1-6 忙しない毎日
忙しくしていると、あっという間に時が過ぎるものだ。
あれからエクセル君ことクリストフには、主に防災地図作りに専念してもらっている。公爵領は広大なのでかなり大規模なプロジェクトだ。
シリルとフェリシアは常に手を繋げる距離にいるので協働だ。主に、冷害のための備蓄づくりと、自然災害対策のための魔法探しをしている。だが、なかなかそれらには専念できない状態になっていた。何故なら――――…………
「また、政務がこんなに……!!全部俺のところに回ってきているんじゃないか?」
「王太子殿下は一体何をしてるのかしら……」
やはり小説の通り、国王は病から回復しない。それで滞った政務が行き場を失い、シリルのところへ回ってくるようになったのだ。
「下手に手を出されるよりは良いが……はあ……」
「シリルに回せば早く片付くって、文官にはすっかりバレているものね。仕方がないわ……今日も頑張りましょう」
手分けして政務を片付けていく。最近はもう、回ってくる政務と緊急の案件に対応するので手一杯な状態なのである。シリルは書類の束に手をつけながら、訪ねてきた文官に指示を飛ばしていた。
「やはり、税収が不自然に減っている領地が幾つかある。このリストにある領地は監査を入れる必要があるな。準備をしろ」
「はいっ」
「それから……そうそう、この書類で申請のあった件だが、必要な金額の詳細が不透明すぎる。出し直せ。あとは…………」
「シリル様、トーマ子爵からお手紙が。緊急の案件のようです。いかがされますか」
話の途中で早速、シリルの従僕であるゲオルクが慌てて文を持ってきた。毎日こうして緊急の案件が入るのだ。
「ごめん、悪いけどフェリシア、確認してくれる?」
「はい、分かりました」
フェリシアはなんとかシリルに付いていき、補佐をしている状態だった。彼は頭の回転が異様に速いので、追いつこうとするだけでいっぱいいっぱいだ。
「シリル、トーマ子爵領のドラン川にある橋が壊れて、村が孤立しているわ。子爵だけでは対応しきれず、救援要請が来ているの。騎士を何名か組ませて派遣するけど良いかしら?」
「ああ。それなら王都東区の警備に当たっている人員に余剰があるから回すと良い」
「分かったわ。ゲオルク、それでは王都東区の警備に当たっている第二部隊から十名弱を送るわ。騎士団に先触れを出してもらっても?」
「はい!分かりました!」
大体の業務を終えるといつも、シリルとフェリシア、クリストフの三人はお茶を飲みながら、お互いを労い合った。最近は全員顔がげっそりしている。
「今日もお疲れ様です…………」
「クリストフもお疲れ様。クッキー食べてね……」
「ありがとうございます……」
黄金色に焼きあがったクッキーは美味だった。王宮のシェフの腕に、命を助けられている節がある。
「染みるわ…………シリル、疲れているところ悪いんだけど、仕事の相談をしても良い……?」
「ああ、もちろん」
「今日、橋の修繕の話があったけど……これからもっと雨が多い季節になるから、地盤が緩みやすくなるわ。しかも社交シーズンで貴族は王都にいる……。緊急の災害時に派遣できる部隊を作っておいても良いんじゃないかしら」
「そうだな、水害の対策にもなるしやろう。普段は違う業務を割り当てて、緊急時にすぐ動けるようにしておこう。それから――…………」
シリルと二人、結局仕事の話で盛り上がる。それを見ていたクリストフが、クッキーを齧りながらしみじみと言った。
「本当に息ぴったりですよね……。お二人ってずっと一緒にいるんですか?」
「え?違うわ。会ってからまだ一ヶ月経っていないのよ?クリストフと変わらないわ」
「ええっ!?何でこんな通じあってるんです!?」
「そ、そうかしら……」
フェリシアはぽぽぽっと赤くなった。シリルと息ぴったりだと言われるのは、嬉しいけど照れ臭い。クリストフはなおも続けた。
「いや、第一、シリル様は優秀なことで元々有名でしたけど……それに付いて行っているフェリシア様は一体何者なんですか?生え抜きの文官の僕でもしんどいのに……」
「ええ?私だって、付いていくのがやっとよ?」
シリルはお茶を一口飲んでから、困ったように笑って言った。
「フェリシア。君は侯爵の代わりに、侯爵領の仕事をやらされていたんじゃないのかい?」
この言葉に、フェリシアは動きをぴたりと止めてしまう。
「ど……どうして分かったの……?誰も知らないはず…………」
確かにフェリシアの父は、動けないフェリシアに侯爵領の仕事を回して、手伝わせていた。フェリシアは分からないなりに前世の知識を使い、必死に領地を回してきたのだ。
フェリシアが仕事を回せると判明すると、父のたらい回しは余計に悪化した。
しかし、表向きは何一つ、フェリシアの功績になっていないことだ。
「君の仕事ぶりを見てたら、すぐわかるよ」
