死神は陰陽師……なのだろうか?
部活も無事に終了。
常盤は真っ直ぐにカガチと園崎がいる屋敷へと足を運んだ。
帰り際に数奇屋に部員全員で何か食べないか? と訊かれたがこの後予定があると言って丁重にお断りした。数奇屋の方も予定があるなら仕方ないとすんなり引いてくれた。
さて、屋敷へと赴いた常盤は、カガチに庭に出るようにと言われ、現在は待機している。庭は幼い子供が両面コートでサッカーをする事が出来るくらいに広々としており、屋敷面積よりも大きい。庭の全面に青々と茂る芝生は昨日降った雨の影響か、張りが出ていて強い生命力を感じさせた。もし前日が雨でなければここで寝転んで日向ぼっこをするのもいいかもしれない、と常盤は思う。
「待たせたな」
そんな風に心を穏やかにさせているとカガチがやって来た。そんな彼は昨日と違い、少年体形にぴったりフィットしたジャージを着ていた。どうでもいいけど、この屋敷住人のジャージ率は高いな、と思う常盤であった。
「いえ、そんなに待っ……て……」
待っていないと口にしようとしたが常盤の口は凍りついてしまったかのように動かなくなった。
その原因はカガチの手に荒縄と蝋燭が握られていたからだ。
朝にあった数奇屋とのやり取りが脳内にフラッシュバックされた。
(もしかして、あのやり取りってこれの伏線だったとか?)
ちょっとした戦慄を覚えた常盤は摺り足で徐々にカガチから距離を取る。
「…………」
常盤はカガチの荒縄と蝋燭に集中し、少しでも変な行動に出たら脱兎の如く逃げようと身体に力を入れる。
「ん? あぁ、これか」
しかしカガチはそんな事とは露知らず、単純に常盤はこれ等を何に使うのだろうと言う疑問を持っているだけと判断した。なので、説明する事にした。
「これはな、あのように」
そう言ってカガチは屋敷の一階部分の窓を荒縄と蝋燭を持った手で指差す。常盤は荒縄と蝋燭を注視していたのでつられてそちらの方に視線を向ける。その窓にはカーテンはされておらず、中の様子が確認出来た。内装的に、昨日常盤が介抱されていた暖炉の部屋だという事が窺える。
そこには荒縄で逆さ吊りにされた園崎がいた。そんな状態の彼女の下にはちらちらと揺らめく火が点いた蝋燭がいくつも置かれていた。
園崎の惨状を視認した瞬間、常盤の足は動き出していた。敷地外へと続く門へと。
もう危機感しかなかった。このまま黙って突っ立っていれば、自分も園崎の二の舞いになるのではないか? と。
なので逃げた。全速力で。百メートル十二秒台の俊足で。
「落ち着け」
しかし、逃げる常盤をカガチはあっさりと捕まえたのだった。持っていた荒縄の先端に輪を作り、カウボーイが如く頭上で振り回して遠心力を利用して目標目掛けて投げ、輪を常盤の頭上から被せるように通過させ、胴体まで来た所で引っ張り輪を締めて捕まえたのだ。
「放してっ! 私も吊る気なんでしょ!?」
じたばた暴れて拘束から逃れようとする常盤。何せ自分にはそう言った趣味は無いのだからする方もされる方も御免なのだ。なので常盤は人間の腕力では無駄と分かってはいても荒縄を引き千切ろうと爪を立てるのだった。
「誰があんな変態みたいな事をするか」
冷めた目でカガチは溜息を吐く。そして常盤の頭頂部に軽く手刀をかます。
「人の話を最後まで訊け。俺はあのようにするんじゃなくて、ちょっとした適性検査でもしようとしてるんだ。これとこれを使って」
「適性検査?」
常盤は怪訝な顔をするのであった。何せ荒縄と蝋燭を使った適性検査などした事がなかったからだ。というか、そのような適性検査はこの世に無いだろうと勝手に決めつけているが。
「あぁ。陰陽道のな」
「陰陽ぉ?」
カガチの一言に更に怪訝度を上げる常盤。
「陰陽ってあの安倍晴明とかで有名なファンタジーや時代物の二次元創作物で御用達な東洋魔術的な立ち位置の?」
「その通り。俺は死神だが陰陽師でもある」
「死神で陰陽師……」
「何だ? 信じてないのか?」
「いや、信じる信じない以前に昨日から色々とあり過ぎて整理出来てないだけなんですけど。というかカガチさん」
「呼び捨てでいい。敬語も必要ない」
カガチは面倒臭そうにそう告げる。
