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10.到着

「お帰りなさい、ご無事について何よりです」

宿で出迎えてくれたのはここの女将さんだろう、奏斗のことを知っているようだ。

「おかみさん、ご無沙汰しております、しばらくの間、お世話になりますね」

さあさあ、入って、と明るく迎え入れられた。

古さこそあるが綺麗に磨き上げられた重厚な門構え。夜だから分かりにくいが、庭も手入れが行き届いている印象だ。

「あの子たちは昼過ぎに到着していたので、別行動とは聞いていたけど、ずいぶんと遅いから心配しましたよ、遠くまでお越しいただきありがとうございました。お腹がすいていればお夕食をご準備しますが、お部屋になさいますか?お部屋にも露天風呂がございますし、大浴場の方も、ご利用いただけますので、お申し付けください」

「久しぶりに遠出したので、道中立ち寄りしていたら気づいたらこんな時間になってしまって。お待たせしてすみません、部屋で食事をしても?」

「もちろんでございます、お連れ様の分もご用意させていただきますね。お肉が好きとお伺いしておりますので」

こいつはきょとんとしているし、相川だろうか。いい仕事をしている。


「ありがとうございます。はじめまして、ボンです。ぼくの分も、よろしくお願い致します。」人の顔をもみもみいじりながら勝手に紹介された。

「それで、今日はもうこんな時間ですし、他の皆さんにお会いするのは明日の方がよろしいですか?」

「いえいえ、暇していると思うのでもしよければ顔を出してやってください。奏斗様たちは1階のフロアを貸し切りしてありまして、娘たちは2階の奥の部屋におります。こちらからもご到着なさったことはお伝えしておきますね」

では、いったん失礼いたしますと、部屋まで案内してから女将は戸を閉めて出て行った。


ひとまず、無事に到着出来て良かったという安堵で肩の荷が下りたのか二人になった瞬間にもたれかかってきた。

「おい、大丈夫か?疲れたなら無理せず今日はもう休んだらどうだ?」

「ボンも疲れたよね。ごめん。でも大丈夫だよ、ちょっとだけ補給させて」

何がいいんだか分からないが思いっきり匂いをかがれている。くっつくなと言いたいところだが、色々あった一日だ、少しくらい多めに見て、しばらく放っておいた。


「ご飯食べたら、お土産渡して、温泉入ろう」そう言っているそばから寝落ちしそうだ。

どうしようか迷っていると、誰かの足音が近づくのが分かった。

「誰か来るぞ」と教えてやると、何事もなかったかのようにスッと姿勢を正して、荷物の整理をしているふりをしている。

ノックの音とともに、お食事をお持ちしました。と声がかかったので、どうぞ、と伝えると、先程の女将とは別のスタッフが緊張した面持ちで配膳と説明をしてくれた。


料理は、既設のお野菜や地のお刺身、小さな石の上で焼いて仕上げるお肉など様々なラインナップだ。お飲み物はいかがいたしますか?と聞かれたので、お茶をお願いした。

来るまでの道中で、昨晩の失態をボンから聞かされたばかりだからお酒は自重した。


途中の食べ歩きも面白かったが、さすが老舗の旅館だ。

頃合いを見て食事の世話を焼かれつつ、しっかりデザートまで完食した。


お部屋に備え付けられている露天風呂も疲労回復や古傷も癒すことができる効果が期待されていて、お客様から大変ご好評なのですよ、と片づけに来たスタッフにも勧められたので、今夜はまず部屋風呂を試そうか、と思っているとまた扉をノックする音とともに坊ちゃんいらっしゃいますか?と相川の声が聞こえてきた。


今朝別れたばかりなのに、ずいぶんと懐かしいような気がする。

ああ、どうぞ。そう言って立ち上がり扉を開けると、相川の後ろに女性が一人。

旅館の女将の娘であり、相川の奥さんだろう。


「奏斗様、先程到着したと母さんから伺いまして。ご無沙汰しております。いつも主人がお世話になって…今回も素敵な機会を頂き、夜分にと思いましたけれど、少しでも早くお礼が言いたかったのです、本当にありがとうございます」

