常磐の勘違い
「…………ん」
意識を取り戻した瞼を開け、辺りを見渡す。
「……ここって」
常盤には見覚えがある場所だった。つい先日も訪れた音も光も無いただただ暗黒だけが広がる空間。
前回と同じ場所ならば、あの人物もいるのだろうと常盤は捜し始める。自分がどうしてここに来ているのかを、ここにいた人ならば分かるだろう。そう踏んで捜索したのだが、一向に遭遇する気配が無い。
この場所に来てしまったという事は、自分がどんなに歩こうとしても進む事が出来ないと分かっている常盤はその場に立ち尽くしてただただ前方を見据えるだけだった。
常盤はどうしてこの場に来てしまったのかをおおよそ予測している。自分が意図しないタイミングで意識を途絶えてしまったからだろう。前回の場合はカガチの延髄切りによって意識を失った時にこの場に来た。今回は首を切り落とされて意識を失った。
「……いや、そうじゃないか」
常盤は頭を振って自身の考えを否定する。
「意識を失ったんじゃなくて、死んだんだ……」
首を切り落とされれば、人間は死ぬ。半霊となってしまっている常盤はどうかは分からないが、元が人間なだけに同条件下で死ぬのだろうと勝手な憶測をする。
そう考えると、ここはあの世へと続く道なのかもしれない。前回歩けども歩けども前に進まなかったのはまだ生きていたからで、あの世へと進ませないようにこの空間がそのように仕向けたのではないかと考える。
だとしたら、死んでしまったであろう今の状態ならば歩き出せば前に進めるのではないだろうか?
そのような思考が頭を掠めた常盤は左足を前に踏み出そうとするが、躊躇い、中止する。
もしかしたら、歩いてしまったら最後、自分が自分でなくなってしまうようで怖かった。死んだら転生する。その際に記憶は消去される。
死ぬ事は怖い。けど、それ以上に自分が自分でなくなる事の方が怖かった。自分と言う存在がいた証そのものは消える訳ではないが、自分が存在していた世界から自分の存在が消えるのが怖い。
恐怖を覚えたのにも訳があり、それは常盤は納得して死んだ訳ではないからだ。
普通の生活を送り、普通の人生を全うして死にたかった。
怨霊に襲われて半霊になり、死神と関わり、陰陽道と言う現在では完全にオカルトとされてしまったものに触れ、怨霊に殺された。
全然普通ではなかった。少なくとも、常盤の考えている普通の人生とは懸け離れている。
そう思うと、常盤の心の内に恐怖を塗り潰していくようにふつふつと怒りが込み上げてくる。
どうして世界は私を普通に死なせてくれなかったのか、と。
寿命で死ぬ。それは普通だ。
病気で死ぬ。これも普通だ。
事故で死ぬ。これもある意味で普通であると言えよう。
殺されて死ぬ。納得はいかないが、普通に起こり得る。
今回は殺されたのだが、状況が普通ではない。怨霊と言う非科学的な存在に殺された。現代社会の人間の常識的に言って、普通ではないと断言出来る。自身も半霊という非科学的な存在となってしまった常盤だが、自身に起きた変化は棚に上げている。というか、怨霊に殺されるよりも些末なものであるとしている。
要は非科学的な存在に殺された事に納得出来ないのだ。
怒りから肩をわなわなと震わし、拳をきつく握り、目をかっと開き、眉間に皺を寄せ、口を大きく開けて天を仰いで叫んだ。
「……何で、私がこんなハチャメチャな目に遭わなきゃいけないのよっ!!」
「まぁ、それは仕方のない事だから諦めなさい」
暗天に吠えていると、前方から声を投げ掛けられた。
常盤が首の角度を変え、前を見据えると五歩程先には一人の女性が立っていた。
舞い散る藤の花弁の意匠を施した千早を羽織った巫女装束の女性のふわりとして触れば心地よい感触が返ってきそうな藤色の長髪は風が吹いていないにも拘らず棚引いており、風に揺れる葉や花を連想させた。身長は同程度だが年は常盤よりも上で二十代前半から半ばといった所か。射抜くように鋭いが、何処か柔和な印象も与える少しだけ目尻が吊り上った目に仕舞われた瞳は髪と同様綺麗な藤色をしている。唇には薄らと紅を差している。