「え? でもカガチさんは本当はもっと大人な姿なんですよね? 明らかに私よりも年上って感じだったし」
「俺は十歳だぞ」
「えっ!?」
「死神は死霊が正規の手順を踏んだ時になるって言ったよな。俺が死霊になったのが七歳の時で、その一年後に死神になって二年経ったから十歳だ」
つまりは、実年齢(という言い方も変だが)からするとカガチは今の外見から連想される年齢そのままであるという事だ。常盤より六歳も下だったと言う事実に彼女は驚きを隠せない様子である。
「……じゃあ、あの大人な姿は?」
「あれが人間時の本来の姿だが、まぁあれだ。見た目で判断するなという事だ」
答えにはなっていないが、カガチはだから敬語は要らないと言ったのだろう。
「……そう。で、カガチ」
「順応早いなお前」
「今日って私を人間に戻る為に必要な事をするんだよね?」
「あぁ」
「それと陰陽道って関係あるの?」
「関係大ありだ。お前の場合は特にな」
「……特にって?」
どういう事だろう? と首を傾げる常盤。
「そうだな。実際にやって貰った方が分かりやすいだろう」
そう言うとカガチはジャージのポケットから藁人形を取り出した。何故に藁人形をそこに忍ばせてたんだろう? と疑問に覚えた常盤だが、そんな疑問は一秒で無情にも吹き飛ばされた。
何せ、藁人形を取り出した直後にカガチが常盤の首に嵌められているチョーカーを外したからだ。
「ちょっ!?」
外されると同時に、常盤の身体に力が漲ってきた。更に外見も変化し、肌は蒼白色へ、黒い長髪は淡い藤色へ、犬歯は牙へ、焦げ茶色の瞳は紅色へと変化した。
「取り敢えず、今の自分の姿でも確認して見ろ」
と、カガチが手鏡をポケットから取り出して常盤に渡す。常盤は鏡に映る自分の姿にショックを受ける反面、これはこれで格好いいかもしれないと思ってしまった。こういう格好はコスプレでもウィッグを被ったりつけ牙をしたりカラーコンタクトを装着しなければならないので、何時もと違う自身の姿が新鮮でもあったからだろう。
「気に入っている所悪いが、この藁人形に牙を突き立てて中身を吸え」
「それってどんなプレイ?」
「違う。いいから言われた通りにやれ」
「はいはい」
年下に睨まれた常盤は生返事で言われた通りにする。カガチから藁人形を受け取るとそれに噛み付き、吸い付く。まだ乾いておらず中に水分が含まれていたようでそれが口内へと流れ込んでいく。正直言って不味かった。牛や馬はこういうものを食べているのか、と感慨深く思ってしまう。
「……やはり、か」
もういいぞ、とカガチは常盤が吸い付いている藁人形を無造作に奪い取る。
「えっと、今のに何の意味が?」
「怨霊ってのはな、自身の中に渦巻く恨み辛みを相手にぶつけるんだ」
「あれ? 無視?」
「ぶつける方法は怨霊毎に違うんだがな。お前の場合は牙を突き立てて血を吸う事。お前を半霊にした怨霊がそうした方法を取っていたから間違いなくそうなんだが」
と、カガチは一区切り入れて少しだけ顔を顰める。
「どうやら、お前はイレギュラーな存在の半霊らしい」
「イレギュラー? レプリロイドが暴走して人を襲うようになった存在?」
「違う。話を逸らすな」
カガチに睨まれてしまったので常盤は黙ったが、何故か怖くなかった。実年齢を聞いてしまったからだろうか? 凄味と言うのが低減してしまった気がする。
「お前はな、他者に恨み辛みをぶつけられないんだよ」
「……はぁ」
常盤は微妙な相槌を打つしかなかった。
「何か反応薄いな」
「いや、それっていい事なんじゃないの? 他人に恨みとかぶつけないって」
「そうでもない」
カガチは溜息を漏らしながら説明する。
「恨み辛みってのはどんどん溜まっていくものなんだ。それが蓄積し過ぎると体が変質していき、蝙蝠頭のようになってしまう。そもそも、怨霊が他者に恨み辛みをぶつけるのは自身に溜まった恨み辛みを体外に排出させて変化させないようにするのが目的なんだ。排出して変化させないようにするのは、本能が元の死霊に戻りたがっているかららしいが」
「えっと、つまり?」
「恨み辛みを体外に排出しないとお前は人間に戻れない所か、次第に怨霊になっていく」
