13.旅先③
「泣き虫だったんだな」
ミカドと出会った頃の話をすると、ニヤッと笑ったようないたずらな目を向けてきた。
「ボンだって、子供のころは泣きべその一つや二つあるでしょう?嫌いなもの食べた時とか、大事なおもちゃ無くしちゃったときとか」
「いや、ねえよ」
絶対嘘だと思ったが、本人の自白を取るには、もう少し油断した時に聞かないと難しそうだ。
「で?その医者の息子がオレに会わせたい人?かかりつけ医とか言ってたから今はお医者さんってことか?」
「うん。彼の親はお医者様だけど、ミカドは獣医になったんだ。ずっと、人間以外を研究していて…だから、ボンを見てもらうのにはちょうどいいかなって思って」
「待て待て、オレが診療される側かよ。どこも悪かねえよ」
「今はそうかもしれないけど。本当のワンチャンなら、色々ワクチンやら薬やら接種したり、飼い犬の登録手続きも必要でしょう?でも、そういうのを、“ただのワンチャン”ではないボンに、そのまま適用して問題が出ないのかなと心配になって。気にしすぎかもしれないけど、それ以外にも、いざって時に、色々融通の利く、こちらの事情を知った味方がいたほうが、僕が安心できるから、彼に会っていてもらえないかな?」
「そこまで言われたら、断る理由はねえな」
でも、ここまで回りくどい奏斗に、なんか引っかかる。
「ひとまず良かった。僕の知る限り、腕は一流だし、なんか一周回って色々受け入れてくれそうなんだよね…」
やっぱり何かまだ隠していることがありそうだ、ボンはため息をついた。
そのまま週末はのんびりと相川夫妻と会話したり、女将さんに世話を焼かれたり、製作の仕事をいくつか片づけたり、ボンと戯れたりしながら過ごした。
「ここまで温泉宿に長く滞在したことは今までなかったので、やっぱり肌がつるつるになった気がするんだよね」
「まあ、血行がよくなるとか、色々あんだろうな」
「動物は怪我した時とか、自分の体を舐めて直したりするみたいだよね、あ、こういうことはミカドに聞いたら永延と語るのが止まらなくなりそうだから、別にそこまで知りたいとかじゃないけど、でも、ボンが舐めてくれたら僕も具合が良くなりそう」奏斗は自分のほっぺを指でプニプニしている。
「どこもケガしてるようには見えねえなあ」
「明日からミカドも来るし、減るもんじゃないし、ほら、愛情表現してよ~」
部屋の露天風呂に浸りながら奏斗がボンにちょっかいを出してじゃれ合っていると、先に上がるぞ。と言ってボンが先に出ていってしまったので、奏斗も慌てて追いかけようと、立ち上がろうとした。
しかし、急に視界が暗くなり、あ、これはまずいかも、と思った時には床に倒れこむ寸前だった。
昔から一人風呂で製作の構想をしてしまうと、のぼせて具合が悪くなる経験は多々あった。
(あの感覚、どうして倒れるまで忘れちゃうんだろう、打ち所が悪かったら嫌だなあ…)
奏斗…!畜生。間に合え。手を伸ばせ。犬じゃなかったら助けられるのに、ん、なんだ?