暫し、女性を見詰める常盤。
「……えっと、何方様でしょうか?」
取り敢えず、目の前の女性の詳細を知ろうと質問をする。
「そうだな……常盤椿になら名を告げてもよいか。貴女は我なのだから」
「は?」
一人で勝手に納得する女性に常盤は怪訝そうな顔をする。
「私が貴女って?」
「知る必要がないよ。今はまだ、な」
含み笑いをしながら女性は常盤に三歩近付く。
「我の名は恋佳だ」
笑みを浮かべたまま女性――恋佳が右手を差し出す。常盤はそれは握手を求めているのだと思い、同じく右手を出し、恋佳の右手を握ろうとする。
が、握ろうとした手をさっと引っ込められてしまい、常盤はほんの少しだけ傾き、体勢を崩してしまう。
恋佳はまるで最初から狙っていたかのように常盤が傾いた方向へと押し倒す。
「へっ?」
常盤の体は垂直から九十度横になって地面に接触……はしなかった。九十度を過ぎ、百八十度回転して真っ逆様になって落ちていった。
穴が空いた訳ではない。この空間には最初から地面と言う概念が存在していない。故に突き抜けるような感覚に陥らずに、常盤は落下する羽目になった。
必死になって手を伸ばし、恋佳に助けを求める。
しかし、恋佳は助けるどころかにっこりと笑いながら手を振ってさよならをしている。
「貴女がここに来るにはまだ早かったので、強制送還。早く目を覚ましなさい」
どんどん離れていく恋佳の台詞が耳に届き、常盤はこれも夢なのだろうか? と悩んだ。
恋佳が完全に見えなくなると、地面に打ち付けられるような感覚が全身の神経を走った。
「っ!?」
がばり、と常盤は跳び起きた。目を開き、鼓動は早鐘を打ち、浅く連続させた呼吸をする彼女の額には髪がへばりついていた。どうやら汗をかいたようで、背中にも衣服が少しだけ汗によってへばりついてしまっている。
そして、気が付いてしまう。
「あ」
「あ……」
園崎が今まさに太腿に触ろうとしていた事に。というか、太腿の付け根部分に伸ばされていた指先に。
「い、いやぁ。つばっきーが目を覚ましてよか「ぢゅえいっ!!」ばっぶぅっ!?」
即行で覚醒した常盤は衝動的に園崎を蹴り飛ばし、壁に激突させた。そして園崎は額を押さえてその場で蹲った。
「全く、油断も隙もありゃしない……って、蓮華ちゃん?」
常盤は溜息を吐いたと同時に、園崎がこの場にいる事に疑問を覚え、上半身を起こし今自分がいる空間を把握する。
ここはカガチの屋敷だ。そして先日のようにソファで横になっている。
「……って、あの空間に行くとここに強制送還される運命にあるのかな?」
「あの空間ってのは何だ?」
独り言を言っていると、背後からカガチが声を掛けてきた。
「あ、いやこっちの話」
常盤は手を振って誤魔化す。
「で、結局私はどうなったの? 怨霊に首を切られた筈なんだけど」
「怨霊を倒した」
カガチは素っ気なく答える。
「誰が?」
「お前が」
「え、嘘?」
「本当だ。嘘言ってどうする」
それに、とカガチは溜息を吐く。
「俺じゃ変化した怨霊には勝てない」
「変化した怨霊?」
「あぁ、お前は知らないか。怨霊ってのは、元々は死んだ時の姿をしている。ただ、恨み辛みが増幅し過ぎると、体が変化してしまう。お前が会った怨霊二体はどちらも変化後の怨霊だ。変化した怨霊は最低でも変化前の二倍は強くなる」
「そうなんだって、よく私生きてるな」
「半霊という状態を生きていると言うならばな」
「半霊って結局生きてるの? それとも死んでるの?」
「どちらでもない。生きてもいるし死んでもいる半端な存在だ」
「半端て……」
「まぁ、完全な死者ではないから、生者の立ち位置に戻る事も出来るからいいじゃないか」
「そりゃ、そうだけど……って、話がずれた」
常盤は軌道修正に入る。
「私が本当に怨霊を倒したの?」
「あぁ。その時、お前自体は意識を失ってたから自覚が無いのは当たり前だが」
カガチの言い方に少し引っ掛かりを覚えるが、倒したのならばもう襲われる事はないだろうと胸を撫で下ろす。
