◆第3話 「幻惑と月光」
◆第3話 「幻惑と月光」
森の奥から、冷たい風が吹き抜けた。
その風に混じって、低い鐘のような音が響く。
――ゴォォォォン。
アリアが顔を上げる。
「……来たわ。タロットの引力よ」
カイトは息を呑んだ。
神殿崩壊から逃げ延びたばかりだというのに、もう次の戦いが迫っている。
「まだ休む暇もないのかよ……」
「アルカナ戦争は、待ってくれないわ」
アリアの声は静かだが、緊張が滲んでいた。
森の奥から、二つの影が現れた。
一人は黒いローブをまとった細身の男。
もう一人は、無表情の少女。
男は薄く笑った。
「やあ、初めまして。転生者の神代カイト君」
アリアが小さく息を呑む。
「……タロット《月(The Moon)》の召喚者、ルナリア。
そして転生者……霧間ユウマ」
「へぇ、俺の名前を知ってるとは。
さすが《運命の輪》の継承者だね」
ユウマは軽い口調で言ったが、その瞳は冷たかった。
「レオンを倒したって聞いたからさ。
どんな手を使ったのか、試してみたくてね」
アリアがカイトの前に立つ。
「ユウマ……あなたのギフトは《幻惑領域》よね。
そしてルナリアの能力は……」
アリアの声が低くなる。
「《月光補正》……
あなたの幻惑を“底上げ”する能力」
ユウマが笑った。
「そういうこと。
俺の幻惑は、ただの“認識のズレ”だ。
でも――」
ルナリアが静かに手を掲げた。
「――《月光補正》」
淡い光がユウマの足元に広がる。
その瞬間、世界が歪んだ。
木々の位置がズレる。
影の方向が変わる。
地面の色が微妙に違う。
「これが……!」
「ユウマの《幻惑領域》が……“本物のように”見えるようになったのよ」
アリアが低く呟く。
「《月》の召喚者は、相方の能力を“現実に近づける”。
幻惑の精度が上がり、破れにくくなる。
あなたの因果逆転は……ほぼ使えないわ」
ユウマが刃を構える。
「さあ、どうする?
《因果逆転》を使えば、揺り戻しで死ぬかもしれない。
使わなければ、俺に殺されるだけ」
カイトの背筋に冷たいものが走った。
(……これじゃ、因果が見えない)
因果逆転は“すでに起きた因果の一点”をいじる能力。
だが、因果を見誤れば――
自分が死ぬ。
アリアが小声で言う。
「カイト……落ち着いて。
私が“認識のズレ”を少しだけ調整する。
あなたは、因果の一点だけを見極めて」
「……できるか?」
「できる。
あなたとなら、できる」
アリアが手をかざす。
「――《運命の輪:微調整》」
空気が震え、カイトの視界がわずかに澄んだ。
幻惑領域の“揺らぎ”が、ほんの少しだけ弱まる。
「……見える……!」
「長くは持たないわ。
ルナリアの《月光補正》が強すぎる。
あなたが因果を見極めるまでの“数秒”しか稼げない」
ユウマの攻撃は速かった。
「死ねよ」
ユウマの姿が突然、目の前に現れた。
カイトは反射的に身を引いたが、頬をかすめる刃の感触が走る。
「っ……!」
「カイト!」
アリアが手を伸ばすが、ルナリアが静かに指を鳴らす。
「――《月光補正:強化》」
ユウマの幻惑がさらに濃くなる。
アリアの視界が一瞬、白く霞む。
「くっ……!」
「アリア!」
「大丈夫……! でも、動きが……!」
ユウマが刃を構える。
「じゃ、終わりにしよっか」
その瞬間――
カイトの視界に、ひとつだけ“違和感”が走った。
(……影の角度が違う)
ユウマの影だけ、他の影と“わずかに”方向が違う。
アリアが囁く。
「カイト……そこよ。
“本物の影”は、揺らぎの中でも変わらない」
「……《因果逆転》!」
世界が反転した。
ユウマの足元にあった“影のズレ”が、
“足場の不安定さ”という原因に置き換わる。
ユウマの身体が、わずかに傾いた。
「……っ!?」
ルナリアが叫ぶ。
「――《月光補正:安定化》!」
ユウマの体勢を戻そうと、ルナリアが幻惑を強める。
だが――アリアがそれを上回る。
「運命の輪――調整!」
アリアの能力が、ユウマの“転倒確率”を押し上げる。
ユウマは自分の幻惑領域に足を取られ、
バランスを失って倒れ込んだ。
その先には――
鋭く尖った倒木の枝。
ユウマの目が見開かれる。
「……あ」
カイトは叫んだ。
「やめろ!!」
だが、因果はもう動き始めていた。
倒木の枝が、ユウマの喉元へ――
その瞬間。
ルナリアがユウマを抱き寄せ、身を投げ出した。
枝が彼女の肩を貫いた。
「ルナリア……!?」
ユウマの幻惑領域が消え、世界が元に戻る。
ルナリアは血を流しながら、ユウマを庇っていた。
「……あなたは……私の……転生者……」
ユウマは震える声で言った。
「なんで……なんで庇ったんだよ……!」
「召喚者は……転生者を……守るもの……だから……」
ルナリアの身体が崩れ落ちる。
ユウマが叫んだ。
「やめろ……死ぬな……!
俺を……置いていくな……!」
アリアが小さく呟く。
「……召喚者が死んだわ。
ユウマは……ギフトを失った」
ユウマは震えながら、ルナリアの身体を抱きしめた。
「なんで……なんでだよ……
俺は……お前を……!」
カイトは拳を握りしめた。
(俺は……人を殺しかけた)
アリアがそっとカイトの手を握る。
「カイト……あなたは悪くない。
でも、これがアルカナ戦争よ。
誰かが死ぬ。
誰かが泣く。
それでも、生き残らなきゃいけない」
カイトはゆっくりと頷いた。
「……わかってる。
でも……俺は、もう二度と……」
アリアが静かに言った。
「あなたは、私を守るために戦うの。
それでいいのよ」
風が吹き、ルナリアの血の匂いが森に広がった。
タロットの引力は、まだ消えていない。
アルカナ戦争は、まだ始まったばかりである。




