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取り敢えず、日常の風景

 翌日。昨日降った雨はすっかり止んでおり、晴れやかな空が広がっていた。昨日の雨で形成された水溜りに太陽光が反射して眩しい、と常盤は目に反射される光を手で遮る。

 常盤は高校の制服に身を包んで彼女の通う学校へと向かっていた。

 彼女の通う高校は最寄りの地下鉄駅から七駅先で降りて二十分歩いた場所にある。そこは山を切り崩して出来た所なので背の高い木々に囲まれており、薬科大学と交番、公園が隣接している。八階建ての東校舎に二階建ての南校舎、耐震構造に難ありとされた西校舎、職員室や図書室がある本館、体育館、それ等に囲まれるように中央にグラウンドがある所だ。

 常盤はその高校に今年入学した普通科の一年生だ。一般入試を受け、筆記試験は合格ラインよりも少し上を取り、簡単な面接を受けて合格したのだ。

 この高校では昨年度に一人失踪者が出たそうなのだが、未だに行方知れずのままになっているらしい。その人物は高校では結構有名な人であったそうだと常盤は部活動の先輩に訊いている。

 なんでも男の癖に髪がやたらと長かったそうで、ぱっと見は女子と見間違う程の顔の持ち主だそうだ。昨年度行われた文化祭では女装して接客を行っていたらしい。それで客には男だとばれなかったそうだ。

 さて、現在は八月なので絶賛夏休み期間中だ。なのに常盤は制服を着て高校に向かっている。

 それは何故か?

 理由は簡単で、補習を食らっているからだ。

 嘘である。本当は部活動の練習の為に登校している。常盤の所属している部活はある意味でもっとも動体視力と脚力が強化されそうな球技である卓球部である。もう直ぐ盆になるので部活動自体も長期の休みに入るが、それまでは週三回の練習を行っている。普通に学校が始まれば平日は毎日放課後に練習がある。

 ぶっちゃけ、常盤は今日は部活をサボろうとしていた。

 何せ、今の自分は元の人間に戻る為に色々と行動しなければならないと思ったからだ。実際、カガチによれば色々な事をこなさなければならない旨を伝えられた。本日カガチに呼び出しも食らっているので真っ直ぐに屋敷に向かえばよかったのだ。

 だが、それは駄目だとカガチに言われた。

 曰く、

「折角運動部に所属してるんだから、気晴らしに身体を動かして来い」

 だそうだ。気を遣ってくれたのかもしれないが、常盤としては微妙な反応をするしかなかった。そして同時に思った。

(出来れば早く元に戻る方法を教えて欲しいな)

 と。

 そう、まだ常盤は戻る方法を教えられていないのだ。色々しなければならないとしか伝えられていない。その色々が気になって部活に専念出来そうになかった。

「……はぁ」

 つい、溜息が漏れてしまう。戻れると分かった常盤としては一刻も早く普通の人間に戻って何時もの日常に戻りたいのだ。平凡な毎日を謳歌したい。平凡は素晴らしいものだ。突出し過ぎず、かといって地味過ぎず、程よい状態だ。山も無ければ谷も無い。人によっては変化が無いのでつまらないと一蹴されてしまう場合があるが、言いたい奴は勝手に言ってろ、と常盤は思っている。

 人生の価値観は人それぞれ。自分が他人の人生をとやかく言う必要無し。その逆もまた然りと考えている。生き方を決めるのは最終的に自分なのだ。他人はあくまでアドバイスや何かしらの影響を与えるような存在。それを受けた上で最終決定を下す。

 そのように考えているからか、態度や言葉には出さないが常盤はこうしろああしろと命令されるのが嫌いである。

「とにかく、部活終わってから、カガチさんの所に急いで向かおう」

 ぐっと胸の前で握り拳を作る常盤。

「お、椿だ」

 後ろから訊き慣れた声が聞こえたので、常盤は振り返る。そこに同じ部活動に所属している二年生の先輩が彼女の方に向かって小走りをしている姿があった。

 がっしりした体格だが身長は常盤と同程度で、半袖のワイシャツを更に捲って二の腕を外界に晒し、スポーツ刈りにしてから三ヶ月経ったような独特の髪形をした男子生徒だ。口には巨大なパンが咥えられている。恐らく見た目だけでも優に二斤はある大きさだった。