「マジでっ!?」
「マジだ」
カガチは先程常盤が噛みついていた藁人形を掲げる。
「藁人形は生きてる奴や死んでる奴と同じように恨み辛みをぶつける事が出来るんだが、この藁人形にはお前の恨み辛みが全く入って来なかった」
それ所か、とカガチは藁人形を握り潰す。
「この藁人形には俺が先程微量に霊気を注入しておいたんだが」
「霊気って?」
「死霊が活動するうえで必要不可欠な物だ。生き物で言えば血液と同じものだと思え」
「分かった」
「で、この藁人形に霊気を注入していたんだが、それが綺麗さっぱり消え失せている」
「それって」
「そう、お前がこの藁人形にあった霊気を吸い取ったんだ。お前の場合、恨み辛みをぶつける方法が、相手の気を吸う方法に変化してしまっているようだ」
普通は有り得ないがな、とカガチは握り潰した藁人形をポケットに仕舞い込む。
「もしかして」
「あぁ。俺はお前に霊気の大部分を吸われて、幼い姿でないと存在を保てなくなっている」
しかし、とカガチは続ける。
「お前は単純に俺の霊気を吸い取ったんじゃない。俺の霊気を削り取ったんだ」
「削り取った?」
「ああ」
「それって吸い取るのと違うの?」
「大いに違う。これは物を使って説明した方が分かりやすいな」
そう言うとジャージのポケットにまたもや手を突っ込む。そして今度はガラス製のコップと水が入った一リットルペットボトルが取り出された。物理法則的に有り得なかった。どう考えてもそんな物を入れていたのならばポケットは膨らんでいても可笑しくない筈なのに、ちっとも膨らんでいなかった。それ以前に一リットルのペットボトルが入るスペースが存在していない。
(……四次元ポケット?)
そう思えても不思議ではないカガチのジャージポケットであった。
「まず、コップに水を並々注ぐ。これを俺の身体を巡っている霊気の状態だと仮定する」
「ふんふん」
「で、霊気を吸われただけならこのように」
と、カガチはコップを傾けて水を半分以上庭に生えている芝生に降り注がせた。
「ただ減るだけ。で、減ってしまった分を補わないといけないので水を注ぐ。水を使って説明してるが、本来なら外部から得るのではなく、内部生成して増やしていく。そこは血液と同じだな。これが霊気の回復で、時間を掛けて行われる」
水の減ったコップにペットボトルに入った水を継ぎ足し、先程と同じように並々とsた状態にする。
「で、削り取るってのは?」
「その名の通りだ。先程は水だけが減ったが、」
カガチは並々と注がれたコップの上半分を手で覆うように持ち、空いている手で底を押さえる。そして、上半分を握り潰した。ガラスは砕け散り、破片が庭に落ち、カガチの手にいくつか突き刺さる。生じた傷からは赤い液体ではなく白い靄が流れ出る。
「このように、容器毎中の水を減らすような事を指す。容器を壊されてしまっては減った分を補充しようとしても、補充が出来ない」
端的に言えば、とカガチは割れたコップとペットボトルをポケットに戻す。ガラスが尖ってて危険ではないだろうか? と常盤は疑問に思ったが、今はそれを口にする雰囲気ではないと感じ取っており突っ込まなかった。
「霊気の許容量が著しく減ったという事だ」
「そう……何だ」
「因みに言えば、俺の霊気を削り取った分、お前の霊気は増大した」
「私にも霊気って……あ、あるか。半霊だもんね」
自分には血液ではなく、代わりに灰色の靄が流れている事を思い出す常盤。
「因みに言えば、お前の霊気量は削り取られる前の状態の俺の三倍はある」
「いや、三倍と言われてもそれがどういう事か今一よく分からないんだけど……」
「削り取られる前の人間状態の俺よりも三倍強い」
「……カガチより強いんだ」
そんな実感がまるで湧かない常盤であった。昨日は身体が無意識に動いてカガチと殺し合いをしていたのだが、それでもカガチは強いと思う反面、どの程度の強さなのかが分からない。蝙蝠頭を瞬殺していたし、そもそもその時は大蛇になっていたので人間時の強さなぞ測る事なぞ不可能だった。
「あぁ。身体能力的にな。力も三倍速さも三倍。それに頑強さも三倍だ」
「御免。具体的な基準が明記されてないから凄さが分からない」
