17.少し前のこと --- 閑話---
ボンの目覚めは早かった。
元々体力には自信があったし、出勤前に近所を一走りしていたころの習慣もあり、この状態での生活に慣れてきてからは、毎朝家主よりも早く起きては広大な敷地の見回りが日課になっていた。
流石に雨の日や敷地の外にまで一人では出て行かないが、天気の良いときは運動がてら歩くようにしている。
家にはしっかりとしたセキュリティが組んであるとはいえ、設定を把握すれば大地にとってはアラームの回避は朝飯前。最近は裏庭で他の動物との交信にも挑戦中だ。
個人的には、カラスなど広範囲の移動も可能でどこにいても不自然ではない動物なら、もし伝手が出来たら情報収集に役に立ちそうだと思っている。アリなど小さい者たちの協力も得られるものなら、とも一瞬考えたが、潰されて最後を迎えやすく、同じ個体と常に会話するには不向きだと、数日試して気が付いたところだ。
今後、集団との意思疎通などができれば話も変わってくるのかもしれないが、まだ現段階では小鳥とも会話らしき会話は成立していない為、優先度もダダ下がりだ。
…あながち奏斗の言っていた親密度、というのが間違いではないとしたら?
野生のものと仲良くなるにはエサで釣るのが一番だろう。
ただ、むやみに餌付けしても周辺を荒らされるだけで終わる可能性もあるため、食べ物はできれば最終手段としたい。そこで、なるべく自分が君たちの脅威にはならず、興味を引く存在であることを示す必要がでてきた。
カラスの興味なんて知らないが、とりあえず光るものや巣をつくる道具になりそうなものからチラつかせる作戦だ。
「あー暇だな。せっかくのいい天気なのに、誰も遊んでくれるものはいないかー」
あくる日
「今日も風が気持ちいいな。木登りか、穴を掘って過ごすかな」
また次の日
「朝だな。昨日庭の一角を掘ったら、シーグラスのようなものが出てきたから、眺めていよう。きれいだから宝物だな」
また翌日
「きれいな落ち葉や木の枝だな。順調にコレクションが増えたな」
…棒読みで何やってんだと自分で突っ込みそうになるが、これも実験と根気よく続けてみると、何匹か思惑通り、高いところからこちらに目線を感じることが出てきた。
ここで警戒されないように、鈍感の極みの体で一切カラスだろう視線の先に目を合わせることが無いように徹底して、徐々に距離を詰めてもらえるのを静かに待った。
するとバサバサっという音とともに1匹体格の大きめのカラスが2mほどの距離にまで接近してきた。
「ア゛ーア゛ー」
「…」
「おい、そこの黒いの」
「?!」聞き違いではないか、声のする方へ振り替える。
「誰だ?」
姿を探すも、それらしき声の主は見当たらない。
「どこにいる?」
「こっちだよ」
カラスの止まっている木の向かい側の木の節のところに、手のひらサイズほどのリスがいた。
「あんたか?」
「そうそう。そこで何やってるの?もしできたらさ、この怖い鳥を追い払ってくれない?」
「…日向ぼっこ中だ」
「そっか、じゃなくてさ、黒い君なら立ち上がってちょっと近くに行けば追い払えると思うんだよね。おいら早く帰りたいのに、あいつらがいると捕まっちゃいそうで動けないんだ。助けてよ」
…。期待していたのと違う展開だが、ひとまず小動物のリスと初交信ができたことは収穫かもしれない。
「家は近いのか?」
「おう!森の中に少し行ったところ」
「助けたらたまにここに遊びに来るか?」
「いーぜ。飯の調達の通り道だからな」
裏にブナの木があり、そういえばどんぐりもたくさん落ちていたから、こいつらのえさ場になっているのかもしれない。
「ちょっと待ってろ」