「おはー」

 常盤に追いついた男子生徒は気さくに片手を挙げて挨拶をする。

「おはようございますスキヤキ先輩」

 常盤も挨拶を返す。スキヤキと言っているが、それがこの男子生徒の真実の名ではない。本名は数奇屋宏大。部活動に参加している数少ない進学科の生徒である。スキヤキと言うのは本人公認の渾名であり、常盤が入部した時の自己紹介で「数奇屋って何か語呂悪いからスキヤキって呼んでくれ」とその場にいた一年生に言ったのだった。

「……よく朝からそれだけの量を食べれますね」

「いや、これは少ない方なんだがな」

 パン二斤で少ないのか? と常盤は数奇屋に有り得ないものを見る時に使用する遠くを見るような目線を注ぐ。

 まぁ、確かにそうなのだろう、と常盤は納得している所はあるが。

 何せ、彼女の一つ上の先輩は大食らいで有名である。その知名度は校内だけに留まらず、近隣の飲食店にまで及ぶ程だ。部活終了後に常盤を含めて部員数名でファミレスに赴いた際にはメニューの端から端までを一気に頼み、残す事無く食べたという実績を目の当たりにした。大食いチャレンジのある店ではブラックリストに載せられており、大食いチャレンジ期間中の店の前にある看板には『数奇屋宏大お断り』と顔写真付きで置かれている程である。

 因みに、客足の少ない飲食店では救世主扱いである。何せモンスタースタマックの持ち主なので、一回の来店でもその日の売り上げは平均の倍以上は行ってしまうのだから。そういう店では数奇屋本人に電話をして来てくれないか催促する場合もあるとかないとか。

「というか、パンだけ食べて咽ないんですか?」

「あぁ、その心配は無用だ。飲み物もきちんと持ってきてるしな」

 そういって二リットルの麦茶を背負っていたリュックサックから取り出す。

「まさか、それを一気飲みですか?」

「いや、流石に一気飲みはしない。三分の一から半分くらいは飲むけど」

「あ、そうですか」

 それでも多くて一リットルは一気飲みをするのか、と常盤はげんなりする。数奇屋の一気はイコール一秒で飲むである。普通に一リットル飲む人はいるだろうが、一秒で一リットルを飲む人はそうそういないだろう。そんな速度で一気に飲んでしまったら胃にお茶と共に空気も送られてしまいおくびが出ないだろうか? と変な心配をしてしまう。

「所で椿さぁ」

 数奇屋がパンを食べる行為を一旦中止し、常盤に訝しげな視線を向ける。

「何か心配事でもあるのか?」

 その一言に常盤はびくっとした。彼女は今普通にしていたつもりなのだが、もしかしたら人間でなくなったと言う不安が表情か仕草から滲み出ていたのかもしれない。恐らく怨霊やら死神やらの事を何も知らない数奇屋には知られる訳にはいかないだろう。もし知られれば、今後の人生――というよりも学校生活が大変な物になりそうだった。

「どうしてそう思うんですか?」

 平静を保ち、内心を悟られないように訊き返した。声を難とか震わせずに出せたのはせめてもの救いだった。もし震えていたならば更なる言及が待っていた事だろう。

「どうしてって、そりゃあ、お前が」

 数奇屋は常盤の首を指差しながら口を動かす。

「首輪つけてるからだよ」

「……えっと」

 予想の斜め上の展開に常盤は混乱が生じてきた。どうして自分が首輪……もといチョーカーをしている事が心配に繋がるのかが分からなかった。一応常盤も年頃の女子なので御洒落くらいはするだろう。その一環でチョーカーなんかも嵌めるかもしれない。とはこの二年生の先輩は思っていない様子だった。

