9.旅行へ
そのまま奏斗のベットでぐっすり寝たおかげで、出発同日、いそいそと目が覚めたボンは、別に楽しみにしていたわけではないぞ、と誰に言うでもない言い訳をかましつつ、以前の人生を振り返ってみても、大人になってからは誰かと旅行に出かけるなど微塵も記憶にないことを思った。
かといって、今回が純粋な旅になるわけでもなく、奏斗が実家から隠れるための手段であることは間違いない。
父親はいわゆる金持ちの権力者で人の道理で動くタイプではないのだろう。
母親も子供より自分中心、少なくともこんなに他人への気配りができるタイプから避けられ続けているのだから、まともではないのだろう。執事経由でしか連絡をしてこないあたりも、その程度の関心と言っているようなものだ。
あと10分待っても起きてこなかったらまた起こしに戻ろう。
そう思って先に下のリビングへ降りると、ちょうど相川も到着したようだ。
玄関先で出くわし、朝の挨拶を済ませると(よしよしされた)、
「今日から私は恐れ多くも“休暇”をいただきますので、坊ちゃんのこと、よろしくお願い致しますね」と告げられた。
「おう」
オレの移動時のキャリーケースもあるため、奏斗の荷物は最小限だった。
相川に、奏斗を起こしてくるように頼まれ、2階に戻ったときにはちょうど奏斗が目を覚ましたところだった。
「ボン、おはよう。お迎え有難う。今日はいよいよ出発だね。軽く朝ごはんにして、道中なるべく休憩をとるけど、車での移動は初めてだし、気分悪くなったり、異変があったり、嫌なことがあればすぐに知らせてね」
「ああ、そうする」
体の変化はあったものの、こうして奏斗とは意思疎通も取れるし、今のところボンにとってはそれほど困ったことはない。むしろ、耳が良くなり、視界もコンタクト無しでここまで見えれば上出来だと思っている。
「そっちこそ、食いすぎで気持ち悪くなるなよな」
キャリーケースの入り心地も問題ないことを確認し、快晴の朝、相川に別れを告げてハイヤーに乗り込んだ。
「空港までお願いします、あと、予約時にお伝えしましたが…」
「よろしくお願いします!ええ、ええ、お伺いしていますよ。ワンちゃんですね、キャリーから出さなければ、顔出してもらって、途中もお水とかも言ってもらえれば止めることもできるし、大丈夫ですよ」
運転手のおじさんは動物好きなのか、めちゃくちゃ笑顔で俺の顔を覗き込んできた。
「お気遣いありがとうございます。実は、一緒に車で出かけるのが初めてで、少し緊張しています」
「そうなんですね、安全運転で行きますよ。お寛ぎになっていてください」
軽快に走り出した車の中は、おそらく人には分からないだろうが、色々な匂いが残っていた。
ペットも乗ったことがあるんだろう。なるほど、こういうことがあるのか。臭覚が強すぎるゆえの車酔いをしそうだ。
奏斗に、少し窓を開けるように訴えると、すぐに「窓を少し開けても?」と反応してくれた。
「暑すぎますか?どうぞどうぞ」そう言って少し肌寒い季節にはなっていたが、新鮮な空気を取り込んでもらい、幾分楽になった。
しばらく窓から外を眺めていると、家を出る際に、少し気になっていた黒のワゴンが一つとなりのレーンをまだ走行している。30分も偶然並走することがあるか。捜査をしていて、偶然というものはこの世に存在しないというのが俺の信念にあった。確信を得るべく、仕掛けることにした。
奏斗に車通りが少なくなったら、コンビニに寄るように指示した。
「運転手さん、申し訳ないのですが、少し買いたいものがあるので、次コンビニがあったら少しだけ止まってもらえますか?運転手さんも必要なものがあれば、僕が一緒に買ってきますので」
「分かりました、私は必要なものも特にありませんので、では、次の信号のところでよろしいですか?あ、ちょうどパーキングが1台空いていそうです」
駐車場に頭から突っ込み停車すると、駐車スペースはすべて埋まった。
オレに向かって、ちょっと待っててね。と言って、コンビニの中へ消えていくのを確認し、周囲に注意を集中すると、思った通り、コンビニを通り過ぎた少し先の路肩にでも止まったのだろう、一人の男が近づいてきて、車の後ろまで来たので思いっきり吠えてやった。
驚いた男は踵を返してバンの方へ戻っていったが、明らかに挙動不審だ。
運転手もオレが急に吠えたので後ろを振り返ると、ニット帽を深くかぶった男が去っていく姿を見たため、何か感じたのだろう。
奏斗も戻ったので、次の指示を伝える。周りにはク~ンという間抜けな音が聞こえているだけだが。
「運転手さん、お待たせして申し訳ありません、それでですね、料金を今前払いでお渡しさせてください」
そういって、奏斗は少し多めに入った封筒を渡した。
「今時珍しいですね、ええと?これは少々多すぎますよ、空港までですと、定期料金になりますので~、」
