5.元の記憶
元の名は大地 壮哉。元潜入捜査官。
少し長めの黒髪をゴムで一括りに結わいて、朝のランニングから一日を始める。
町の様子を見て回れるし、トレーニングにもなり一石二鳥だ。小一時間走って家に戻り、シャワーを浴びたら簡単に朝食をとり、出勤という日々を数年繰り返していた。
型破りな捜査と人相の悪さで警官の中でも浮いていたと思うが、たとえ独りで行動しても、腕っぷしには自信があったし、検挙率も良いため問題になることもなく、順調に仕事をこなしていた。警官から特別捜査官への志願をしたのも自然な流れで、口数が多い方ではなかったことや、上層部も、同僚たちとも、それほどに親しい人間はいなかったことから、極秘任務に抜擢されることとなった。
色々なことがスムーズに進んでいた為、今思えば何か見落としていたことがあるのだろう。
上官に呼び出され、告げられたのは3つ。
・潜入してもらうために、君を解雇する。ただし、表面上だけで、実際は君の記録へのアクセス制限を敷いて対処すること
・潜入中は誰の助けも応援もなく、ターゲットに疑われない為、我々への接触も禁止になる
・確実な証拠を以て検挙、復職を公表すること
役柄は本人のまま、元警官で、私欲による金のため汚職に関わったことが発覚し逮捕、解雇、服役後という肩書をつけられ、放り出された。犯罪歴というステータスを得たため、情報収集に黒い噂で持ちきりのバーに潜入するのは容易かった。そこで約1年、とある人物への接触のため働いた。
店名も出ていないような隠れ家。入るには専用のカード認証が必要で、そのパス入手はオーナーからの“絶対の信頼”が暗黙の了解となっていた。潜入までは、まずバーに出入りしている客に接触し、お仲間だと思わせ、今度こそ警察の裏をかいてでかい仕事をしてやると、案件を探していることを刷り込み、オーナーまで話を持って行っていかせた。
でっち上げとはいえ、マネーロンダリングや証拠品の改ざん、捏造、賄賂等罪を重ねた元警官は、情報源として食いつきが良かった。元々正攻法の捜査官とは言い難いタイプであった為、ためらいもなく捨てネタとして仕込んでおいた情報を撒いてやれば、中に潜り込む程度には利用できると判断されたのだろう。
ホシが急に現れたやつを怪しまないわけはないので、警戒は怠らないが、それでも1年近く演じていれば、自分ですらどちらの人間なのか、疑わしい気分にもなるが、頭のネジの外れた脳筋でいれば、相手も隙を見せるはずだった。
潜入してしばらくは、普通にマスターと呼ばれているバーテンの無口な男の下で店員をした。本名も素性もほとんど何も出てこないが金で雇われていることを思えば、金で動く男ともいえるが、大金を積んでこちら側についてくれる保証もなくリスクが大きいため、下手に探りを入れることはしないでおいた。
目当ての黒幕の男、バーのオーナーでもある残間は手広く事業を展開していた。
とりわけ、10代に流行りの飲食店を手掛け、旬が去ったらすぐに潰して別の流行の店に入れ替えていた。そうすることで、閉店と同時期に消えたものを気にするものはいない。
夜間シフトに入っている学生に目を付けては、引き抜きと称し、倍の自給をチラつかせて夜の商売へ移す。
独り暮らしだと分かれば、寮に入れると付け加えてターゲットにする手口だ。
---周りの環境を変えさせて、居なくなったことにすぐには気が付かれない状況に追い込み、捕獲する。
一体今までどれほどの子供たちが犠牲になっているのだろうか。顔見知りで自ら火種に飛び込んでしまうから異変に気付いた時にはすでに自力では引き返せないのだ。
そういった黒い噂の出所を地道に探り、たどり着いたのがこのバーだった。
上からの指令を達成するには、金の流れであるテナントの収益と納めている税額の不一致を示すデータや労務費、雇用の実態、取引している顧客のデータ等を入手する必要があった。
当然、店先にそのような資料が置いてあるわけもなく、金庫はダミーだったし、PCもいたって”クリーン”な状態となっていた。実は残間はすでに探りを分かったうえで、オレのことを泳がせ、こちらの狙いや情報を持っていかれるという罠にかかる可能性も、誰が裏切るか分からない世界ではゼロと言い切れず、常に神経を張り巡らせていた。