覆いかぶさるようにして、奏斗の頭をかばうことが、、できた。
「じゃーん、私の奏斗ちゃーん♡さぷらーいず♡12hも予定より早くあなたのミカド様が到着してあげたわよ♡
ってえ” え” え” え”?なに?どうなってるの?男連れ込んでるなんで聞いてないわよ!あんた誰よ?」
(は~なによ?やだやだ、早く離れて~ケダモノ!などとギャーギャー言っている。)
奏斗は、スッとめまいが少し落ち着いたような気がしたが、ずいぶんとややっこしい状況になったみたいだし、もう少し気を失っていようかと目を閉じた。
しかし、自分を助けた男があまりに心配そうに声をかけてくるので、良心が痛み大丈夫、と返事をすることにした。
「まず、助けてくれてありがとう。ボン、いや、この姿で合うのは初めましてだね。大地さん」
「は?」
ボンも状況を理解しきれていなかった。
倒れかけた奏斗を助けようと走って戻り、手をすくい入れようとした瞬間、元の人間の姿に戻っていたのだ。
そして、今全裸で奏斗の上に覆いかぶさっている。間違いなく、間が悪い。
いきなり入ってきてから、キーキーずっと騒いでいるのが、例のミカドなのだろう。なんだこの状況は。
「ねえ、あんたたちいつまでそうしている気なのよ!そこの男。服着なさいよ服を」
とりあえず、タオルを巻き、奏斗に立ち上がれるか?聞き、少し顔色が落ち着いてきたので水を飲ませた。
「悪いが、少し待っていてくれるか。見ての通り、タイミングが悪くて」
「奏斗ちゃんの面倒は私が見るから、あんたはもう帰んなさいよ、まったく」
「そういう訳にはいかないんだよ。ここにこいつと泊まっているからな」
「はあ~?なんでぽっと出のあんたなんかと奏斗ちゃんが一緒に泊まってるわけ?ありえないね?」
「まあ、二人とも落ち着いて。ちょっと足を滑らせたのを、助けてくれただけだから。着替える間だけ、隣の部屋を使っていいので、待っていてもらえるかな?話はそれから」
「まあ、奏斗ちゃんが言うなら、ソレでいいわ」奏斗に微笑んで、ボンはごっつい顔でにらまれた。
「あ~、なんだこれ、オレ、死んだんじゃなかったのか?」
「どういう仕組みなのかは分からないけど、とりあえず、服、がないんだよね、あ、下着は僕の使っていないもので我慢してもらって、あとは浴衣でいいかな?」
「そうだな。とりあえずそうするか」久々の体の感覚に手をグーパーしたり、伸びをしたり、あちこち触って確かめるも、どこも異常がなさそうだ。
「お前の具合はどうだ?のぼせたんだよな?あいつが勝手に早く来たんだ、まだ休みたかったら、このまま休んでもいいんだぞ」
「ずいぶん落ち着いたから、大丈夫。ありがとう。つい、ボン、って呼びそうになるけど、今は大地さんだね」
「壮哉でいい」
「ふふ。分かった。じゃあ、ソーヤ。君は、僕の友人ってことで、とりあえず紹介するけどいいかな?縁があり最近知り合って、今少し仕事の手伝いをしてもらっているというストーリーはどうかな?一応、社員旅行の設定だったし、変じゃないと思うんだけど」
「ああ、それでいい。」
「分かった。後は流れに身を任せるとしようか。出だしが凄かったけど、悪い子ではないんだ」
「変人ぽかったけどな。あまり待たせても、また突撃してきそうだから行くか」
奏斗もソーヤに合わせ宿の浴衣を着て、身支度を整えて、隣で待つミカドの部屋を訪ねた。
「さっきは変なところを見せてしまったけど、改めて。今日は会えて嬉しいよ、ミカド。おかえりなさい」
「全く、あれは事故よね?奏斗ちゃん何ともない?こっちに来て見せて?」
「心配しないで、ちょっと長風呂して、ふらついただけ。もう大丈夫」
「そうよねえ、驚きすぎて間男かと思ったけど、奏斗ちゃんに限って、私がいるのにねえ」
「うん?色々間違っているけど、紹介してもいいかな?こちら、大地 壮哉さん。今、一緒に仕事や生活をしています。それで、君が興味を持つかなと思って、会わせたかったんだ」
「言い方に語弊があんぞ」
「なにそれー?まるで結婚の報告みたいになっているけど?!やめてよ聞きたくないんですけどお」
「僕とソーヤはさっき見たと思うけど、男同士だから。結婚できないと思うけど…」