「それで、気を失ったお前を俺が担いで屋敷まで帰った訳だ」
「御足労感謝します」
常盤は頭を下げてカガチに礼を述べる。
「因みに、お前の体が再生した時には全裸だった」
「え゛!?」
常盤は蛙が踏まれた時に出すような声を響かせてしまう。自分、怨霊以外にはいなかったとはいえ外で全裸になってしまうとは、と顔を赤らめて手で覆う。
「安心しろ。お前は直ぐ様着物を生み出したからあまり露出時間はなかったぞ。それと、お前が着ていた服も回収しておいたが」
「そういう問題じゃない! でも制服回収してくれてありがとう! ……って」
変な風に切れてしまった制服を翳しながら言うカガチにくわっと牙を剥く常盤だったが、次の瞬間にはおや? と首を傾げる。
「生み出した?」
常盤は改めて自分の姿を眺める。現在の自分の姿は、あの黒の空間で会った恋佳と同じ装束を着ていた。
「って、もしかして恋佳さんが戦った……のかな?」
「恋佳?」
「いや、こっちの話」
恋佳と黒い空間の事をカガチに話そうとは思わない常盤。死神で自分よりもそちらの方面の知識に聡いカガチに話した方が恋佳の事も黒い空間の事も直ぐに分かる筈なのだが何故だが気が引けるのだ。やましい気持ちも後ろ暗い気持ちもないのにも関わらず、だ。その現象に首を傾げるしかなかった。
「まぁ、そんな事よりも、だ」
カガチは常盤が上半身を起こした事によって空いたソファのスペースに腰を下ろす。
「お前、気を失う前の状態でもあの程度の怨霊には負けない力を有してるのに、どうして一方的に負けてたんだ?」
「あ、もしかして最初から見てたの?」
「いや、お前が拳を振り上げる所からだな。で、俺の質問に答えろ」
「……霊気を上手くコントロール出来なかったから、だと思う。いや、思うじゃなくて絶対」
「……そうか」
カガチは顎に手を当てて思考する。
「因みに、お前は霊気の流れをコントロールすると言って、どんなイメージを抱く?」
「え? どんなイメージって、普通に体を巡る一つの流れをイメージして。そこを流れる霊気の量を増やしたり減らしたりだけど」
「……成程。勘違い、か」
カガチはぼそっと呟き納得する。
「つばっきー……」
額を押さえて蹲っていた園崎が涙目になりながら立ち上がり、常盤の足を少し退かして無理矢理スペースを作って座る。
「そのイメージじゃ霊気はコントロール出来ないよ」
「……マジ?」
「マジ」
唖然とする常盤に園崎は深く頷いた、カガチも同様に。
「もしかして、かがっちーってその辺の説明も疎かにしてた訳?」
「……まさか、そのようにイメージするとは思わなかった」
園崎はカガチの言葉に溜息を吐く。
「つばっきーは完全にこっちの人間じゃないんだから、ちゃんと説明しないと」
「……そうだな。次からは善処する」
カガチは済まなそうに園崎に宣言する。
「……で、私の抱いてたイメージって結局何処が駄目なの?」
常盤が手を挙げて質問する。
「全部」
「……全部すか」
園崎はばっさりと切って捨てた。
「あのね、霊気のコントロールって一本の回路を流れる量を増減させるんじゃないんだ。流れを別の回路へと移行させる事なんだよ」
「……別の?」
「そう、別の」
「例えば、どういうのなの?」
「……え〜と、ね」
常盤のもっともな質問に、園崎は歯切れ悪く、しかも目を逸らして言い淀む。
「その、何て言えばいいのかな? こう、がちゃりとスイッチを切り替えて用途別の回路にチェンジ、みたいな?」
「電車のレール切り替えみたいなの?」
「そう、だと思いますはい」
頼りない返答を繰り出す園崎に常盤は少しだけ目を細めてしまう。
「何でそんなに歯切れ悪いの?」
「如何せん、僕は物心つく前から無意識にやれてたもんでどういう風に変えるかっていう感覚を伝えられないんだ」
「因みに、俺もそうだ」
と陰陽師二人(一人は人間、一人は蛇の死神)は答える。
「……つまり?」
「他人の回路チェンジに対する有効なアドバイスが出来ません」
「右に同じく」
