下僕その一のちょっとした過去話
「いや、いきなりは無理でしょ」
逆さ吊りから自力で抜け出したらしい園崎がカステラを頬張りながらカガチを非難する。
「そうか?」
疑問符を浮かべながらカガチもカステラを食べ(というか一丸呑みす)る。
本日のこの屋敷での晩飯はカステラであった。
(絶対栄養偏ってるよここの人達)
常盤はここ最近戦慄してばかりだなと思いつつも戦慄しながら出されたカステラを頬張る。程よい甘さでくどくなく、舌の上には清らかな甘さが広がっていく。そして口内から鼻孔に向けて心を落ち着かせるような香りが抜けていく。その御蔭で戦慄は少しだけ陰を潜めた。流石は『鶴屋』のカステラだ、と常盤は絶賛する。
『鶴屋』とは、仙原市にある有名な和菓子専門店である。昔ながらの手法で和菓子を作っているので大量生産は不可能だが非常に美味であり、その甲斐があってリピーターを多く確保出来る程に評判がいい。毎日予約でてんてこ舞いだとか。
今年の七月に水元区のこの屋敷近くに二号店が出来たので、この屋敷から買いに行きやすくなった、とカガチが大変喜んでいたりする。嬉々としてカステラを皿に分けていたカガチに常盤は「そんなに好きなの?」と尋ねたら「あぁ。特に好きなのは三色団子でこの間は百串程食べた」と即答。百串も食べて胃は破裂しなかったのだろうか? と唖然としながらも心配になった常盤であった。
「というか、あれってそもそも適性検査じゃないし。今現在の流れをコントロールする力確かめるやつでしょ。右も左も分からない状態のつばっきーには火の固定は無理だって」
園崎は視線でカガチを責めながら、常盤を抱き寄せて同時に頭を撫でる。因みに彼等がいる場所は和室である。洋風の屋敷であるのに、何故か一階の一角に和室が備え付けられていた。そこで座布団を敷き、晩飯――というよりもお茶をしていた次第である。
「よしよし。かがっちーに無理言われて大変だったねー」
そして何故か幼い子供をあやすような口調の園崎。常盤には園崎のキャラの全貌が見えないでいたが、昨日向けられた殺気はもう微塵も感じないという事だけは分かる。半霊と成った御蔭が、そういう機微には敏感になっており、殺気を無理矢理隠しているような雰囲気も無ければ、常盤の事を毛嫌いしている空気も存在しなかった。
「普通はねー、適性を調べるにはこの符を額に貼って甲、乙、丙、丁のいずれかが浮かんできて、それで判断するんだよー」
そう言ってジャージのポケットから穴の空いた勾玉を二つくっつけたような図――太極図が描かれた札を一枚取り出し、ぺそっと常盤の額に貼りつける。
で、札に浮かんだ文字は丙であった。
「ふんふん。丙なら苦労はするけど訓練次第である程度流れをコントロール出来るようになる。よかったねー、丁だったらどんなに頑張ってもコントロールは無理だったからねー」
と、額に札が貼られたままの常盤の頭をにんまり笑いながら撫でまくる園崎。何故撫でるのか分からない常盤は混乱している。
「んふふ。戸惑ってるつばっきーはかわえーなー、本当にかわえーなー。…………食べたくなる程に」
一瞬だけ、園崎の顔に陰が差し込み、目をキラリと光らせた。そして涎を垂らした。それを察知した常盤は即座に自身を抱き寄せていた園崎から距離を取る。一瞬にして一畳半の距離だ。この感じは殺気ではないが、獲物を狩る時の獣が放ってしまった威圧が如く、常盤の神経を逆撫でしたのだった。要は命の危険は感じなかったが、身の危険は感じ取ったのだ。なので、退避。
「というか、園崎さんも陰陽師……なんですか?」
「そんな畏まって園崎さんなんて言わなくていいよ。僕の事は気軽に蓮華ちゃんと言っていいんだよ。あと溜口もOK☆」
きらりん、とウィンクをしながら閉じてない方の目を人差し指と中指の間にくるようにピースサインをする園崎。ついでに言えば微笑んでいる。
「……で、蓮華さん」
流石に年上をちゃん付する勇気は無かったので常盤は言われた通り名前で呼ぶがさん付けをする。
「…………つばっきーは僕の名前をちゃん付けで呼んでくれないんだ」
常盤が園崎の名前をちゃんではなくさん付けをしたら、園崎は有り得ないくらいに気落ちしてしまった。和室の端っこで常盤に背を向けて体育座りをする程に。どんよりムード全開であった。
