……狐?
その後は特に事件は起きず、常盤達最初に担当をしていた生徒はリフレッシュする為に蜘蛛の子を散らすように出店へと向かった。ある者は学友と一緒に屋台を回って食べ歩き、ある者は射撃でストレス発散を行う。
そんな中、常盤は一人で和服喫茶へと向かっていた。
「折角貰ったからね。使わないと損だし」
常盤は手にした無料券を一瞥しながらぽつりと呟く。
和服喫茶の場所は南校舎の
「いらっしゃいませ」
店に入ると和服の上に襷と割烹着を着た女生徒がぱたぱたと来店した常盤の下へと走り寄ってくる。
和服喫茶は南校舎の二階にある。隣には教室を二つ使ったお化け屋敷が付随している。去年までは一階で出していたが、学年が上がり一・二組が二階へと移行したので二階を拠点とするようになった。ただ、教室を三つ使うので隣の三年一組に教室の使用許可を取っている。この際にもめなかったのは三年一組はクレープの屋台を出すと決めていたからだろう。
この教室は三分の一が簡単な調理場、残りが客席用のスペースとなっている。調理場は目隠しの為にガラス繊維で作られた竹風の衝立で視界を遮っている。教室に最初から備わっていたカーテンは雰囲気を壊すので取っ払われており、代わりに簾で日光を和らげている。
「申し訳ございませんが、ただいま店内は混雑しておりますので相席でもよろしいでしょうか?」
和服の給仕役の女生徒が申し訳なさそうに常盤に進言する。常盤は教室内を見る。確かに結構な人数がここにいて、空が少なかった。まだ文化祭が始まって一時間と三十分が過ぎた辺りなのだが、それでこれだけの客入りは正直凄いと常盤は感心した。
「大丈夫です」
常盤は特に相席を気にしないタイプなので首を縦に振る。
「では、少々お待ち下さい」
入口から入って少し右に行った場所に設置されたビビット色の赤布の上に井草が敷かれた横長の椅子の方へと給仕は駆けていく。ここでは敢えて長椅子だけの席にしてある。旅先の茶屋をモチーフにし、注文した飲み物や和菓子も椅子に置く仕様にしている。
給仕が向かった先には羊羹を一切れ楊枝に刺している一人の男子生徒が座っている。
「お客様、申し訳ありませんが店内が混雑しておりますので相席となりますがよろしいでしょうか?」
「構いません」
男子生徒は嫌な顔一つせずに直ぐに了承する。給仕の女生徒は常盤の元へと戻り、常盤をその席へと誘導する。
「こんな所で会うなんて奇遇だね」
常盤は相席となった男子生徒に笑みを作って挨拶をする。
相席した男子生徒は鏑木隼人。常盤のクラスメイトだ。
「そうだね」
鏑木はもそもそと羊羹を頬張りながら相槌を打つ。
「こちらお品書きになります」
すっと給仕の女生徒が品書きを常盤に差し出す。常盤は受け取り、品書きを見る前に給仕に無料券を見せる。一応使えるかの確認を取る為だ。
「あ、これ使えますか?」
「えぇ。使えますよ。…………ってこれって牡丹ちゃんが持ってた奴だよね?」
どうやら紅が作った無料券とそうでない券があるらしい。給仕は少しだけ眉根を寄せて常盤に訊き返す前に口調が素に戻ってしまっていたのでこほんと軽く咳払いをして失礼と言う。
「どういった経緯でこれを?」
「えっと、スキヤキ先輩って分かりますよね?」
「あぁ、理解したわ」
数奇屋の渾名が出た瞬間に女生徒の目には憐憫が含まれた。一度深く頷くと給仕の女生徒は常盤の肩に手をぽんと乗せる。
「うちんとこの大食い馬鹿が迷惑掛けて御免ね」
「いえ、黒字になったから結果としてはいいんですけどね。まさかあそこまで食べるとは思わなくて」
「あれ? 君ってスキヤキ知ってるの?」
「はい。学科は違いますけど部活の先輩です」
「それはそれは……苦労してるだろうね、君は」
「いえ、そこまでは」
「まぁ、やる時はしっかりするからね、あいつは。っと、済みませんお客様」
またもや素に戻っていたので慌てて口調を取り繕う。
「この無料券ですと羊羹とカステラのどちらかをお選びいただくか、ハーフで両方選ぶ事が出来ます。また飲み物は緑茶となります。どうなさいますか?」
「羊羹でお願いします。あとそうですね」
常盤は品書きを開いてざっと眺める。因みにメニューには和菓子は全て手作りですと書かれている。カステラまで手作りとは恐れ入る、と常盤は心の中で和菓子を作ったであろう進学科の二年生に賞賛を贈る。
「……三色団子をお願いします」
「かしこまりました。無料券は会計時にお出し下さい。では少々お待ち下さい」
頭を下げ、とてとてと去っていく女生徒。
「……何かあったの?」
鏑木がきょとんとしながら訊いてくる。
「うん、ちょっと在庫が切れてね」
