16.旅先⑥
ミカドが出て行った部屋—もとい旅館自体が妙に静かで、ほんの数日前まではこうだったと思い出すのに少しばかり脳の整理が必要だった。
それは奏斗やボンだけではなかったようで、入れ替わるようにやって来た相川によっても実感させられた。
「奏斗様おはようございます。先程ちょっと出る、とおっしゃって小田木様が…(コホン)失礼、大変な速度で玄関へ突撃…いえ、小田木様の速度にドアの開閉が追いつかないのが悪いのですが、とにかく、外出されたようですね」
「ああ、終始騒がしかったみたいですまないね、ドアは大丈夫ですか?」
(--ドアの心配かよ -- ああ見えてミカドは頑丈だからねぇ – 見たまんまだろ)
奏斗は困った笑顔で首を傾げる。
「ええ、何しろ震災も潜り(くぐり)抜けた耐震性を兼ね備えていますからね、旅館は多少“事故”があっても問題ないでしょう。ところで、今朝はお出かけになられたようですね、ご実家の方も落ち着いたころかと思いますし、少しは周辺を楽しめましたか?」
「はい、久しぶりに体を動かして、外の四季を感じていいリフレッシュになりました。近くの神社まで行ったのだけど、まだ早いからか、少し閑散としていて、一瞬だったけれど、野生のタヌキまで現れてね」
「この辺りでタヌキとは。キツネではなくて良かったですね」
「なんだか意味深だね?」
「ええ、まあこの地方の言い伝え的なものではありますが、時々女性やら子供が消える、という話があり、狐に化かされたとかで、一時期その神社は心霊スポット的な話題を集めたこともありましたね。話題になった当時は面白がって夜に肝試しが流行り人も集まっていましたが、人のうわさ七十五日とよく言ったもので、すっかり静かな場所に戻りましたよね」
(…なるほどね、さっきボンが言っていたのと関係あるのかな…? -- さあな、でもちょっと興味深いな)
「そんな場所だったのですね、さっき、祭りでもあったら行きたい、なんてミカドたちと言っていたのだけど」
さりげなく、“たち“と口にしているな、とボンも相川も気づいたが、奏斗とミカド2人で話ししていたのでは?など野暮なことを聞くまでもない。
「お祭りですか、ちょうど秋祭りが近いうちに予定されていたと思いますが、老いぼれの記憶違いだといけないので後ほどお調べしてお伝えしますね、毎年年末は初詣時期に合わせた出店が増える時期でもありますし、これから少しまた活気づくと思われますので、もしよろしければそちらもお越しになってみてください」
「そうだね、ありがとう。じゃあ日程分かりそうだったら教えてくれる?ミカドが戻るまでは僕たちもまだ少しここに滞在することになるからね」
承知しました、と告げてすぐに調べてくれたのだろう、5分も経たずに、お茶菓子も携えて戻り、ちょうど今週末に3日間収穫祭なるものが執り行われると教えてくれた。
ちょうど僕たちの滞在のリミットである2週間が経過しようとしている週末での開催。
ミカドが戻っても戻らなくても、奏斗はボンと再度その場所へ訪れてみようと思った。
彼が週末までに戻らなかったら、彼のおきっぱなしの荷物を保管するため部屋くらいは延長しておいてあげるのは容易いが、現状のように旅館の貸し切りが長期に及ぶと、他のお客様へのご迷惑になるので、自粛するくらいの常識は持ち合わせているつもりだ。
(頼んだら、延長で貸し切りも受け入れられてしまいそうだから、下手なことは言えないな)
こっちへ来てから、ボンとあんまりお出かけできていなかったけど、家に戻っての二人の生活も、そろそろ恋しくなって来たのも事実だし、家に帰る前にお祭りで楽しい思い出が出来たらいいのだけれど。
ミカドが何を調べるつもりなのか、医学の知識のない自分には見当もつかないが、ああ見えて飛び級で卒業し、あっという間に獣医師の資格を取った実力者。権威ある外科医である親の七光りだとか言わせない為、また昔から広い世界に目を向ける性格だったこともあり、海外での生活が長く、騒がしいながらもボンの状況を理解し、力になってくれる味方にできたことは、今回の旅の大きな収穫だろう。
自分一人では、ボンを世話して可愛がるのがせいぜいで、到底何が原因なのか、現状の打開策、今後もし体調を崩した際などの対処について、最善の策が取れるとは思えない。
