第16話『歴史の1ページ』
雲が浮かんでいない空。雑草だらけの地面。その中を三人の旅人が歩いていました。海を渡り、一つの大陸に乗り移ります。そこは北側なので寒い。だけど、この三人は元々寒さには強い体質だったために、寒いというより涼しいぐらいに感じていました。
「カイト、ルマ…お前ら、どうやって元の自分に戻った?何か手がかりでもあったんだろ?」
大人の旅人は二人に訊きます。少年と少女はそれに答えました。
「あれはさ、何かと奇跡だったんだよ―――」
「心配したんだよ、カイト。」
「分かってる。」
一ヶ月前。
カイトとルマが北へと逃げていくその最中、深い森の中で二人はヘルメスと再び再開することができました。しかし、その姿は以前とは違ったもので、右目に血の滲んだ包帯を巻いていました。フラつきながら歩いてきたのを二人は見つけます。
「ヘルメス?!あんた、その姿は一体?!」
ルマは目を見開いて驚いていました。ヘルメスは苦笑いを浮かべています。
「ははは…ちと無理しちまってな。とりあえずは皆、無事なんだ。早く逃げるぞ。」
「無事じゃないわよ!あんた、その右目、しっかりと見えてるのよね?」
「あ、ああ…当たりめぇだろ。」
動揺気味ではあるが、右目はしっかりと見えている事をアピールするヘルメス。二人に無駄な心配をかけさせたくないと、ヘルメスは嘘を吐いて誤魔化したのです。そんなヘルメス。ふとある事に気付き、神妙な顔付きに変化しました。
「お前…そんな口調だったか?ていうか、そんな性格だったか?」
その質問にルマは首を傾げます。
「あ、俺がおかしいのか。スマンスマン、今言ったことはなかったことに―――」
「確かに…ね。」
「え?」
意表を突くセリフに一瞬だけ脳裏が停止したヘルメス。ルマは続けます。
「ヘルメスが今、そのことを言うまでは気がつかなかったよ。何でか、いつの間にか別の口調になっていた。おかしいな、私ってどんな口調で話してたっけな?」
ヘルメスはそう訊かれて戸惑いを隠せない様子。どんな口調かは分かっているのですが、相手は女子。その口調を男であるヘルメスが伝えるのには少し酷でした。男が異性の特徴などを説明しようとしても手こずるのは当然の事です。
「オバサンみたいな喋る方だったじゃん!そうに決まってる!」
ドゴッ!
カイトの腹にルマの拳がクリーンヒットしました。
「はい、黙れ。」
カイトはそのまま倒れて地面で転がっていました。みぞおちに決まったようで息ができてません。
「それだ、それ!そんな荒い口調じゃなかったはずだ。と、俺は見たけどな。」
「荒い?じゃあ、もっと品を良くしろって?」
ヘルメスは小さく頷きます。ルマはちょっと恥ずかしそうに俯いて小さく口を開きました。
「…私…本当にこの様な話し方ですか?」
「…まぁ、近いといえば近いんだが…。」
「それなら、どのような話し方をすれば良いのでしょうか?」
「それはもちろん、僕のようなハンサムスピ―――」
バシッ!
