支配
グルジア アハルツィへ 5月30日 1456時
グルジア南部、アハルツィへ。この町には多くの兵士が車両とヘリで物資を運び込んでいた。幹線道路の近くにはトーチカや鉄条網、塹壕が造られ物々しい雰囲気となっていた。
市民は戒厳令により午後8時から午前5時までの間、外出を禁止され、兵士が常に通りに立っている。政府が倒されたあと、武装集団が事実上、グルジア国内の行政と司法を掌握している。警察官を含む公務員は全員が解職され、その代わりに役所にはAK-74を持ち、迷彩服とバラグラヴァ帽で着飾った男たちが詰めている。通りの所々には戦車や装甲車が置かれ、上空には常に軍用ヘリがパトロール飛行をしている。
政府が倒されたことにより、グルジア国内は混乱している中で、この組織はあらゆる行政、司法、立法制度を解体した。軍は各地で敵と交戦したものの、敵に加わった者がかつての仲間を攻撃するなど事態は混迷を極めている。ゲオルギー・バラーノフは新グルジア政府の樹立を宣言した後、アルメニア、アゼルバイジャン、北オセチア、イングーシ、チェチェンにこの新国家に併合されるよう要求し、退けられた場合は先制攻撃も辞さないと宣言し、かつての大統領府に腰を据えた。ロシアはグルジアとの国境警備を強化する一方で、この事態を傍観する構えを示し、イラン政府に至っては何の反応も示さなかった。各国のグルジア大使館および領事館駐在する職員は混乱した。本国との連絡は途絶え、駐在する国の政府職員との対応に追われた。
一方で、国連はグルジア新政府への経済制裁を発動させた。グルジアとの輸出入に対して『人道に反しない程度』に制限がかけられたが、国防費の不足から軍事的制裁は見送られた。NATOもロシア軍も自国の軍を維持し、日頃の訓練と国境警戒活動で手一杯のようだ。アゼルバイジャン、アルメニア政府は空爆を要求したが叶えられず、結局、軍事作戦はPMC頼みになっていた。
市民はこの武装勢力の支配を甘んじて受けていたものの、水面下では粛清を辛くも逃れた元軍人や元警察官を中心にレジスタンスが組織され、各地で散発的な戦闘を繰り返していた。
やがて、グルジアは封鎖され、ゲオルギー・バラーノフの完全な支配下に入ってしまった。国を出入りするのはバラーノフの元部下や関係の深い傭兵集団に限られ、一般国民のパスポートや入出国ビザは全て無効となり、占領軍の兵士によって全て没収され、処分された。完全な鎖国政策の中、バラーノフは次の攻撃目標を計画していた。