「そういう問題か?こいつ、また発狂するぞ?からかってやるなよ」
ハンカチを噛んで涙目になる男に向かって訂正してやる。
「どうも。今紹介されたが、大地だ。色々あって、奏斗には世話になっているが友人だ。お見知りおきを。」
「それじゃあ、なんで、私がこの男に興味を持つだなんて思ったわけ?まさか、私にこの男をお勧めしようとして?」
「俺はゲイじゃない」
「こっちだって誰でもいいわけじゃないのよ!」
「早速仲良くなったみたいだね」
「どこがだ」「どこがよ」
「こほん、ええと、話を進めてもいいかな?」
ミカドが渋々首を縦に振るのを確認しながら、奏斗は話を始めた。
「実は、ひょんなことから、僕が犬を飼うことになりまして。ボンと名付けた男の子。」
「奏斗ちゃんが?犬?あら、私の影響だったりして。それで?」
「うん、それで、その子とミカドを会わせたいと思って。でも、想定外なことに、ついさっきまで一緒にいたんだけど、今はちょっと姿が違って、会わせられなくなりました」
「あら残念、って、ごめん、犬よね?さっきまでいて居なくなったの?それ、探さなくていいの?誰かに探せているところなの?」
「それは大丈夫。ここにいることは居るので」
奏斗はソーヤの方を掌で示した。
「ごめん、奏斗ちゃんの言っている話が見えないんだけど?あと、この男と何の関係が?」
「あるんです。その子ボンが、この子です」
「…。奏斗ちゃん、やっぱりまだ具合悪い?あんたもボケッとしていないで、何とか言いなさいよ?奏斗ちゃんに、無理させたんじゃないでしょうね?」
理解が追いつかないからか、八つ当たりされた。
「ソーヤが、さっきまでは黒い中型犬で、僕がその子を飼っていたと思ったんだけど、温泉に入っていたら“治癒”されたのか人間になりまして」
「あーそう。あんたたち、そういうプレイ?大地だっけ?あんたが奏斗ちゃんの“イヌ”って意味なわけ?」
…。
「雅史。僕は今、真面目に君に打ち明けているんだ。君が世界的にも有名な獣医師であり、僕の幼少期からの憧れの人でもあるから。僕もどういうことなのか分からないけど、信じられないなら、この話はここで終わりにしよう」
先程までの雰囲気とは一変、急に本名で名を呼ばれたことに、無意識に背筋が伸びる。
このゾクっとする感覚を昨日のことのように覚えている。
大昔、まだ奏斗と出会って2回目のこと。自分より大きいいじめっ子たちに整然とした態度で接して、見事に意見を述べていた姿に強い光を感じ、忘れた日はなかった。
そんな彼だから、その日を境に、自分のことだけを愛称で呼ぶようになったことが、他の人よりも親密であることの証に思えて誇らしく、自慢だった。
それが、長い年月をかけて関係を築いてきたと思っていたのが、まるで自分だけだったかのように、一瞬で突き放されたのだ。
なにが彼の気に障ったのか。答えは明らかだった。
「いや、奏斗ちゃんのことを疑うとか、そういう意図はないのよ。ただ、申し訳ないけれど、混乱してしまって。その、この男が、実は、生物学的に、人間ではなく、犬だった、ということなの?」
「真剣に受け止めてくれて嬉しいよ。僕も、おかしなことを言っている自覚はあるからね。だからこそ、打ち明けるなら君だと思っていたけど、判断は間違っていなかったかな」
とりあえず、奏斗から一線を引かれることは避けられたようだ。
「僕が知る限り、最初にボンを見た時から、犬だったね。そして、一緒に過ごした3か月余はずっと犬だった。
唯一つ、僕とボンとでは、会話が成立していて。ボンが口にしたこと、伝えようとしたことが、僕にはなぜか届いて。僕の言っていることも完全に理解していた。そして、それはおそらく、ボンが元々、この姿、大地さんとして現在を生きていたからで、一時的に何らかの原因で姿を変えてしまい、僕の家に現れた。そして、今度は君が現れたタイミングで、本来の姿であろう人間の姿に戻った、というのが全てです」
この部屋に来る前の、“仕事手伝っている友人設定“はどこいった?全部普通に説明しているし、と大地は心の中で突っ込んだが、黙っておく。本来は寡黙な男だ。奏斗といると、突っ込みどころが多すぎて少し調子が狂う。