逆に僕に何かあったときにボンが頼るべき相手としては、近くにいないことを除いて、最適の人材だと思っている。
本人たちに言ったら、ミカドは犬の状態ならさておき、ボンが嫌がりそうだな。
想像していたらなんだかおかしくなってきた。彼は何か掴むまで粘るだろうが、きっと結果が出たらすぐに知らせてくれるだろう。
一方、大地は相川から聞いた神隠しなど辛気臭いものがあるわけなく、行方不明が発生しているとしたら人間が関わっていることは間違いないと確信している。祭りの人混みというのは先程の嫌な感覚の正体をもう一度確かめるには良い機会だ。
閑散としていると相手からも注目を集めてしまうが、往来が多ければそれだけこちらの存在を消すことはいくらでも可能になり、事前情報の無かった今朝と異なり、様子を伺いやすい。…自分一人では動けないので目立つ二人をどうするかとも思うが、悪意に疎そうなのでまあ自分だけ気を付ければ殺気を放って警戒される恐れは低いだろう。犬だし。ドーベルマンじゃなかったし…。
唯一知っている犬と言えば警察犬でも多いドーベルマンや、探知犬に使われる小型の犬種2、3見覚えがある程度。だから黒い犬で手足が白い靴下みたいな状態が自分の姿で、ああもう本当に警察とはおさらばだと思っていた。だが、自分の中の人間の部分がまだ残っており、こういった話を聞くと、つい先日まで潜入し、藻掻いて悪を捕まえようとしていた日々が蘇り、血が騒ぐ。
一体どういう訳で自分の周りで“人が消える“現象にばかり縁があるのだろうか。
まだ何か、のんびりわんこ生活以外に、残された選択肢があるのだとしたら自分はどうしたいのだろう。
どうなろうと、決まっていることは一つ。奏斗を悲しませる結末は望んでいないということだ。
そのうえで、今自分にできることを考えておこう。
それぞれ思いを巡らせているが、お互いのことを考え、広い空間があるにもかかわらず寄り添って夕方まで日向ぼっこをした。
ミカドが気にしていた温泉の効能については、ミカドが嵐のように去ってしまったので、一緒に確認することができなかったが、相川奥さんに夕飯時に話を聞くことができた。
どうやら、筋肉や関節の痛みが取れる、冷え性が直るだけではなく、胃腸や肺など内臓の不調にも硫黄やミネラルたっぷりのお湯が癒しを与えてくれるそうだ。
若い人でも、スポーツ選手がケガで試合に出られなくなってしまうと、藁でもすがる想いでここまでやってきては
温泉に入ってひたすら療養していたら全治2か月と言われていたのが、3週間ほど短縮でき、1か月ちょっとで
日常生活は支障ないくらいにまで回復し、その後無事選手としても復帰することができたと感謝されたことがあるって母さんが言っていた、と教えてくれた。
「母さんは有名人とか全然興味なくて、その方も宿泊者としての名前は憶えていても、それが有名な方だから、ではなく、単に怪我した方が療養に来ていらっしゃるんだから、体にいいメニューにするかね、とか言って世話をやいていたらしく、サインとか、ここには何にもないんだよね~」と少し残念そうにしていた。
他のスタッフも、顧客のプライバシーに配慮するといった教育の賜物なのか、女将のいい意味での無頓着さを引き継いでいるのか、ミーハーな“お嬢さん”はいないようだ。
どんなケガだったのだろうか、とスポーツの種類もさほど詳しくないが奏斗は想像してみた。
自分がサッカーボールを蹴っているところ、バスケットボールを持って走っているところ、ラケットを握ってテニスをしているところ。正直どれもケガする以前に心が折れそうだ。
(--おい。また変なこと考えてるだろ? -- なんで分かったの? ちょっと運動でケガしてみようかと – 実験するなよ)
ボンに敢え無く却下された。滞在も残り少ないので、今ケガしてもただ怪我しただけの人になって終わってしまうから当然か。ミカドの前でボンが急に人になったときはとっさに温泉の治癒だと思えたが、さっきの話を聞く限りだと
当たり前だが生物が変化するほどの威力があるのかは、やっぱり謎のままだ。
(でも、一応毎日ボンは温泉入ろうね? --そうだな。 -- うちでも入れるように源泉分けてもらえないか聞いてみようかな? --温泉のモトにしとけよな)
そうしているうちに、大地が人の姿に戻ることも、ミカドが宿に顔を出すこともなく、静かで平穏な時間を過ごし、秋祭りの収穫祭を迎えた。




