1-5 嫌じゃないわ
王宮に来てから少ししたある日、シリルがフェリシアに言った。
「フェリシア、君は魔法の鑑定を受けたことはある?」
「ないわ」
魔法の鑑定をする人のことを、鑑定士と言う。
鑑定士はその人の持つ魔法の詳細を調べて、効果的な使用方法を教えてくれるのだ。
普通の貴族は魔法が開花したらまず鑑定を受けるものだが、フェリシアは家に軟禁されて隠されていたため、未経験だった。
「だよね。王宮に鑑定士を呼んだんだ。君の魔法をみてもらおう」
「ありがとう」
自分の魔法のことを、詳しく知れるのは嬉しい。何も言わずに察してくれるあたり、シリルは勘が良いのだと思う。
この世界において、人は一人につき二つの魔法を持つことができる。
この国の教えによれば、父なる神と母なる神からの贈り物であるから、二つの魔法なのだと言う。
魔法の開花時期は人によってまちまちだ。しかし、大半の人が十代半ばまでに二つとも開花すると言われている。
開花する魔法の種類は、本人の趣味趣向や生育環境によって変化するらしい。
例えばフェリシアは、目が見えず疑心暗鬼となる環境で育ったため、自分の身を危険から守るような魔法が開花した。
「シリルの魔法は、一つが≪再生≫よね。もう一つは何なの?」
「≪反射≫だよ。人ひとり分だけど、攻撃を全て跳ね返すシールドを張れる」
「すごい!強力ね」
「はは、小さい頃から暗殺されかけることが多くてね。こんな魔法が発現したんだ」
「なるほど……」
どうやらシリルも、相当苦労してきたらしい。
しばらく歩いたあと、シリルは王宮の一室で足を止め、ノックをした。返事があったので、手を繋いだまま入室する。
「フェリシア。こちらが鑑定士の、イングリット・クルーゲ先生だよ」
「フェリシア・モーリスと申します。お初にお目に掛かります」
「お話は伺っておりますわ。フェリシア様。早速ですが鑑定をしますので、どうぞこちらへ」
イングリッドは金髪をきっちり結い上げて眼鏡をかけた、利発そうな女性だった。促されるままに隣に座る。
シリルの手がそっと離れた。最近は繋いだままが当たり前になっているので、離れると寂しさを覚える。
「鑑定させていただきます」
「はい」
イングリッドはフェリシアの手を取り、大きな虫眼鏡のようなもので観察し始めた。どうやらこれが、鑑定の道具らしい。
鑑定を始めると、フェリシアの手はぼんやりと柔らかく、緑色に発光した。
「なるほど…………二つとも、非常に稀有。国でも指折りに数えられるほど、強力な魔法ですわ」
「そうなんですか」
「まずは、≪心視≫。これは相手の心の色を見る魔法……。フェリシア様は、どのように使用されていますか?」
「相手が嘘をついていないか見たり、何をしようとしているのか掴むために使っています。まあ、目が見えなかった頃は、そこに人がいることを確認するために使っていましたけど……」
「十分、活用できていると言えますわ。もっと発展させれば、相手の気持ちの変化や、次の行動が細かくわかるようになります。必要なのは良く色を観察すること、そして毎日訓練することです」
「なるほど……」
「それに、見えぬ場所に潜んでいる影の者や、暗殺者を見破るのにも使えますわ。ただし……彼らは自分の姿を隠す魔法を持っていることが多いので、要注意です」
「わかりました」
フェリシアは頷いた。今まで手探りでしか魔法を使ってこなかったので、大変勉強になる。
「さて、もう一つが重要です。≪未来察知≫……時空に干渉する魔法は、とても希少なのです。扱いもそれだけ難しいのですわ」
「やっぱり、そうなんですね。触れていると、たまに相手の未来が流れ込んでいくるのですが……タイミングがまちまちで」
「毎日同じ人に触れて集中する訓練をすれば、タイミングは制御できるようになります。危険な未来であればあるほど、確実に予知することができるようになりますわ」
「そうなんですか……!頑張ります」
それなら毎日シリルに触れているので、効果的に訓練できそうだ。
「ちなみに、相手に触れている面積が大きく、触れている時間が長いほど……正確に未来が見えることには、自覚がありますか?」
「はい、あります」
「さらに細かく、先の未来まで見る方法があります。『粘膜接触』です」
「ねんまく、せっしょく……?」
「端的に言えば、性交ですね」
「せっ…………!!」
隣でお茶に口をつけていたシリルが、ぶふぉっと変な音を出した。どうやら吹き出す寸前で堪えたらしい。
「実際には性交までしなくとも、それに準ずる行為でも十分効果はあります」
「じゅんずる……?」
「具体的に言えば……例えば、舌を絡めたキス。性器への口淫。性器同士の…………」
「先生、ストップストップストップ!!!」
シリルが勢いよく割って入った。その白磁の目元が赤く染まっている。
「先生、後の話は俺が引き継ぎます。フェリシアには、ちょっと刺激が強いので」
「あらまあ。気が利きませんで、申し訳ありません」
イングリッドはころころと笑っている。
フェリシアは林檎より真っ赤になって、大変混乱していた。
先ほど言われたようなことをシリルとするのを、ありありと想像してしまったからである。それに……。
――私、嫌じゃない。シリルとなら、しても良いって思った……。
それがわかってしまって、フェリシアはより混乱していた。
こうして彼女の魔法の鑑定結果はシリルに引き継がれ、最後まで聞くことは叶わなかったのである。
♦︎♢♦︎
フェリシアはフラフラとしながら部屋に帰った。もちろん、それもシリルと手を繋ぎながらだ。
いつ何時、どちらの身に危険があるか分からないので、これは必要なことなのだ。必要なことなのだが……。
――すごく、ドキドキする……。
触れる手が、今は何故かとても熱く感じた。シリルの手も、いつもよりずっと熱い気がする。
彼も、ほんの少しは想像したりしたんだろうか?
