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たまノ湯  作者: コジの字
1/1

お爺ちゃん猫

練習用の物語。

父親が言うには、猫は人の4倍歳を取るらしい。

浅倉家の猫は、風太が物心つく頃には既に家族の一員だった。

ロシアンブルーの灰色猫。オス。名はシラス。

母親の好物であり、尚且つ猫には魚と言う安直な理由から名付けられたらしい。

そんなシラスは、風太が小学5年生になった時には、1日の殆どを寝て過ごすお爺ちゃん猫になっていた。


ある夏の夜、風太は目を覚ました。寝る前に飲んだファンタグレープのせいでトイレに行きたくなってしまったのだ。

時計の針は2時を回った頃。

一戸建ての家の中は酷く静かだった。外を走る車の音も聞こえない。

微かに聞こえるのは、嘘みたいに不気味に響く時計の針の音と、部屋の迎え側のベッドで眠る妹、雫の寝息だけだ。


カーテンの隙間から入り込む月明かり。

薄暗い子供部屋は墓場のように気味が悪い。


いっその事、雫を起こして付いてきてもらおうかと考えた。

このまま朝まで過ごせば、無惨な結果になることは目に見えていて、どちらにしても恥をかく。


しかし兄の威厳は守らなくてはならない。

風太は威厳という言葉を知らないが、勇気と言う言葉は知っていた。


手に汗を握り、風太は素早くベッドから出た。

忍者のように子供部屋を後にし、音もなく階段を駆け下りる。

余計な物が目に入らぬよう目を伏せ、そのままトイレへ駆け込んだ。

電気を付けると心がほっと軽くなる。


そして、至福のひと時……まるで栓を抜いたかのように、波が引いていくのを実感する。


しかし快感に浸る暇わない。

これからまた2階の子供部屋まで戻らなくては行けないのだ。


風太はトイレの水を流すと、電気を消すと同時に飛び出した。

手を洗う余裕はない。洗面所の鏡の前に立つなんて、考えただけで背筋が凍る。


突然、リビングからガラガラッと窓が開く音が聞えた。


「だ、誰? お父さん……?」


また隠れてタバコを吸っていたのだろか。

風太は恐る恐るリビングを覗き込んだ。すると微かに開いた窓の前に小さな影が一つ。


どう見ても父親の影ではない。

風太よりも、いや雫よりもずっと小さくて細い。


「え……? もしかして……シラス?」


暗闇で光るまん丸の眼がこちらを向く。

間違いない、シラスだ。

立っている。

シラスが、二本足で。


シラスが開けた窓からするりと外へでる。


風太に鳥肌が立つ。これはヤバい! 脱走だ!


どうしてシラスが二本足で立つのか、そんな疑問は大事件を前に吹き飛んだ。


「ダメだ! シラス、戻って来い!」


風太の声でシラスが走り出す。

失敗だった。声を出すべきではなかった。


これまで風太はシラスが脱走した話など聞いたことがなかった。

家の周囲は住宅街だが、普段なら車の通りも多い。


立って歩くことも出来なかったお爺ちゃん猫が、突然迫ってきた車を避けられる訳がない。


風太の脳裏に、無惨なシラスの姿が浮かび上がる。

次に浮かんだのは、眼に涙を溜めて、俯く雫の姿だ。


風太はシラスの後を追って外へと飛び出した。

絶対にシラスを連れ帰ると心に誓う。


「シラスのばか! 外は危ないんだぞ、戻って来い!」


五感を研ぎ澄まし、シラスの気配を探る。

すると庭の柵を越えるシラスの姿を捉えた。

止まることなく、ぐんぐんと歩道を進んでく。


靴を履いている暇はない。

風太は裸足でコンクリートの地面を強く蹴る。

足の裏がズキズキと痛む。

少しでも痛みを和らげようと、つま先立ちでシラスの後を追う。


車のいない道路を横切り、知らない人の家の間を通り抜ける。

木造の朽ちたフェンスを潜り抜け、空き地を駆け抜け裏路地に出る。

吐く息は肺を裂こうとするほど熱く、心臓は今にも口から飛び出そうだ。


「ゲホッ……ゲホッ。お爺ちゃん猫のはずだろ? なんでこんなに速いんだよ」


シラスは少なくても10歳以上だ。

15歳として、4倍だから……えっと……何歳だ?


酸欠なのか頭がぼうっとしてくる。

走るのも限界だ。脚が水の中のようい重い。

視界も霞んできた。


すると、突然シラスが横道にそれた。

オレンジ色の灯りの中へ飛び込む。


どうやら民間の敷地内に逃げ込んだらしい。


風太の全身から汗が噴き出る。心臓はまだ飛び跳ねているし、肺だって穴が開きそうだ。しかしどうやら追いかけっこは終わったらしい。


重たい体を引きずるように、風太は灯りの元までやってきた。

汗を拭い、灯りが入った提灯を見上げる。


【たまノ湯】


提灯にはそう書かれていた。

見たところ、古い銭湯のようだ。


どうしてシラスはこの銭湯に来たのだろうか。

お腹が空いて、餌の臭いでも嗅ぎ付けたのだろうか。

風太がそんな事を考えていると、後ろから声を掛けられた。


「あの~入らニャいのでしょうか?」


その声に振り向くと、そこには黒と白のハワレ猫が立っていた。

当然のように、二本足で。キョトンとした2つの目が風太を見つめている。


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