一から十まで説明されても、普通理解できないだろう、と大地は目の前の変人を見た。
しかし、最初のトリッキーな印象はどこへやら、むしろ、奏斗から聞いていた秀才な子供だったという面影をイメージさせる、なにか思い詰めたような、眉間にしわを寄せ、腕を組み、自分の世界に浸り考え込んだ様子だった。
奏斗は、そんな様子に満足そうに、すっかり普段通りのゆるゆるした雰囲気に戻っていた。
そして、何を言うでもなく、お茶でも飲もうかと言って、ミカドのことを放置して、外を通りかかった旅館のスタッフへ飲み物と軽食を3人分依頼していた。
夜も遅いというのに、嫌な顔せずに直ぐに用意して持ってきてくれるのは、女将の教育の賜物だろう。お礼を述べて、受け取り、ミカドとソーヤへ手渡す。
「ソーヤは人間の食べ物、久しぶりだね、好きなメニュー聞かなかったけど、大丈夫だったかな?」
スタッフが持ってきたのはお夜食のセットにしては充分豪華で、食欲をそそる様なコロッとした丸いお握りとお漬物、一口サイズのサンドウィッチに唐揚げまで乗っかっていた。
「揚げ物は久々だな。旨い。ビール飲みてえな」
「じゃあ、人間復帰祝いとしますか?」
「だな」
部屋に備え付けの冷蔵庫を覗いて、あったあった、と2人で缶ビールを取り出す。
「はい、ほらミカドも飲むでしょ?」
心ここにあらず、といった感じのミカドの意識を呼び戻した。
「ああ、ありがとう。頂くわ」
「じゃあ、再会と、新たな出会いに、乾杯!」
「乾杯」「カンパーイ」
大地はググっと冷えたビールを飲みほし、そういえば、こいつさっきまで脱水になりかけて青白かったのに、アルコールなんで飲んで大丈夫だったか?と横目で確認するも、さすがに口をつける程度に抑えているようだ。場の雰囲気で、合わせてくれているのだろう。そういう奴だよな、とこちらもあえて触れないでおいた。
ミカドの方は、豪快に缶を空けていた。そして、口を開き始めた。
「すぐに、何か結論を出すのは難しいと思う。だけど、奏斗ちゃんが、私を頼って、話してくれたってことは、それだけ意味があるのよね、分かったわ。どこまでできるか分からないけれど、なにか事象の原因を探ってみるわ。ところで、大地。聞きたいんだけど、あなたは何かそうなった原因に心当たりは?」
奏斗とミカドが大地を見つめる。
「あー、心当たりか。あるっちゃ、あるな」
「あるのかよ。さっさと言いなさいよ!」
「まあ、奏斗にはちょっとばかし話したけどよ、オレ潜入捜査官で潜入中に殺されかけた、というか、さっきまでは殺されたと思っていたわけ。その死因と思っていたのが、薬物の過剰摂取。しかも、どんな種類の何かも、出回っている代物かもわからんものを多量にとっかえひっかえ、意識の戻りそうになるタイミングで打たれていたから、変な副作用はあって当然だろうな」
「ちょっと、かなりヤバそうじゃない。奏斗ちゃん?なんて人拾っちゃったのよ。あんた生きているって知られたらまた襲われるんじゃないの?」
「かもな」
「かも、じゃないでしょう!どうするのよ」
「まあ、しばらくは公に出るつもりはないから、バレない」
「そうだね、大地サンは今、僕と社員旅行中だから、ここに引きこもっている必要があります」
社員旅行の設定が復活した。
「ということだ。だから安心して、謎を解明してくれ」
「いや、情報が雑!いくら何でも全く、どれだけ無茶ぶりだと思っているのよ」
「まあ、一日早く来てくれたおかげで、色々話が出来てよかったね」
「そうだな。最初は迷惑な騒がしいやつだと思ったが、役に立ちそうだな」
「言いたい放題ね、あーあ、もう今日は疲れたから解散して寝ましょう。お肌には睡眠が大事なんだから」
「男しかいないが」
「男だってスキンケアの時代よ!はあ、私がここにいる間に教えることは多そうね。まあいいわ。じゃあ、私もお部屋でお風呂を頂いてから、休ませてもらうわね」
じゃあ、また明日。と声をかけて、立ち上がり、ドアの方まで歩いていた瞬間、後ろからボンっという音が聞こえ、振り返ると、湯気のようなもので視界がぼやけた。
まだ風呂の蓋を開けたわけでもないだろうに、どうしたのかと振り返ると、そこに居たはずの大地の姿は消えていた。




