藤色の霊気
武者は無残に転がる常盤の生首を一瞥する。既に瞳は濁っており、口の開閉も終了している。十中八九死んだと告げる。常盤の体は灰色の靄となり、空気に溶けるように消え去っていた。
しかし、首だけの状態でも武者は刀を構え、先を常盤の眉間に向ける。
武者は常盤がまだ死んでいない事を理解している。
半霊を含む霊と言う存在は頭部が無事ならば再生可能なのだ。無論この怨霊である武者も首から上だけになった常盤にも言える事。
武者は一度腕を引き、力を溜め、勢いよく刀の先を眉間に打ち込む。突きを入れた後は、右や左、どの方向でもいいので刀を動かして頭内部をずたずたにすれば常盤は死ぬ。それを分かっているので武者は刀を力任せに切り上げる。
これで終わった。
「……などとは、思ってはいまいな?」
突如、常盤が歪めた口を開き、武者に冷たく告げた。
否、これは常盤椿ではない。
声の質が違う。
本来の常盤よりも幾分か透き通り、それでいて身の震えを起こさせるように底が冷えた声音。
「全く、我も侮られたものだ」
常盤ではない彼女は眼球だけを動かして武者を捉える。その眼球に収まった瞳の色は紅色ではなく、現在の彼女の髪と同じ藤色に変色していた。
そんな彼女の眉間には傷一つついていない。
武者は切り上げたままにしていた刀を正眼に構え、常盤の生首から三歩距離を置く。先程までは自身の刃でいとも容易く切断されていた肉と骨が急に切れなくなった事に対して戸惑いを感じている様子である。
自分の方が優位にいる。なのに、どうして距離を置き、どのような事が起きようと対処出来るように構えを取ってしまっているのかが分からないでいる。
「……ふむ。やはりか」
生首だけの彼女は武者のその挙動と戸惑いの色を発している眼を一瞥し、確信を得た。
「怨霊には、一人に的を絞って襲う執着型と一人だけに固執せずに周りの人に害を為す範囲型がいるが、貴方はそれのどれでもない」
彼女の言葉に武者は刀を握る力を少しだけ強くする。
「貴方は怨霊だけど、意識がある。怨霊は本来恨み辛みをぶつける欲求が強過ぎて自我を失い、意識が保てなくなるものだが。貴方は」
彼女が全てを言い終える前に、武者は切り掛かる。正眼に構えていた刀を初動だけで左に持って行き、彼女の頭を横に両断する為に振り抜く。
「……人が話している時くらいは攻撃はするな」
が、刀は彼女の頭に触れる事が出来なかった。
彼女が右手で向かってくる刀を掴み取り、自信の頭部に触れる前に制止させたからだ。
一瞬の事であった。
武者が刀を振るう前までは頭部だけであった彼女だが、武者が刀を振るうと首から下の部分が即座に再生した。女性特有の少し丸みを帯びた健康的な体躯がどの部分も欠ける事無く完全に再生された。
全裸で横たわるような姿勢の彼女は右手に込める力を増量させ、刀を握り壊す。
「っ!?」
武者は一跳びで後退し、彼女との距離を開ける。そして自身の武具を垣間見る。
確かに刃が欠け、決して良品ではないものとは言え、常盤が握っただけでは壊れる代物ではない。なのに、この刀は力強く握られただけで壊れた。現在は刃が僅か数センチしか残っていない。
いや、彼女は人間ではなく半霊だ。それにしても、先程まで非力な様しか見せていなかった相手に自身の得物を壊される事に動揺を覚える。
使い物にならなくなった刀を彼女に向かって投げ、武者は即座に腰に帯びていたもう一振りの刀を抜く。
彼女は投げつけられた刃が折れた刀を苦も無く掴み取り、後方に放り投げる。
「貴方は、誰に怨霊にされた?」
新たな刀を構え直している武者に彼女は先程の言葉の続きを紡ぐ。その言葉に武者は肩を震わせ、彼女目掛けて刀を振り下ろす。
「……答えないか」
彼の所は嘆息し、半身を引いて武者が放った一撃を事も無げに躱す。
「まぁ、答えなくとも、我には貴方を怨霊にした奴の名前は分かっているが」