シリルはフェリシアの手をぎゅっと握った。休憩時間はいつも、手を繋ぎっぱなしだ。
「実際、君の家の領地は、君がいなくなって荒れている。有能な人員を派遣する必要がありそうだ」
「それは……申し訳ないわ……」
「いや、君が謝ることじゃないだろう」
空いた手で頭をさらりと撫でられた。フェリシアはその手に頭を預けたくなるほど、うっとりしてしまう。
クリストフが大変乾いた声を出した。
「お二人の世界になってるところ申し訳ないですけど……明日は例の茶会ですね」
「そうだね」
「え、ええ」
そう、明日は例の茶会――――主人公カロリーナと、王子二人が出会う日なのだ。つまり、とうとう小説の時間軸が始まる日なのである。
「フェリシア様も参加されるんですよね?」
「ええ。シリルの婚約者として参加するわ」
明日王宮主催で開かれるのは、年頃の貴族女性ばかりを集めた、王子とのお茶会である。つまりは王子と貴族女性の、実質的なお見合いの場なのだ。
現在王が臥せっているため、特に王太子の婚約が急がれている。しかし彼は、婚約に前向きでないのだ。これに困った王宮側が貴族女性をかき集め、気に入る女性を見付けさせようとしているのである。
本来小説においては、この会は王太子テオドールだけでなく、第二王子シリルの婚約者を見繕うためのものでもあった。
しかしシリルは最近になって突然、侯爵令嬢フェリシアと電撃婚約したのである。
これまで隠されてきた深層の令嬢と王子の突然の婚約は、貴族たちの関心を一気に集めてもいる。
そこに創作の余地を見出した吟遊詩人が、ロマンチックな歌にしているくらいなのだ。
「俺は参加しなくても良いよって言われたんだけど、主人公カロリーナと兄の動向を見ておきたいからね」
「そうよね。それに、明日はノイラート公爵家のアンネリーゼ様も参加されるのよね?」
「ああ。彼女にも接近したい」
水害が起こるとされているノイラート公爵領。そこの公爵には再三、現地視察をしたいと手紙で要請している。しかし、のらりくらりと躱されているのだ。
向こうは三大公爵の一角。下手に強硬手段に出るわけにもいかない。
そこで、今回娘の方から接触してみようというわけである。
「アンネリーゼは穏やかな令嬢だから、君とも気が合うと思うよ」
「ああ、二人は知己なのね?」
「ああ、とても幼い頃から知っている」
その言葉にフェリシアは、少しだけ心がもやもやするのを感じた。
――幼い頃から知っているのなら、アンネリーゼ様には……シリルが何を考えているのか、私よりもずっと分かるのかしら?
これだけ四六時中一緒にいても、フェリシアにはシリルの本心が分からないままだった。
――それに、カロリーナ。原作では、シリルは彼女に恋をする。明日カロリーナに会ったら、彼も変わってしまうのかもしれないわ……。
フェリシアは漠然とした不安を、抑えられないでいた。その様子をシリルがじっと見ていることに、フェリシアは気が付かなかった。
♦︎♢♦︎
「不安?」
その夜、お別れの時間。シリルが端的に聞いてきた。
「そんな顔してた……?」
「そんな顔してた」
シリルが頷く。フェリシアは呻いた。
「う……だってカロリーナは、傾国の美女なのよ?彼女を見たら、貴方も豹変するかもしれないわ」
「俺が彼女を好きになることは決してない」
「……断言できるの?」
「俺には、好きな人がいるから」
シリルの言葉に、フェリシアはズガンと脳天を殴られたように感じた。
好きな人、いるんだ。
知らなかった……。
キスする態度などから、そうなんじゃないかと、薄々分かってはいたことだが……はっきり言葉にされると、とても胸が苦しかった。
「シリル……それじゃあ貴方は、誰にも心を許していないのね」
「……そう見える?」
「見えるわ……」
絞り出すように言うと、頬にするりと手を這わされた。そのままごく自然な動作で口付けられる。今はもう、毎晩の習慣だ。
「ん…………ふぅ………………っ」
まるで確認するように、舌を隅々まで這わされる。こうされると頭がぼうっとして、気持ちが良くて、何も考えられなくなるのだ。フェリシアは毎日、この時間を待ち遠しく思うようになっていた。
「ん………………んっ……………………」
「……はっ。……今日は、ここまで」
「ん…………うん…………」
「何か、見えた?」
「茶会でカロリーナを見て、顔色一つ変えない貴方が見えたわ」
「そうだね。それは正しい未来だよ」
シリルは水色の瞳を緩めて微笑んで、フェリシアの頭をさらりと撫でた。これが毎日のお別れの合図だ。
なんでこんなに優しい顔するの。
なんでこんなに優しく触れるの。
好きな人がいるのに――――――。
フェリシアその日、枕に突っ伏して、声を殺して泣いた。失恋したのに、彼に触れるのを止められるのが怖い。こんな自分が嫌だった。