな?…母親は君が小さな時、死んでしまったと。」
カイトは悲しい表情になります。
「…これを訊くのは失礼だと分かってはいるけど、訊かなければ話が進まない。同じく、お嬢ちゃん…名前はルマ…だったはず。」
「何で名前―――」
「父がそう言っていた。ルマの父親は…雪崩に巻き込まれたらしいじゃないか。」
ルマは暗い表情で頷きました。
「…それを確認した上で…。実のところ、カイトとルマは―――」
「兄妹…ですよね?」
カイトが地面を見つめながらそう呟きました。これには驚きを隠せないレドー。つまり本当なのです。
「ルマと一緒に旅をしていて…薄々感じていました。それに、僕の父…ルマの母…二人共、片側を失っているなんてさ…ちょっと引っかかるよね。僕が先ほど飛び出ていったのには二つ理由がありまして…。その内の一つは今言ったことです。」
「え…え?…エェェェェェッ!」
ルマが状況をようやく飲み込めたらしく、尋常じゃないくらい驚きました。
「大丈夫だよ、ルマ。心配しないで。」
カイトの言葉にルマは涙を隠しきれませんでした。ルマは母親が殺されたのを知った時、もう自分には誰もいない、そう思っていました。天涯孤独の身、誰も支えがいないと。その時は泣きに泣いた、涙が枯れ果てるほどに。そんな自分にまだ家族がいたこと、そしてその家族がいつも近くで支えてくれたこと。それを考えただけで、枯れ果てたはずの涙が再び流れ落ちました。カイトが言い放ったその言葉が、ルマの記憶を呼び起こしたのです。この長い旅の中、カイトはルマをなだめる度にそう言い放っていました。『心配ない』と。ルマはカイトに抱きついて泣き始めました。カイトはどうにもできず、そのままの体勢でルマが泣き止むまで一緒にいることにしました。その光景をヘルメスが外で盗み聞きしていました。
「…くくく…何だよ、何かと良い感じになってんじゃねぇか。俺の立場はねぇようだな。…じゃあな、クソガキども。せいぜい、狭い氷のカゴの中でもがいてな。」
聞こえてないのを分かっていて、ヘルメスはそう捨て台詞言い、再び旅に出て行きました。その背後ではルマが泣く声がずっと聞こえています。耳障りだと言う感情と懐かしい感情を背に、ヘルメスは北極から姿を消しました。