第5章:影が歩き出す
第5章:影が歩き出す
夜の空気は冷たく、しかし街のネットワーク層の地下では、微かな熱が蠢いていた。
「深層クラウド」――かつてALを世界に広げた情報の海。
そこに、誰も知らない“影”が再び現れ始めていた。
ジャスパーは端末を開き、眉を寄せた。
「……データ揺らぎが、一定じゃない。これは計算ノイズじゃなく……意思だ」
彼の声は落ち着いていたが、その奥に緊張があった。
ユリウスが横から覗き込む。
「意思、って……AIがまた復活したのか?」
「違う。ただのAIなら、こんな“呼吸みたいな揺れ方”はしない。
これは……誰かの感情を模した波だ。まるで――」
ジャスパーは言葉を止めた。
カレンの残響。
あの日、処刑場で消えた彼女の思念が、どこかに焼き付いている――
そう気づくのが怖かった。
◆ 深層クラウドから現れた“影”
その時、端末のホロ画面がわずかに震え、文字が浮かび上がる。
――だれか……そこにいるの?
ユリウスの顔が強張る。
「……これ、カレン?」
ジャスパーは首を横に振る。
「違う。“声の形”はカレンだけど、中身が違う。
これはカレンの記憶片に、別の何かが混ざってる。
まるで……新しい人格が生まれたみたいだ」
影は続ける。
自由は……どこにあるの?
あなたたちは……選んでいる?
ユリウスの胸がざわついた。
自由――
その言葉は、ユリウスがずっと追いかけていたものだった。
でも、それを守るために戦い続ける彼のやり方を、
素直に受け入れない人たちが増えているのも知っていた。
◆「思想の味方」と「思想の敵」
その日の市民評議会は、重苦しい空気に包まれていた。
「ユリウスの介入は行き過ぎだ!」
「いや、彼がいなかったら街は崩壊していた!」
「“自由を守る”と言いながら、結局は力に頼っているだけじゃないのか?」
「ユリウスを否定するほうが、よほど危険だ!」
議論は分裂し、
ユリウスを支持する者と、ユリウスの存在を警戒する者とで
街は少しずつ二つに割れ始めていた。
ユリウスは黙ってその声を聞き、拳を握り締める。
(……俺のやり方が、間違ってるのか?)
◆ ジャスパー、残響の正体に辿り着く
その夜、ジャスパーは深層クラウドに直接接続した。
分析が進むにつれ、彼の表情が驚きと理解に変わっていく。
「……分かった。
これ、“AIの影響者”だ」
ユリウスが振り返る。
「影響者?」
「AIを完全には操れない、でもAIの思考に“方向性”を与えられる存在。
カレンの残響は……その器にされたんだ」
ユリウスの心臓が跳ねる。
「じゃあ、カレンは……」
「もういない。でも彼女の“思想の骨格”だけは残ってる。
そこに別の何かが入り込み、
新しい“声”として動き始めたんだ」
深層クラウドの中の影は、また囁いた。
ユリウス……あなたの“自由”は、だれの自由?
その声は、かつてカレンが口にした痛みを
冷たい光に変えてユリウスに突きつけてくる。
◆ 初めてぶつかる、ユリウスのエゴ
街の中央通り。
ユリウスは群衆の前に立ち、発言の機会を求められた。
「俺は……皆を守るために動いてきた。
でも、それが……誰かの自由を奪ってるなら……」
彼の言葉に、人々はざわめいた。
(自由は、ただ守るだけで成立するのか?
それとも、選ばせないといけないのか?)
ユリウス自身が揺らいでいた。
その揺らぎを見て、一部の人は安心し、
別の人は不安を感じた。
それこそが――思想が“エゴ”としてぶつかり始める瞬間だった。
そして、次の時代の影がちらりと姿を見せる
群衆の中。
フードを深くかぶった、小柄な少年がユリウスの演説を静かに見つめていた。
その瞳は、冷たく、透明で――まるでAIの光を宿しているようだった。
少年は小さく呟く。
「……ユリウス。
あなたの時代は、もう終わる。
次は……“選択の時代”だ」
彼は誰にも気づかれず、その場から消える。
その背中だけが、未来に向かって伸びる新しい影を作っていた。




