1-1 薄幸令嬢、クーデターに誘われる
フェリシア・モーリス侯爵令嬢の人生が闇に落ちるのは、あっという間だった。
十一歳の時、乗っていた馬車が突然ガタリと大きく揺れた。それから感じたのは、浮遊感。唐突で激しい熱さと痛み。それ以降は、記憶が途切れている。
フェリシアは馬車の落下事故で、足二本と視力を失ったのだ。
歩けなくなったフェリシアは、侯爵令嬢としての価値を完全に失った。ぞんざいに扱われ、隠されるように家の離れに閉じ込められた。
その事故のショックで、前世のこと――――この世界の原作小説のことを思い出したが、もう意味なんてなかった。
この世界の原作『愛の鳥籠』において、フェリシアは通称『薄幸令嬢』と呼ばれていた。足と目が不自由で、家のために働かされ、最期は家の罪を負って処刑される、悲劇のキャラクターだ。
事故を未然に防げなかった時点で、フェリシアはもう詰んでいた。だって、自力で歩くことができない上に、目も見えない。ここから逃げることも、もう叶わないのだ。
暗い世界の中で色々なものを恐れ、疑うようになったからだろうか。フェリシアは十四の時、二つの魔術が開花した。
一つは≪心視≫。相手の心の色が見えるというものだ。真っ暗な世界に色がついて、人が居ることがわかるようになった。その色の変化から、相手がしようとしていることや嘘が何となく分かるようになった。
もう一つは≪未来察知≫。短期の未来予知だ。自分や触れた相手の幾通りかの未来を見て、危険を察知できるというものだった。
どちらの魔法も、大変稀有な能力である。しかしフェリシアの家は、この能力を家の繁栄のためだけに使わせるようになり、フェリシアの自由を更に奪う結果となった。皮肉なものだ。
フェリシアは前世でも家のために生きて、あまり自由に暮らすことはできなかった。ただ、五体満足だったというだけだ。本質は変わらない。
――私は結局、何度生まれ変わっても、自由に生きることが叶わないんだろうな……。
フェリシアがいつものように、絶望の淵に沈んでいた時である。小さな音が、彼女の世界を切り開いた。
コン、コン。
窓を叩く、石の音だ。一体誰だろう。窓の方に顔を向けて――――フェリシアはそこに見えた『色』に固まった。
慌てて手探りで窓の鍵を開ける。
「ありがとう」
涼やかで美しいテノールが鼓膜を揺らした。次いで、人が中へしゅるりと入ってくる。目の前の人物はフェリシアに問うた。
「俺が誰だかわかる?」
「ええと……分かりません。分かるのは、貴方が私を助けようとしている、ということだけ……」
「上出来だ」
≪心視≫は相手がしようとしていることを見極める魔法だ。突然に訪れた急展開に、フェリシアの心は追いついていなかった。
「俺はシリル。……シリル・ブランシャールだよ」
「シリル・ブランシャール……第二王子殿下……!?」
「大正解」
シリルは嬉しそうに答えた。
心の色に嘘はない。彼は本物の第二王子、シリル・ブランシャールに違いなかった。
「フェリシア・モーリス。俺は君を、拉致しに来たよ」
「え…………?」
シリルはまるで歌うように、軽やかに言った。そうして大変重要な一言を、放ったのだ。
「ねえ、フェリシア。俺と一緒に、クーデターを起こさないか?」