カラスとの交信も利便性を考えると諦められたわけではなく、また別の機会に試す際、一度でも敵対したら失敗する可能性が高くなりそうなので、何の気なしに立ち上がり、用を足すふりをしてカラスの止まり木に近づいていった。
こちらの一挙手一投足を見逃すかと鋭い目線を感じながらも、微動だにする気配がない。
もうひとアクション必要か、と雑草の一本で鼻をくすぐる。
「はっきゅしょーん」変な声が出た。
自分が一番驚いた気もしたが、思惑通り?カラスが飛び去っていった。
「おお、ありがとう!お前の迫力すっげえな!オイラ、くるみ」
「ボン」
「ここの人間、いいやつだよな。じゃあまた!」
くるみと名乗ったリスは一方的に話を切り上げて、ちょろちょろと走り去っていった。
朝から妙に疲れたが、小さいものと会話できたのは収穫だ。
一体どういった仕組みでなぜ異種間で普通に会話が出来たのか、ここの人間とは、奏斗と面識でもあるのか?はたまた執事の方か。どちらも動物にも優しいことは間違いないが。
部屋に入り、タオルで体と手足の汚れをこすって落とし、(使ったタオルは咥えて洗濯籠へ入れ)水を飲んで一息ついていると、家主も起きてきた。
「おはよう、ボン。今日ももう朝の散歩は終わったのかな?」
「ああ。さっき戻った」
「そう、朝食にする?調子はどう?」 コーヒーを入れながら、いつもの会話だ。
「お前、くるみってやつ知ってるか?」
「え?もちろん知ってるけど。急にどうしたの?」
「さっき会った」
「え?どこで?」
「そこの庭先」
「うーん、おかしいな。相川に後で聞いてみるよ。また新しい木を植えたのかな」
…。紛らわしい名前だった。
「リスの名前」
「うん?りす?」
「そう。そいつが自分のことをくるみと名乗って、ここの人間のことを知っているようだったぞ。短い会話しかしていないが。また来ると言っていた」
「へえ、ボン、僕以外の者と話せたの?確かに昔、ベランダに来ていたリスに確か色が似ていたし、くるみちゃんって呼びかけていた時期があったような」
「あいまいだな。しかもオスだったぞ」
「さすがに性別までは分からなかったけど、モフモフはみんなかわいいからいいの。あー僕もおしゃべり出来たら混ざりたいのに。また来たら通訳してくれる?」
「次も会話出来たらな」
人 ― 犬 ― リス で頭の中の”言葉”がクリアに聞こえてくれるのか疑問はあるが、自分の経験上、奏斗以外の人間と自分(動物)との間は話せなかったのに、現状犬のオレと他の動物は会話が自動変換されるなら翻訳機として約一名からの需要は高そうだ。
…そのうち、はすぐにやって来た。
翌朝もルーティーンの見回りで屋敷の周辺を見て回り、不審者や不法投棄の類がないことを確認し、適当な小枝を加えてお気に入りのコーナーへ向かう。前足を伸ばしお尻を上げて伸びをすると気持ちよく、フーと一息ついていると、くるみがどこからともなく現れた。
「オッス!また来てやったぞ」
「…早えな」
「当然だろ。朝飯取りに来たんだから」
「…聞きたいことがあるんだが、この家の男以外の人間にもあったことあるのか?」
「まあな」
「他はどんな感じだ?ここの住人のことは良いやつだと言っていた」
「ほかの人間?どんなって言われても。そんなに近づかないから分かんないよ」
「ここの人間には近づいたのに?」
「うーん、そういえばそうだけど。でも、ほんわかしたことしか喋っていないし、危ないとは思わなかったから傍まで見に行ってみただけだよ」
「あいつの言葉が分かっただと?」
「そういえばそうだね。あれ?なんか変なのかな?」
「…。少なくてもあいつはお前の言っている言葉は分かっていなかったけどな。でも名前も付けてもらっているなら聞き取れはしているってことだろ」