武者は彼女の言葉なぞには聞く耳持たんと言わんばかりに型のよいフォームで刀を振るう。しかし、彼女には掠りもしなった。彼女は身を捻ったり、少しだけ後退をしたり等の必要最小限の動きだけで武者の放つ斬撃を避ける。
「では、質問を変えよう」
彼女は武者の刀を避けながら、必死になって刀を振るう武者の瞳の奥底を見据えながら言う。
「貴方を怨霊にした奴は今何処にいる?」
武者は目を細めるが、彼女の質問には答えようとせず、刀を振るう速度を上げ、敢えて型を崩して切りつける。
型を崩したのにはきちんとした理由がある。それはそうする事によって避けにくくする為だ。
武者の型はよ過ぎるが故に、振るう前の構えである程度刀の軌道が読めてしまう。常人ならば例え軌道が分かったとしても避ける事はまず不可能な速度で放っていた斬撃だが、彼女は常人を逸しており、ことごとく避けられている。
ならば、と武者は考えた。
敢えて型を崩す事によって刀の軌道を読めなくさせれば、避ける事が困難になるのではないか? と。更に速度も上げればより困難になるだろうと踏んでいる。
また、武者は霊気を調節して腕力を上昇させている。先程から傷つける事が出来なくなっている彼女の体に傷を負わせるには自身の力を底上げさせるべきだろうと考え、腕力上昇に加えて刀にも自身の霊気を纏わせ刀の耐久度を上げている。例え掴まれたとしても直ぐには壊せなくなる筈だ。一瞬でも壊れる時間が長引けば、もし掴んできたとしても刀を一気に引いて手を切る事も可能となる。
実際にこの策は成功したようで、僅かではあるが、彼女は避けきれずに切り傷をその身に受ける事となった。
このまま型を更に崩し、速度も上げれば彼女を切り伏せる事が出来る、と武者は心の中で確信した時だった。
「……これも答えないか」
彼女は呟く。その声に思わず武者は刀を振るっていた腕を止めてしまう。
「致し方ない、か」
彼女の身体から霊気が放出される。
体外に放出された霊気の色は半霊である証の灰色ではない。そして死霊や死神と同様の白でもなく、怨霊と同様の黒でもない。
彼女の髪と瞳と同じ藤色をしてた。
本来、霊気にこのような色は存在しない。霊気の色は陰陽を表している。灰色は陽よりも陰が少しだけ勝り、どちらにも転んでしまう不安定な状態。白は陰よりも陽が勝り、程よく均衡が取れている状態。黒は陽よりも陰が勝り、そちらに傾き過ぎた状態を表している。
彼女は藤色の霊気をその身に纏う。すると霊気は形を成す。何も身に付けてなかった彼女の体は巫女装束に包まれている。
緋袴はスカートのように股が割れていない行灯袴ではなく、ズボンのように股が割れている馬乗袴。襦袢の上に着た白衣の上に舞い散る藤の花弁の意匠を施した千早を羽織っている。また後ろ髪は水引きで一纏めに結っている。
そんな彼女の手には数枚の葉がついている枝が握られている。その枝は先端方面から見ると時計回りに巻かれている。
「……さて」
彼女は動きの止まっている武者に手に持っている特徴的な枝を向ける。
「答えないなら、記憶を奪い取るとしよう」
薄く笑う彼女に身が震え恐怖を覚えてしまった武者が解き放たれたように一気に詰め寄り、刀を振るう。
彼女はまるで舞でも踊っているかのように半身を引き、刀をくるりと避けるとそのまま武者の背後へと回り込む。
そして、武者の鎧目掛けて枝を突き立てる。
すると、枝は兜を貫通し、武者の頭蓋を突き抜け、脳に根を張り、肥大化して武者の左腕に向けて伸展し、締め付けるように巻き付く。
葉はどんどんその数を増やし、ある程度つけると葉の間から蕾が形成され、房を成しながら淡い紫色の花が咲いていく。その花は藤そのものだった。
「この花はな」
彼女はわざわざ説明をするかのように武者に聞こえるように言う。武者の眼には生気の色が見られなかった。いや、もう死んでいるのでそのような表現も間違ってはいないのだが、先程までは正気の色が見られたが、現在では正気を失い、視線が定まっていない状態だ。
明らかに普通ではない武者に向けて彼女は告げる。
