シリアスな展開になる……筈
園崎が床に滴り落ちていたココアを全て舐め取ってから三十分は経過した。
「おい、下僕その一」
「何?」
「醤油取ってくれ」
「はいはい」
三人は夕飯を食べていた。メニューは夕食にあるまじき一品鯛焼きである。どうやら下僕その一こと園崎が事前に近隣に点在する鯛焼き屋『鯛太郎』で三十匹買っていたようである。夕食なのに菓子をチョイスするとは偏食気味な二人だと常盤は目の前に出された鯛焼きの群れを眺めながら無言に思っていた。
のだが、はて? 鯛焼きに醤油は必要なのだろうか? と疑問が常盤の頭を高速で過ぎって行った。
鯛の刺身ならば醤油は必要だろう。しかしこれは鯛焼きだ。小麦生地で餡子を包んで焼いた御菓子なのだ。醤油は絶対的に不必要だ。
「はい、醤油」
そうなのだが、言われるがままに卓の中央に鎮座している醤油を取って真冬装備を解除したカガチに渡す園崎。
「……」
それを無言で受け取ると、これまた無言で躊躇いも迷いも無く鯛焼きに醤油を掛け始めた。
狐色に焼かれて大変旨そうな鯛焼きは表皮が黒い発酵食品(液体)を吸っていき、徐々に暗くなっていく。
正直言って台無しである。見ている側は食欲減退である。醤油を掛けた鯛焼きもそれを見て鯛焼きを食べていた常盤の口内に存在する鯛焼きの欠片達の旨味を掻き消してしまっていた。
因みに、常盤は一匹目を食べているからこれが漉し餡の詰まった鯛焼きである事は認知済みであるので醤油は有り得ないと現状を信じ切れていない御様子である。
そんな常盤の様子を見たカガチは一言。
「コロッケ鯛焼きには醤油を掛けるだろ」
「…………は?」
一瞬呆けた顔をしてしまう常盤。
「いやいや、やっぱりコロッケ鯛焼きにはソースでしょうが」
と溜息混じりに呆れながら手に取った鯛焼きに何時の間にか卓に出現したソースのキャップを外して中身をどばどばと掛け始めた。
「馬鹿かお前は。ソースなんて掛けたらコロッケ鯛焼きの繊細な味が消えるだろ。衣の内に秘められたジャガイモ。それは旨味を流出させないように皮を剥かない状態で蒸された手間暇の掛かる一品。ジャガイモの旨味を殺さずにコロッケと言う形でジャガイモの繊細な味を口に届ける。そんな繊細な味を消さず、尚且つ味に膨らみを持たせる唯一の調味料がこの日本で作り出された発酵食品の英知――薄口醤油だろう」
カガチは醤油瓶を園崎の目の前にずびしっ! と突き付けた。因みに塩分量は濃い口醤油よりも高い。
「あのさぁ、コロッケと言ったら普通はソースでしょ。それもブルドックマークの。ウスターシャーソースを元にして作り出されたこのソースは日本人好みの味になるように様々な野菜を発酵させて出来てんの。このソースってのが揚げ物に一番の調味料なの。つまりイコールでコロッケの御供。これは今も昔も不変で、コロッケにはソースって決まってんでしょうが」
園崎はカガチを睨みつけながらキャップを閉めたソースの容器をだんっ! と勢いよくテーブルに叩き付ける。
「…………っ」
「…………っ」
二人の剃刀よりも鋭い視線が激突し、ARヴィジョンがリンク完了していたならば火花が散っている様を拝めそうな程に苛烈で熾烈であった。お互いが譲れない信念をぶつけ合っている。
「……えっと」
常盤は目の前で繰り広げられる譲れない戦い(だが子供の喧嘩のようなもの)に呆れて眉間に皺を寄せてしまい、左の人差し指と中指で平常時の眉間に戻すように皺を伸ばす。
(というか? コロッケ鯛焼き……?)