常盤は乾いた笑いを浮かべながら鏑木に約一時間半前に起きた事件(少なくとも常盤とその場にい合クラスメイト五人にとっては)を大まかに説明した。説明している間に、常盤が頼んだ羊羹と三色団子、緑茶が運ばれてきた。
説明している間に羊羹と三色団子を食し終えた常盤は本職ではない学生の手作りにしては旨いと思った。もしかしたら自分でも作れるかもしれない。そうしたら甘党のカガチと園崎の買い癖(金があると甘いものを買いに行く)を無くせるかもしれないと考えを浮かべる。
そんな考えを頭の中で展開させながらも先程屋台であった事件の概要を述べられる常盤は器用なのかもしれない。
「へぇ、そのスキヤキ先輩って人は凄いんだね」
「確かにね。あれだけの焼きそば食べても全然苦しそうな顔とかしないし。と言うか今回はまだ足りないって公言してたしなぁ」
常盤は内心明日も来るのだろうなぁ、と遠い目をしてしまう。今日はもう来ないだろうが、明日も自由時間には訪れるだろう。そうなると、今日の内にもう少し食材を仕入れておいた方がいいだろうか? そもそもそんなに客は来ないだろうと少なめの設定にしていたのが一番の間違いだった、と常盤は明日の被害を最小限に抑えようと内心で計画を張り巡らせる。
そんな常盤の様子に気付いていない鏑木は楊枝を羊羹の皿に置いて天井を仰ぐ。
「そっか。いいなぁ、スキヤキ先輩は。一杯食べられて」
「あ……」
そうだった。と常盤は鏑木の事を思い出す。彼は事故により吐き気を催しやすい体質となり、食べ物をあまり食べられなくなってしまったのだ。そんな彼からすれば、数奇屋の大食いは今の自分に出来ない羨む行為なのだろう。
「……鏑木君も時間が経てば前みたいに食べられるようになるよ」
「……そうかな?」
頬を掻きながら鏑木は少し顔に陰を落とす。恐らくはこの体質は治らないだろう、と受け入れてしまっているからなのだろう。その様子を垣間見た常盤は鏑木を励ますように言う。
「そうだよ。入院してた時は林檎しか食べられなかったのに、それが今では林檎以外にもバナナとかパイナップルとかトマトとか食べられるようになったじゃない。このまま行けば食べられる物が順調に増えてくよ」
「でも、食べれる量は少ないけどね」
ははは、と力弱く笑う鏑木。その反応にめげずに常盤は続ける。
「そこはあれだよ。妊婦の悪阻と同じと考えれば無問題」
「僕は男だから悪阻がどんなのかは一生分からないけど、悪阻も吐き気が凄くてあまり食べられないって訊くね」
「そうそう。で、悪阻の時は小時間を置いてちまちまと食べてくのがいいんだって。少しずつなら胃への負担も減って順調に消化するんだってさ。そして何時の間にか悪阻は治るらしいよ。だから鏑木君も休み時間毎に食べればいいんじゃないかな? そうすれば治ると思うよ」
常盤自身も悪阻になった事が無いのでどれくらい酷いのかは実際には知らないが、彼女の母に訊いた実体験である程度の想像はつき、自分は悪阻にはなりたくないなぁ、と心の底から思っていたりする。
悪阻になりたくないと思うからこそ、近似する鏑木の症状を改善してあげたいとも思う。あくまで常盤が助けるのではなく、常盤なりのアドバイスを鏑木に与えて自ら治していくように向かわせるのだが。
また、このように思うのは先日の負い目を感じているからだろう。鏑木に直接何かをしたわけではないが、不幸の度合いの比較対象に選んでしまったから自分で設定したせめてもの罪滅ぼしのつもりなのだろう。
「……そうだね。治るかは分からないけど、事故に遭う前と同じ量は食べられるかも。ありがとう、常盤さん」
常盤に向けて笑顔で礼を述べる鏑木。その笑顔は無理をして作られた物ではなく、小さいが、本心からの感謝、希望が見い出せた事によって表わされた物だった。
「いえいえ、人間困った時はお互い様なんrだからさ。だから私が困ってたらその時は助けてね?」
「うん」
軽く笑いながら言う常盤に鏑木は頷き、羊羹の皿に置いた楊枝に手を伸ばす。
「あ、もう時間だ」
その際に手首に巻いた腕時計を見て、現時刻が十二時少し前だと知る。
「じゃあ、僕店の方に行くから」
「うん、頑張ってね。って羊羹はどうするの?」
立ち上がる鏑木に常盤は皿に半分程残った羊羹を指差しながら尋ねる。
「常盤さんに上げるよ。励まして貰ったお礼……って言えば聞こえはいいけど、本当はこれ以上無理に食べると危ないからさ、食べてくれない?」
「そう言う理由ならいいよ」
「ありがと」
鏑木はにこっと笑って出入り口の傍にある会計まで赴き、頼んだ分の料金を支払って和服喫茶を後にする。
常盤は出て行く鏑木の背を見ながら残された羊羹を食べ、残った緑茶を啜る。
「ぶふぉっ!?」