「貴方の記憶を吸い上げて育った花だ。花弁一枚一枚には出来事毎に蓄積されていった記憶が籠められている」
武者の左腕に巻き付いた枝の先で咲き誇る藤の花房に手を翳し、藤色の霊気を流し込む。そうするとそれに呼応するかのように藤の花房はりんと揺らぎ、花弁から燐光が舞い散り、彼女の頭へと向かい入っていく。
この燐光こそが、武者の記憶である。彼女は燐光を頭に取り込む事によって武者の記憶から武者を怨霊にした者の居場所を探ろうとしている。
しかし。
「……流石に、事は簡単には運ばないか」
彼女の口から嘆息が漏れた。
武者の記憶を探ったのだが、武者を怨霊にした者に関する記憶が丸ごと欠損していた。この武者が死んで死霊となって数日までの記憶はあり、怨霊としての記憶もあった。だが死霊から怨霊へと成り果てる際の記憶が無かった。本来ならば死霊から怨霊へと移行する際には恨み辛みと言う感情が強く作用して記憶に焼きつく筈であり、そう簡単には忘却されない。
しかし、強く残る筈の記憶が跡形も無く消えている。それはつまり、意図的に消されたという事に他ならない。自分でそうしたのか、はたまた他人に消されたのかは定かではないが、消えているという事実に他ならない。
「……こういった事態にも備えるとは、用意周到だな」
消えた記憶を復元させる術を彼女は持ち合わせていない。なので、これ以上武者に対してあれこれとする必要が無くなった。
もう用無しだった。
だが、最後に一つだけやる事があった。
視線の定まらない武者の耳に彼女は囁き掛ける。
「精々、最後は我の糧となり、我の役に立て」
彼女は尖った犬歯を武者の首に突き立てる。
そして、武者の黒い霊気を吸収していく。武者は抗う事も出来ずにされるがままだった。
武者の霊気が減少していくと、彼女の霊気はそれと同量の分だけ増加していく。
武者の霊気が完全に無くなると、武者は空気に溶けるように消えていった。鎧や兜、刀も同様に消失していく。
この場に残ったのは、巫女装束の彼女と、枝が成長した藤の木が一本。
彼女がその成長した藤に手を添えると、淡く儚げな光を発しながら彼女の中へと戻って行った。
彼女一人だけになった。が、彼女はある一点を凝視する。中央にぽつんとある外灯の頂上だ。不安定な外灯の上に腰を下ろしている輩が一人いた。
「そこにいる輩、そろそろ降りてきたらどうだ?」
口の端を吊り上げながら彼女はその場所に声を投げ掛ける。すると、滑り落ちるかのように外灯から降り、事も無げに地面に着地した。
カガチであった。カガチは彼女を警戒し、どのような動きをしても対処出来る距離を保つ。警戒態勢のカガチとは逆に彼女は警戒なぞはしていなかった。
彼女は一定距離離れたカガチに向けて言う。
「貴方、武者がいなくなるまで降りて来なくて正解だったな。もし降りてたら消えてた」
含み笑いを作る彼女に対して、カガチは感情を表に出していなかった。彼女はカガチを気にもせずに一方的に話す。
「常盤椿の所為で霊気が削り取られた故の戦闘能力の減少は、貴方が思っている以上に深刻な問題だ。霊気量は半分以下と自覚はしているだろうが、実際は二割程度しか残っていない。そのような状態では変化した怨霊には勝てない。そして、下手をすれば変化する前の怨霊にも負けるかもしれない。……なので、貴方が常盤椿の首が切り落とされた後も外灯の上に居続けたのは正解だ。もしあの時常盤椿を助けに言っていたならば、無残に切り伏せられていただだろう」
「…………」
彼女の言葉にカガチはただ黙って訊いているだけだ。
それに、言われずとも分かっていた事だ。今の自分では変化してしまった怨霊には勝てない事を。
自覚している事実を突き付けられただけで、別段とショックは受けていないカガチ。
また、人間形態で怨霊に勝てないのならば、首に嵌められたチョーカーを外し、本性に戻れば勝てる……話ではない。根本的な問題があるのだ。
「死神の元の力を発揮しようとして本性に戻ろうすれば、体を維持する為の霊気量が足らずに崩壊する……だな?」
