失意の火無瀬さん
火無瀬 依子です・・・
ちょっと前まで幸せの絶頂にいるかも、と思ってました。
心の奥底ではこれは危うい、と感じていましたが、どうしても、自分が幸せの絶頂にいる、という幻想から抜け出せなかったんだと思います。
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私も博士号を取ったはいいけどポスドクで助教の任期切れも間近、就活もうまくいかず途方に暮れていたところを開発部に救っていただいたクチです。
CTO の雑な論文の途中の式が抜けてるのを補完したり、「こんな感じでできると思う」という、やはり途中経過が書いてない作業指示を、きっちりとした作業指示に直すようなコンプリメンタリな仕事はちゃんとできてたと思います。
でも布施や國本さんのような見事な成果や、姫嶋さんや芳賀さんのような職人さんを束ねてきっちり仕事をさせるような統率力はありません。
むしろ、私と似たコミュ障な國本さんがよく現場に出ていられるな、と、すら思ってました。さすがに失敗しちゃえ! までは思っていませんでした。
転機というか、きっかけはありました。
初期は開発部全員が金曜宴会に呼ばれていたのですが、ある時から特定メンバーしか呼ばれなくなりました。
会社も大きくなったし、給料も驚くほど上がり続けていたので、不満なんかありませんでした。
うまくいかなかった就活では年収400~500万円くらいの提示があれば充分で、それですらお祈りメールの嵐だったので、その三倍を越える今の給料に不満があるわけないんです。
工事部・・・途中から別会社になりましたが、そちらのメンバーも初期は全員呼ばれていたのに、途中から本当に一部の人のみが招集対象になりました。
金曜宴会のリズムは体に染み込んでいたので、工事部・・・別会社になっても、つい、工事部と呼んでいましたが・・・の人達と呑みにいくのが恒例になりました。
もちろん、金曜夜間の工事が無い時のみですよ?
極初期のホントに大学の延長みたいな感じで会社の研究と自分の研究でみんな会社に居座りまくって、社長が怒って金曜シャットダウンを発動したころ、工事部の人数は20人くらいでした。
開発部もそれくらい、会社全体でも70人くらいで、家族持ちの人は帰宅組だったので、全社の金曜宴会なんてものが成立したんです。
ちなみに一年目の決算は目を覆うような大赤字。当時既に経営幹部になっていた清水さんも真っ青でした。
リモートで1 on 1 をCTOとしたときも、開発部でお金使いまくりなのに、あんな大赤字で、しかも二年目に私達昇給までしてもらっちゃって大丈夫でしょうか?、と聞いた記憶があります。
『あいつが大丈夫っていってんだから大丈夫だよ。言いたくないが、あいつは経営や投資の天才でプロ。 親からもらった一億円を二年で70億円にして親には二億円返してるんだ。で、その二年後にはそれを3000億円にさ。 300億の赤字なんて、あいつにとってはちょっと割高なお通しみたいなもんだろ?』
なんじゃそりゃ、と思いました。親から一億もらえるってのもスゴい話ですが、二年で倍にして返してるって、どうやってんですか?って、聞きましたね。
『あー、わかんないよな。フツー。単なる倍々ゲーム。成功したら倍かそれ以上、失敗したらゼロか場合によっては借金、って四半期モノの投資案件を6連勝すれば2 で64倍だろ? 倍以上もあるから70倍になっただけなのさ』
なんですかそれ・・・すごいギャンブラーなんですね、と聞くと
『あいつによれば勝つのが分かり切っている案件を買ってるだけ、らしい。まあ、次の二年では倍々ゲームはできなくて、二年で40倍ちょいだ。それでも凄いけどな』
確かにすごいですね、でも、昇給までしちゃって大丈夫でしょうか、には
『考えてみろよ。開発部がもう少し増えたとしても精々30人。今の5倍の年収3000万まで配ったとしても10億には届かない。300億から見たら誤差だろ』
と返ってきて、はあ、と考えていると
『あのさあ、アイツにしてみれば俺達含めてこの会社の事業は、数百億~数千億突っ込める超大型案件に過ぎないんだよ。まあ、成り行き上、社長を引き受けちゃったから、回りから見たら無茶している創業者社長だけど、たぶん、勝つのが分かりきってる案件を買ってるだけなんだ』
その言葉通り、二年目に始めた下水道工事が大当り。
二年目は一気に50億の黒字になった。
三年目は150億。
創業時の赤字は最大10年繰り越せるらしいけど、その時点で、残り100億。
清水さんも今季は累積赤字一掃と、決算発表後、4年目最初の全社キックオフでもうれしそうだった。
キックオフといってもウチのことだからWeb中継だけど。
結局4年目は大規模投資をしたおかげで黒字ではあったものの、累赤一掃とはなりませんでした。
ちょっと話が戻りまして、二年目の終わりころか三年目のはじめくらいの話です。
下水道工事の好調で工事部の人数が膨れあがり、分社化の話も持ち上がりはじめていたくらいのころでした。
そのころには、工事部はもうガンさん始め、ごく一部しか金曜宴会には呼ばれなくなっていて、開発部も全員でなくなってから少し経ってました。
今でも健在の金曜シャットダウン後、その時に会社にいるメンバーで、特に固定ということもなく、4人~8人くらいで軽くいくか?という習慣は続いていました。
開発部オンリーのときもあり、開発部+工事部のこともありました。
まあ、開発部で作った先端的な装置を工事部に使ってもらうので、関係性が深く、基本的には仲は良いんです。
ともかく上から目線にならないようにだけは気をつけてました。
やっぱりそういう態度は嫌われます。
当たり前ですけど、工事部の40代くらいのおっさんたちから見れば小娘ですからね・・・といっても30をとっくに過ぎてましたけど。
その頃は工事部、工事会社のみなさんとはあまり深く付き合う気持ちはありませんでした。
全社員の金曜宴会のときはアルハラセクハラに気をつけてー、のコールもありますし、社長や、怖い総務部長の清水さんもいますからそんなことないんですが、
職人メインで飲んでると、普通にエロ話が多発します。
まあ、大学や院でも男女比が極端に男寄りだったので、当時も近いことが無いわけでもありませんでしたが、やはり大学の学生や先生は上品だったんだな、とは思いました。
そもそも毎週呑みにいく金などありませんでした。
当時、工事部の女子には綺麗になれ指令が社長から出ていました。お化粧品くらいはずっといいものになりましたが、作業着は社長が綺麗なデザインのものに強制的に変更したので、服への出費は増えませんでした。
なので、大学在学中からずーーーとお金が無くて苦しんでいたのに、気がつけばお金があるけど使ってない・・・という今までなかった状態になっていたので、呑みに行くことへの抵抗は無くなってました。
さらに、職人は女子におごるのが好きで、ワリカンで出しますよ?と言っても、「じゃあ、千円だけね」で済むので、一人で牛丼屋でビール付けるのと値段が変わらない上、色々なものを少しずつ食べることができるという理由で適当にメンバー変えながらご一緒してました。
その後、工事部は別会社になったこともあり、人数的にはさらに増えました.
でも、開発部と呑みにいくメンバーはあまり増えませんでした。
それに、初対面が多人数だと覚えきれません。呑んでるしwww
まあ、私もエロい妄想をしないわけじゃないし、あまりにも直接的は表現さえなければそんなに気にならなくなってました。
後で聞いた話では、直接的すぎる表現のときには顔をしかめてたみたいで、職人側で表現を調整するようになったようです。
彼が私たちの金曜宴会に参加するようになったのはそんなころでした。