「……いいよ。どーせ僕はつばっきーにとって他人なんだ。昨日訳も訊かずにつばっきーに殺気を向けちゃったから嫌われちゃったんだ。僕はもうカテゴリ他人から次のステップには進めないんだ」
「いや、その……」
あまりの落ち込みっぷりに動揺してしまう常盤。これは自分が悪いのだろうか? というか、さん付けとちゃん付けの間にはそんなに隔たりを作る要素でもあるのだろうか? と本気で考え込んでしまう。
「……昨日はつばっきーが横になっていたソファであんな事やこんな事、果てはそんな事をやりまくって互いに熱く熱く盛り上がった仲のに」
「盛り上がってねぇよ」
嘘百パーセントのデマを口から漏らす園崎に、つい汚物を見るような目を彼女に向けながら不良のような口調で突っ込んでしまった常盤であった。
「で、蓮華ちゃん」
取り敢えず話を進ませようと、言われた通りに園崎の名前をちゃん付で言う常盤。そんな彼女は半眼で園崎をねめつけていたりするが。
「何かなつばっきー?」
半眼で言われようが気にしない園崎だった。刹那の間に振り向き、咲き誇る花畑のような満面の笑みを浮かべていた。
「蓮華ちゃんもカガチと同じく陰陽師なの?」
「Yes, I am. I’m onmyouji」
「何で急に英語を?」
「何となく」
「そう……で、蓮華ちゃんは陰陽道をカガチに習ったから陰陽師になったとか?」
「いんや」
首を横に振る園崎。
「どちらかと言うと、僕がかがっちーに陰陽道を教えたのさ☆」
「え? 本当?」
と、蚊帳の外になり気味であったカガチの方を向いて尋ねる常盤。
「あぁ」
カガチは相変わらずカステラを呑み込みながら首肯した。
「俺は下僕その一から陰陽道を習った。だから下僕その一は俺にとって師匠でもある。そいつの身分を正確に表すなら下僕師匠だな」
「いや、意味分かんない造語は作らない方向で」
それだと尊敬しているのだが虐げているのだが分からないだろう、と常盤は肩を落としながら思うのであった。
「で、下僕師匠がな」
「それを定着させようとしないで」
「下僕師匠がな」
無視されたのであった。
「俺が持っていない術を持っていたから、無理矢……頭を下げてそれを教わった次第だ」
「今無理矢理って言おうとしなかった?」
「あぁ」
「え? 認めるの?」
普通は誤魔化すパターンなのだが、カガチの思考回路の構造が全く見えてこない常盤であった。
「それでも一応頭は下げたぞ」
「下げたんだ」
一応礼儀というものは持ち合わせているのだな、と感心する常盤。
「でも、下げたと言ってもかがっちーはたった一ミクロンだけ下げただったけどね」
園崎の補足に常盤の関心は打ち砕かれた。というかよく目測で一ミクロンを測る事が出来たな? と少々驚いた。
「まぁ、僕としては助けて貰ったんだから無理矢理でも構わなかったんだけどね」
「あ、そう言えば蓮華ちゃんって一年前にカガチに助けて貰ったんだっけ?」
昨日のカガチから受けた園崎の簡易紹介でそう聞いていたが、具体的に何から助けたのかまでは訊いていなかった。
「そう。ちょっと昔話するけどさ、私の家系は代々陰陽師一族で、その中でも私は次期当主候補ナンバー二だったのよ」
「ナンバー一じゃないんだ」
「ナンバー一は僕の兄貴さ。名前は敢えて言わないけど僕なんかよりもずっと強くて有能な陰陽師だったんだ」
「そうなんだ」
「もういないけどね」
「え?」
あっけらかんと聞き捨てならない発言をした園崎に常盤は一瞬だけ呆けた。
「今から一年前に兄貴は依頼で正体不明な怨霊を討伐しに行ったんだよ。まぁ、兄貴の実力なら並みの怨霊は敵じゃなかったから一人で大丈夫だろうと一族皆安心しきってたんだ。でもさ、全然大丈夫じゃなかったんだ」
園崎は顔に陰を落としながら続きを話す。
「討伐から戻ってきた兄貴は人が変わったようだった。何時もはにこやかに僕と猥談をする仲なんだよ」
「兄妹で猥談すんな」
つい不良口調で突っ込みを入れてしまう常盤。そんな突っ込みをスルーして園崎は話を進める。
「でも、帰ってきた兄貴は猥談する所か、僕や両親はおろか誰とも会話しなかった。食事も取らなかった。睡眠も取らなかった。で、二日経ってもそんな感じだったから心配になって一族の一人が兄貴に声を掛けたんだ。大丈夫ですかって?」