自身の記憶を整理してみる。彼女は月に何回か『鯛太郎』で鯛焼きを購入しているのだが、コロッケ鯛焼きなる物は販売していなかったと思われる。先日見た店の看板には小倉餡(粒と漉し)、豆乳カスタード(女性に大人気)、黒豆餡(店で一番人気)、ドラゴンフルーツジャム(何でも期間限定で他のものよりも値段が張っていた)しかなかった。
コロッケ鯛焼きなぞ無い。なのに、目の前の二人は確かにそう言っている。この矛盾は一体? と頭を捻らせてしまう常盤。
「おい、下僕その二」
「ねぇ、つばっきー」
皺を伸ばしていたら、突如カガチと園崎の視線が常盤に向いたのだった。いきなり過ぎたのでびくっと震えてしまい、その後に背筋をコンマ一秒で天高く正したのだった。因みに下僕その二もつばっきーも常盤の事を指している。何時の間にやら園崎は常盤にニックネームをつけていたようだ。
「な、何かな?」
常盤はぎこちなく笑顔を二人に向ける。
「お前もコロッケ鯛焼きには薄口醤油派だよな?」
「つばっきーも普通コロッケと言われたらソースでしょ?」
真剣そのもので同胞を獲得しに来ていた。一対一では互いに有利に事が運ばないと見て、第三者を自陣に引き込もうとしている。そうすればこの場で即座に二対一が形成され一方的に有利になる手筈になる。
――筈だった。そんなカガチと園崎の考えは常盤の一言で砂上の楼閣の如く倒れていった。
「私は……コロッケにはタバスコと、それから、七味唐辛子、を……掛け……る……」
語尾に近付くにつれ、言い難くなった常盤。それはカガチと園崎から同時に「こいつ、有り得ないわぁ〜」という非難めいた視線を受けたからだ。
「お前、それは……」
「完全にコロッケの味を殺してるよね……」
対立していた二人の意見ががっちり噛み合った瞬間でもあった。
「いや、味は殺さないですよ。七味唐辛子の清涼感が含まれる様々な刺激とタバスコの燃えるような刺激がね、コロッケの味をより豊かにします」
「いや、お前」
「それは無いよ」
常盤の台詞を二人して否定する。
ここに今、第三勢力加入により、第一勢力と第二勢力は一時的に同盟を結んで第三勢力を共に迎え撃つ構図が完成された。
このコロッケに何を掛けるかという論争は実に一時間もの時間を費やした。一応彼等の尊厳を保つ為に述べておくが、常盤とカガチと園崎は武力行使は行わなかった。口論のみ。穏やかに。周りに物理的な被害を出さずに。穏便に。相手を口で負かす事だけを考えて。もし物理攻撃OKであったなら、この屋敷は原型を保つ事はおろか、下手をすれば全壊を通り越して向こう十年は草木の一本は生えない焼野原になっていたかもしれない。
これは冗談ではなく、この三人の現在の力を考慮し冷静に叩き出した結果なのだ。いや、本当。洒落になりませんから。
後に第一次コロッケ大戦と極一部の者から呼ばれる事となる論争は二階から「岩塩が一番だろ」という天からの声を持って終了と相成った。
因みに、常盤は論争中でもきちんとコロッケ鯛焼きをどうやって入手したのかを訊き出していた。なんでも『鯛太郎』の常連客にだけ販売している所謂裏メニューなのだそうだ。個数にして一日二十五個の販売。本日購入担当の園崎は二十匹を確保し、卓に上がっている残り十は漉し餡と黒豆餡だそうだ。常盤は確率六分の一で漉し餡を引き当てたようだった。
「……今の声は?」
常盤は天井から聞こえた第四勢力の言葉に聞き覚えがあった。が、何処で訊いたのか思い出せないでいる。
「座敷童だ。気にするな」
記憶の糸を手繰っている常盤にカガチはしれっと言う。
「え? 座敷童って実在するの?」
「するよ」
きょとんとする常盤の問いに答えたのは園崎であった。彼女は冷えてしまった鯛焼きを頬張りながら答える。
「座敷童は守護霊の一種よ。人に憑くタイプじゃなくて、思い入れのある生前大切にしていた建物に憑くの。そしてその建物に憑いている間は自分の霊気が尽きるまであらゆる災厄を退ける。その反面、霊気が消えてしまったら力場が不安定になって災厄が降り注ぎやすくなってしまうのだけれど」
「……守護霊? それに霊気って?」
訊き慣れない単語が園崎の口から飛び出し、それに常盤は分からないでいる。
「ん? もしかして、分からないの?」
園崎の言葉に素直に頷く常盤。
「……ちょっとカガチ」
「何だ?」
醤油を掛けたコロッケ鯛焼きを一口で呑み込んだ(これでは味は分からないのではなかろうか?)カガチに園崎は怪訝そうに眉を寄せて尋ねる。
「つばっきーってかがっちーと同職の人じゃないの? チョーカーをしてたから僕はてっきりそう思ってたけど」
「違うぞ」
次に黒豆餡の鯛焼きを呑み込みながらしれっと告げるカガチ。
「こいつは怨霊側の半霊だ」
「怨霊側っ!?」