そして盛大に吹いてしまった。目の前に人がいないのが救いだった。常盤は羊羹を食べ終えて即緑茶を飲んでいたので、凄まじい勢いで吹かれた緑茶には羊羹の欠片が少量含まれている。普通の口に含んだ緑茶よりも浴びた場合のダメージが大きい。
そんな事は置いておいて。
「大丈夫ですか?」
常盤を席に案内した給仕女生徒が布巾を持って慌てて駆け寄ってくる。
「げほっ、げほっ……だ、大丈夫です」
気管に緑茶が入り込みそうだったのでそれを防ぐ為に咳き込む常盤は何でもないと言わんばかりに無理矢理笑みを作る。そして急いで謝罪をする。
「そ、それよりも済みません。床汚してしまって」
「いえ、御気になさらず」
女生徒が床を布巾で拭いて綺麗にしていく最中、常盤は出入り口の方を凝視していた。
緑茶を吹いてしまった理由はそこにある。
彼女は鏑木を見送った後、そのまま出入り口の方を向いていたのだが、その時に見てしまったのだ。
廊下を横切る狐の姿を。
いや、この際狐である事は特筆すべきものではないだろう。ここは山を切り崩して建てられた高校。裏に回れば林が広がる。近辺では狸や鼬の目撃情報が学校側に伝えられる。時々鹿も何処からか迷い込んで来るので狐の一匹や二匹が校内にいても何ら不思議ではない。実際に常盤も東校舎の一階で建物内を通り抜ける狸を見た事があるので余計にだ。
問題なのは……その狐が器用に二足歩行をして人目を気にせずに歩いていたからだ。
これは有り得ない事象である。
狐の骨格は二足歩行出来るような構造にはなっておらず、出来るとしても重心が安定せずにふらつくのが落ちである。
しかし、先程常盤が眼にした狐はふらつくどころか現代の若者よりもしっかりした足取りで廊下の床を踏み締めていた。重心が安定しているどころの話ではない。まぎれも無く異常な光景であった。
常盤としては嫌な予感がした。
あのような常識外れの存在はもしかしたら怨霊なのかもしれない、と。
普通ならば目の錯覚として直ぐに忘れるべき光景なのだろうが、怨霊に遭遇して非日常に足を踏み入れてしまった常盤には先程の狐が見間違いかそうでないかを確かめる必要があった。
もし怨霊であるならば、被害が出る前にどうにかしないといけない。
(カガチと蓮華さんは仕事で出掛けてるから頼れない。対処出来るのは私だけだけど、霊気のコントロールはまだだしなぁ。最悪の場合は瀕死になって恋佳さんに出て来て貰って何とかして貰うしかないか)
カガチと園崎は仙原市にいない。二日前に怨霊討伐課のカガチの上司から電話があり、怨霊を討伐して欲しいと言う旨の仕事を受けて隣県へと向かった。園崎はカガチの護衛としてついて行った。
なので、どうにか出来る人物は常盤一人だった。
常盤は即座に行動に移る。
床を拭く女生徒にもう一度謝り、早足で会計へと赴いて頼んだ分の料金を払い(ここできっちりと無料券を渡す)、廊下に出るや全力で駆け出す。狐が向かった方向は見ていたので分かる。狐の歩く足取りからしてあまり早くなかったので直ぐに追い付けるだろうと常盤は予測した。
しかし、現実は違った。
目を離してから二十秒も経っていないにも関わらず、狐は階段を下りようとしていた。
そして歩いていたと思ったら、何故か今度はスキップをしてた。
常盤は狐の更なる珍妙な所作に体の力が抜けそうになるが、何とか踏みとどまる。
そして警戒する。
スキップをする二足歩行の狐が廊下にいても、誰も狐を見ない。騒ぎを起こさないからだ。
つまり、狐は普通の人には見えないという事だった。
カガチ曰く、例は普通の人には見えない。霊視が強い人間でないと霊を認識出来ない、との事。
この事から狐が霊である事が百パーセント分かる。
常盤は行き交う人々の隙間を縫うように掛けて狐が降りた階段を下りる。
今度は何処に消えた? と常盤は神妙な顔つきで首を巡らせる。
一階の廊下にはいないようだった。ならばと常盤は廊下の窓の向こうに広がる林へと目を向ける。
(……見付けたっ)
今度は匍匐前進で落ち葉の中を突き進んでいる狐。その光景にまた体の力が抜けかけたが、この二ヶ月の間に鍛え上げられた精神力で抜けるのを防ぐ。
(……あれって怨霊なのかな? もしかしたらただの動物霊かも。いや、普通の動物霊はあんな事しない筈だし、もしかしたら私をああ言う感じで油断させながら誘き出して襲おうとしてるのかもしれない。だから用心しないと)
常盤は気合の入れ直しを兼ねて両手で頬をぺちんと叩いて南校舎を出て狐が匍匐前進していった林を駆ける。
匍匐前進のスピードからあまり早くないだろうと高を括っていたが、甘かった。先程と同じで見ないうちに狐は距離を突き放しており、木々の間から見える小さい後ろ姿しか確認出来ない。
後ろ姿しか確認出来ないが、これだけは分かる。
(何で人間走りしてるのよっ!?)
