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ハーフ・ゴースト  作者: 島流十次
2/Mr. Ms. Magnet
5/23

1 悪夢

 ●


 僕は、どこかの建物のてっぺんに立っている。

 風は強い。空は広い。地面は遠い。意識は薄い。


 自分の掌を見たけれど、それは僕のものだという気がまるでしなかったので、僕は今僕ではなく、別の人間なのだ、と思い込む。

 ちゃんと見下ろしてみると、人が歩いているのが見えた。大学の生徒たちだ。そこで僕は気がつく。ああ、ここは、大学の屋上だ。

 自分が立っているのが自身の通う大学の屋上であることを理解したあと、突然僕の体の言うことがきかなくなり、僕は僕の脳の指令に反して、急に真っ直ぐ駆け出していく。


(やめろ!)僕は心の中で叫んだ。

 このままじゃ、落ちて、死ぬだろう!

 しかし、僕はジャンプして、屋上から一気に飛び降りてった。

 ひゅるるる、と、空気が体全体を包みながら掠めていく落下の感覚。それはもちろん、一瞬だった。

 僕は死ぬ――

 地面に体を打ち付けると同時に、大きな音がそこらじゅうに響いた。それは、アイスクリームや、卵を落とすあの「べしゃり」という音とはかけ離れていた。


 バン。

 そんな音だった。

 僕は死んだ。そう、あっさりと。


 意識はさっきよりもぼんやりとする。視界に見えるのは、自分のいたるところからじわじわと溢れてくる鮮やかな赤い血と、地面に力なくつく自分の手。そして身体に広がる激しい痛み、心臓(いのち)の鼓動、頼りないその音。じょじょに失われていく僕の体温。


(死にたくない)

「死にたくない」

 僕は、死にたくない。


 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない――


 そう思い、生きたい、と願ったそのすぐあとだった。


 引っ張られる感覚がして気がつくと僕はまた同じ屋上にいた。まさか、と思う。そのまさか。僕はまた、僕の意に反して屋上から落ちていく。


 そしてまた落ち、また死ぬ。また、気が付いたら屋上の上で立ち尽くしている。


 そこからは、死のリピートだ。


 走る、ジャンプする、落ちる、潰れる。

 血が広がる、痛みが広がる、体温が、消えていく。


 走る、ジャンプする、落ちる、潰れる、血が広がる、体温が、消えていく。

 走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく。僕は死ぬ。走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく。僕は死ぬ。走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく。僕は死ぬ。


 走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく僕は死ぬ走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく僕は死ぬ走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく僕は死ぬ走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく僕は死ぬ走るジャンプする落ちる潰れる血が広がる痛みが広がる体温が消えていく僕は死ぬ。


 何度でも死ぬ。


「こわい……死ぬのは、こわい……」


 とつぜん、僕の前で死んだ母さん。とつぜん、僕の前で跳ね飛ばされたステイルおばさん。

 苦しかっただろう。痛かっただろう。あっという間だっただろう。

 もう、誰にも死なれたくもない。


「嫌だ……」


 何百回目かの死で、僕は意識をほんの少しとりもどし、血濡れの震える両手と、ばきばきに折れた両腕両足を使って地面を這いつくばった。


「僕は、死にたくない! 死にたくないんだ!」


 そう叫ぶ。


 ●


 携帯電話のアラーム音が快活に鳴り響いた。はやく起きろと僕をせかし、ジリリリと鳴り続けるその音は自分で設定したものだが――いやはや、まったくもって不愉快だ。


 目をこすりながら、アラームを止める。


 それにしても、恐ろしい夢を見た。僕は普段夢をあんまり見ないし、見たとしても、なにか見たなあと思い出す程度で内容を詳しく覚えているわけではない。それに、さっきの夢みたいに身体を動かしている感覚もあるわけではないから、余計に恐ろしく感じた。


「自殺願望なんかあったっけ、なあ、アルバートさんよ」寝ぼけていることもあってか、無意識のうちに口から独り言が出た。「いいや、あるわけがないだろ、アルバート」


 僕は肩をすくめた。


 携帯電話の画面に映る自分の顔を見てみると、目の下にうっすらとクマができているのはわかった。クマがあっても女の子に心配されるだなんてことはべつにないってわかってるけど、ちょっとショックだ。僕は生きてきていままでクマができたことがほとんどない。