深々とお辞儀し、旅館の女将とはまた違った落ち着きのある品のある女性だ。

「そんな、僕の方こそ、いつもご主人のことをこき使っていて、今回だって思い付きの我儘に付き合ってもらっているだけですよ。むしろこんな立派な場所を提供いただいて、申し訳ないくらいなので、どうぞお気遣いなく」

ちょうどお土産も渡したかったので、顔を出していただけて助かりました。と道中悩みに悩んで買い漁った品を披露した。お酒もお菓子も普通に好評で一安心だ。


それで、と妻が隣で気持ちソワソワしているのを感じたのか、相川が切り出した。

「家内にボンさんを紹介しても?」

「ああ、もちろん。そのためにもお連れしたので。こっちにおいで」奏斗に手招きされ、ゆっくり立ち上がり横でお座りした。

「イヤン、めちゃくちゃおりこうさんなのね!ああ、すっごく可愛いし凛々しいお顔してて可愛いしお鼻も濡れてて可愛いし、触っても大丈夫ですか?というか抱きしめたいいいい!可愛すぎる」

嫌な予感がしたが、めちゃくちゃ可愛いと言っている。気づいているのか。

「はい、いい子なので、思いっきりどうぞ。」売られた。

大型犬温い(ぬくい)~よしよし、あら~毛並み最高ねえ、あなた♡

女性には逆らえないね、など他人事だと思って、冗談を言っている二人に対し上目づかいで助けを求めても無駄だと分かり、しばらく彼女の気のすむままにされるがままとなった。


滞在中はいつでも会えますよ、とたしなまれ、さすがに夜も遅いので、と相川に引きずられるようにして、いつでもこっちにも遊びにおいで、おやすみ!と部屋に帰ってくれた。


「モテモテだったね。可愛い奥さんでしょ?」

最初は落ち着いた人だと思ったが、勘違いだったようだ。

「うるせえ」

「あの人も、もともと僕に使えるようにつけられたメイドの一人だったんだ」

うなずいて続きを促す。

「だけど、昔僕が問題を起こしたせいで、責任を取らされてほとんどの使用人が解雇されてね。その筆頭で、混乱の中でも冷静に僕が後々困らないように、手を尽くしてくれたんだ。その功績もあり、全員を解雇すると不便もあるでしょうという意見から、誰か残すなら誰だとなり、彼女が残ってくれることになったんだ。解雇例が出た時すぐに紹介状で他に行ってしまった人や、当主の怖さから逃げ出した人もいて、むしろ率先して手を挙げる人の方が希少だったけどね」

「古い付き合いってのは貴重だよな」

「そうだね。結局、落ち着いてからも数年間、相川と結婚が決まって退職するまでお世話になってね」

「それでキューピットか」

風呂に入る支度をしながら、職場恋愛は自由な社風で、と笑って頷いた。


かぽん、という効果音がぴったりな静かな夜。

一人と1匹は誰に気兼ねすることもなく湯につかっていた。

当面貸しきりで犬との混浴も可能だ。


さっき効能を色々教えてもらったからか、浸かっているだけで数年分の疲れも取れる気がした。

(自由に生きているから、普通の人よりもストレスもないはずだけれど)

ボンが現れる前の単調で孤独な生活を今までどうやって過ごしていたのか、

ひとり振り返り、ボンが居ないことを想像しただけで、ああ。これが寂しいということなのか、と唐突に理解した。


お湯の中を移動しボンをすぐ後ろから抱きしめる。(ずっと一緒にいてね)

どうせ食べて温まって眠くなったのだろう、お子様だなと思いつつも、幼少期から使用人のいる生活で使用人を管理する側として大人以上に大人として過ごしたお子様時代に免じて、今からできなかったことを一緒にやり直していくのも悪くないだろうと、ボンもボンで自然と奏斗との今後に思いをはせた。


「ポカポカになったね」ほっこりしながらお水を飲んで自分の体を拭くと、ボンの体も乾かしにかかった。

「耳にフッて息かけるのやめろよ」

「だってこうすると体プルプルしてくれて拭くの楽だもん」

「口で言え」


攻防戦のあとは布団に潜り込むとすぐに深い眠りについた。

翌朝は言うまでもなく寝坊だ。相川がそこらへんの勝手知ったるで、言われなくても朝食はブランチに変更となっていた。


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