明らかに二足歩行で、それも両腕(前脚)を前後に交互に振りながらさながらスプリンターの如く疾走している。もう動物が出来る骨格の稼働範囲を優に超えていた。
常盤は全力疾走で追い掛ける。全力で走れば常盤の方が二足ダッシュの狐よりも速く、距離の差は徐々に縮まっていく。卓球部で走り込みをし、それにプラスしてカガチと園崎の住まう屋敷で家事をこなし霊気のコントロールのイメージトレーニングをしていた事もあり、常盤の体力と根気は人一倍だった。
周り綺麗に並べられた丸太が横たわる人工的に開けた空間に出ると、狐は突如両前脚を後方へと振り、前方へと突き上げながら跳んだ。最早走り幅跳びの選手かと突っ込みを入れたい状況にプラスしてジャンプ力が驚異的で、一般的な狐の体長をしているにも関わらず地表から三メートルは上にいた。
常盤はどうして更に奇怪な行動に移るのか不思議に思ったが、それも一瞬で納得した。
狐の前には一人、女性が立っていた。常盤の方角からでは後ろ姿しか見えないが、膝裏まである長い髪を項あたりで一つに纏めた様相からして十中八九女性だろうと判断する。
狐は明らかに女性に向かって跳んだのだ。
これが意味する事は、狐は女性を襲おうとしているという事。
「危ないっ!」
常盤はつい叫んだ。この女性には狐の姿が見えないだろうが、そんな事は関係なかった。身の危険を知らせる為、少しでも襲われた時にそれなりの反応が出来るように叫んだ。
「ん?」
女性が振り返る。
振り返る時には、もう狐は女性の直ぐ目の前だった。常盤の側からは見えないが恐らく狐は牙を剥いており、今にも首筋に齧り付こうとしているのだろう。怨霊としての欲求を満たす為に。
常盤は包帯を解いて気休め程度に半霊の状態になって、更に狐と女性の方へと向かう。この状態でも霊気のコントロールは出来ないが、回復能力に関してはこちらの方が僅かに上だったので、戦闘になった際の微々たる保険として半霊の状態となった。
目の前の狐との戦闘を覚悟していた。勝てなくとも、女性から狐を引き剥して逃がすくらいは出来るだろう。もしかしたら女性はその際に狐から命の危険に繋がる傷を受けるかもしれないが、カガチから念の為にと止血の札と増血の札を貰っているので応急処置は可能だ。
常盤は、例え自分が瀕死になってでも女性を助ける気でいた。
……が、そんな血生臭い状況にはならなかった。
狐は女性の胸に跳び込むと、爪を立てるでもなく、牙を立てるでもなく、少しだけ攀じ登って女性の肩に前脚を掛けて落ちないようにし、目を細めて女性の頬をぺろぺろと舌で舐めだした。
しかもこの舐め方。獲物の味を品定めするかのような猟奇的なものではなく、明らかにペットが飼い主にする親愛を具現化したようなものだった。
そして、女性の方も狐を遠ざけようとせず、甘んじて受けているような節が見られた。と言うか、明らかに狐を片手で抱いて片手で頭を撫でていたりしているので狐が見えているのだろう。
「……これって、どういう状況?」
藤色の髪と紅色の瞳になった常盤は目を白黒させ、疑問符を頭上で増殖させながら女性と狐の戯れる様子を見ているしかなかった。




