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3-3 大夜会にて

今日は二度目の社交シーズン、始まりの大夜会だ。

 

フェリシアは水色のドレスを身に纏っていた。シリルから贈られたドレスは十分にあったが、その中でも彼の目の色を、敢えて選んだのだ。水色と一言に言っても、水色と薄いブルーグレーのオーガンジーが複雑に重ねられた上品な品で、落ち着きがある。グラデーションのようになっており、見る角度によっても色味が変わって見えるものだ。上のビスチェ部分はシンプルで、白い絹糸で美しい刺繍が施されていた。


「シア……行こうか」

「ええ」


王子の正装を身に纏ったシリルと手を繋ぐ。

触れ合いはめっきり減ってしまったが、それでもなお二人は強い信頼関係で結ばれていた。



♦︎♢♦︎



「シリル殿下。お会いするのはお久しぶりですね。殿下の素晴らしい手腕の程は、聞き及んでおります」

「マティス卿。いつも支えてくださり、本当にありがとうございます」


まず真っ先に挨拶をしてきたのは、シリル派閥の代表であるマティス・ノイラートだ。

彼の後ろにはアンネリーゼがいる。手紙でずっとやり取りを続けていた彼女と、アイコンタクトを取り合った。後で少し話せるだろうか。


アンネリーゼの想い人である副騎士団長ヴィルヘルムは、今日も忙しそうに動いていた。王太子と歓談し続けている、ベルト・ティリッヒ騎士団長とは大違いだ。

ヴィルヘルムは黒い長髪に、切長の赤い目をした美丈夫である。しかも人望が厚く、中身もとても良くできた人物であるのだとか。アンネリーゼが長年片想いしているのも頷けた。


マティスは少し声を潜めて、シリルに告げた。


「こう言っては何ですが、随分ときな臭い動きが多いです。シリル殿下だけではなく、身の回りの方の安全にも十分にお気をつけください」

「ええ。わかりました。マティス卿も、十分に注意してください」


貴族の暗殺や恐喝を厭わない王太子を敵に回してまで、味方になってくれているのだ。マティス自身やその周辺にも、危険が多いと予想された。


「うちの私兵は優秀ですから」

「信じています」


それから二人は実務的な話を少しして別れた。すっかり運命共同体である。


そしてらその次にやってきたのは、なんとノイラート公ノルベルトだった。

王太子テオドールに挨拶するよりも先に、シリルの元に来たのだ。実質的に、テオドールに対する決別宣言と受け取られても、仕方のない行為である。


「……驚きました、ノルベルト卿」

「なに。殿下の働きを実際に目で見ていれば、理由は十分です」


ノルベルトはその鋭い眼光を、少しだけ緩めて言った。


「この冬、殿下が取り組まれた省内改革は見事なものでした。素晴らしい手腕です」

「娘さんのハンナ嬢には、非常に助けられています」

「ふふ。直属の上司が、随分良いようですから」


ノルベルトはふっと笑った。少し微笑むだけで、随分と優しげな初老の紳士に見える。

その後ろでは、ハンナが真っ赤になっていた。どうやら彼女の片想いは、父にはお見通しらしい。

そんなハンナの横で、がっはっはと豪快に笑った人物がいた。


「がっはっは!!ハンナ、真っ赤だな!!」

「お兄様、煩いわよっ!!」

「ネルケ。夜会に出ているなんて珍しいな」


シリルは意外そうに言った。どうやら知り合いらしい。


「何、今日は我が家にとって大切な夜会とのこと!!一応長男である俺は、出席するようにと言われてな!!まあ、家を継ぐ権利は放棄しているがな。わはは!!」

「これ、ネルケ。声が大きすぎる」

 

シリルはフェリシアの方を向いて、紹介してくれた。


「シア、紹介するよ。彼はネルケ・トラウトマン。こんなのだけど、騎士団で隊長を務めているんだ。ネルケ、俺の婚約者のフェリシア・モーリス侯爵令嬢だよ」

「フェリシアと申します。以後お見知り置きを」

「ようやくお会いできて嬉しいです!!フェリシア嬢、シリルとは昔馴染みなんですよ!!俺が兄貴分です!!」

「そうなんですか!」

「ディルカ族を助けた時、警備に当たってもらった部隊。それが、ネルケの部隊だったんだよ」

「そうなのね。信頼する部隊に任せるって言っていたものね」

「そう、こいつはちょっと馬鹿だけど、信頼できる男だからね」

「シリル殿下、愚息はちょっと馬鹿なのではなく、大馬鹿なのです」

「がっはっは!!」


馬鹿馬鹿と連呼されているのに、ネルケはその筋肉質で大柄な体を揺らして、気持ち良く大笑いしている。とても明るい人物のようだ。


「俺は馬鹿なので家督を継ぐことを放棄し、騎士団で頑張っているんです!なに、愛する妻と子がいるので毎日が幸せいっぱいですよ!!」

「このように、馬鹿だけど前向きで、正直で、大変気持ちの良い人物なんだ」

「素敵ですわ」


フェリシアは微笑んだ。ネルケは金色の瞳を少し細めて、フェリシアに言った。


「フェリシア嬢、シリルをどうぞよろしくお願いします。不器用な男ですが、正義感と一途さだけは誰にも負けません!!」

「はい。それはよく分かります」

「シリル、お前もフェリシア嬢を泣かせるんじゃないぞ!!」


これにシリルは、曖昧に微笑んだ。思うところが色々あるのだろう。フェリシアは込み上がる切なさを堪えた。



♦︎♢♦︎



「シア、ダンスを踊ろうか」


主要な第二王子派閥の貴族と挨拶を終えた後、シリルが言った。フェリシアは少し緊張しながらシリルの手を握り返して、返事をした。


「ええ、喜んで」


会場の真ん中に進み出て、体を合わせる。腰を抱き寄せられて密着し、久しぶりの体温にフェリシアの心臓はドキドキと高鳴った。曲の切れ目に合わせて、優雅にステップを踏み出す。彼の巧みなリードのお陰で、相変わらず踊りやすかった。


「シア…………その色、良く似合ってる」

「ありがとう…………」


シリルが切なそうにアクアマリンの目を細めたので、フェリシアは何だか無性に泣き出したい気持ちになってしまった。


今すぐ、思い切り抱きつきたい。

貴方の温度が恋しい、シリル。


そんな思いを込めて、じっと見つめ返す。彼の絹糸のような金髪がシャンデリアの灯りの下で煌めいて、美しかった。去年の、デビュタントのダンスを思い出す。

こうしていれば、二人の間にはまるで、何の障害もないみたいだった。

この時間が永遠に続けば良いのに、とフェリシアは思った。


しかし、楽しい時間というのはすぐに過ぎ去るのもので。

まるで夢が覚めるかのように、あっさりと曲は終わった。


そして――――天国から地獄に落ちる時というものは、あっという間だ。


「シリル!!会場から逃げて!!」


未来が見えたフェリシアが、叫んだ時にはもう全てが遅かった。会場の様相が一瞬にして変わる。

巡回をしていた一部の騎士たちが、別の騎士たちに取り押さえられるという異常事態。見渡せば騎士団の副団長ヴィルヘルムは、なんと騎士団長ベルトに刃を向けられている。


騒つく人々が自然に割れ、王太子テオドールがシリルに向かってゆっくりと、楽しそうに歩み出てきた。

こちらがクーデターを起こす前に、向こうが直接仕掛けてきたのである。

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