3-1 シリル陣営の戦い
あれから表面上、フェリシアとシリルの距離は変わらなかった。いつも傍にいるし、手を繋いでいる。
でも、二人の間で決定的に、何かが変わった。それは何も、触れ合いがなくなったことだけじゃない。
目を合わせることが、少なくなった。
くだらない話をして密やかに笑うことも、なくなった。
二人の間には、埋められない決定的な隔たりができてしまったのである。
フェリシアは心が壊れそうなほど、苦しんだ。あんなこと言わなければ良かったと、何度も何度も後悔した。
こんな風になってしまったにも関わらず、シリルを想う気持ちは色褪せるばかりか、日に日に募っていくのだ。
フェリシアはアンネリーゼに辛い気持ちを手紙で打ち明け、励ましの返事をもらい、それだけを支えにして生きているような……とても、不安定な状態だった。
一方で、病に臥せっている国王の状態が悪いとの噂が、まことしやかに囁かれ始めた。シリルには、直接の情報は何も入ってこない。父親なのに、面会もできない。一体国王がどこで臥せっているのか、それすらも分からなかった。
「俺は……テオドール兄上が、父上を軟禁しているんじゃないかと疑っているよ」
「それは……最悪のパターンね」
二人は話し合った。政治的な話や実務的な話なら、問題なくできるのだ。
王太子テオドールとカロリーナの増長は、目も当てられないほど悪化していた。
彼らは金を湯水のようにばら撒き、贅沢で退廃的なパーティーを開いては、貴族たちを喜ばせていた。
あらゆるところで王太子派の貴族や騎士が増長し、尊大な態度を取って、幅を効かせるようになった。
さらにテオドールたちは、よく分からない新進気鋭のアーティストやらを集めたサロンや、国中を横断する舞台の上演にも、際限なくお金を使っているようだった。
国の政務は、もうそのほとんど全部が、自動的にシリルに回ってくるようになった。
水害による人的被害を防いだことで、良識ある貴族や文官たちから一目置かれるようになったのだ。
かなり肩身の狭い思いをさせているものの、ノイラート公爵を中心とした第二王子派閥も出来上がっていた。
「シリル!そのお茶、飲んじゃダメ!毒よ」
「……ありがとう」
フェリシアが暗殺を防ぐのは、これで一体何回目だろうか。
最近のテオドールは、以前よりもずっと頻繁にシリルを暗殺しようとしてくるようになった。よほど第二王子派閥が邪魔なのだろう。
「シア、ありがとう。毒殺は≪再生≫で回復できないからね」
「そうなの?」
「そう。俺の≪再生≫の本質は、時間の巻き戻しだ。体の時間を巻き戻したところで、毒は体内に残るだろう?だから致死毒を盛られたら、いずれ死ぬ」
「し、知らなかったわ……!これからは、もっと、もっと気を付けるようにする!!」
フェリシアは恐怖で青褪めた。手を繋いでいなければ、シリルが死ぬところだったらしい。
「兄上の魔法とは、とことん相性が悪いんだよね」
「テオドール様の魔法……≪絶対制約≫の他、もう一つは≪毒生成≫だものね」
「一体どういう育ち方をしたら、そんな恐ろしい魔法が開花するんだろうね。本当は薬も作れる能力だけど、あれは毒しか作らないだろうな」
これは、小説にも出てきた設定だ。≪毒生成≫……様々な毒を生み出し、視界に入る標的に混入できるという能力。この能力を、対外的にはテオドールは隠している。
ちなみに中和剤もすぐに作れるので、毒で相手を苦しめながら薬をちらつかせ、恐喝することもできるという、恐ろしい能力だ。
「ううん。分からない。シリル様を殺して、一体誰が政務を回すと思っているんだろう?」
ディルカ族からやってきたココが、純粋な疑問を話した。彼は政務をこなすスピードこそ遅いものの、積極的に政治を学び、その無尽蔵の体力で元気に補佐をこなしている。それに、非常に夜目の効く弓の名手であるので、既に暗殺者を何人も討ち取っていた。
そんなココは昨日徹夜をしているはずなのに、ピンピンしている。それに対して、かなりげっそりとやつれているクリストフが言った。
「あれは、馬鹿だから。そんなことも考えられないんですよ。本当に、救いようのない馬鹿だから」
「クリストフ、言葉の毒が全く隠しきれてないぞ。少し仮眠を取ってこい」
「いや…………でも、この計算を終わらせないと、来月の小麦の備蓄が…………輸入量と輸出量を考慮して、あとは各領地が保有している分、隠している分も合わせた上で考えないと…………」
「クリストフ。お前が居てくれて本当に助かっている。助かっているからこそ、休んでくれ。お前が倒れたら元も子もない。そこは、代わりに俺がやるよ」
「……ありがとうございます、シリル様。寝てきます……」
フラフラとするクリストフを、ルーチェが慌てて支える。彼女は未成年なので、政務自体は手伝っていないが、簡単なお手伝いをしてくれているのだ。
一方で彼女の兄のダークは影に潜み、常にシリルの身の安全を守りながら情報収集を担っていた。
皆が、シリルを懸命に支え、守っている。この国の命運は、文字通りシリルの生死に懸かっているのだ。
フェリシアも決意を新たにして言った。
「私、絶対に貴方を守るわ」
「ありがとう、シア」
本当は。
もっと予め、細かく危機を予測するためには、粘膜接触が一番良いのだが……あいにく、今はもうそれができなくなってしまった。
フェリシアは再度、あんなこと言わなければ良かったと後悔しながら、シリルの手をぎゅっと握ったのだった。




