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1.最初の記憶

「んぁー…痛ってて…昨日飲みすぎたか…?」

窓から光が差し込み、すでに昼頃だろうか、などと考え、

ぐっと伸びをして目を開けると何やらモフモフした触り心地の良い毛布が広がっている。

見覚えのない空間に、徐々に違和感を覚えはじめた瞬間、


「おや、お目覚めかな?

君、どっからやってきたのかな?」と快活に声を上げながら見知らぬ大男が近づいてきた。


「は?お前こそ誰だ?」って、なんだよ急に!

大男は聞いているのかいないのか、「そう吠えなくても」、と言いながら頭をくしゃくしゃ撫でまわしてきた。

まじでなんなんだこいつ、手を払いのけ、さっさと逃げるかと立ち上がろうとしたが、思うように動けない。

それどころか、眼下に広がるのは黒い2本のモジャモジャ。


恐る恐る大男の顔を見上げると、よしよし、と言いながら はい、と目の前に水の入ったボウルを差し出された。

二日酔いで水をくれるなら有難いが、この家にはコップもないのか、と吐き捨てながら顔を近づける。


半分ほど飲み干し、ふう、と一息つくと水面になぜか黒い犬らしきものが見えた。

まだ寝ぼけているのか、左右を見渡して犬の姿を探すも自分と大男以外に生物は確認できず、

ちらりと後ろを振り返ると長いしっぽが揺れている。


ふっ…まさかな、俺が犬なものか、

「おい、どうなっているのか説明しろ。」目の前で微笑む男に向かい訴えると

ワン。と聞こえてきた。ワン。だと…。

…酷く頭痛がする。


ずいぶんとリアルなこったと遠い目をしながらも再確認する。

手、もとい前足と後ろ足の先だけ白くなっているが、そのほかは見える範囲で黒い毛が覆っている。

お座りして片足を上げ、体を丸めると無事ついていた。どうやらオスで間違いない。

尻尾は太く長くたくましいが、どういうわけか勝手に動いている。いまひとつ意思で動かす方法が掴めない。


普通にしゃべっているつもりだったが、喋れていないようだし、目の前の人間が大男だと思ったのも自分が縮んだが故ということか。

一番可能性の高い夢であることを願いつつ、だんだんと冷静になりつつある頭で頬をつまむこともできないと一人、いや一匹は思う。しょんぼりしたように見えたのか、男が「どうしたの?」と聞いてきた。


そう言われても、どう伝えようか、もう一度ボウルの水をのぞき込むと、

「あ、そうか、そうだよね!」と嬉しそうに去って行ってしまった。


小綺麗な部屋には今や窓辺の毛布にソファ、ローテーブルとテレビにどこから来たかも分からない黒い犬1匹。

一体今日は何日なのか、テレビのリモコンを机の端に見つけたのでそっと近づいて適当にボタンを押してみるとニュース番組を移すことに成功。幸い、自分が知っている日曜昼のニュース番組が普通にやっている。最後に覚えている日付とも数日も違わない。ここで目が覚める前、最後に覚えていることは…。