ある夜、馴染の客がカウンターに数名、テーブル席にも何組かと珍しく賑わっていた。
カウンターの中央にいる客はネットで女を食い物にして稼いでいるチンピラだ。
壁側に座る別のもう一人の客は、いつもタバコをふかしながら薬を違法で取引する相手との待ち合わせ中。
後ろのテーブルの3人組は詐欺集団のようでスマホを何台も並べてかかってくる電話を取ってはお互いに回して喜々している。
オレのここでの役割はこいつら小物からの相談を受け、その情報提供料を頂くという体だ。
完全に歩合。潜入とはいえ、悪事に加担するような真似を抵抗なくやっているわけではなく、その報酬は当然証拠品として保管、やり取りも全て録音、後日記録しているが、潜入が伸びるにつれ、被害を助長拡大させてしまう。
長期戦の覚悟はあったが、焦りも出てきた時期だった。
客足が引き、ようやく静かになった店内に、どこからともなく音もなく現れた残間が立っていた。ゴーストとも呼ばれる所以だろうが、足音ひとつなかったため、青白い顔にぞっとする不気味さがあった。
「一杯頂こう」こいつが海外と人身売買や臓器売買をやっているのだが、知らなければただの骸骨のような老人にしか見えない。店で一番いいと言われるバーボンをダブルで出す。
「それで、今日はどうだったかね?」
「客入りはそこそこです」
「気になるのは居たか?」
「いつもの常連でしたので、特にはおりません」
「そうか、では、一人借りても構わないね?」
残間はマスターにそう言い残し、オレの方を向いて付いてこいとだけ指示した。
夜の街の中心街、連れていかれたのは裏路地にあるバーとは打って変わって華やかな店だった。
よくあるキャバクラだろうが、こちらも会員制であることは違いなく、歪んだ金持ちしか来ないのだろう。
「ちょっとしたトラブルでね、君にそれを収めてほしい」
「トラブルとは?」歩きながら従業員通路を通り案内されたのはスタッフルームだろうか。
「見ての通り。人手不足でね」
…。
一人の派手なドレス姿の女性が椅子に繋がれていた。
「これをどうしろと?」
「どうするのも君に任せるさ。商品ではあるが、もう役に立たないのなら処分するしか仕方ないから、ここで働くかその先に行くかを判断して。また明日様子を見に来るからそれまでに決めておけ、いいな」
そう言い残し、後ろ手を振って出て行った。
つまり、オレがこの女を説得して今まで通り店で働かせるのが人の形を保ちたければ最善、それ以外の選択肢なら切り刻まれ、他の人形の調達資金に回るというわけだ。
もしくは、この女を使って、オレがどこまでやれるのか立ち回りを調べたいのもあるのだろう。胸糞悪い爺だ。
チッと舌打ちし、女をにらみつけると、ねえ、お願い助けてよ、と騒ぎ始めた。
うるせえ黙れ、とあえて廊下まで聞こえる音量で怒鳴り上げ、適当に置いてあったテーブルを蹴り飛ばしてさらに音を立てる。ただ本当にこの女が被害者なら逃がす方法を考えなければ。
「おい。なんで繋がれてる?」
「店に来たオヤジがキモイからだよ。触るのいい加減にしろって突飛ばしたら騒がれて警備が来たから、逃げようと思ったのに捕まった」
「辞めてえのか?」
「当たり前だろ。金のために始めたけど、こんな変態ばっかりのところ、やってられるか!」
「自分でここに働きに来たのか」
「悪いかよ。借金帳消しにしてやるって言われたんだから仕方ねえだろ」
やっぱり訳ありではあるようだ。
「君に辞められると人手が足りなくなると言っていたのは聞こえたよな?その後、どうなるのかも」
「あ?どうなるんだよ、今最悪なのにそれ以上あるわけねえだろ」
「ある」
「んだよそれ」
「いま、お前にはここで大人しく働いてもらうのが一番安全で唯一の生きる方法だ」
…残間にターゲットにされる前なら、もっといかようにも選択肢があっただろうが。今大っぴらに自分が動けない以上、これしかないのだ。
「いつまで」
「とりあえず、借金はどのくらいあったんだ」
「たぶん1千万くらい」
「親か?」
「いや、親はいない。推しのホストに通い詰めたら3か月くらいでそのくらいになっちゃった」
「馬鹿か」
「うるせえな、いいから早くほどけよ」
口の悪い女だ。
「ほどいたらまた逃げるだろ」
「わかんねーけど痛いから早くはずせよこの野郎」