カガチの表情から読み取った彼女がその問題を口にする。
死神の本性は強力だ。人間形態時とは比べ物にならない程に圧倒的な力を有してる。
それ故に、力加減なぞは出来ないのだ。人間形態のように霊気を操る事が出来ず、常に最大出力を放っている状態だ。これは訓練次第で克服出来るものではなく、死神の特性なのだ。
常時最大出力では直ぐにスタミナが切れてしまうので、死神はチョーカーを用いて力を無理矢理押さえ込んでいる。
また、本性を維持する為には別箇に霊気を必要とする。意地に必要とする霊気量が必要量よりも足らなければ、霊気は維持よりも放出が優先されてしまう。そうすると体を流れる霊気の均衡が崩れ、維持に回されている霊気が放出へと転換され、体は崩壊を始め、チョーカーを嵌めずにそのままでいれば消滅してしまうのだ。
なので、現在のカガチは本性には戻れない。
「死神と言う存在に取って、霊気とは諸刃の剣だな。それ自体が強みとなるし、弱みとなる、か」
「……お前は」
カガチは彼女に対して初めて口を開く。
「お前はどうしてそこまで死神の事を知っている? それに、怨霊についてもだ。執着型や範囲型、果ては変化についても知ってるのは何故だ?」
それに、とカガチは彼女を指差す。
「あの藤色の霊気は何だ?」
「さて、な。何の事やら」
カガチの質問に彼女は軽く微笑みながらはぐらかす。
「からかっているのか?」
「からかってはいないさ。ただ、霊気の色が白、黒、灰色というのは死んだ者、ないしは死の淵に足を踏み込んでしまった者だけだ」
くつくつと笑いながら、彼女はカガチに近付く。カガチは離れようとするが、足に何かが絡みついたような感覚が神経を伝わり感じ、その場から動けずにいた。
「まぁ、我が答えずとも、自ずと解は得られるだろうよ」
彼女はほくそ笑みながら少しだけ屈み、カガチの耳元でそう告げる。
「あぁ、それと、我は貴方に害を為そうとは思っていないが、今直ぐに霊気を返そうとも思っていない。我が為そうとしている目的の為には、少しでも霊気が必要だからな」
「……お前は霊気を返せるのか?」
「常盤椿と一緒にするなよ。常盤椿は霊気の流れの操作を勘違いしている。故に霊気の返還も出来ずにいる。もし常盤椿が流れの操作の勘違いに気付いたのならば、直ぐに霊気の返還も出来よう」
ただ、と彼女はカガチから離れながら言う。
「もし常盤椿が貴方に霊気を返そうとすれば、我が邪魔をするがな」
「……そうか」
「だが安心しろ。事が済み次第、我は即、貴方に霊気を返そう」
「信じろとでも言うのか?」
カガチが彼女を睨みつけながら言う。彼女は睨まれても笑みを絶やさずにいる。
「我は信じろとしか言えないがな。それとも、誓約書のように何かに記した方がいいかね?」
「いや、結構だ。口約束にしろ何にしろ俺にはどの道待つだけしかないみたいだからな」
「そうか。貴方は利口だな。……では、我はそろそろ引っ込むとしよう。我が引っ込んだ後の常盤椿の体は貴方に任せるとしよう」
「待て」
彼女の言葉に、カガチは即座に言葉を被せた。
「何か?」
「これだけは訊かせろ。お前は下僕その二の何だ?」
「何だ、そんな事か。我はな」
彼女は目を少しだけ細めながらカガチに告げる。
「常盤椿とは同一の存在であり、常盤椿とは異なる存在だ」
言い終わると、彼女の眼は藤色から紅色へと変化し、瞼が閉じ、力を無くしたからだがぐらりと傾き倒れそうになる。カガチは倒れる体を支える。
目の色が紅色になったという事は、彼女ではなく常盤になったという事だ。現に、荒い息と同時に出ている声は彼女のものではなく、常盤のものであった。
「同一の存在であり、異なる存在……か」
彼女が最後に口にした台詞を反復し、カガチは常盤の顔を覗き込んだ。
「お前は……一体何者なんだ?」
カガチの問いに答える事が出来る者は、この場にはいなかった。彼が口にした言葉は、反響する事も無く空に消えていった。