しれっと真顔で答える二人。
「……それってさ、もしかして恨み辛みも霊気と同じで回路変更必要?」
「必要、だな。前例者が言うには」
カガチの一言に常盤は目眩を覚えた。
現状を整理すると。
霊気の流れは増減ではなく別回路に移行させる事でコントロールをする。
常盤はそのイメージを持っていない。
園崎とカガチは誰にも教わらずとも最初からそれを行っていた。
感覚的な違い故に、二人は他人に教えられない。
霊気の流れのコントロールと同様に、恨み辛みのコントロールも同様回路の変更が必須。
「……もしかして、私詰んだ?」
回路を変更するというのは分かった。が、一体どのような回路なのか? 単に多い量が流れる回路に変更すればいいのか? それと、変更する際のイメージは川の分流と同じでいいのか? それが分からない。
分からないから聞こうにも、カガチと園崎の二人は教えられない。
「私、一生半霊のまま……」
詰まる所、八方塞がりになってしまったようだ。
「いや、まだ諦めるな。出来ないと決まった訳じゃないだろ」
「取り敢えずはあれだよ。回路チェンジって念じてれば大丈夫さ! 多分ネ☆」
カガチと園崎は励ましているのかもしれないのだが、常盤にはそうは聞こえなかった。
「……教えられないくせに」
つい、ぽつりと零してしまった。
「まぁ、事実だな」
「そだね」
その発言に気分を害する事も無く、えらく簡単に頷いてしまう陰陽師の二人であった。
「取り敢えず、今日はもう帰って寝ろ。そして明日も来い」
そして急に話題変換するカガチである。
「……さっきの会話で別に当分は来なくてもいいと思ってたけど」
回路の変更は自分の感覚だけでやるしかないと高を括っていたのだろうが、そうは問屋が卸さなかった。いや、天は見放さなかったとでも言えばいいのだろうか。
「そんな訳ないだろ。俺達が助言出来ずとも、来た方がいいぞ」
「そーそー。的確なアドバイスは出来ないと思うけど、それでも何かしらは言えるからさ」
「と言うか、ここで練習していた方がいい」
「一応結界張ってるからねぇこの屋敷。つまりは怨霊に襲われないって事だよ。それに出来るようになったら僕達なら分かるし、その後直ぐに陰陽術やら恨み辛みのコントロールの練習に移行出来るし」
「……成程」
という訳で、と園崎は右の手でサムズアップを行い、片目を閉じてにかっと笑う。
「つばっきーはイメトレする時はここに来る事。おーけー?」
「拒否権はないけどな。下僕その二」
カガチが素知らぬ顔で呟きとも聞こえる声で言う。
「まぁ、そうだよね。ここで拒否したって私だけじゃ無理だし」
常盤は頭を掻きながらカガチと園崎の顔を覗く。園崎は視線を逸らす事がなかったので純粋に常盤の為を想っての発言であったのは見受けられたのだが、カガチに関して言えばそうではなかった。いや、常盤の為を想っての事もあるが、それよりも自身の霊気を返して欲しいからなのだろうか? カガチは視線こそは逸らしていないのだが、眼に埋まっている瞳が少しだけぶれたように見えたのだ。
そこに少しばかり引っ掛かりを覚えたのだが、常盤は考えないようにした。カガチの現状は自分の所為なのだから自分に言い感情を抱いていないのだ、と無理矢理納得させた。
「それじゃ、改めて。これから宜しくお願いします」
「おぅ」
頭を下げる常盤に、カガチは素っ気なく頷くだけであった。
「よっろしく〜。これから手取り足取り僕が教えてあげるよ……色々と」
園崎は徐々に顔に変な陰を落として笑いながら常盤の手を握り、常盤の手の甲に頬擦りを始める。
「そう……色々とねぶるばぁっ!?」
頬擦りされている方の手で裏拳をかました常盤であった。
こうして、常盤椿はカガチと園崎が住まうこの屋敷で手始めに霊気の流れのコントロールを練習するようになった。
……………………が。
「……全然出来ないね、つばっきー」
「適性判定が丙だからか?」
「……回路変更って、難しい」
一ヶ月経っても霊気の流れのコントロールは出来ないでいるのであった。




