不思議な少年
キーンコーンカーンコーン……
「やっと終わったー!自由だー!」
終業のチャイムが鳴ったとたん、百合子が伸びをしながら男の子のような雄叫びをあげる。
「ちょっと百合子、注目浴びてる……」
「うわっ、あ、すみませーん」
私たちは何となく教室に居づらくなって、さささっと廊下に出た。歩きながら今日の放課後の予定について話す。
「今日はごめん、私生徒会があるのー。約束してた駅前のカフェはまた今度行こ!」
「ん、いーよ。私も予定あったし」
「そっか!なら良かった!」
本当は予定なんてない。でも百合子に申し訳ない気持ちを持たせたくなくて、私も合わせてしまった。
「じゃ、私こっちだから。またね、夕凪ー」
「また明日」
生徒会室がある廊下の曲がり角で百合子と別れ、私は昇降口へ向かった。
靴を引っかけながら出口に向かう。その先にいた人物に気づいた私は、目を見開いた。
栗色の髪に、白く透き通るような肌。華奢な体にグレーのパーカーというファンションがなんとも違和感にあふれるが、何よりも私が驚いたのは、その人の顔立ちだった。ここからは横顔しか見えないが、それだけでも整っているのが分かる。ぱっちりとした目には長いまつげが覆うようにかぶさり、鼻筋はすっと通っていて高く、唇は薄く、美しいさくら色をしていた。
「あの……大丈夫ですか?」
私が第一声にそう声をかけたのは、その人の顔色が悪かったからだ。肌が白いなあとは思っていたが、まじまじと見つめると顔色が悪いようにも見えてきて不安になった。しかもその人はぼーっとしているように見えた。もしかして熱中症?こんな暑い昼間に外にいるから具合悪くなっちゃったとか?
そんなことを考えながらどうしても見逃せなかった私は、そっと声をかけてみたのだ。
「あー……君、ここの生徒?」
私は心底驚いた。声が、低かったからだ。
あまりにきれいな顔立ちをしていたので、その人、いや、その青年は女性だと思い込んでいたのだ。
「え、あっ、えっと……はい」
「そうか。何年生?」
「二年生、です」
「そっか」
それきり青年は黙ってしまった。でも、彼は私から目を逸らさなかった。青年がそのきれいな瞳でじっと見つめてくるものだから、私は慌てて明後日の方向に視線をやった。
「僕のこと、知ってるの?」
「は?」
唐突すぎる上に突飛すぎる質問だったので、初対面の人なのに失礼な返しをしてしまった。
「あ、あの、すみません、えと……存じ上げません……」
「そっか、残念」
「すみません……」
もう一度謝ってから、その場を立ち去ろうとした。しかし、彼に引きとめられた。
「君、名前は?」
「夕凪ですが……」
口にしてから気づいたが、いきなり質問されたので思わず下の名前を言ってしまった。こういうときは普通、名字を名乗るものなのでは?と少し前の自分に対して首をひねる。
「夕凪ちゃん。ね、暇でしょ」
失礼な。会って数秒のあなたに、私の何が分かるの。
そう言いたかったが、ぐっとこらえて聞いた。
「なんでですか」
「いやあだって、やることないー、暇ー、やる気ないーって顔してるもん」
どんな顔だよと呆れつつ、まあそうなのかもしれないと思う。実際に私はこれからの予定などないし、暇ではあるのだから。
「だったらなんなんですか」
「ちょっとでいいよ、僕の趣味に興味ある?」
❖ ❖ ❖
「はあっ、はあっ、はあっ……」
「おーい夕凪ちゃん、遅すぎやしないか?」
「いやっ、あなたが、早すぎるん……でしょっ」
「ははは、それもそうか」
なんでこんなことになったんだ。私はただ興味本位でついてきただけなのに、こんな山道を歩かされるとは。
「でも夕凪ちゃん、本当に体力ないね。このままじゃ日が暮れちゃうよ」
「そんなこと、分かって、ますっ……!」
そんな無駄なやりとりをしながら登り続けていると、上のほうから青年の声がした。
「よく頑張ったね」
「はっ、はっ、はあっ……うわぁ……」
そこには私が今まで見たことのないような、それはそれは美しい景色が広がっていた。
私の住む街から遠く離れたこの場所は、私の街だけでなくそのあたり一帯を見渡すことができた。ちょうど日の入の時間帯だったのか────まばゆい光を放つ夕日が、まるで街に溶けるかのように沈んでいっていた。空は明るい部分とまだ青い部分が混ざり合い、不思議な色をしている。
「きれい……」
「そうでしょ」
そう言ってふふ、と笑った彼の顔は、目の前の景色に負けないぐらいに美しかった。それと同時に、今にも消えていなくなりそうな儚さもあった。
❖ ❖ ❖
「 郡崎 秋斗」
「えっ?」
「僕の名前。郡崎秋斗っていうんだ。多分」
「多分……ですか?」
「そう、多分」
彼の不思議すぎる物言いが、一瞬で有無を言わせぬ空気にした。何も聞いてはいけない、直感的にそう思った。
「……あっ、春海です。名字、春海。夕凪でいいですけど」
「春と秋だ」
「え?」
「春と秋だよ、僕たち。絶対に出会わない二人だ」
……あ、そういうことか。『春』海と『秋』斗。確かに季節だったら出会うことはないだろう。
「ここさ」
この人はすぐに話を変えるくせがあるようだ。
「すごくきれいでしょ。登ってるときはきつくてつらいかもしれないけど、登りきったらこんなにきれいな景色が待ってる。そう考えたら、二回目からは楽に登れる気がするんだ」
「……はあ」
「夕凪ちゃんってさ、顔に出やすいよね。分かってない感じ、まる分かり」
そう言ってくすくすと笑うので、なんだか自分がとても幼い子供のように思えて恥ずかしくなった。
じっと俯いて黙っていると、彼────秋斗は「ごめんごめん」と慌てた様子で謝ってきた。
「大丈夫です、気にしてないので」
「そんなわけないでしょ……明らかに目に見えて落ち込んでたらこっちも怖いって」
「本当に、大丈夫なんで」
「頑固だなあ」
またくすくすと笑う。でもさっきのことで学んだのか、数秒で笑いを止めた。
「まあ何が言いたいのかってさ」
────また話を変える。
「何事も、つらいことはいつか終わるし、その先には良いことがあるってこと」
「はい……え、あの私、何か悩んでるように見えましたか?」
「いや別に?」
「ではなぜその話を私に……」
「うーん」
秋斗は少し考え、まるで今思いついたかのように答えを出した。
「いつか夕凪ちゃんがこれを思い出してくれるように。夕凪ちゃんがきついときとか、つらいときとか、悩んでるときとかに僕とこの景色と言葉を思い出してほしいなって思ったから」
……変わった人だ。
出会ったばかりの見ず知らずの女子高生に、生き抜く術のようなものを教えてくれる。
でも不思議と、嫌な感じはしない。むしろもう少し一緒にいたい、とも思えた。
私と秋斗は、夕日が沈むのを見届けてから急ぎ足で山を下り、麓で別れた。
秋斗にさよならを言って背を向けた瞬間、秋斗の声が聞こえた気がした。
「明日の僕が、君と友だちのままでいられますように」