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目が覚めたら


 音が無い。

 光が無い。

 気味が悪い程に静かで、気味が悪い程に暗い空間に常盤は一人で立っていた。

 耳鳴りさえも聞こえない。

 自分の身体も見えない。

(ここは、何処?)

 そう呟いたが自分の発した声も聞こえなかった。常盤は辺りを見渡すが、当然何も見えない。その筈だったが、それはいい意味なのか悪い意味なのか分からないが裏切られた。

 常盤が右を向くと、誰かが遠くにいたのを見つけた。この光が一筋も射し込まない暗黒の空間であるのにその誰かには色があった。その誰かが光っている訳ではない。ただ他から光を受けて色を認識させているように感じる彩色なのだが、照らしている光源はやはり存在しなかった。

 常盤は駆け出して誰かのいる方へと向かう。

 しかし、いくら走っても誰かとの距離は縮まらない。まるでエスカレーターを逆走しているかのように。走っても走っても届かない。

 息を切らし、立ち止まる。かれこれ二分は全力で走ったのだが無駄に終わった。常盤は遠くに立つ誰かに視線を投げ掛ける。

 すると、それに気付いたのか誰かは真っ直ぐと常盤を見据えて口を開いた。

 音が存在出来ないこの暗黒の空間で、誰かの声はしっかりと常盤の耳に届いた。


――ここはまだ、貴女が来るような所じゃない。だから、今は大人しく立ち去って、この夢から覚めなさい――


 そう言うと誰かの姿は闇に溶けるように消えていった。

 常盤はこの空間が夢であると教えられた。それは本当の事かもしれないし、嘘かもしれない。しかし、自分にそう言ってきた誰かに悪意や害意というものが感じられなかった。そのような人が嘘を吐く筈がないと思った。

(だったら)

 起きなくては、と行動に移る。

 自身の瞼をゆっくりと閉じて、息を整えた。


 すると、瞼越しに光を感じた。

 鼓膜が振動した。

 熱を感じた。

 どうやら夢から覚めたようだった。

「…………」

 そして常盤はゆっくりと瞼を開ける。

「あ」

 目の前には表情を固めた女性が一人いた。

 本当に目の前だった。額と額が接触しそうな程に近く、女性の前髪が額を擦ってむず痒さを感じる。

 またこの女性、どうやら横になっている常盤の右の乳房を形が変わる程に力強くむんずと鷲掴んでいる。しかもダイレクトで。衣服の下から腕を這わせて掴んでいるのではなく、真正面から。そして女性のもう一つの手は常盤の内太腿を撫でるように触っている。こちらもダイレクトで。

 ここで常盤は自分が上半身はおろか、下半身にも何も着ていない事に気付いた。一応夏であるのに暑苦しい毛布を掛けられているのであられもない姿を晒している訳ではないのだが、全裸なのだ。

 そしてこの状況。

 額が触れるぎりぎりまで接近した顔。より正確に言えば唇もぎりぎりだ。目の奥には薄ら寒さを感じさせる光が明滅している。胸を掴まれたり、内太腿を触られている。しかも内太腿を触っている手に関しては徐々に局部へと進行をしていた。

 自分の置かれた立場を即座に理解する。

 つまりは、貞操の危機だ。相手は同性だが、そのようなものは関係ないだろう。そのような性癖を持っている人物もいるのだから。

「きゃ〜〜〜〜〜〜!?」

「どぅふっ!?」

 先程見ていた夢の事など彼方へと追いやり、悲鳴を上げ、反射的に右の握り拳で眼前の女性の頬骨に強烈なコークスクリューの一撃を浴びせ、立ち退かせる事に成功する。

 空中で華麗な錐揉み回転をし、女性は頭から床に落ちていった。

「へっぶばっ!?」

 次に背中を打ち付けて白目を剥き、身動ぎ一つしなくなった。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 毛布で隠すべき箇所を人目につかないように巻きつけて自分を襲おうとした女性を恐れに顔を強張らせながらも凝視する。

 桃色に白のラインが入ったレディースのジャージを着ており、常盤と同じくらいの髪の長さだが毛先が綺麗に切り揃えられている。少しだけ茶色がかった髪のサイドは肩に掛からないようにしており、前髪はぱっつん系。所謂姫カットだ。姫カットなのだが何故だが頭頂付近の髪の毛はぼっさぁと微妙に撥ねている。癖毛なのかもしれない。

 顔の作りとしては鼻がすっと立っており、弾力のよさそうな唇は艶やかな印象を与える。眉は細めで、左の目元にぽつんと泣き黒子があり、目が若干鋭く、可愛いよりも格好いいと評した方がいいかもしれない。

 見た事の無い人だった。どうして赤の他人が寝込みを襲ってくるのだろうと何時起き上がって再び襲ってくるか分からない女性から視線を外さずに疑問を覚える。

 それよりも何故自分は全裸なのだろうか? という疑問も覚え、そちらを優先させ、取り敢えず服でも着ようと立ち上がる。

 ここで漸く、という言い方もあれだが、常盤はここが自分の家では無い事を把握した。

 常盤と女性が居る空間には日本ではあまり見かけなくなってしまった暖炉があり、そこには薪がくべられており火が点いている。陽の温かい光に照らされた空間にはロッキングチェアやアンティークな机、本棚などが置かれており、フローリングの床には暖色系の絨毯が敷かれていた。また、常盤が横になっていたのはソファであった。

