3.散策
まだ午前中にもかかわらず、9月の日差しはまだ暑く、アスファルトの上を“裸足”で歩くのは慣れるまで奇妙な感じだった。人間なら靴を履かないでは歩けないくらいの温度だが、“今の状態”なら無理ではなさそうだ。というのも、あちらの通りでもこちらの通りでも、大小様々な犬がご主人様と颯爽と歩いているのを見かけた。
これまで自分で動物を飼ったことはなく、あまり気にしたことがなかったからかもしれないが、犬になってみると同族が凄く気になる。向かいから歩いてきたのはポメラニアンといったか、とすれ違いざまに目線で追いかけていると、突如、「オマエ、見かけないやつだな、じろじろ見てくんなよ」とキャンキャン吠えられた。
(え?なに?俺って今人間の言葉以外も聞こえるのか??) 動揺しているとさらに唸られた。
「ほら、行くよ。どうもすみません」と買主同士がひもを引っ張り、両犬を引き離していく。
(ええ、、まじかぁ…。俺も普通に喋れば犬同士会話が成立すんのか?)
ちょっとすぐに試す勇気はなくその場を後にした。
ボンが道端の草花に気を取られたり、途中のキッチンカーで奏斗が食料の調達をしたりしながら、のんびり歩くこと20分程で、仕事場らしいアトリエという場所に着いた。なんとなく画家、と聞いて山小屋のようなログハウスが浮かんだが、ヨーロッパの中にあっても違和感のないような、淡い色だがカラフルなレンガが壁一面に敷き詰められた家が目の前に現れた。
職場というからには他の芸術家や、相川のような管理人もいるのかと思いきや、自分で鍵を開けて入ってからは、窓を開けたり、お湯を沸かし始めたり、奏斗自ら始めだした。こいつ専用なのか、小綺麗で物がほとんどない住居とは違い、所狭しに奇妙なものが散らばっている。
壁一面には住居の寝室にかけられているものと同じような大きな絵が飾られ、床にもいくつもの画材と、書き上げられたキャンバスも立てかけられていたし、よく分からない塊のようなオブジェや、丸まった新聞や、色で染まりすぎて何色か分からない雑巾のような布も転がっていた。
「家でもたまに描くけど、あっちは汚すと相川の仕事も増やしちゃうし、このアトリエの方が誰も来ない分、絵具まみれになっても、気にしなくていいから自由にやれるんだ。たまにここに数日、いや数週間籠ったときは、さすがに相川が心配して食事は届けてくれたけど、こっちは僕の職場っていう感覚でいてくれるのか、片付けようとかは言ってこないで、見守ってくれているから、いい距離感だよね」
そういって、適当に腰かけながら筆やらパレットやら画材を次々取り出し、絵具を豪快に混ぜ始めたので、近くに伏せて眺めることにした。一見繊細そうな風貌や甘ったるい口調とは反して、迷いなく筆を進める姿は、こいつの見えている景色が凡人とは逸していることを物語っていた。
気になった変な形の銅像の匂いを嗅いでいると、「鼻ツンツンしてかわいいね」これが気になるの?