椅子が後方に倒れる程に勢いよく立ち上がった園崎は顔を引き締め、冷めた眼差しで常盤を射抜く。常盤は全身の血の気が引くのを感じた。この感じは分かっている。殺気を向けられたのだ。どうして向けられたのかと言えば、自分が化け物だからだろうと自覚している。身体が硬直してしまう。そう、化け物だからこのように人から敵意を通り越して殺気を向けられてしまうのだ。化け物だから……。
「うっ!?」
常盤の首に嵌められたチョーカーがまたしても彼女の首を絞め始めた。
「お前等、落ち着けよ」
部屋にカガチの声が響いた。それは少年のそれであったが、一際低く、心の底に重く伸し掛かるような程に常盤と園崎の耳へと入り込んでいった。
「下僕その二。お前はまず人間でありたいと思ってろ。そして下僕その一」
カガチは立ち上がると、そのまま園崎の隣まで歩き、彼女の頬を殴りつける。
「こいつは怨霊側の半霊だが、心は人間だ。だから殺気を向けるな。殺そうとするな。もし、こいつを殺そうとするなら」
目を細め、瞳に暗く燃える炎を宿しながら無慈悲にカガチは宣告する。
「――お前を殺すからな」
「わ、分かったよ」
殴られた頬を擦りながら、園崎は頷くしかなかった。彼女の額には玉のような汗がいくつも浮かんでおり、血の気が引いた顔をしており、微かに震えていた。
人間でありたいと必死で想い、チョーカーを緩めていく常盤にはやはり、と言えばいいのか自分でも分からないが理解出来ないでいた。
一度は常盤を殺そうとしたカガチが今度は園崎に殺されないように彼女を制している。どうしてか? 一度は討伐対象に定めた相手を生かす理由は? メリットはあるのだろうか? 寝首をかかれるとは思っていないのだろうか? そのような疑問が常盤の脳内に津波のように押し寄せてくる。
「理由はある」
常盤の表情から内心を読み取ったカガチは席に戻りながらぽつりと言う。
「お前がまだ人間の心を持った半霊だからだ。もし、俺との交戦中に躊躇いを見せてなければ即討伐していた。が、お前は躊躇った。嘆いた。怨霊側になってしまった事をな。そんな風に悲観する奴はまだ人間の心を――理性を持ってるからな。だから討伐しなかった……」
と、ここでカガチは思案顔をする。
「……そうだな、お前にはまず説明をしなければいけないな」
鯛焼きを一匹手に取り、カガチは常盤に顔を向ける。
「この世には、霊というものが存在する。一般的に蘇生せずに死んだ状態の死霊。まだ生きてるが何らかの拍子に仮死状態になった際になる生霊。霊の状態で怨嗟や憎悪が激しく増加すると豹変する怨霊。生きてるものに憑いて災厄から守る守護霊の四種類だ」
しかし、と鯛焼きを呑み込んでカガチは一息吐く。
「その四種類以外にも霊は存在する。こちらは特殊な方法で変化したものだ。まずは死神。死霊が正規の手続きを踏む事で成る生きているもの、死んでいるもののバランスを一定に保つ存在だ。そしてもう一つが半霊と呼ばれる存在。これが一番特殊だな。半霊は死んだ者が成るのではなく、生きた者が成る存在だ。生きている者が死霊の特徴を持ってしまった場合になる。半霊になる場合の殆どは、怨霊に恨み辛みをぶつけられた際にその怨霊の特徴を引き継ぐと言う形で成る」
「…………」
常盤は相槌すら打てなかった。頭の中が真っ白になっていく。しかし、その中である言葉だけが幾重にも連鎖していき、真っ白な思考を埋めていく。
怨霊の特徴を引き継ぐ。
それは、つまり――
「つまり、大抵の半霊は怨霊の側として成ってしまうものなんだ」
カガチの一言が決定打となった。
常盤は化け物になった。それはカガチの言う半霊と呼ばれる存在に身体が変質してしまったのだろう。そして、半霊となった常盤はカガチに噛み付き、血を啜った。正確には血ではなく白い靄――霊気であったが。
「お前はあの化け物――怨霊に血を吸われる事で変化してしまったんだ」
カガチは淡々と、感情の見えない声質で常盤に告げる。
そう、カガチの血を啜る行動と言うのは、常盤を襲った蝙蝠頭の怨霊と同じ行動なのだ。
という事は。
常盤は、怨霊側の半霊と成ってしまった。という事実に他ならなかった。
より正確に自分の立ち位置を確認されてしまった常盤は目に映る光景が急速に遠ざかっていくような錯覚に陥ってしまった。
「だがな」
カガチは軽く息を吐くと、立ち上がって常盤の傍まで行き、彼女の頭をぶっきら棒に撫でる。
「お前の場合はまだ救いようがある」
「……え?」
「お前はあの怨霊に恨み辛みをあまりぶつけられなかったようでな、怨霊側に足を踏み入れているが、強いて言えば爪先だけがそちらに踏み入ってしまっている状態だ。軽度の怨霊側なら、人間に戻れる」
それは常盤にとっての、まさに救いの言葉であった。
「取り敢えず、今日は鯛焼き食ったら帰れ。ここにいるより精神が落ち着くだろう」
カガチはコロッケ鯛焼きに醤油を掛けたものを常盤に渡す。常盤はそれを受け取り、一言。
「……せめて七味掛けてくれませんか?」
そして、第二次コロッケ大戦は幕を開けたのだった。