そしたら、殺された。頭を食われて殺された、と園崎は感情の無い声で続ける。
「兄貴の口が裂けて、大きく開いたかと思うと、心配して声を掛けた一族の頭をがぶりと食い千切って殺したんだ。そこから一気に一方的な虐殺が繰り広げられた。陰陽道を修行していた子供さえも食い殺し、僕と兄貴の両親も手に掛けた。何人かの一族が陰陽道を使って兄貴を討伐しようとしたんだけど、討伐出来なかった。兄貴も陰陽道を使って仕掛けてきた一族を返り討ちにしたんだ。兄貴の実力はもう当主の力を越えてたからね。ただの平凡な陰陽師じゃ歯が立たなかった。そして、返り討ちにした相手も貪った」
地獄だった。そう呟く園崎。
「昼間で太陽が燦々と降りしきる中での事だったんだけどさ、いくら明るく太陽が輝いていてもそこらに血や骨、肉片、血管、内臓、目玉、歯、指、肘、腿、舌、耳が散らばってれば地獄としか思えない。僕は目の前の光景が信じられなくて、兄貴がこんな事する訳ないって。非人道的な虐殺を繰り広げる兄貴に恐怖して足が竦んで動けなかった。それが逆に幸を為してね、僕は最後の最後まで狙われなかった。狙われたのは逃げていく一族。立ち向かっていく一族。何かしら動いていた一族」
僕と兄貴だけが残った時に、かがっちーが来たんだ、と園崎は一度区切り、茶で喉を潤してから再開する。
「かがっちーは容赦無く兄貴に攻撃を仕掛けてさ、兄貴もやられまいと迎え撃って、ほぼ互角の戦いだったよ。でも、最終的に大蛇になったかがっちーが兄貴を締め殺した。その時、兄貴の口から黒い靄――怨霊の霊気が漏れ出てたんだ。そこで分かったんだ。兄貴が討伐依頼された怨霊は相手に憑依して恨み辛みをぶつけるタイプで、兄貴は怨霊に身体を乗っ取られたんだって。一人じゃなくて、複数人で行けばある程度対処出来たんじゃないかって思うけど、もう遅いんだよね……」
「蓮華ちゃん……」
顔を伏せて肩を震わせる園崎に常盤は声を掛ける事が出来なかった。何せ、目の前で実の兄が一族――つまりは親類を殺していくと言うショッキングな場面を目撃してしまい、ただ一人取り残されてしまったのだ。そんな園崎には気を落とさないで、助かってよかったね等とは気軽にも言えない。あまりにも無責任過ぎる。そのような凄惨な体験をした事のない人からの慰めは薄っぺらいものだ。同情しかない。憐みしかない。なので声を掛けられない。
「……以上! 僕とかがっちーの出会い昔話終わり!」
しかし、ぱっと顔を上げた園崎の顔には一族を失った悲しみや怨霊への怒りなぞは微塵も感じさせない程に明るいものであった。声も同様である。
「以後の私は身寄りが一人もいなくなったのでかがっちーの家にお邪魔する運びとなりました☆」
そう言って、園崎はカステラを再び食べ始める。そりゃもう景気よくばくばくと。茶もぐびぐびと飲んでいく。
その様子を見て常盤は悟った。園崎は無理矢理明るくして重い空気にならないように配慮しているのだと。配慮する上で常に何かしらの動作をしなければ気持ちが簡単に傾いてしまうのだろう。だからカステラを食べ、茶を忙しなく飲んでいるのだ。
あまりにも痛々しく見えた。そして、そのような事をさせてしまった事に常盤は罪悪感を覚えた。
「もぅ、暗くならないでよつばっきー」
園崎は明るい調子を作ったまま、常盤を再び抱き寄せる。
「終わった事をくよくよしてても仕方ないじゃん。今は前を見据えて歩くだけだよ」
そう、と言いながら手を常盤の胸に這わせる。そんな彼女の目は怪しく光り輝いていた。
「自分の欲求に忠実に生きなきゃあねぇ!」
ぐわし、と常盤の胸を揉み始めた。
「ちょっ!?」
唐突過ぎて頭が一瞬パニックに陥り、即座に赤面する。
「初々しい反応だねぇこのこの〜。そういう初なつばっきーも愛らしぶるわっ!?」
恍惚な表情をしながら胸を揉んでいた園崎は常盤のエルボークラッシュを胸骨に受け、呻き声を上げて畳に倒れ込むのであった。
罪悪感を覚えた自分は馬鹿だった、と常盤は園崎に射抜くような鋭い視線を向け、カステラを食べようと手を伸ばした。
が、もうカステラは無かった。
カステラの殆どをカガチが食べてしまっていたからだった。
結局、常盤は一切れしか食べられなかった。因みに園崎は四切れ、カガチが五十七切れを食べていた。