二度目の制裁、カイトはルマの平手打ちを肩に食らって倒れました。
「ルマ、お前は元々戦闘タイプじゃなかったはずだ。その攻撃も抑えろ。」
「えー、じゃなくて…ゴホンッ!…良いですけど、その様な場合ではカイトさんにどう対応すれば良いのでしょう?」
ヘルメスはもう一つ違和感を覚えました。カイトのことです。カイトもルマと同じく何かがおかしい。まるで歯車が外れているような雰囲気の男になっています。ヘルメスはそのことを思いついて、カイトに言いました。
「カイト!お前、いつからそんな自信家タイプになった?自意識過剰な奴ではなかっただろ?」
カイトはそんなセリフに耳を傾けて、ヘルメスを見つめました。
「あぁ!ぼ、僕は…僕は何て事を…。」
カイトは急に落ち込み始め、地面に座り込んでしまいました。どんよりとしています。
「カイト?どうかしたか?」
「…ルマ、僕は君に酷い事を言ってしまったみたいだね。そしてイラつくことも。…ルマはそんな人に手を出す奴じゃなかったのに…なのに、僕のせいで…。」
そんなカイトの目の前にルマはしゃがみこみ、クスクスと微かに笑いました。
「…馬鹿な人…。あんなことで私がおかしくなるとでも?…違うよ、カイト。そしてカイト。それが本当の君なんだよね?」
カイトは小さく頷きます。
「そう…ようやく、お互いに素直な自分になれたんだね。おかえり、カイト。」
「うん…ただいま、ルマ。」
カイトとルマはしばらく顔を見つめ合っていました。それをヘルメスが少し寂しげな表情で見ています。
「…お前ら、急に戻ったよな。ルマ、お前に関しちゃ、急というか徐々に戻っていったというか…さっきの口調で話せるか?」
ルマは首を振る。
ヘルメスは背を向けて恥ずかしげに、
「まぁ、俺は…今のお前らのままの方が好きだけどな…。」
そう小さく呟きました。
「「え?」」
「な、何でもねぇよ。」
「でも、今なんか言った―――」
「腹減ったって言ったんだよ!動けば腹ぐらいへんだろうが。」
そんなヘルメスを見て、二人は笑いました。
「…奇跡だな。お前らの構造どうなってんだよ?ってか、なぜ急に性格が変わっちまったんだ?不思議でしょうがない。」
「それが分からなくてさ。ルマもそうでしょ?」
頷くルマ。
それから彼らは無言になり、押し黙ったまま数十分が経過しました。
「あれ…街じゃないかな?ほら、前方のあの塔みたいなの。」
カイトが前方を指差します。そこには一本の巨大な塔が建てられていました。それは雲を貫くほど高く見えます。そんなシンボルマークのある街が前方に広がっていました。ずっとまともな食事を取ってない彼らにとって、街の出現は歓喜に満ちました。三人は急いでそこへと向かいます。
その街は小さな街でした。円状に家々が配置され、中央に巨大な塔が建てられています。人々は外へと出てはおらず、街中は静かな空気が満ちていました。
「…誰もー…いないね。廃国しちゃったのかな?」
ルマは少し心配気に呟きます。人がいなければ旅をするための食料も手に入らない事になるのです。そうなれば、次の国へは身一つで行かなければならない。ヘルメスはともかく、カイトとルマのスタミナでは持たないでしょう。
「カイト、ルマ。ここからは別行動にしよう。街中からできるだけ情報を見つけ出す。もちろん、同じ言語じゃないはずのこの国から情報を見つけるのは容易じゃねぇ。それでもだ。これが、俺たちが生き残るための術だ。」
三人はそこから別行動になりました。それぞれ別の方角へと歩いて行きます。それぞれ、情報を求めることを目的として。
街の東、円状の国の弧を沿ってルマは左回りに進んでいます。道の左右に全く同じような家々が円を描くように建てられていました。そこを歩いてはいるものの、一向に人に出会う気配がありません。自分の歩く足音が良く響いて聞こえます。ルマはマイペースにゆっくりとした足取りで回っていきます。この国は小さい。一回りするのなら一日あれば十分です。つまり、一日あれば全エリアを回ることができるのです。街の住民には、確実に一人は出会うはず。でも、心配性のルマさんは無駄に心配しているのです。常に困り顔で捜索をしています。確かに、人が見つからなかった場合は死んだも同然ですが、心配が過ぎています。
一方のヘルメスはルマとは逆回転、西側から右回転で街を捜索しています。光景はルマと変わりませんが、ヘルメスは人を見つけました。第一住民ということです。見た目は年寄りのおじいさん。厚めの服を着ている貧相な見た目のおじいさんでした。ヘルメスは人を見つけはしたが、何もなかったかのように通り過ぎようとします。
「待って下さるかな、そこの旅人さんよ。」
おじいさんが急に話しかけてきました。しかも、その言語はヘルメスと同じ!一体、どういうことなのでしょう?