「いえ、ちょっとした口止め料です」
「はい?」
「実は、家を出る時から、一台の車につけられていて、さっき僕が戻る前に、この子が一度鳴いたでしょう?その時に近づいてきた男が、その車の人で。おそらく探偵か何かでしょう。」
「お客さん、何されたんですか?!いや、やっぱり聞いたら怖いからやめておきたい。けどちょっと聞きたいけど、聞いても死なない範囲ですか?!」
運転手が壊れた。
「ええ、関心があるのは僕なので、大丈夫でしょう。実はちょっと前に別れた恋人がいたのですが、破局の原因が、彼女の浮気で。鉢合わせでその現場を目撃しちゃったもので、相手が僕とは対照的なとても男らしい立派な体をされていたので、流石にあれは男として自信を無くしまして。その場で、彼女に別れようと言ったら、今度は逆に執着されていまして。こっちにも他に好きな人がいたとかなんとか、言いがかりをつけられ、痴情のもつれってやつですかね。別れの原因を僕の側に見つけて正当化したいのか、単に惜しくなったのか分かりませんが、あからさまに尾行されているってわけです」
「うっわ、こわー!ドラマかよ。イケメンも大変なことがあるんですね、それでこれから、どうすればよいですか?巻きます?」
「いえ、カーチェイスのような危険な真似は避けたいので、相手の視界から隠れる瞬間、止まってくれと言ったら私たちを下ろしてくれればいいです。そして、空車のまま目的の空港まで“送って“くれますか?」
「なるほど、乗っていると思わせればいいんですね、承知しました!では行きますよ」
「はい、よろしくお願いします」
しばらく尾行させ、大型トラックで視覚が出来た瞬間、ここで、と指示し、幸運をと送り出してくれたドライバーは、そのまま空港へと走り去っていった。
「いい方でしたね」
「よくもまあ、ソレっぽい話をシャーシャーとすんのな。悲しそうな顔しやがって」
「案外実話かもしれませんよ」
「同情するわ」
どこまでが冗談なのか、真相は不明だが、次の乗り換え地点までは歩いて移動する。
「ちょうどこのあたりのはず、ありました。」
ここからはレンタカーでの移動だ。もともと空港まで行くつもりもなく、空で走らせるところだったが、追手がいたので少し作戦を前倒ししたというわけだ。
チェーン店のガソリンスタンドで借りられる車で、返却も別の場所でよいプランがあったため、ネットで手続き済みだ。そのまま車に乗り込み、エンジンをかける。
「お前自分で運転しそうにないけど、するのな」
「そうですね、意外としますよ。ボンが最初にうちに来た時もホームセンターに行きましたし」
あの時か、ずいぶんと前に感じる。
「あの尾行は下手くそすぎだろ。素人か?」
「うーん、見たことない顔でしたが、おそらく普通に実家の回し者でしょう。僕が招待を断ったので、何をしているのか調べて来いと命令された下っ端が派遣されてきたのでしょうね」
「下っ端ねぇ。任務には失敗したわけだ。追い払った時ビビっていたし、ありゃもう来ねえだろう」
「だといいです。ここからは普通に楽しめそうですね」
レンタカーを反対方向へ走らせること数十キロ、そこから最寄りのガソリンスタンドへ車を返却し、さらに前日に外部の駐車場へ移動させておいたカーリースの車に乗り込んだ。
そしてようやく“しおり”のポイントの一つに到着し、休憩をすることにした。
平日だったこともあり、特に待つこともなく買い物も済ませることができたようで、ご満悦だ。
「宿の人たちへお世話になるからお土産を買っていきたいけど、何がいいかな?」
ずらっと並ぶ出店を確認していきながら、行先を思い浮かべる。
相川と奥さん、そのご両親、従業員の方、それと。
「温泉に行くのに、温泉饅頭持って行くわけにもいかねえしな」
「そうそう。食材の仕入れにもこだわりがありそうだし、難しいよね。あ、これなんかどうかな?」
指さして見せてきたのはご当地の装飾がされた宝飾品。
「豪華すぎんだろ」
こんなもんもらったら大抵の女は勘違いしそうだ。
「それもそうか、男女関係なく喜ばれたいしね」、と言いながら、ではこっちは?と持ち上げたのは謎のキーホルダーのようなアイテムだった。運勢が良くなる、とか別の物には、恋愛運アップと書いてある。
よくある土産の類だろうが、こいつには珍しいようだ。
「ほしいなら自分用に買っていけ」
「別に僕が欲しいとか…。あ、でもやっぱり、すみません。これとこれ、下さい。袋は大丈夫です。」
買っている。はあ、とため息をついて、会計を待つ間、他を見回していると、雰囲気のある地酒の店を見つけた。
「渡す相手は酒飲めるのか?」
「そうだね、飲めると思うよ。あぁ。なるほど、良さそうだね。あれ、買ってくるね」
その後もやっぱり定番のお菓子も欲しいとか、変な風呂敷があるとか寄り道をしすぎて、目的地に到着したのは案の定、夜になった。