 電灯も天井からぶら下がっているが、形が小型のシャンデリアのような小洒落たものであり、暖炉の火と合わせて白い光が部屋を明るくする。

 他にはファックス付きの電話や旧型のディスクトップパソコンとプリンター、廃れてったブラウン管のテレビとビデオデッキが置かれていた。

 全く持って見覚えの無い場所であった。

 そして自分はどうしてこんな所にいるのだろうと首を捻る。

(えっと、確か私は雨の中今日発売の小説を買いに出掛けて、……出掛けて? それから……)

 それから、蝙蝠頭に襲われた。

 大蛇に変化する青年に助けられた。

 大蛇に変化する青年に殺されかけた。

 そして――

(……化け物に、なった)

 そして、大蛇に変化する青年を殺しそうになった。

 思い出した瞬間、血の気が音を引いて下がっていく。視界が狭まっていく。

(そうだ。私はもう人間じゃないんだ)

 異常なまでの回復力。

 今までにないくらいの運動性能。

 そして、血液の代わりに灰色の靄が身体を循環している。

 決して寒くは無いが、かたかたと震え出し、膝をついて肩を抱くように縮こまる。

 目の焦点が合わなくなる。

 呼吸が乱れ、吸っては直ぐに吐き出すを繰り返す。

 苦しい。

 胸の締め付けるなどと言う生半可な表現ではない。

 気道を内側から収束させられるように。肺を一点に凝縮させられるように。心臓を握り潰されるように。苦しい。

 頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる。

 考えて考え抜こうとしても、考えた分だけ考えた事を忘れていく。

 もう、何も考えたくない。その方がきっと楽になるから。

 そうだ。何も考えるな。

 目を背けば、きっと苦しまずにすむ。

 気道が収束するような苦しみから。肺を一点に凝縮させるような苦しみから。心臓を握り潰されるような苦しみから。きっと解放される。

 そう思った瞬間、首がいきなり絞まった。

「がっ!?」

 そのショックの御蔭で視界は平常に戻り、ぐちゃぐちゃになった意識が元に戻りそちらに向いた。呼吸は出来るがそれも僅かの量の酸素を取り込み、それと同量の二酸化炭素を吐き出す事しか出来ていない。

 即座に手を首に当てると、自分の首に何かが嵌められていた事に気付く。恐らくチョーカーであり、爬虫類を触っているかのような質感からしてまさにそれを使用した物なのだろう。金具部分があり、そこに通す事によって長さを調節する仕組みとなっているようだ。本来なら人の手で調節するのだろうが、何故か自動で絞まってきた。

「それはお前を人間の状態に繋ぎ止めておく為に必要な物だ」

 不意に、後ろから声を投げ掛けられた。声質からして自分を襲おうとした女性で無い事が窺える。というよりも、目の前には女性が倒れっ放しであるので違う事は明白であった。

 では、誰なのか?

 常盤は後ろを振り返ると、そこには見た事のあるような少年が立っていた。

 身長は膝立ちをした常盤よりも頭半分程度高く、明らかにサイズの合っていないだぼだぼのジャージを身に付けている。乱雑に切り揃えられた焦げ茶色の前髪の間から覗くちょっと大き目で目尻が吊り上っている目は金色をしている。首には蛇の皮で作られたチョーカーが巻かれている。まだあどけなさが残るが、精悍さも兼ね備えた顔はどちらかと言えば少々生意気な感じを出している。

 この少年の恰好は大蛇に変化する青年を彷彿とさせた。

 儘ならない呼吸で苦しくはあるが、少年を見てそう思った常盤に、目の前の少年は溜息を一つ吐く。

「取り敢えず、人間でありたいと思え。そうすれば、これは絞まらなくなるだろう」

 自分の首に巻かれたチョーカーを軽く叩きながら言う少年。

 常盤は少年の言う通りにした。

(私は、人間でありたい。人間でありたい。人間でありたい……)

 すると、首を絞めつけていたチョーカーが緩み始めた。少年の言っていた事は本当であり、呼吸が楽になった。

 これは一体何なのだろうか? そう思った矢先に少年がその問いに対する解を常盤に告げる。

「それはお前を人間の状態に繋ぎ止める為の物でもあり、お前を戒める物でもある」

 戒め。

 それは教え諭す事を意味する言葉。

 それは懲らしめる事を意味する言葉。

 それは守りを厳しくする事を意味する言葉。

 それは――抑制する事を意味する言葉。

「お前が現実から目を逸らして苦しみから解放されようと――楽になろうとすると、人間でありたいと言う思いよりも化け物になれば何も考えずに済むと言う想いが強くなる」

 つまり、常盤が自分が化け物になった事を否定すればする程、化け物へと近付いて行ってしまう。自己の否定。自暴自棄。自分を排斥する者がどうして人間でいられようか?