そんなことを、ずっと考えていたからかもしれない。
フェリシアの部屋に入って、するりと手を離されそうになった時、彼女は思わずくん、と手を引いてしまった。
「フェリシア?どうしたの……?」
「えっと…………あの…………」
もごもごと言い淀む。
フェリシアは家に軟禁されていたので、もちろん処女だ。もっと言えば、前世も最後まで男性に縁がなかった。
そういう行為に興味がないと言えば、嘘になる。
――それに、シリルにもっと近づいてみたい……。
だからフェリシアは、とうとう言ってしまった。
「その。さっき言われたことは…………試さないの…………?」
「は……」
「ええと、未来が細かく、先まで見えるのよね?じゃあ、シリルと、した方が良いんじゃないかって…………あの…………」
「……フェリシアは、良いの?」
シリルは鋭く言った。その水色の瞳は無機質に光っている。珍しく、とても怒っているように見えた。
「わ、私は…………」
シリルの長い指が、フェリシアの頬にひたりと触れた。触れられたところから、びりりとした疼きが走る。もっとこの指に触れられたい、本能的にそう思った。
「シリルとなら…………良いよ…………」
「そういうこと、男に軽々しく言っちゃダメだよ」
シリルはそう言って、ずいっと端正な顔を近づけてきた。フェリシアはビクリと跳ねる。目を逸らせない。
「本当にするよ?」
シリルの顔が傾けられ、金の髪がさらりと流れた。その瞬間、唇に、柔らかいものが押し当てられた。
キスされたのだと後から自覚する。
フェリシアの心臓はドッと鳴った。しかし同時に、こう思った。
――やっぱり、嫌じゃない。それに、懐かしい気がする。
鋭く射抜いてくる水色の瞳を強く見返して、フェリシアは言った。
「私、嫌じゃないわ…………」
「…………っ!!」
シリルはまるで痛みを堪えるみたいな顔で、今度はかぶりつくように、勢いよく口付けてきた。
彼の濡れた唇が、角度を変えて、何度も何度も唇の表面をなぞってくる。それだけでぞくぞくとして、フェリシアは溺れそうな心地になった。
顔が離れる。フェリシアがのろのろと顔を上げて見ると、シリルはどこか昏い瞳をしていた。
心配になって尋ねる。
「私とするの、嫌だった……?」
「嫌じゃない!…………嫌じゃないよ…………」
――それなら何で、そんな顔をするんだろう。
フェリシアはまた、シリルのことが分からなくなった。
近づいたと思ったら遠ざかっていく、そんな人だ。
「シリル…………あのね、未来が見えたわ…………」
「本当か?」
フェリシアは、小さくこくんと頷く。
キスの終盤、口蓋をつつかれている時に、未来が流れ込んできたのだ。
「土砂降りの大雨が降っていたの。貴方は必死に、現地で何かをしているようだった。その時、貴方のいる建物の壁にカレンダーが掛かっていた。カレンダーは……八月だった」
「八月…………水害が起こるのは、八月ということか」
まだ少し荒い息を抑えながら、フェリシアは頷いた。
「いつもより、ずっと細かく映像が見えたの。しかも、八月……今より、五ヶ月も先の未来よ」
「…………そうか」
「だから、またしましょう……?」
フェリシアは、勇気を出して言った。
シリルに触れられるのは、とても心地良かった。一度彼の温度を少し知ってしまったら、もっともっと欲しくなってしまったのだ。
――きっと私、シリルのことを…………。
そう思いかけた時である。
シリルが、フェリシアの頭をさらさらと撫でた。温かい大きな手のひらが、優しく往復する。
水色の瞳はもう昏くはなく、緩やかに細められていた。
「分かった、君が良いなら……」
「うん……」
「ありがとう、フェリシア」
シリルが本心で何を考えているのかは、未だに分からない。
けれど彼が触れてくる手は、やっぱりどこまでも優しかった。
魔法の発動に必要なのを言い訳にしているようで、少し気が引ける。
けれどフェリシアは、シリルを求める自分の気持ちを、もう抑えられそうになかった。