 悪夢と、期間限定で新しく作ってしまったクマの存在は忘れることにして、僕は「さて」とベッドから降りた。


 仕度をして、父と朝食をとって、学校に行かなくては。

 いや、待てよ? 僕は再度、ケータイの画面を見る。


 今日は、メモリアル・デイ。そんでもって、MMMの日。


 僕は僕にやられた。そう、休校日なのだ。そりゃあ、MMMに参加するのなら話は変わるけど、僕には当然そんなつもりはない。となると、僕は早起きをする必要がなかった。そんなことをすっかり忘れて、さあ明日からまた週がはじまるぞ登校だぞといつものようにアラームをセットした自分……。


 くだらないことだけれども、悔しくなって脱力し、ぼすん、とベッドに勢いよく倒れこんだ。


 そもそも、戦没した将兵を追悼する日に美男美女を選んだ挙句大騒ぎしようだなんて、おかしいじゃないか。途端に腹も立ってくる。今年のMMMをこの日にした奴は、いったいどういう神経をしているんだ? まあ、なんらかの事情があったのかもしれないけどさ。


 さ、また寝よう……そう思い寝転んで瞼を下ろしたときだった。

 コンコン、と部屋のドアがノックされる音がした。


 父さんだ。「なに?」と僕はまだ少し不機嫌なままで返事をする。

 ドアが開き、父が一歩部屋に入ってきた。


「いつも時間ぴったりに下へ降りてくるお前が、今日は珍しく時間をすぎても降りてこないから、びっくりしたんだが」


 抑揚のないしずかな口調で父はそう言った。父は常にこういう喋り方をする。普段着ている楽なジャージ姿は、相変わらず不似合だった。父は、年のわりにはわかわかしく見えるし、まだまったくと言っていいほど禿げてはいないその髪はセットされていなくてもぴしっとしているし、腹だってたるんでいない。スレンダーで、まさにダンディだと言われるような風格の持ち主だから、この人に一番似合う格好はスーツだろうと僕は思う。逆にこの人はスーツ以外なにを着ても似合わないだろうし、実際そうだと、いつ見ても思う。父のスーツ姿を見る機会は、もうほとんど無いが。


 しかも、おかしいのが、今まさに彼の右手にはニンジンが握られているということだ。キッチンでニンジンを切ろうとしていたが僕が降りてこないので慌ててそのまま僕の部屋へと向かったのだろう。似合うのはスーツだけだと思わせてしまうほど真面目に見えるのに、たまにこういった「抜けた」ことをしてくるので、父はおもしろい。


 ついでに、父もきょうが祝日であることを忘れている。


「このままだと遅れるぞ」ニンジンを持ったまま無表情で父が言う。「ついに登校が嫌になったか?」

「いいや、違うよ父さん。今日はメモリアル・デイ。祝日だ。危うくリビングへ向かうところだったけれど、そのことにきがついた僕は二度寝をしようと思ってさ」

「ああ、そうだったか」そう言ったが父は左手を顎に持っていき、「いや、祝日でも、学校でたしかイベントがあるんじゃなかったか?」

「そうだけど。なんで父さんがそれを?」

「たまたま大学のHPを見たときにたまたま見ただけさ」

「そっか。でも僕は行かないんだ」

「具合が悪いのか」


 具合というか、悪い夢を見たので、まだすこし気分が悪いのは確かだ。「いいや。特にそういうわけじゃない。そのイベントに興味がないから僕は参加しないだけだよ」


 視線を反らした僕に、父は更に話しかけてくる。


「行ったほうがいいんじゃないのか」

「きょうはやたらと話しかけてくるね。無口キャラはどうしたの?」

「アル」僕をあだ名で呼ぶその声は不安そうだったが、僕の主張におれたようで、父はまたすぐにいつもの父に戻った。「……なら、イベントには行かなくてもいい。ただ、リビングには来なさい。もうすぐで朝食の用意ができる」


「……わかったよ。下へ降りる」僕だって、折れた。


 そして上体を起こし、父の握りしめるニンジンを指差して、「それに、父さんにはそのニンジンの調理の続きをしてもらわなきゃね」


「…………」


 僕は笑ったが、父は相変わらずの無表情でニンジンを凝視してから「そうだな、忘れてた」。そう言うだけだった。


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