 要はそういう事。現実から目を逸らさずに受け止める事が出来なければ、人間は人間ではなくなるという事。ただそれだけ。

 常盤は渋面を作り、下を向いてしまう。結局は、自分がもう人間ではなくなったと知らせているようなものだ。堪えない方が可笑しい。

 そんな様子を見て少年は何を思ったのか、下を向いている常盤の眼前に手に持っていた品を差し出した。

「取り敢えず、これを着ろ」

 そう言って少年が差し出したのは今日常盤が着ていた筈の衣服である。折り畳まれており、御丁寧に一番上には下着が置かれている。リボンが付いた可愛いタイプの下着が。上下セットで。

「っ!?」

 常盤は一瞬で顔を赤らめ、スリ顔負けの速度で衣服を引っ手繰った。

「随分と濡れていたから脱がせて乾かしていた。俺が」

 その言葉に瞬間的に拳を繰り出してしまっていた。今の台詞からして常盤の服を脱がせたのは目の前の少年だ。つまりは異性が異性を脱がせたのだ。少年は常盤のあられもない姿を拝見したのだ。いや、今も毛布一枚とあられもない姿なのだが、脱がせた直後は何も纏っていないワンランク上のあられもない姿だったのだ。全裸だったのだ。丸裸だったのだ。赤裸々だったのだ。

 なので常盤は少年の記憶に(恐らく)焼き付けられているであろう自身の裸体画像を抹消すべく暴力に訴えたのであった。

「落ち着け」

 しかし、放った拳を少年は半歩下がっただけで容易く回避する。

「避けないでよ!」

「避けるよ。これ以上怪我をしたくないからな」

 少年はだぼだぼのジャージの右腕を隠している部分を捲る。

「えっ?」

 常盤は息を呑んだ。

 少年の右腕は板で挟まれており、板がずれないように包帯でぎちぎちに巻かれていたからだ。この状態からして、少年は右腕を骨折しているのだろう事が窺える。

 常盤が息を呑んだは何も少年が骨折していたからではない。いや、骨折している事自体も原因はあるが、それは骨折されている部分が部分なだけに無視出来なかったからだ。折れているのは前腕部分であるのだ。そこは自分が青年の間の手から逃れる為に折った部位と同じであったからだ。

「全く、このような怪我程度ならばもう完治していても可笑しくは無いんだがな」

 少年は忌々しそうに骨折した部分を見て舌打ちをする。

「お前に霊気を半分以上吸われてしまったから怪我の治りが遅い」

 しかめっ面をして少年は今度は首元を露出させる。そこには歯形がくっきりと残っていた。また歯形のうち四ヶ所程深々と太めの針が突き刺さったような痕が残っている。

「……もしかして」

 常盤は少年を指差す。その指は震えていた。

「あぁ、お前の予想通りだ」

 少年は首を縦に振る。


「お前を助け、お前を討伐しようとし、お前を下僕にした奴だ」


 やっぱり、と常盤は呟いた。

 目の前の少年はあの青年なのだ。どういう原理かは知らないが体格が退行してしまっているのが気になるが、別段と不思議でない気もしてくる。

 何せ、青年は――少年は大蛇になれるのだから。

 大蛇になれるのだから退行なぞ出来ても可笑しくは無いともう割り切った。

 というか、それよりも一つ腑に落ちない言葉を訊いた。

「今、何て言った?」

 一応の確認に、少年は表情を変えずに先程言った言葉をそのまま繰り返す。

「お前を助け、お前を討伐しようとし、お前を下僕にした奴だ」

「下僕って……」

 自分はそれを承諾したのか如何せん覚えていないのだが、というかそのような記憶が全くこれっぽっちも記憶領域に存在しないのだが、と常盤は怪訝そうな顔をする。

「それはそうだ。俺の独断と偏見の下で勝手に決めたんだからな」

 常盤の表情から上手く汲み取った少年が鼻を鳴らしながら答えたのであった。

「……いや、勝手に決められても」

「討伐されるよりはマシだろ」

 その言葉に確かにそうなのだろう、と思う反面、どうして討伐しなかったのだろうか? と常盤は考えてしまう。

 確かにこの少年は化け物となった常盤に殺されかけたが、それは人間の状態での話だ。もしあの時白い大蛇に変化していれば逆に常盤は殺されていたかもしれない。大蛇の尻尾による一撃を食らって分かっていたのだが、人間時よりも数十倍は重い一撃であった。あのまま尻尾で数回叩き付けられていれば異常な回復能力に目覚める前に事切れていただろう。

 なのに、少年は大蛇の状態ではなく、力の劣る人間の状態で常盤を殺そうとしていた。

 その理由を聞こうと口を開きかけたが、言葉にして紡ぐ前に突如少年が音を立てて倒れた。

「大丈夫っ!?」

 手渡せた自分の衣類を放り投げて少年の背中と首に手を回して軽く起こす。殺されそうになったり殺そうとしたりした相手だが、そんな事とは関係なく常盤は目の前で倒れた少年を放っておけなかった。

「……さ」

 少年は口を開いて常盤に告げる。

「さ?」

「寒い……」

 少年は唇を青くしてがたがた震えだした。




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