「名前って?」
「くるみっていうんだろ?お前の名前」
「そうだけど、それは俺の母ちゃんが付けてくれたんだぞ」
「は…?」
「なんだよ、悪いか?」
どういうわけか、リスの母親の名づけセンスと奏斗のニックネーム力が同じだったみたいだ。
「いや。いい名前だよな。今度は親も連れて来いよ。ここの人間と会わせてやる」
「ありがとう。でもどうかな。うちのオヤジはおっかないから一緒には来ないと思うし、母ちゃんもすげーよく喋るから、歩くの遅いんだよな…この時間にはぜってい着かないよ」
「まあ、あいつも起きるの遅いから昼過ぎで構わない。来たら窓から中覗いてくれ。土産話もできると思うぞ」
「へー。まあいいよ。じゃあそろそろ行くね。あーお腹すいた!」
駆け足でぴょんぴょんと森の中に戻っていった。
それから数日後の昼過ぎ
コンコンコンと人間なら聞き逃しそうなか弱い音を拾い、ドングリで窓を打ち付けるくるみの姿を見つけた。
近くによりクイッと器用に窓を開いて招き入れる。
「よっと。お邪魔するぜ。今大丈夫だったか?」
「ああ、よく来たな。そちらは初めましてだな」
「紹介するよ、うちの母ちゃん。」
「あなたね、近所の人間のお宅にお世話になった黒いのがいるって聞いていたのよ。その節は息子が世話になったわね、ありがとう。今日はお会いできてよかったわ。とても立派なコリーさんなのね。全くうちの子は黒いの、しか言わないから一体どこで何やっているんだか、心配していたのよ」
「‥‥すまない、オレはコリーさんではなく、ボンと呼ばれている」
「ええ、ええ、そうよね、ボンさんよね。私ったらお名前も聞いていたのに、失礼しちゃうわね」
口を開きかけたが、間髪入れず“母ちゃん”の方から話し続けてくれた。
「それで、ここへ呼んだのは何か用事でもあるのかい?私としては特に用なくても良かったんだけどね。息子が珍しく外に出かけようと誘ってくれたのが嬉しくてね、ついつい身支度にも時間がかかってしまったわよ。毛並みを整えるのに昨日は念入りにブラッシングもしたのよね。このしっぽ、ふさふさでしょう?ここまでふっくらさせるのは…」
「ねえ、母ちゃん、もうその話は良いから!ここに来るまでにもずっと話していたでしょ?ボンと話したいんだけどおー」
「あら、そうよね、私もボンさんとお話ししてみたいわ。この子を救ってくれた時のことを話してくれる?それとも、いつからここに住んでいるのか聞くのが先かしらね?」
…おしゃべりと聞いていたが、止まらなすぎて奏斗を呼びに行けない。くるみの方に目配せをすると、頷いて分かったわかった!一個ずつね、と落ち着かせていた。
そのままソファーまで2匹を案内した足で、急いで二階に向かった(逃げた)。
「おい、起きてるんだろ?客が来たぞ」
奏斗に声をかけながら部屋に入ると、ちょうど着替えも終えて出てくるところだったようだ。
「この前のリスくんかな?ふふ。会うのは久しぶりだな」
「ああ、助かった。あいつの母ちゃんのしゃべりが止まらなくて疲れた」
「へえ、でも僕が言ったら余計通訳で忙しくなりそうだけど」
…まあそうだが、ここまで来たら仕方ない。実験の目的を思い出せ、とばかり一息ついて気合を入れた。
「いくぞ」
「はあい」
「やあ、久しぶり、お母様ははじめましてですね、僕は奏斗、この家の主です。今日はお越しいただきありがとうございます。すぐ飲み物をお出ししますね」微笑んで2匹を見つめる。
「やったぜー!ありがとう、この兄ちゃんの出してくれるお水は冷たくて美味しいんだぜ、特に夏は最高!」
くるみは小刻みにぴょんとはねて見せた。
奏斗にはくるみの言っていることは分かっていないが、なぜかくるみには理解できているようだ。