“ふんふ~ん” ご機嫌な様子で男が戻ってくるのが分かり、慌てて元いた場所へ戻る。


「お待たせ~。冷蔵庫に肉があったから君は犬だしそのままでもいいかと思たんだけど、

よく考えたらいつ買ったものだったか分からないし、一応茹でてみたよ。ほら、餌付けってやつ?食べてみて。」


次から次へと早口に一人でよく喋る奴だとチラ見し、匂いをかいでみる。

聞きたくなかった情報もあった気がするが食べられるものは食べられる内にいただこう。


「あれ、テレビついていたかな?まあいいや。お手は?」 スッと皿が遠退いていく。 

チッと舌打ちをしたつもりが、“フン”と鼻が鳴った。それを見てくすくす笑いながら片足を持ち上げられなぜか握手をさせられ、皿が今度こそ差し出された。


ペロリと平らげる姿に満足したのか、頭を2,3度撫でまわして皿を片付けた後、男はひとりで

ダイニングテーブル側の椅子に腰かけて読書を開始した。


腹も満たされ、ソファでくつろぎ微睡ろんでいること小一時間、重大なことを忘れていた。

今自分は見ず知らずの人の家でなぜか犬になり急激にカーペットの上をぐるぐる回る存在になっている。

さすがに悪いとは思うが、催したものはどうしようもない。


本に目を向けていた男も、突然小さくスピンしだした動物に気づかないわけがなく、

間一髪手元の冊子を滑り込ませてきたため、大惨事は回避された。


「ごめん、ごめん!家の中を案内していない僕が悪いね。でもうちにはワンチャン用のトイレはないからなあ…ちょっと今から買ってくるから、いい子で待ってられるよね?」

そう言い残し、ガレージの車に乗り込むとすぐさま近くの商業施設へ向かった。


ペットショップに入るのは初めてで少しソワソワする。

のんびり見たところで分かるはずもなく、とりあえず大きめのトイレ用品とドックフード数袋、おもちゃはスルーして、「ブラシも売っている。ブラッシングも必要だよね」、などつぶやきながらも片っ端から掴んではカゴに放り込んでいく。もう夕方の買い物ピークは過ぎているようで、客足はまばら。のべつ幕無しにカゴに商品を放り込んでいく姿を怪訝に思ったのか、「いらっしゃいませ。良ければお手伝いしますが、おいくつでしょうか?」と女性スタッフに声をかけられた。


悪い気はしない。自分も見た目は悪くないからな、と思いつつ「ありがとうございます。27です。」と答えると、スンとした表情をされた。犬の方か。

ただでさえ不慣れなことをしている状況でテンパっているとはいえ、寒い勘違いに気づくと同時に、

あの犬のことなんて、何も知らないのだ。


苦し紛れに、「あ、そうですよね、ええと、途中からなので正確には分からないです」と伝えると、

「なるほど、保護犬ですかね?赤ちゃんでもない?明らかな老犬でもなければ・・・種類は・・・」とテキパキと籠の中身を整理され、「よろしければこちらもお試しください」とサンプルサイズの餌もくれた。親切だ。


お礼を述べてレジに進むと、合計金額に目を白黒させることになるが、「やっぱりドックフードは止めようかな」、と言うとすごい目でみられたので「冗談です、お願いします」と普通にカードを差し出した。


保護犬で話が通ったけど、もし迷い犬なら警察に届けたほうがいいかな。

だけど、いったいどう説明すればいいのだろうか。セキュリティの万全な家の中に警報もなく、目が覚めたら突然現れていたのだから、今度ばかりはいくら自分でもこの通りに話したらおかしな奴だと思われることが想像できた。


2kgくらい痩せた気がした帰り道、結論の出ないまま、とりあえず考えるのを放棄して

戦利品を乗せた車を静かに走らせた。


家主を見送り、さて、お手をさせられたからには、元の姿に戻ったときに奴の恥ずかしい秘密でも握ってお返ししてやらねば、と家の中の探索を開始した。


一人暮らしのワンルームかと思いきや、窓の外には庭があるし、ガレージに車も止まっているようだった。ダイニングを出てすぐにキッチン(あまり食材がありそうな、いい匂いはしない)、長い廊下が続いてその両サイドにいくつか扉が見えた。金持ちのボンボンだろうか。玄関まで廊下を進むと、2階へ続く階段まである。


自分ならメインの部屋は2階にするだろうと迷わず階段を上ってみると正面の部屋は少し扉が開いており

ベットルームらしいことが分かった。鼻で押し開けて中に入ると、ここもシンプルな造りで大きなベットが一つと壁にかけられた巨体な絵画が目を引いた。芸術に詳しいわけではないが、なんとなく高そうだ。


面白味のない奴め、と引き返そうと思った矢先、ベットの横のテーブルに古い写真が飾られており、

そこには強い目をした少年と、少年より1~2歳幼いにっこり微笑だ少女が肩を並べて写っていた。

妙に印象に残るそれに、時間を忘れて眺め続けた。


近くに低いエンジンの音を感じ、探索がバレたら大変だと慌てて階段を駆け下りた瞬間扉があき、家主に走って出迎えてくれたと勘違いされたことは言うまでもない。心外だ…。


「一階のリビングでもいいけど、他にも部屋が余っているからそこを君の部屋にどうかなあ?」

そう言って手招きされるがまま、先程通り過ぎた廊下を戻り、キッチンの斜め前の扉を開けて顔を覗き込まれた。


応接間という言葉が一番しっくりくる造りで、落ち着いた家具とソファア、椅子が配置されていた。

どこかで買って来たばかりの荷物をほどきながら、「このあたりかな」などと言いながらサクサク模様替えをしていく。


“オレ”用のクッションソファアのようなものも「ふっかふかだよ~」と嬉しそうに触りながら置いていた。

楽しそうで何よりだが、そんなもので「おいで~」と言われてもリアクションに困るな…と思いつつ、乗っかってみる。

ふっかふかだった。

犬になって初日、爆睡した。

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