2-3 オイモ発見と噂の王子
「いやぁ〜辺境にこもっていて損したわぁ。国がこんなに面白い研究を進めているなんて!」
へらへらと笑っている怪しげな丸眼鏡の女性。彼女はマグダレーネと言う。
この国ではまだまだ研究の進んでいない品種改良の研究をしている、変わり者の植物学者だ。随分辺鄙な場所に篭って、仙人のように生活しながら研究をしていたらしい。もしもフェリシアの≪未来察知≫がなければ、なかなか出会えなかっただろう。
「マグダレーネは、植物の≪成長促進≫が使えるんだよね?」
「はい!普通の六倍程度のスピードで成長させられますよぉ。それで、品種と品種を掛け合わせる研究をしていたんですけどぉ、そんなの無理だって馬鹿にされて、学会では爪弾きものにされてきましたぁ……」
「是非、それをやって欲しいんだ。時間は掛かるかもしれないが、品種改良は必ずできる。冷害に強く、かつ実りの多い小麦を大急ぎで作りたいんだ。サンプルはここに揃っている。寒冷地で育っている実りの少ない小麦と、温暖な地で育っている実りの多い小麦。十種類ほどある」
「素敵すぎます!喜んでやらせてもらいまよぅ!そんな心踊る研究で、お金が貰えるなんて……夢みたいですわぁ!!」
マグダレーネは小粋なステップを踏んで小躍りし始めた。かなり面白い女性だ。
「この、ライカ芋ちゃん。この子も、とっても面白い品種ですねぇ!!」
「これも、シアが見つけたんだよ。寒冷な土地で、一部の民族にのみ栽培されているマイナーな品種だ。冷害が起きたら救世主になると考えている」
シリルが、土まみれの芋を大切そうに出して言った。寒さに強いと思われる貴重な品種だ。細長く、赤い色をした変わった芋である。
先日フェリシアが試しに煮てみたら、一般の芋にはやや劣るものの、普通に美味しかった。飢えを凌ぐのには使えるだろう。
「この芋がどういう気象条件で効率よく育てられるかも、検証しないといけないわね」
「そうだね。マグダレーネ、この芋の試験栽培も進めてもらえる?気温と湿度を操れる魔法を使う者が、宮廷魔道士にいるから協力して欲しい。実際の農地でも試験的に導入はしてもらおうと思っているけど……」
「勿論ですよぉ!面白い植物には興味津々ですので!!」
マグダレーネはノリノリだ。今後、非常に心強い味方になってくれることだろう。
「私は、ライカ芋を美味しく食べられるレシピを試作してみるわ。皆に積極的に食べてもらわないといけないもの」
「ありがとう。シアは料理が上手いから助かるよ」
「腕前は普通だと思うけど、そう言ってもらえると嬉しいわ」
シリルに甘く微笑まれて、フェリシアは頬が熱くなるのを感じた。前世は一人暮らしもしていたので、料理は人並みにできるのだ。侯爵令嬢としては異質なことだが、役に立って良かった。
「栽培が上手くいったら、ライカ芋を小麦と輪作することを国で推奨する。補助を出して育ててもらうんだ。芋の栽培に皆が慣れれば、飢饉を凌ぐのに役立つだろう」
シリルは細長い芋を、それはそれは大切そうに撫でながら言った。美貌の王子が芋を愛でている様子は、何だか妙に面白い。こうして、国家の威信を賭けたお芋栽培プロジェクトが始まったのである。
♦︎♢♦︎
「見ろ、変わり者の王子が来たぞ」
「最近は芋栽培にご執心らしいな」
貴族たちがこちらを見ながら、密やかに噂を交わしているのが聞こえる。シリルが馬鹿にされているのだ。有りもしない水害を恐れ、芋を育てる変わり者の王子だと揶揄されている。
「シリルを馬鹿にして……。一体、誰が国を回していると思っているの。許せないわ……」
「シアが怒ってくれるだけで、俺は嬉しいよ。外野には好きに言わせておけば良いから」
シリルはフェリシアと繋いだ手を、ぎゅっと優しく握り込んだ。この手繋ぎのエスコートの形にも随分慣れたものだ。
今日は二人で大きめの夜会に出席していた。フェリシアはオフショルダーの青いドレスを身に纏っている。所々にスパンコールが縫い付けられ、星が輝く空のように見える美しいドレスだ。それと、アクアマリンのピアスにネックレスも付けている。何もかもシリルに贈られたもので、少し照れてしまう。そんなわけで、シリルは婚約者を溺愛する王子としても有名になりつつあった。