「じーさん、あんた…。」
「やはり、同じ言語でいらっしゃったか。とりあえず、私のお話を聞いて頂けるとありがたいのですが。」
ヘルメスは同意し、そのじいさんの話を聞くことにしました。
「ここは昔、人々が良く行き交う騒がしい街だった。しかし、ある時、突然人々はこの街から消え去った。」
「それは一体どういう事だ?」
「そのままの意味ですよ。人々は消えてしまった。」
「あんたはなぜ、ここにいる?それに、なぜ同じ言語を…。」
「私は旅人さんと同じですからね。旅人さんは私の推測上ですが…南極地帯からやって来た…ツンドラ族といったところでしょう?」
それには冷静なヘルメスでも大いに驚きました。このおじいさんはヘルメスの見た目から見抜いたのです。
「そうだ。…さっきから疑問しか生まれないな。どうなってやがる?」
「全ては中心街に建てられているあの塔に理由があるのですよ。」
街の中心、高い塔の中にカイトはいました。塔の中を捜索している最中です。階段が螺旋状に壁を伝って上へと伸びてゆく。上の天井部は丸く大きい穴が開いていて光が中を照らしていました。蒼い空がそこに見えています。
「…展望塔?」
カイトはその塔の中を見て、少し疑問を抱いていました。街の中心街、そんなところに建てられた巨大な塔。それがなぜ、ただの展望塔なのか。中心に展望塔が建てられている意味が理解できないカイト。少しウズウズしながらも、長い長い頂上へと伸びてゆく螺旋階段を上り始めました。一定間隔で窓が配置されていて、そこから外の街が一望できました。徐々に高さが上がるのが良く分かります。街中に人影が一つも見当たりません。この街には人がほとんどというより、一人もいない雰囲気でした。だけど、見る限りはそれはないはずなのです。街にある建造物は何から何まで設備がしっかりと整っています。人がいないのであれば、すでにこの街は荒廃が進んでいるはずです。つまり、この街にはまだ人がいるはずなのです。しかし、その気配はどう見ても皆無。つい最近、この街から人が消えた。そう言うざるを得ないが、それには納得できないカイト。根拠はないけれど、まだ人がいる気がしていました。カイトはその矛盾に疑問と好奇心を抱いています。心がウズウズとしている自分が不思議に感じています。ただ普通に進んでいるだけのカイト。だけれど、見えない何かに物凄い期待をしています。そんな気持ちでカイトは螺旋階段を上がっていきました。
街の北側、円状の弧を左回りに回っているルマ。一人の人間に出会いました。見た目は年寄りのおばあさん。厚めの服を着ている貧相な見た目のおばあさんでした。ルマはその人を見て、少しホッとしました。それと同時に、どう話しかければ良いのかに困りました。それはそのはずです。言語が違うのであれば、話しかけ方はまず存在しません。ですが、せっかく見つけた住民。すんなりと通り過ぎることもできず、その場で戸惑っていました。すると、あちら側が話しかけてきました。
「そこの旅人さん、この国になぜいるのですか?」
そう話しかけてきました。それはルマに通じる言語、つまり同じ言語を使っていました。ルマは驚きます。
「何で、どうして…同じ言葉を喋って…。」
「簡単なことですよ。私があなたと同じツンドラ族ですからね。」
再びルマは驚いきました。
「おばあさん…私のことを知ってるの?」
おばあさんは少し微笑んで、
「いいえ、知ってはいませんよ。でもね、分かるのです。全ては中心街に建てられているあの塔に理由があるのですよ。」
おばあさんはそう言って、説明を始めました。
「この街は以前、あなたと同じツンドラ族の移住地でした。ですが、ある時、この地に敵が攻めてきました。戦に弱いツンドラ族はただただ殺られていくだけ。逃げることしかできませんでした。彼らはこの地を放棄し、新たな移住地を見つけることにします。そして、南極という遥か彼方にある未開の地へと移住しました。それがあなたの祖先です。この国はそれからずっと、人のいない無人国となりました。」
ルマは驚くことしかありませんでした。おばあさんが何もかも見透かしているからです。知らないこともいくつかありました。
「…あの…おばあさんは何でこの国にいるのですか?無人国じゃないのですか?」
「私も好き好んでいる訳ではないのですよ。旅人さん、突拍子も無い質問ですが、旅人さんはこの国に入って何時間が経過したのですか?」
違和感のある質問に少し戸惑いながらもルマは答えます。
「多分…4、50分ぐらいかな?」
「それは非常にマズイ事態じゃな。旅人さん、良く聞いてください。今からこの国を出るのです。私みたいに後悔しないように。」
少し気の張る口調でそう言ったおばあさん。ルマは少し不安になって訊きました。
「…えっと…マズイ事態って?」