「さあどうぞ」来客用の小さいソーサーに浄水器のお水をひとさじ。
ボン用にはたっぷりのお水の器、奏斗は自分のコップを片手にローテーブルについた。
「いただくわ、ちょうどのどか乾いていたのよ、助かるわ、あらあ、本当においしいお水ね。明方の小川とどちらが冷たいかしらね、比べてみたいわ」
「聞きたかったんだが、お前ら2人もこいつの言っている言葉が理解できているのか?」
「そうね、ちゃんと分かるわよ。私たちと同じ言葉をしゃべっているわけではないの?」
「ああ。こいつはお前たちの言葉は鳴き声にしか聞こえていないぞ」
「そんな!せっかくの感謝も伝えられていないのかしら、何とかならないかしらねえ」
「それは、大丈夫だ。十分雰囲気から伝わるし、細かいことはオレが通訳できるからな」
「ボンさんは直接会話ができるのね?うらやましいわ。言葉を練習されたの?」
「いや、気が付いたら話せていた。だから色々仕組みを知りたいと思っていたんだ」
「そうなのねえ。でも私たちにはさっぱりだわ」
おおよそ、そんなところだろうとは思っていたが。
「ほかの人間の言葉も分かるのか?」
「う~ん、言葉が分かっていたからなんだね。」
なにが_と言いかけて、いや。そうか。こいつは、無自覚に奏斗の気持ちが分かったから自分に明らかに害がないと判断できたのか。だからこそ近くに行くという行動をとれた。
何を考えているのか分からない相手に無防備に近寄る必要などないのだから。
「だから、他の人間には近くによっても大丈夫かワカラナイから聞こえないんだと思うぞ」
中々賢い子リスだ。たくましい。
「そうか。わかった。」
「そういえば、いつ来るか分からなかったけど、一応昨日相川にペットでも食べられるお菓子を用意してもらったんだけど、こういうクッキーって上げても大丈夫か聞いてもらえる?」
奏斗がボンへ差し出すとすぐさまなになに~いいにおいがするぞとはしゃぐチビを押さえつつ、母親の方を伺う。
「あらまあ素敵ね。何で出来ているのかしら?私も時々クッキーは作るのよ。ナッツやクルミが手に入ったときには粉にしてね」
「何で作った?」
「木の実や穀物で作られていて、砂糖などは使っていない手作りですよ」
「同じような材料だ」
少々雑な要約だが確認が待ちきれない1匹のためだ。たぶん。
「うま~!なにこれうま~!」
かぷかぷと食べる姿に小動物もかわいいななどと思いつつ、ボンがやきもち焼くといけないので口にはしないでおいた。
それからも主に母親のトークを1割程度の通訳で伝えてもらいつつ(明らかに口数と伝言が合っていないよね、とは思ったが)和やかな午後の時間を過ごした帰り際。
「今日は遊びに来ていただいてありがとうございました。お寛ぎ頂いただけましたか?お土産話というか、お越しいただいたお礼ですが、敷地内のブナの木は、伐採することなく、おいしいドングリが成るように、保護して育てることをお約束させてください。うちの執事は優秀なので、きっと今よりいい食料が確保できるようになると思いますよ」
「…敷地内の木の実が今後もたくさん取れるようにしてくれるとさ」
「まあ、なんて素敵なお話しかしら。そんなに良くしていただいて、感謝してもしきれないわね」
「いいんですよ。ボンを介してでもお話しできて僕も嬉しかったので」
「この兄ーちゃん、優しくてかっけえな!また遊びに来てもいいか聞いてくれよ」
「…チビがまた来てもいいかと聞いてるぞ」
「はい、良ければまたいらしてくださいね。一緒にお茶やお話しをしましょうね」
ピョンピョンちょこちょこと動き回るくるみと、マシンガントークの母親に、ボンは疲れ切っていたのでもう帰れと促した。




