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3-5 シリル・ブランシャールの人生(※シリルサイド)

シリル・ブランシャールが前世を思い出したのは、十八歳の時。父である国王が臥せったと知らせを受けた、その瞬間だった。


『愛の鳥籠』……よりによって、最悪な作品の世界に転生したらしいことは、すぐに分かった。

前世の記憶の中に、その小説の情報はあった。エリートとして生まれ、農林水産省の官僚として激務をこなしていた前世。仕事に忙しく、恋人ができても長続きしないまま、二十六で死んだ男の……一生分の記憶だ。


――とりあえず、このままだとヤバいな。

俺も死ぬし、国が滅茶苦茶になる。

仕方がない、俺は王子だ。

何とかするしかない。


潔くそう覚悟を決めた、その時である。シリルはふと思い出した。


――そういえば、この小説……滅茶苦茶可哀想なキャラがいたな。

フェリシア・モーリスだっけ……。


シリルは小説の中の、フェリシアのことを思い出した。両足と視力を失い、軟禁され、家のために働かされ。挙げ句の果てに家の罪を背負い、処刑される悲劇の令嬢だ。

前世の小説のファンには、『薄幸令嬢』とか呼ばれていた。


――可哀想だから、助けてあげよう。俺の魔法なら、視力も戻せるかもしれない。もしかしたら、俺に協力してくれるかも。彼女の魔法は強力だし……。


それは、ほんのささいな思いつきだった。少なくともその時点では――――そのはず、だった。


そうして思いつきでシリルが助けたフェリシアは、転生者だった。

フェリシアはとても優しく、健気でひたむきで、我慢強い女の子だった。

彼女はいつでもシリルの一番の味方でいてくれて、理解者になってくれた。

シリルは、驚くほどあっという間に彼女に夢中になっていった。


出会ってから一ヶ月後の、彼女のデビュタントの日。忘れもしない、もう遠い日の記憶だ。

その日、美しく着飾ったフェリシアの姿を見て――――シリルは見惚れた。彼女は儚げで、とても可憐だった。

夢のように美しい、フェリシアとのファーストダンスの時間。彼女はシリルの胸にそっと、その桜色の小さな頭を預けてきた。


――この子が、俺は何よりも大切だ……。


シリルはその瞬間、衝動的にそう思った。

それは、自分が狂おしいほどの恋に溺れていることを、初めて自覚した瞬間でもあった。

前世から通してみても、ここまで誰かを強く想うのは初めてだった。



それからも、二人は汗水流して国を支えた。そしてシリルは我慢できなくなり、とうとうフェリシアに想いを告げたのである。


「私も、シリルが大好き……」


その時のフェリシアは、綺麗な薄緑の目を潤ませて、赤くなりながらそう答えてくれた。

人生でもうこれ以上の喜びはないと、シリルは舞い上がった。


しかし――――悲劇は、間も無く訪れる。

想いを通じ合わせて、たった三日後の夜のことだ。フェリシアが、暗殺されたのである。


冷たい骸になった彼女を胸に抱いて、シリルはこの世に絶望した。

過呼吸を起こし、パニックになる頭の中で、シリルはひたすらにあることを思った。


 

――――全部、全部、全部――――……時が、巻き戻れば良いのに…………!!!


 

その瞬間である。

対象が()()()()()に指定され、≪再生≫(オール・クリア)が発動したのが分かった。


奇妙に逆再生されていく周囲の景色の中、シリルは混乱したが、やがて納得した。


――そうか。俺の≪再生≫(オール・クリア)の本質は、時間の逆再生なんだ。

これなら、フェリシアが生き返るかもしれない……!!


長い時間を逆再生するにはしばらくかかったが、気がつくとシリルは()()()()()()()()()()まで、巻き戻っていた。


――ここまでが、巻き戻せる限界ということか……?


とにもかくにも、シリルはすぐにフェリシアを助けに行った。


「シリル・ブランシャール……第二王子殿下……!?」


フェリシアが完全に初対面の様子に戻っていることに、シリルの心は大きく傷付いた。

しかしそれでも良かった。だって、彼女が生きているのだ。


 

そこからだ。

シリルの途方もない、『やり直し』が始まった。

 


二周目のシリルは、時間を逆再生したことを正直にフェリシアに告げた。自分たちが恋仲だったことも含めてだ。

初めは警戒していたフェリシアも、時間を共にするうち、再度シリルを信頼してくれるようになった。そして再び、彼に想いを寄せてくれた。


二人は一周目より早く、恋仲になった。シリルは喜びのあまり、ぽろぽろと泣いたのを覚えている。

 