ぬいぐるみみたいなおもちゃにできそうなものはないけど、ボールならあるよ、」とこれも手作りのようなパッチワークがされた毬のようなものを転がしてきた。それよりもやっぱりこの変な形が気になると、再度銅像を眺めていると、
「それは僕が子供のころに、一人で過ごすことが多かったから寂しいなって思っていたら、ある日突然現れた猫でね、僕の話し相手になってくれていたんだけど、部屋に急に現れたり消えたりしちゃうから、猫って気まぐれだよね。僕のために相川が連れてきてくれたのだったと思うけど、相川ったら、何回聞いても猫ですか、と知らないフリをしてきていたな…その猫の姿を見なくなってしまって、もう会いに来てくれないと思ったら悲しくて、これを造ったんだ」
どう見てもオレの知っている猫には見えない、ダルマに耳を生やしたような像で、こいつの言う“ネコ”と一致しているのかは知りようがないが、造形より絵の方がこいつは向いていそうだということは確信した。
「急に現れたっていう点では、ニャーコとボンは同じだけど、あ、ニャーコは猫の名前ね、ボンのことは相川も最初から無視しなかったし、ご飯も用意してくれるのは、どういった風の吹き回しだろうね。僕が大人になったからかな。今度聞いてみようっと。」忘れないようにしなきゃ、とつぶやくのを聞き流しつつ、自分も突然現れた分際なので、ニャーコの話しも奏斗の作り話ではないにしろ、昔から何か引き寄せては受け入れていたのか、と警戒心のなさにため息をついた。
平面であるはずのキャンバスに、幻想を見ているかのような錯覚を与える、淡く美しい光のオーロラが差し込む中、眠っている天使とその周りを駆け回る12種類の動物たちが、あっという間に描き上げられていった。
12種類は干支の動物で、犬は黒で描かれており、自惚れでなければ、オレがモチーフにされているようだ。
「お待たせ。どうかな、ボンをメインにしたものも今度書こうと思うけど、今日はちょうど年末に向けて正月らしいものを用意する必要があったから、こんな感じにしてみたよ。」「‥‥。」
「後は僕のサインを入れれば完成だけど、君にも一役買ってもらっていいかな?」「‥‥。」
嫌な予感がしていたが、案の定、腕をつかまれ、絵具に片前足を突っ込まれ、用紙の下にグニュッとされた。
「お~すごい、いい感じ。戌年ではないけど、まあいいよね!可愛く仕上がったね」ニコニコとご満悦な表情を浮かべ、お湯で柔らかくしたタオルで足を拭いてくれた。
昼を食べてから、奏斗は次の作品に取り掛かり、ずいぶんと集中しているようなので、部屋の中を一回りみてから昼寝でもするか、と立ち上がった。だだっ広い作業空間の他は、簡単なキッチンと、お風呂場しかなく、1階建ての建物だった。テレビやPCのような電子機器もなく、違う時代の異世界に来てしまったような感覚になる。
周りに他の家の存在が見えないのは、アトリエの周りの敷地も丸ごと所有しているからなのだろう。
少し大通りから入っただけなのに、この周りの空間だけ、妙に静かで空気が澄んでいる気がした。
ぐるっと見渡しても、他にすることもないし、奏斗の方に戻ろうとした時、ふと視線を感じ振り返ると一人の少女と目が合った。重厚な額縁に入れられた少女はこちらをにっこりとみているが、どこか笑っていないようアンニュイな表情が幼さとの不調和を際立たせ描かれており、腹をえぐられる様な気分になった。
この胸騒ぎはなんなのか、1歩近づいて目を凝らすと、昨日奏斗の部屋に潜りこんだ際、ベットサイドに飾られた古びた写真の2人の子供の姿を思い出した。
写真で見た容姿と確かに特徴は一致しているが、写真の人物は年相応に可愛らしく仲良く映っており、古くなってもなお大事にしている思い出を、成長した姿ならまだしも、当時の姿で大人びた表情で描いていることへの違和感が半端なかったのかもしれない。
これが芸術、と言われればそうなのかもしれないが、やはり俺には少々難しい世界に見えた。
2枚目の作品も書き上げたのか、ふーーと長くため息をついて、こっちへおいでと手招きしてきた。
また肉球を要求されるのかと渋々近寄ってみると、そういうわけでもなく、ただ顔をうずめてゴリゴリされただけだった。「ここならもっと暴れまわっても良かったんだよ?」などと言われたが、こちとらせっかくの作品をぶち壊す怪獣だと思われるのはどうなのか、とツーンとそっぽを向くと「ふふ、何を壊しても怒ったりしないよ。たとえ破けても汚れても、それがいい味出すかもしれないし、永遠に状態が変わらないものなんてないからね、それが今ってだけだと思えば、惜しくもないでしょう?きれいなものが良ければ、作品なんてのはまた新しくいくらでも作れるからね。」そう話す奏斗は少し絵画の中の少女のような目をしていた。