「生え抜きの文官たちは、結構俺を支持してくれているんだけどね。第二世代以降はダメだな」
「身を削って実務をこなす立場からしたら、シリルを支持するわよ。実際、自分の領地を大切にする良識ある貴族たちからは、シリルが支持され始めているんだから」
「支持されるのは良いことなんだけどさ…………あんまり目立つと、奴に余計に目をつけられるんだよ…………。ほら、今こっちに来るよ」
シリルが言った通り、王太子テオドールがこちらに近づいてきた。普段は完全にテリトリーを分け合っているので、直接顔を合わせることはない。テオドールはシリルを明らかに敵視しており、完全に対立構造ができあがっていた。
テオドールは黒い髪を靡かせ、美しいカロリーナをエスコートしている。彼女は王太子の寵愛を受ける侯爵令嬢として、既に有名になりつつあった。相変わらず、美しい白銀髪に真っ白な肌だ。彼女は宝石のような翠の髪によく似合う、ミントグリーンのドレスを身に纏っていた。豊かな胸を強調するようなデザインは、とても扇情的だ。胸が控えめなフェリシアは、女としての敗北感を感じた。
「やあ、弟よ。久しいな。ふふ。最近は、芋を育てるのに夢中らしいじゃないか?」
貴族たちがクスクスと嘲笑する声が聞こえる。テオドールはまるで演技をする舞台俳優のように、大袈裟に言って見せたのだ。はらわたが煮えくり買えそうなのを、フェリシアは堪えた。
「美味しい芋なんですよ。兄上も食べてみると良い。俺のフェリシアが、手ずから料理してくれますから」
シリルは至って柔和な笑みを一切崩さずに、堂々と返した。すごい強心臓である。
「麗しいフェリシア嬢……。君はなんと、芋洗いをさせられているのか。可哀想に」
また貴族たちがクスクスと笑い、会場がさざめいた。テオドールはフェリシアに手を差し伸べながら、優しい口調で言った。
「フェリシア嬢。俺はカロリーナに影響されて、最先端の文化芸術を高める運動をしているんだ。今度、彼女が主導して作った素晴らしい舞台を上演するんだよ。それに、新進気鋭の芸術家達の個展も行っている。我々のサロンに、今度是非君を招待したい。いかがだろうか?」
文化芸術の後押し……聞こえは良いが、王が病床に臥せっている時に、政務を滞らせてまでやることではないと思う。とても退廃的な響きだ。
フェリシアはつんと澄まして、テオドールに目も合わせずに答えた。
「土にまみれた私のような令嬢が行っては、最先端のサロンのお目汚しになると思いますので、遠慮致しますわ」
「それを助けてやろうと言うんだよ。分からないのかい?」
「折角、お優しい殿下がお情けをくださっているのに、申し訳ありません。でも……私は、シリルを愛していますので」
シリルが目を見開いて驚愕し、こちらを見る気配がした。フェリシアは構わず、今度はテオドールを強く見返して続けた。彼の青い瞳は、シリルと違って澱んで見えた。
「私は、シリルのやっていることを応援します。どこまでも支持しますわ」
「………………そうか。残念だよ、フェリシア嬢」
テオドールは舌打ちをしたそうな顔で去っていった。隣に侍るカロリーナも、すっかり呆れ返った表情をしていた。
恐らくテオドールには、フェリシアも完全に敵として認識されただろう。シリルへのひたむきな愛情を示され、彼は恥をかかされた形だ。
「…………シア、君も今後、危険になるよ」
「いいわよ、貴方とは運命共同体だもの」
「…………君って人は…………」
シリルはアクアマリンの目を細めて、切なそうにフェリシアを見た。ここが衆人環視の場じゃなければ、今すぐ抱きつきたくなるような顔だった。だからフェリシアは抱きつく代わりに、力強く微笑んで言った。
「私は、最後まで絶対に貴方の味方をするわ。誰を敵に回しても良いの」
それはフェリシアの心の真ん中から出た、本当の気持ちだった。