「お前がこの屋敷を全力で殴ったら、木端微塵に吹き飛ぶ」
「それって洒落にならないレベルだよねっ!?」
それが今の自分の力だとすると、触っただけで破壊してしまうかもしれないと言うある種の恐怖感が芽生えた。自分の放つ拳が爆薬レベルに到達していたとは、と。そしてそんな打撃を受けて無事な数奇屋を心の底から尊敬した。
「まぁ、その力が発揮されるのは霊気を自在にコントロール出来るようになればの話だがな。コントロール出来ていない今のお前だと人間だった時と同じくりの力しか出せない」
「あ、そうなの?」
「試にこの瓦でも殴ってみろ」
そう言ってポケットから瓦を十枚出して芝生の上に重ねるようにして置く。拳を痛めないようにタオルを敷くのが礼儀なのだが、そんなものは無かった。強いて言えば、瓦を全て割っても拳が地面にぶつけないようにブロック等で高さを設けてもいなかった。
「いや、でも……」
「やれ」
「……はい」
年下の凄味を効かせた視線には慣れた筈だが、語句は拒否を許さないものだった。なので仕方なく瓦を割る事にした。全力で。
常盤は固く握って拳を作り、呼吸を整え、テレビのバラエティ番組で見た空手家のように腰を落として姿勢を安定させ、持てる力の全てを注ぎ込んで瓦に拳を打ちつける。
その結果。
「――痛い……っ」
瓦は割れず、拳の青白い肌が若干赤くなったのであった。そして赤くなった拳を押さえてその場に蹲ったのであった。そんな常盤の眼には涙が溜まっていた。
「ほらな。コントロール出来ていないから人間時の力しか出せない」
確かに、と常盤は思う。拳が当たった感触からして、人間であった時と大差ない力だった。だから数奇屋は殴られても爆砕しなかったのか、と先程の尊敬の念を取り消した。
「コントロール出来るようになれば」
そう言うとカガチは(常盤を介抱するでもなく)気怠そうな動作で瓦に拳を打ち付ける。すると十枚中八枚が割れたのであった。
「軽くやっただけで全部……ちっ、八枚か。やはり力自体が落ちてるか」
本人的には十枚全部を割るパフォーマンスをする予定であったが、弱体化故に弊害が出てしまい残った二枚の無傷な瓦を見据えて舌打ちした。
「とにかく、軽い動作で瓦くらいは難なくは割れる」
「な、成程ね。……でもさ」
痛みに堪えながら、常盤はわざわざ手を挙げてカガチに進言する。
「霊気の件と恨み辛みをぶつけられない話、それともう忘れそうになってたけど陰陽道はイコールで結ばれるの?」
「結ばれる」
カガチは率直に言う。
「陰陽道は霊気のコントロール、それと恨み辛みを一気に解消する便利な術だ。陰陽道とは名前の通り、陰と陽を司る。陰とはマイナスの力。陽とはプラスの力とでも言いかえればいいか。陰陽の力は何処にでもある。動物にあれば植物にも、鉱物や水、空気、火なんかにも存在している。陽極まれば陰となり、陰極まれば陽となる。陰と陽は相互に消長し合い、循環して働き掛けるものだ。つまりは、マイナスが生じればそれを打ち消す為にプラスが生じる。逆もまた然り。また、陰の中にも少しながら陽が存在し、陽の中にも少しながら陰が存在する。そうする事によって増幅し過ぎた正反対の力を感じ取り、正反対の力を抑制に掛かる。そうやって陰陽というのは均衡を保ち、安定させている。陰陽道の本質ってのは陰と陽のバランスを自在に変化させる事にある。陰だけを増長させたり、陽だけを突出させたりな」
「……もっと短く分かりやすく纏めて」
「要は陰と陽の『流れ』を意のままに操る術だ」
「流れ……」
「そうだ。この流れに直接関わってくるのが恨み辛みだ。恨み辛みは負の感情――陰として捉えられる。怨霊は恨み辛みを体外に排出する事で元の死霊に戻ろうとする。しかし、お前は排出が出来ないから半霊から人間に戻れない。そこで発想の逆転だ。排出出来ないなら恨み辛みと同量の正の感情――陽を体内でぶつけて相殺させる。そうすれば恨み辛みがもたらす変化を抑制させ、次第に元の人間に戻っていくという寸法だ」
「……戻れる」
ここで漸く希望が見い出せた。単に戻れると言われていた時とは違い、方法を明示されたので実感が湧いたのだ。常盤は荒れていた心が少しだけ清められていくような感じを覚える。
