サキちゃんは俺に微笑む。
とある初夏の日。
季節の変わり目にしては珍しく、雲ひとつない最高の青空。
今日は俺とサキが付き合って4年目の記念日だ。
社会人2年目の俺は無理を言って仕事の休みを貰い、週のド真中の今日、サキとのデートに身を投じていた。
記念日は絶対に朝からデート――毎度のこととはいえ、いつまでも学生気分が抜けないサキのワガママには困ったものだ。
しかしとある事情から、俺は絶対に彼女に逆らう事が出来ない。
サキもそれを解っていて、好き放題に無理を言う。
けれどそんなサキのワガママな一面も、彼女なりの愛情表現のひとつだと解っていたし、例えそうでなくても俺は問答無用で彼女のことが好きでなくてはならなかった。
「もう、遅いじゃないですか。一時間近く待たせるなんて、アキくん酷いです。」
実は今朝、俺は思いっきり寝坊して彼女からの電話で飛び起きた。
慌てて準備をして待ち合わせの駅に着くと、彼女は頬をそっと膨らませて、俺の胸元に詰め寄るのだった。
「罰として、今日のデートは延長ですよ。」
俺の右腕を掴み、よそよそしくもそっと身を寄せてくる。
サキは上目遣いにむくれたが、声の調子はどこか嬉しそうだった。
花園 美崎――大学2年の今日、俺は同じクラスの彼女と交際を始めた。
ちょうど俺の肩ほどしかない、子供のような背丈。
控えめな黒髪のボブ。
それらと相まって幼さの残る顔つきは、とても社会人とは思えないほど純情可憐なものだった。
対して、耳触りの心地良い控えめな声質や、口調、仕草なんかは同い年の子らと比べても非常に落ち着いており、良い意味で大人びた清楚な印象を受ける。
「さ、行きましょうか。」
身を寄せたサキがそっと笑い、組んだままの俺の右腕を引っ張ってゆっくりと歩き始める。
サキには痛いほどの甘え癖がある。
人目を憚らずこんな調子でベタベタとスキンシップを図る俺たちを、周りの人々が不思議そうに眉をひそめて横目に見ている。
いつものこととはいえ、俺はこの場に存在しなければならない事が恥ずかしくなった。
しかし、あまり素っ気なく振る舞うとサキはすぐに気落ちしてしまう、俺の立場上、滅多なことは出来ない。
いま俺に出来る事といえば、せいぜいが気恥かしさを誤魔化し平生を装うことくらいだった。
「なんだかアキ君、ぎこちないですね。せっかくのデートなのに。」
悪戯にサキが笑う。
身体と身体を重ねたようなこの距離感が、俺はいつまでも慣れない。
またサキもサキで、俺の戸惑いに気付いていながら面白がっている節があり、一層身を寄せてくるのだった。
「あ、あのお店……アキ君、クレープとか食べたくないですか?」
クレープの露天を見つけたサキが俺の顔を覗き込む。
食べたいのは俺ではなくサキの方だろうと思ったが、冗談とはいえど意地悪な事を言うと、また先程のようにむくれ始めるので、俺は黙って頷いた。
俺の反応に満足したのか、目を細めた彼女がはにかむ。
幼さの残る笑顔に、俺は内心呆れていた。
もちろん顔には出さない。
「うしゃっしゃあせぇー。」
「チョコッとクレイジーチョコをひとつと、それからベリークレイジーストロベリーをひとつ下さい。」
「はい、きゅうひゃあはじゅえんで~す。」
「はーい。」
「しょうしょうおまっせぇ~。」
注文をサキに任せた俺は、露天前のテーブル席に座って彼女と滑舌の悪い店員さんのやり取りを眺めていた。
見惚れたのか、それとも変な子だと思ったのか、店員さんは、ホクホクと笑顔で支払いをするサキの様子をジーッと見ている。
というのも、サキは客観的に見ても男受けの良い可愛らしい見た目をしていたが、しかしそれとは別に、付き合いはじめて2年が経過した頃から、俺はサキがかなり変わった子だと気づいた。
もちろんそれも含めて、俺は彼女の事が好きでなければならなかった。
「お待たせ。ボリューミーで凄い美味しそうだよ~。」
支払いを済ませた彼女が満足そうな笑顔と共に駆け足でテーブルに戻ってきた。
両手にはクレープ。
彼女はベリークレイジーストロベリーを、俺にはチョコッとクレイジーチョコを。
どちらも本当はサキが食べたいものだし、サキが大好きな味だ。
飽くまで俺は、彼女がチョコッとクレイジーチョコの方も欲しがるだろうと解っていて、チョコ味を選んだに過ぎない。
「美味しいですね。チョコッとクレイジーチョコの方も少し食べていいですか?」
案の定、サキは俺のチョコッとクレイジーチョコを欲しがった。
俺に拒否権はないし、嫌がる理由もない。
そっと差し出すと、サキはわざと俺の齧った部分に口を重ねた。
「おいし~い。」
口の両端にクリームをタップリこさえたサキが、無防備な笑顔を振りまく。
でもそんなに食べたら太るんじゃないかと俺が茶化すと、彼女はハッと我に返り眉をひそめてむくれた。
サキとの楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。
俺の貴重な休日もあっという間に終わってしまった。
日が沈み始め、街に灯りがともる。
今日のデートも、間もなく終わりを迎えようとしていた。
「今日も凄い楽しかったですね。」
名残惜しさからか、別れの時間が近づくと、いつもサキの態度はよそよそしいものに変わる。
こういう時、決まってサキは俺からの誘いを待っていた。
「別に、いいですよ。」
俺の提案に、そっと顔をそむけたサキが緊張で強張った声で小さく応えた。
そんな彼女の耳がほのかに赤らんだのを、俺は見逃さなかった。
サキは俺を誘い、俺はサキの誘いに乗った。
つまり俺は、これから彼女のアパートに一緒に帰るのだ。
大学卒業と共に実家を離れた彼女は、今も一人暮らし。
付き合って4年目の成人同士――言うまでもなく、これから長い夜が始まろうとしている。
明日の仕事に支障が出ないと良いが――。
***
スッカリ日が落ちて、夜。
僅かばかり、まだまだ肌寒い日が続く。
帰宅後、サキが部屋の明かりをつけると、彼女は俺ではなく、リビングにある写真を見て微笑んだ。
あれは、俺とサキが付き合い始めて2年目の記念日に撮ったお互いにとって思い出の深い写真だ。
逆に言えば、その日を最後に、俺とサキは思い出を作れなくなったと言える。
「晩御飯、せっかくなので何か作りますね。何が良いですか?」
こうして今日も彼女は独り――死んだはずの「俺」というなにかと、デートを続けている。
~~ オマケ ~~
「おう、お疲れー。」
「おつかれっす~。あぁそうだ先輩、例の子、またウチに来ましたよ。」
「あぁ、チョコッとクレイジーチョコとベリークレイジーストロベリーの子?」
「そっす。あの子可愛いけど、やべぇっすよね~。」
「闇深いよねー。ま、ウチのクレープの名前もやべぇけどなー。」
「ほんそれっす~。んじゃおつかれっす~。」
妄想に人権はない。