しかし、その二日後――――フェリシアが、また暗殺されたのだ。


「どうして……!!どうして!!」


シリルは今度は一切の迷いなく、≪再生≫(オール・クリア)を発動した。


しかし、そうやってシリルが何度やり直しても、どんなに万全の対策を施しても――――フェリシアが死ぬ運命は、避けられなかったのである。



シリルは何十周も『やり直し』を繰り返すうちに、やがていくつかの規則性を見出すようになった。


一つ。

≪再生≫(オール・クリア)で巻き戻せる地点は、シリルが記憶を思い出した瞬間に固定されていること。途中で解除したり、逆に開始地点を早めたりすることはできない。


一つ。

どうやら『シリルと両思いになる』ということが、彼女が死亡するフラグになっているのだということ。シリルが苦しみながら彼女を拒絶した際は、彼女の寿命は随分と伸びた。最大で、出会ってから三度目の社交シーズンまで辿り着いたこともあった。


一つ。

時間を巻き戻す度に、世界に細かな『ずれ』が生じるということ。小説に記載してあった情報や登場人物は、毎回固定されている。しかし、水害の時期や見つかる芋の品種、味方になる面々などが変わった。


一つ。

経験や記憶は蓄積されるが、シリル自身の肉体の時は止まっており、年を取らないということ。だからシリルは何度も十八歳に戻って、何十周もすることができた。



それらの規則性を見つけながら、シリルはできうる限り、あらゆることを試した。

憎きテオドールを暗殺しようとしたこともあった。フェリシアを連れて、国外逃亡を図ったこともあった。フェリシアだけ助けて、世界を放置してみたこともあった。わざと、フェリシア以外の人物と婚約してみたことすらあった。

しかしその度に、最後には結局、フェリシアが死んだ。


『やり直し』を繰り返すうちに、シリルの心は疲弊し、どんどん壊れていった。

それでも彼は何度でもフェリシアに恋をしたし、彼女だけを愛した。むしろ、繰り返しをすればするほど、シリルにとっての希望はフェリシアしかおらず……シリルは彼女へ、どんどん依存していった。


シリルは希望と絶望を交互に繰り返すうち、やがて一つの結論に辿り着きかけていた。



――俺が『やり直し』をすること自体が、フェリシアの死因になっているのではないか……?

 


それは考えられうる中で、一番最悪の結論だった。

それでも結局、シリルは諦められなかった。

どうしてもフェリシアが生きていた時間が恋しくて、一緒にいたくて。何度でも何度でも、何度でも――――時間を、巻き戻してしまったのである。



♦︎♢♦︎



周囲の巻き戻しが続く世界の中で、時空の狭間とも言える場所に、シリルとフェリシアは二人きりで居た。

シリルは座り込みながら、これまでのことをぽつぽつと話し、フェリシアはじっとそれを聞きながら、彼の肩に頭を預けていた。

 

「何周したのかは、正直、もう覚えてない……。でも……災害で弱った隙を狙った、少数部族の弾圧……これは、毎回起こっていたけど、具体的なタイミングを知らなかった……。防げたのは、今回の周が初めてだ……」

「この鏡が、きっと全部を断ち切ってくれたんだわ」


フェリシアは胸元から、祝福の鏡を取り出した。役目を終えたそれは、鏡の部分が細かく割れてしまい、もう壊れたようだった。


「ディルカ族の長老の話だと、やはり……無数の因果――つまり、俺の『やり直し』こそが、君を殺す原因になっていたんだね……。きっと、俺が、君の運命を捻じ曲げようとしていたからだ……」

「そんな……そんなの!!」


フェリシアは眉間に皺を寄せ、シリルの頬を包み込んで、その目を覗き込みながら言った。


「シリルは、私を助けようとしてくれただけでしょう……!?何年も……何十年も!たった、一人で……!!」

「…………シア」

「……辛かったね。シリル。寂しかったね……。ごめんね。何度も悲しませて、ごめんね……」

「シア…………っ」


シリルのアクアマリンの瞳からは、大粒の涙がぼろり、ぼろりと零れ落ちていった。彼は唇を戦慄(わなな)かせながら言った。


「シア……もう、死なないで……」

「うん……」

「もう、俺のこと、忘れないで……!」

「うん……!」

「もう、俺のこと、置いていかないで……!!」

「うん……!!」


フェリシアは思い切り強く、シリルを抱きしめた。彼の身体は、ぶるぶると大きく震えていた。何度もその背中を優しくさする。


――私はこの人を、一体どれだけ追い詰めてきたんだろう……。


フェリシアの目からも、ポロポロと透明な涙が溢れた。


「俺は……シアだけを、愛してる……!何度やったって、君だけが好きなんだ……!!」

「うん。ずっと、ありがとう……。私もよ。私も、シリルだけを愛してるわ」


フェリシアは身体を少しだけ離し、シリルの顔を間近で見つめながら言った。


「今度こそ、ずっと一緒にいるからね……」


 

そうして久しぶりにしたキスは、涙の味がした。


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