「(痛いのは)暴れるからだろう。働くと言わないのなら一生そのままでもいいんだぞ」
「この次だと、どこに行くんだ?さっき言ってただろ?」
「地獄だ」
「あーもう。地獄でもなんでもいいよ。かかってきやがれ」
「大人しくしろよ。助けようとしてるのが分かんねえの?」
「鬼い《おにぃ》さんもどうせ手下なんだろ、助けるわけないじゃん。」
「ひでえな。地獄に行ったら、それこそ君の大事なホスト君にはもう会えないと思うけど」
「…。マジ最悪じゃん」
「ちゃんと店の人と客に謝るんだぞ」
「分かったよ。はい、とって」
はあ。何やっているんだ、と思いながら、手錠を外してやった。
「カチャン」
流れるように、彼女の手首にあったはずの手錠が、次の瞬間おれの手首と椅子を繋いでいた。
は?と思った瞬間。
彼女がアッカンベーと舌を出して窓に足をかけた。「第三の道にする!身代わりよろしく」と言って飛び降りた。
「待て」と叫んで止まるわけでもなく、クソっと吐き捨て、冷静になればすぐに外せるおもちゃのような手錠に手間取り、遅れる事30秒ほど、同じく窓から飛び降りて追いかける。
2階だったが、大した距離はなく、そのまま店の後方に向かったか。あたりだ。
脱走もまた、想定内だったのだろう。
数十メートル先追いかけた先には、グラスを傾けた残間と、店の守衛に取り押さえられている女の姿が見えた。
「また明日、といったのに、ずいぶん早い再開だ」
「取り逃がしてすみません。でも、こいつは心を入れ替えてここで働きたいそうです。客にも謝るんだよな?」
「…。」
「おい。さっき俺に言ったことを言え」
「…すみませんでした。」
「そうかい。君はこの店(私)の大事な客(金ずる)にそういうプレイでもないのに罵声を浴びせて暴力をふるった。つまり、私が君に同様のことをしても文句は言えないね。まあやるのはワシではないが」
残間がオレにこの女を殴れということだ。
今までバーで悪行に手を染めたのはあくまでアドバイスのみで実際に手を下したことはない。まして事件の犯人相手なら性別も問わないが、一般の女・子供を殴るシュミなど毛頭ない。
「俺は能力を買われてあんたの元に来た。こういう使い方なら雑魚にやらせろ」
「君に拒否権はないんだよ。従わせられなかったのだから、君の役目も終わりだ。両方連れていけ」持っていたバーボンを盛大にかけられ、口を覆われた。意識を失いかけてはいたが、袋で覆われる直前に見た、彼女はなぜか笑っていた。やはり最初からグルだったのか。
潜入もここまでか。だが確信もなく女性に暴力を振るわけにはいかないし、また同じ状況になっても打てる手は少ない。遠退く意識を保つのも限界だった。
次に目が覚めた時は、後ろ手に手錠をされ。簡素なビルの地下の部屋に入れられていた。
その隣にはまさかの、あの女もいた。
「おい。起きろ」小声で少し離れたところに転がっている女に声をかけた。
「ん~なんだよ」
「お前が逃げたせいでこうなった。なのになんでまだ一緒にいるんだ?お前は残間とグルなんじゃないのか?」
「は?鬼いさん頭いかれた?」
「あの時俺を見て笑っていただろう」
「えー?ああ、そうだね。でも、グルってわけではないよ。ただ、やっと次の段階に行けるなって思っただけで」
「どういうことか説明しろ」
「私はちまちました金を稼ぐのはうんざりなんだよ。どうせヤバい世界なんだし?だからあんたを利用させてもらいました」
「わざわざ地獄に行きたかったと?」
「正解。うわさでは聞いていたんだけど。“商売向き”ではない子たちの行く先にね」
「正気じゃないな。死にてえの?」
「いや。まあ、私は強いから心配すんな。鬼いさんこそ、自分の心配でもしたら?」変わったやつだ。
ただ俺たちは理由こそ違うが、目指す先は同じようだ。
そして、ここが売られていく人間の墓場の一つかもしれない。なんとか場所を把握して、移送先を突き止めなければ。
「おまえ名前は?」
「姫浦 実子。ヒメでいいよ。昔の友達がそう呼んでくれていたから」
「名前と行動が一致しねえな」
「鬼いさんは?」
「ずっとそのルビかと思ってた。大地 壮哉。好きに呼べ」
「じゃあソーヤ。とりあえず手錠外して」
「デジャヴだな」
元警官に手錠なんてかけやがって。無駄なことをと思いつつ、自分の分とヒメの手錠を器用に外していく。