「この国には呪いがかかっておるのです。信じられない話とは分かってますが、信じてください。この国に1時間滞在した者はこの国の住民となってしまいます。つまり、この国から出れなくなってしまいますのじゃ。」
ルマは半信半疑だったけれど、おばあさんの言う呪いと言うのを信じる事にしました。
「でも、何でそんな呪いが?」
「簡潔に話します。殺されたツンドラ族、そして移住していったツンドラ族の怒り、恨みなどが積もった結果です。さぁ、早くお逃げなさい。でないと、二度と戻れなくなってしまう。」
「だ、だけど、仲間がいるの。」
おばあさんはそれを聞いて絶句しました。
「仲間…その人物はもう、間に合わないでしょう…。諦めてくだされ。」
「だ、だけど…。」
「その仲間は今、どこに?」
「一人は西側、もう一人は塔の中。」
おばあさんは険しい顔付きになりました。
「…マズイ事態じゃ。…旅人さん、実はこの呪い、打ち破る方法が一つだけあるのじゃ。しかし、間に合わない。それができるのは塔の頂上部。ここから塔までは30分以上かかる。」
「その…打ち破る方法って?」
おばあさんは真剣な顔でルマに説明します。
「この国の中心街、高くそびえるあの塔の頂上部には弔いの鐘という物がありましてな。その鐘には呪詛消し作用があるのです。しかし、その鐘の効果があるのは呪いにかかる前の人間でして、かかってしまった後では遅いのじゃ。逃げるしか方法はないのですよ。」
ルマは焦り気味で戸惑っていました。カイト、ヘルメスはこの事実を知らないし、ほっておけなかった。でも、今逃げないと永遠にこのまま。ルマは迷い続けます。こうしている間にも時間は進んでいます。タイムリミットまではあと5分です。
一方のヘルメスも、ルマと同じ状況でした。おじいさんに出会い、そして説明を聞きました。ルマとまったく同じ内容です。
「それは非常にマズイ。カイトとルマはまだ知らない。どうすれば良いんだ?カイトの奴が鐘を鳴らしさえすれば良いんだが…知らないんじゃ、身も蓋もない。」
ルマもヘルメスも呪いについてを知りましたが、塔まで行く時間は彼らにはありません。つまり、カイトしか鳴らせる者はいないのです。そんなカイトはまだその呪いの事を知ってはいませんでした。
タイムリミット5分の中、カイトはウズウズとしながら頂上部へと上がりました。そこからは360度の大パノラマが一望できました。眼下にうっすらと雲が張っているほど高くそびえる塔の上、カイトはその景色に魅せられていました。タイムリミットが迫っている事なんか知る由もなく。
「これは中心街の展望塔!すっごいや!」
そこからの景色は絶景。街どころか遠くの山々をも見通せる高さ。高い故にその頂上部では強風が吹き荒れています。カイトのウィンドブレーカーが強風でバサついています。
「あれ?…何か、ある。何だろう?」
頂上部に設置されていた何かに気付き、近づいて確認するカイト。それは高さ2メートルぐらいの鐘でした。上に小さな銀色の鐘があり、鐘に繋いで一本の紐が伸びていました。カイトは鐘を初めて目にします。それが何か、全然理解できていませんでした。カイトは好奇心に任せてその紐を手に取ります。
「何だろう?…何に使う奴かな?」
カイトは良く分かりません。何となく、その紐を軽く引きました。すると、上に付いていた鐘が少しだけ傾きました。
「もしかして、引っ張って揺らす物?何のために?」
カイトは紐を思いっきり引っ張りました。鐘は一回だけ響音を響かせ、そして横向き状態で止まりました。
「…音がなるだけ?つまんないの。」
引っ張っていた紐を離して帰ろうとした。その時、背後から耳がキーンとなる程の大音量の高音が響きました!引っ張ってたはずの紐を離した事がきっかけとなり、鐘は重力の影響で振り子の容量で動き始めたのです。それにより、鐘は響きました。カイトはビックリして飛び上がります。
「うわっ!…あー、なるほど。そうやって使うんだね。街の人々に何かを伝えたりする時に使うやつなんだ。」
そう分かると、カイトはしばらく景色を眺めてボーッと座っていました。
カイトが塔から出ると、笑顔のルマとニヤけ面のヘルメスが待っていました。
「遅かったじゃねぇか、カイト。良くやった。」
「何が?…僕の方は良い情報がなかったよ。二人は?」
「良い情報しかないよ、カイト♪」
随分と上機嫌なルマ。カイトは変な顔で見ます。
「ヘルメス…ルマ、どうかしたの?」
「いいや、お前のおかげだろ?」
「僕?何かした?」
「うん、すごい良い事だよ、カイトー!」
「だから何?」
「教えな~い!」
「何で?何でさ?気になるじゃん、教えてよー。」
こうして三人は危機を逃れました。奇跡的なファインプレーによって。その危機を救った男、カイト自身は何の事だか理解することはありませんでした。
「教えてよー。ルマもヘルメスも、二人だけ知っててずるいぞ!」