 しかし、ほっとする所もあった。常盤は別に不安な表情や仕草をしていなかったようだ。純粋に数奇屋は常盤のしているチョーカーにだけ注目している。それをしている事だけが常盤が何か心配事を持っているのだ、と感じ取ったらしい。

 そうと分かれば、適当にはぐらかそう、と常盤は行動に移る。その為にはまず数奇屋がどうしてチョーカーが気になったのかを聞く必要があり、それを踏まえて路線を変更していく。そうすれば真の心配事には気付かないだろう、と画策している。

「どうして私がこれをつけてると何か心配事があると思うんですか?」

「いや、だって椿にはそういう趣味がありそうに見えないからな」

 何気なく放った数奇屋の一言に常盤はぴきっと固まった。思考が。

「そういう趣味って?」

 思考が止まってしまったが故に、反射的に訊いてしまった。訊かなければよかったと後悔する事になるが、もう後の祭りだ。

「SMプレイ」

 今度はぴしりと脳内に亀裂が走る音がした。

(コノ センパイ ハ ナニ ヲ イッテイル ノダロウ?)

 正直言って、彼女の中から数秒間だけ感情が消え去ってしまった。そんな常盤の様子に気付かずに数奇屋は続ける。

「いや、正確にはBDSMのうちのヒューマン・アニマル・ロールプレイって言うんだっけか? そういう首輪させられてリードつけられて四つん這いになってそこらを徘徊させら」

「ふんっ!」

「ぐぼぉ!?」

 感情を取り戻した常盤はあまりにも的外れ&セクハラ&常盤の人間性を貶めるような卑猥な発言をした数奇屋に瞬間的に握り拳を作って数奇屋の頬にナックルを決めたのだった。もう本気だった。マジだった。限界突破したのではと言わんばかりに全力で殴りつけたのだった。そして見事に水溜りにダイブしたのだった。

 と、ここで常盤は冷や汗を流して血の気が引いた。

 何せ、彼女は今怨霊側の半霊という状態だ。今一よく正しく理解はしていないがこれだけは確実に言えるのだ。

 回復能力が異常で、身体能力が凄まじく強化されている。実際、昨日は青年状態のカガチを片手で難なく持ち上げる程の腕力を有していたのだ。そんな力で数奇屋を殴ってしまったら最悪顔面陥没であの世に召されてしまうだろうと嫌なヴィジョンが目の前を過ぎった。

 しかし、そのようなヴィジョンはいい意味で裏切られた。

「な、何すんだよ椿……」

 殴られた頬を押さえて数奇屋はよろめきながら立ち上がった。因みにパンは殴られても落とさずしっかりと持っていた。制服は完全に濡れていたが。

(あれ? スキヤキ先輩生きてる?)

 このような疑問を覚えるのはちょっとヤバいが何にせよ他人の命を刈り取るような事態にならずに済んでほっとする常盤。胸を押さえて安堵の溜息を漏らす。

「で、何で殴ったんだ?」

 頬を擦りながら再度問うてくる数奇屋。

「いや、スキヤキ先輩が女子高生に変態セクハラ発言するから制裁を、と」

 常盤は先程していた先輩殺害未遂の心配を彼方に追いやり真顔で言ってのけた。

「え? どの辺が?」

 何が変態セクハラ発言なのか分からずに首を捻る数奇屋。

「SMプレイと言った時点でもう変態セクハラ発言です」

 にべも無くきっぱりすっぱりさっぱりと言う常盤。

「おい、その発言は全世界のサディストとマゾヒストの人権を無視してるぞ。撤回しろ」

 数奇屋は眉を吊り上げて抗議する。目には怒りの色が見て取れた。

「……もしかしてスキヤキ先輩ってSなんですか? それともMなんですか?」

 常盤は物理的に数奇屋との距離を二メートルばかり瞬時に開けた。後輩に距離を取られた事態に数奇屋は慌てて手を横に振りながら抗議する。

「どっちでもねぇよ。でも今の椿の発言は本当に人の趣味嗜好を偏見して否定してるぞ。世の中には色々な、本当に色々な人がいるんだ。趣味嗜好が同じ人間なんて一人もいない。それだけが唯一の生き甲斐の人間だっている筈だ。だから撤回しとけ」

