第3話 線(ライン)
そのような事を、仏原に話した。
しばらく考え込むと、ゆっくり語りだした。
「う~ん……まあ、話を聞く限り、その目のシールをはがすのが良くなかったね」
「はあ……」
「私はね、『線』を超えるって、表現しているんだけど―――」
仏原はメモ帳を持ち出し、ぼたんの目の前で一本の線を描いた。
「いわゆる霊的なものはさ、原因がない不条理な時もあれば、原因があるときもある。君……ええと……」
「あ、すみません。灯籠 ぼたんです」
「ああ、灯籠さんね。君の場合は、明らかにその『目』をはがしてから、そういうことが起こったんだろう?」
「はい……」
「そういうのはね、たいがい『生きている人間』がやってる。心当たりはないかい?」
心当たり―――?
急にそういわれても、ぼたんには思いつかなかった。
「例えば、身近な友人とか、仕事関係とか―――」
友人―――。
仕事先―――。
仕事先―――!?
「あ、あの! 私……最近バイト辞めて……!」
そうだ。
なぜ今まで気が付かなかったのだろう。
ぼたんの言葉に、仏原はペンを止めて顔を上げた。
「辞めた理由に、何か関係があるのかな?」
促されるようにして、ぼたんは思い出したくもない記憶を語り始めた。
ぼたんがアルバイトしていたのは、家から少し離れた個人経営のカフェだった。居心地の良い雰囲気と、優しい先輩たち。始めたばかりの頃はとても楽しかった。だが、店長――30代後半の男性――が、徐々に異常な言動を見せるようになった。
最初は些細なことだった。
「今日も可愛いね」「その制服、君が着ると特別だよ」冗談交じりの軽いセリフだと思っていた。しかし、時間が経つにつれ、それがエスカレートしていった。
「灯籠さん、終わったら食事でもどう?」
「君の家、どの辺だっけ? 送ってあげようか」
ぼたんが断ると、店長の態度は次第に露骨に変わっていった。
シフトを勝手に増やされたり、他のスタッフの前で叱責されたり、嫌がらせのような行動も目立つようになった。
それでも、先輩たちの優しさに支えられ、ぼたんは耐え続けていた。しかし、ある日、決定的な出来事が起きた。
「お疲れさま。今日はもう上がっていいよ」
閉店後、掃除を終えて帰ろうとしたぼたんに、店長が声をかけてきた。いつもの気持ち悪い笑顔だったが、どこか不穏な空気を感じた。
「灯籠さん、ちょっといいかな。話があるんだ」
誰もいない店内で、店長はぼたんにしつこく個人的な質問を浴びせ始めた。
「君、彼氏とかいるの?」「休みの日は何してるの?」
ぼたんは曖昧に返事をしてその場を去ろうとしたが、店長は彼女の腕を掴んだ。
「逃げないでよ。もっと話がしたいんだよね、俺は」
その瞬間、ぼたんの恐怖心は限界に達した。強引に腕を振り払うと、そのまま全速力で店を飛び出した。
次の日から、ぼたんはバイトを辞めた。
「そんなことがあったんです……」
ぼたんは仏原に向かって声を震わせながら話し終えた。
「なるほど……生きている人間の執着が霊になったケースかもしれないね」
仏原は腕を組み、真剣な表情で考え込む。
「灯籠さん、その店長、最近亡くなったとか、そういう話は聞いていない?」
ぼたんはハッとした。
そういえば、辞めた後にカフェが突然閉店したという噂を耳にした。その理由は分からなかったが……。
「それじゃあ、『どっちも』あるかなぁ」
「……『どっちも』……?」
「生きてるかもしれないし、死んでいるかもしれないってこと。まあでも―――」
仏原は、そのふくよかな顔を揺らしながら、
「私の除霊には、あんまり関係ないんだけどね―――」
と、どこかゾッとするような笑みを浮かべた。