「そして、陰陽のコントロールを身に付ければ、霊気のコントロールも身に付けやすくなる。霊気のコントロールは、どちらかと言えば俺の為でもあるがな」
「カガチの為?」
「霊気をコントロール出来るようになれば、他者に霊気を分け与える事が出来るようになる」
「あ、成程。そうすればカガチに私が吸い取っちゃった霊気を返せる、と」
「その通り」
恐らくその際に許容量の限界値も元に戻る筈だ、とカガチは付け加える。
「と言うか、もしかしてカガチが私を討伐しなかったのってそれがあったから?」
「それもあるが、やはりお前が躊躇ったからだろう。それが無ければ霊気なぞ奪い返そうと思わず討伐していた」
「それが死神……の仕事だから?」
「あぁ」
常盤は今一死神と言う存在。まぁ、昨日の身分証提示で会社である事が分かったのだが、具体的な仕事内容や目的は分かっていない。後で訊いてみようと思うのであった。
「まぁ、今日の所は純粋に陰陽だけの適性検査だけだ。一度に全てやろうとしても上手くいかないからな」
カガチは芝の上に置いていた荒縄と蝋燭を拾い上げる。
「さて、下僕その二」
「下僕言うな。私は常盤椿」
常盤は半眼になりながら抗議する。
「お前は俺の下僕になったのだろう? だからそう呼んで何が悪い?」
「私は認めてないっての」
常盤は昨日はそう言われても頭が回らずに甘んじてその呼び名で受け答えしていたのだが、大分頭が柔らかくなった今となってはその呼び名は勘弁して欲しかった。何か人権が無視されそうだったからだ。
「とにかく下僕その二。この荒縄をぴんと張るようにして持て」
常盤の声をガン無視してカガチは荒縄を彼女に渡す。
「こう?」
「あぁ。そのままの状態を俺がいいと言うまで保ってろ」
カガチは蝋燭をぴんと張られた荒縄の中央部分に乗た。接着剤を使っている訳でもないのに蝋燭は見事に固定されていた。蝋燭を乗せ終えるとポケットから取り出したライターで火を点ける。火は風と振動によって揺らめく。
「今からお前にやって貰う事は、この縄の中央に乗せた蝋燭の火を固定させろ」
「は? どうやって?」
やり方を聞かされずにいきなりやれとは、難易度が高過ぎるだろ、と常盤は内心で愚痴った。
「手に持っている縄を伝って蝋燭の火目掛けて何かを流す感じで、だ」
「何かって何さ?」
「それは自分で考えろ」
無責任な受け答えであった。
「あと、一方向の流れだけを意識するな。右手から蝋燭の方に向かう流れと左手から蝋燭へと向かう流れ、二つの正反対な流れを意識してやれ」
「御免、何か頭がこんがらがってきたんだけど……」
「やれ」
「……はい」
命令されたのでやるしかなかった。でも正直言えば常盤はムカついた様子であったが。命令すんな、と心の中で悪態つけていた。
(取り敢えず、言われた通りに何かが流れるイメージを。それも正反対の流れを二つ)
目を閉じ、心を宥めて、火を固定しに掛かる常盤。流れは血液の流れを思い浮かべた。恐らく言われた二つの流れは血液が一番近いのではないかと思ったからだ。深い意味は無い。
三十秒程経ったので、常盤は期待半分で薄く目を開けて確認してみる。火は揺らめいたままだった。
めげずにに頑張ってみる常盤。
そんなこんなで一時間経過。夕暮れ時に差し掛かった頃合。
「……全然固定されない、と」
結果は散々だった。蝋燭が溶けて無くなるまでやってみたが、火は見事にぶれぶれだった。因みに蝋燭はきっかり一時間で溶け切るように工夫が施されていた。
「……無理だよ、こんなの」
常盤は地面に手をついて落ち込んでいた。って言うか、いきなり言われて直ぐに出来る訳がないじゃん、馬鹿、と心の中で愚痴を連ねていたりする。
「まぁ、適性としては下の下だな。火の揺れが弱くなる事もなかった」
そう言いながらカガチは地面に視線を向けている常盤の首にチョーカーを嵌める。すると常盤の外見がコスプレめいたものから普段の彼女の様相に戻った。
「今日はこれで終わりにするから、何か食ってから家で休め」
そして本日も常盤の意思とは無関係に晩飯に与かる運びとなった。