「むぅ……」

 そう言われると常盤は自分が悪い事を言ったような感じになってしまった。彼女は人の価値観はそれぞれと考えているので、確かに今の自分の発言はそういった趣味を持つ人を否定してしまっているかもしれない。いや、かもではなく否定している。という事は、前言を撤回するべきかと頭を悩ましてしまう。

「……そうですね。撤回しておきます」

 悩ました末に数奇屋の言う通り撤回したのであった。そう、生きる道は人それぞれ。頭ごなしに否定してはいけないのだ。と常盤は自己完結させた。

「でも、公の場でそんな事言うのはやっぱりやめた方がいいですよ。特に私みたいな女子相手には。言ったら痛い目で見られますから」

「それもそうだな。自重する」

 と、数奇屋の方も納得した所で話は元の道に戻る。

「所で、結局椿が首輪をつけてるのってBDSMのヒューマン・アニマル・ロー」

「じゃありませんよっ!」

「ごぶっ!?」

 数奇屋が全てを言い切る前に常盤は開けた距離を即座に詰め、怒涛のアッパーカットを見事に決めたのだった。数奇屋は少しだけ宙を舞い、そして背中からアスファルト舗装の地面に落ちて行った。流石に常盤は空中でハメコンボをする気は無かった御様子。地面に伏している数奇屋は水溜りにダイブして濡れながらもパンだけは水から死守していた。

「これは、その、ファッションです! 御洒落です! ちょっとした可愛さアピールと言うか格好よさアピールと言うかそんな奴です! そういうのをしたいお年頃なんですよ私は! だからそんなヒューマン・アニマル……なんでしたっけか? ……とにかくそんなんじゃありませんし私にはそんな趣味は全然全くこれっぽっちもありませんからっ! 分かりましたか先輩っ!?」

 即興で考えた安易な言い訳で捲し立てる常盤。こちらも必死だ。高校の先輩にSMプレイ好きな後輩と認定されたくないが為に。今後の高校生活を円滑に進めたいが為に。

「い、いえす、まむ……」

 生まれたての小鹿の如く足をがくがくぶるぶるさせながら立ち上がり、頷く数奇屋。今の状態ではもう部活を休んだ方がいいかもしれないと思わされたが、常盤は気にしていない。というか気にする必要ないと思っている。結局は自分にセクハラ発言をしたのだから当然の報いだ。なので気にする必要なし。

「分かったんならいいです」

 そう言うと常盤は数奇屋を置いて高校への道を再び歩み始める。何かもう部活をしていないのに今日一日で溜まる筈だった疲れを前借してしまった気分である。数奇屋はふらつきながらも常盤の後を追う形で高校に向かう。

「……そう言えばスキヤキ先輩」

 ふと、大した事は無いがふと疑問が頭を過ぎっていったので常盤は数奇屋に視線を向けて質問する。

「何でございましょう?」

 数奇屋は何故か敬語気味であった。

「先輩はそんな小難しい単語を何処で知ったんですか?」

「小難しいというと?」

「……(BDSMとかヒューマン・アニマル何ちゃらですよ)」

 流石に普通の音量で言うのは恥ずかしい&誤解されるので小声で数奇屋の耳に届かせる常盤。そして数奇屋の返答はと言うと。

「……健全な思春期男子よろしくエロゲとかエロ本とかエロ動画サイトとかそれから」

「済みませんでした。もう結構です」

 常盤は馬鹿な真似をした、と本気で後悔しながら高校の敷地内に足を踏み入れるのであった。





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