開発部と営業部
俺は言った。
「ラッパーというのは、元々あるフォームの上に、もう一つフォームを重ねるようなものだ。電子レンジに入れるまえに食器にラップするラップと同じ単語。」
「そうすると、その三つのラッパーというのを、開発部の人たちはちゃんと作れるということなんですね」――清水さんが問いかけてくる。
「では、なぜ彼らは今までそれを作らなかったのでしょうか?」
「必要性を感じなかった、または、そういうものがあったほうが便利だと考えなかったんじゃないかな。」
「そんなものなんですか? 彼らの想像力というのは――」
彼女の疑問ももっともだ。
「そうだなぁ。やっぱり自分たちが思いつかないものというのは、ヒントを与えてあげないといけないみたいだな。あとは自分の研究範囲でないものに徹底的に興味がないので、さっきみたいな挑戦的な言い方を心掛けないといけないんだろうな。」
俺は思った。開発部だけじゃない……営業部にもいくつかの課題がある。
若手を中心に、残っている以前の建設会社の営業部のメンバーに、新規採用したメンバーを加えて、現在は六名体制である。そのうち二名はISR、内部で受注などの処理を行うメンバーだ。
今までの建設会社の営業としては機能している。
だが――最も問題なのは新規案件だ。あいつの作り出したモノ、そして開発部がそれを元に作り上げようとしているモノ。その根本的な部分を営業部の面々がまだ理解できていない。何を売っていいかわからないということだ。これが一番大きな問題である。
そもそも営業部の人間は、新規採用のメンバーも含め、建設業界にどっぷり浸かっていた。その価値観のまま、この新しい事業を捉えようとしている。だから噛み合わない。最終的な売り物が「工事」のままであってもだ。いや、そうだからこそだ。
彼らにとって営業とは、材料や工事の作業を売ることだった。積算書を作り、単価を提示し、納期を詰める。そうしたやり取りの中で成果を出してきた。それが急に、「今まで当然だったものがなくなる工事」を売る、と言われても、具体的にどう提案すればいいのかわからないのは当然だろう。
「想像力」と言ってしまえばそれまでだが、それだけでは彼らに無理を強いているようにも思える。
清水さんは腕を組んだまま視線を落としている。その表情からは、彼女もまた同じことを考えているのがわかる。
「教育が必要じゃないですか?」と清水さんがぽつりと漏らす。
それはその通り。ただ教えればいいという話ではない。問題はもっと根が深い。
営業部が今抱えている最大の弱点は、「成功体験」だった。これまで建設業界で培ってきた営業のやり方で成果を上げてきたという自負。それが無意識のうちに彼らの中で重石になっている。自分たちの方法論で成功しているだけに、変化に対する恐怖というか、既定路線から外れる怖さというものがある。
成功体験が強すぎる組織は変化に弱い。これはどの業界にも共通することだ。
それに――これは俺の個人的な感覚だが――彼らには「失敗してもいいから試してみる」という精神が決定的に欠けているように思える。新しい提案をして、それが受け入れられなかったらどうしよう、会社の信用に傷がつくのではないか、そんな不安が先に立っている。建設工事会社としては当然の感覚なのだろう。
しかし、このタイミングで挑戦しなければ、この会社に未来はない。
「教育だけでは足りない。営業そのものの考え方を根っこから変えないとダメだな。」
俺は小さくつぶやいた。
じゃあ、俺はこの状況をどう変えたいのか――。
正直に言えば、営業部の誰もがこの新しい事業に対して積極的になってくれることを望んでいる。だが、それは理想論に過ぎない。全員が同じ方向を向いてくれるなんてことはあり得ない。人間はそんな単純に変わらない。だからこそ、俺が考えているのは「まずは一人」でいいということだ。
営業部の中から、ひとりでもいい。新しい価値観を持ち始める人間を育てたい。
誰もが同時に変わる必要はない。むしろ、そんなことは無理だ。けれども、ひとりが変わり、そのひとりが成果を出すことができれば、それが次のひとりを動かす。そして二人が変われば、次に三人が続く。そういう連鎖を作るしかないのだ。
そのために必要なのは、教育ではなく「体験」だ。理屈で教えても限界がある。自分で成功する体験、あるいは失敗してもそこから学び取る体験。それを積ませるしかない。
だから俺は、営業部の中でも柔軟な考え方ができそうなやつを一人ずつ引っ張り出して、新しい提案を一緒に作り上げようと考えている。細かい資料なんて後回しだ。まずは客先に行き、声を聞き、反応を見て、そこから必要なものを逆算して考える。そうやって実践を通して価値を掴ませるしかない。
もちろん、それで結果がすぐに出るとは思っていない。最初の提案はうまくいかないかもしれないし、そもそも客先だって、こんな新しい仕組みを突然提案されてすぐに理解できるわけがない。でもそれでいい。失敗したときに「次はこうしよう」と考えられるかどうか。そういう積み重ねが営業部の意識を変えていく。
変わるのを待つんじゃない。変わる過程そのものを仕組みにする。そうしないと組織は動かない。
俺の役目は、最初の一歩を踏み出すきっかけを作ることだ。その先で彼ら自身が「こういう売り方もあるのか」と実感できるようにする。理屈ではなく、体験として納得してもらう。これは組織の「再構築」だ。
そう考えると、俺の責任は重いが、まぁ、二人会社が地域の中堅建設工事会社を買収した時点で今更という感じで問題も山積みも折り込み済みだ。ひとつずつツブしていこう。
「営業だけじゃない。総務も変わってもらうぞ」
「え、私達もですか?」