回想
最初は眠気で意識が朦朧としているだけかと思ったが、リリスの手が回されている背中の辺りだけじんじんと熱い。
いや、単に熱いだけじゃなくてまるで大きな針で刺されたような痛みも伴っているような気がーーー。
聖南は違和感の数々に気が付き始めていたが、直後息を吸う拍子に嘔吐いてしまい口から何かが吐き出された。
それは唾にしてはやけにべっとりとした粘着性を有していて、その色はあまりにもどす黒い。
血だ。
「うふふ。随分と呆気ないのね」
ボタボタと背中や口から血を吐き出している聖南を横目に、リリスは高笑いをしながら言葉を投げかける。先程までは自分にとって愛しい飼い猫のものだった声が、今は底意地の悪い魔女のそれに思えた。
「リリちゃん・・・?どうして・・・」
「どうしてこんなことをするのかって?フン、随分と白々しいのね。知らないとは言わせないわよ」
ああ、そうか。
あの世に逝ったはずのリリスは知っていたのだと、聖南は段々と思考を奪われていく頭で悟った。
「あなた、私の死因を病気だと周りに吹聴して同情を誘っていたみたいだけど、わざと私のエサに毒物を混ぜたでしょ。生き残っている他の人間たちが真実を知ってどんな顔をするのかだけは分からないし興味もないけど、他でもないあなたに殺された私は全てお見通しなんだからね」
リリスにそう指摘され、聖南の脳裏にまるで走馬灯のようにその日の光景がフラッシュバックする。
最初はほんの出来心がらだった。日々の鬱憤が溜まって、自分が病院から処方されている薬を猫に有害だと理解しながらもエサを盛った皿に少量混ぜ込んでそれをリリスに食わせたのだ。
そしてそれを数回に渡って続行した結果、リリスの鳴き声は小さくなり身体も目に見えて弱っていった。
一度味を占めてしまった聖南が行動を止められる理由もなく、しばらくは聖南のストレスが溜まるとリリスのエサに薬を混ぜてそれでリリスが体調を崩しても病院には連れて行かず一人と一匹で家に篭もるという悪循環が続いた。
そんなことが常態化していたある時、事件の火種は唐突に聖南とリリスの暮らす家に舞い込んで来る。
元より病院から薬を処方してもらわないといけない程に体調の優れなかった聖南は、その日体調不良のあまり彼氏とのデートの予定をドタキャンしてしまった。ずっとスマートフォンに彼から連絡が来ていたことには気が付いていたしせめて一言だけでもメッセージを返そうとしたのだが、その時の聖南は高熱も出ていて枕元のスマートフォンを取り上げ簡単なメッセージの文面を打ち込むことすらままならなかったのだ。
結局聖南はどうすることもできず高熱に悶えながら眠ってしまったのだが、その次に聖南が目を覚ました時家の中には異様な光景が広がっていた。
汗が纏わりついてしわくちゃだったはずのシーツは整えられていて、掃除の行き届いていなかった部屋もいつの間にかピカピカになっている。
そして、キッチンの方から何やらいい匂いが漂っている。
聖南がまだズキズキと痛む頭を抑えながらゆっくりと視線を移すと、そこには彼の後ろ姿があった。
「アヤト・・・?」
聖南が呼びかけると、台所に立って料理をしているらしい彼は振り返らずに一言だけ返してきた。
「聖南、まだ身体しんどいだろ?そのままゆっくり寝てなよ」
彼のその言葉で、聖南は不安が和らいでいくのを感じた。
実は彼が聖南の一人暮らししている部屋を訪ねてくるのは今回が初めてだった。一応住所だけは伝えてあったのだが、自分のプライベートな部分と着実に弱っている飼い猫の存在を知られるのに抵抗があった聖南は今まで何かと理由を付けて彼が部屋に来ようとするのを回避していたのだ。
しかし、今日彼はデートの予定を潰したにも関わらず聖南の異変を察知してわざわざ駆けつけて来てくれたのだろう。それについて何も言及せずに家事をこなしてくれている彼の後ろ姿に涙が出そうになった。
彼となら結婚生活も送ってみたいなんて考え始めた聖南だったが、続く彼のセリフで幸せな時間は崩れ去る。
「あ、そうだ。猫ちゃんはぐったりしていたから聖南が寝ている間に近くの動物病院に預けておいたよ」
「え・・・?」
「・・・俺もさ、過去にヒステリック持ちの母親に虐待されて死んじゃった飼い猫の姿を見ているから何となく分かるんだよ。あの猫ちゃんの弱り方、明らかに自然なものじゃないよな」
ドクリと聖南の心臓が大きく脈打つ。
彼は敢えて明言はしなかったが、今の発言は聖南の悪行を知ったと宣言しているに等しい。声の響きもいつもの彼とは少し違っていた。
「ま、病人にこんな話を続けるのも良くないからこれ以上の深堀りは辞めておくよ。ただ、聖南の体調が良くなったら諸々含めて話し合いがしたいんだけど」
その瞬間、聖南の中で積み上げられていた何かがガラガラと音を立てながら倒壊していった。




