12、再び、チーの失踪
3月中頃、庭に植えたカタクリが芽を出した。花壇の片隅では、スノードロップが小さく可憐な白い花を咲かせている。ヤブイチゲの葉も見える。スイセンやチューリップも芽を出した。
まだまだ寒さは続くのだろうが、季節は着実に動いている。つつましく顔を覗かせた小さな野草が、春の到来を実感させてくれる。
私は花の中で、カタクリが一番好きだ。幼いころ友達と野山を歩いては、カタクリや山ユリ、小オニユリなど採ってきて庭に植えていた。今、考えてみれば、ずいぶんとたわいない遊びをしていたが、その頃の記憶をず~と引き摺って持っている。
そのせいか草や木、緑、花などに普通の人以上に親しみを持っていると思う。
特に、カタクリや山ユリなどの野の花は思い入れが強い。
私は絢爛豪華な、いかにも『花で~す』といった園芸種よりも、楚々として密やかに咲くつつましい花のほうが好きだ。
季節はやっぱり春がいい。辛く厳しい冬を経て、ようやくめぐり来る春こそ希望そのものだ。
チーの毛色が濃くなってきた。口吻も長くなり、大人の顔になってきた。
しかし、人見知りが激しく、臆病で誰かれかまわず吠える。困った子だ。
会う人ごとに「かわいいね~」と言われているのに、その当人に向かい「わん、わん」と喧しくほえる。
一方マルは、大人でも子供でも、犬好きであろうと犬嫌いであろうと、誰かれかまわずミサカイなしに甘えようとする。まったく、節操のない犬だ。
相手が怖がって引いているのに、おかまいなしに抱きつこうとしている。何て皮肉なんだろう。世の中、うまくいかない。
風薫る五月、若葉が目に鮮やかな季節になった。
そんな雨あがりの午後、チーが二度目の失踪をした。
2時ごろ、散歩と決めていた。1時ごろからマルとチーの散歩の要求がうるさいので、庭に出し、引き綱をベルトで留め置いて、本を読んでいた。
フト気付く、とやけに静かだ。見ると「居ない?」。
庭に出てみると、ベルトが食いちぎられていた。引き綱をつけたまま、何処かに行ってしまったらしい。
「マズイ!」
私はすぐ散歩コースに出て、探してみた。
「居ない」
しょうがないので、車で近辺を探してみた。
「やっぱり、居ない」
仕方ない。待つほかない。しかし、気がかりだ。
引き綱はかじられていて、両方とも繋いで使ってある。つなぎ目がたんこぶ
になっていて、散歩の時よくヤブで絡まり身動きが取れなくなったりしていた。その引き綱を引きずったままで、知らない所で身動きが取れなくなっていたら、と思うと心配になってきた。
倉本さんとこのラブとタロの散歩を終えて家に帰ったら、マルが帰って来ていた。何か、悪い予感がした。問題はマルではなく、チーなのだ。
マルは何処をほっつき歩いて来たのか、ダニをいっぱい付けてきた。マルのダニを取ってやっていたら、たちまち6時半になってしまった。チーはまだ帰って来ない。
晩飯を用意し、待っていても仕方がないので食った。何か落ち着かない。
食後のくつろぎも、不安で定まらない。とてもジッとしていられず、私はマルを連れて探しに出た。マルは、思わぬ散歩に喜んでいた。まったく、人の気も知らないで。
「チー、チー」
暗い闇に向かい呼ばわっても、返事は無かった。
結局、見つからなかった。
しょうがない。そのうち帰ってくることを期待して、風呂に入って寝ることにしよう。
私は夜が早い。8時半から9時ごろには、寝てしまう。それが、いつの間にか10時になっていた。もうとうに寝てる時間だ。まったく、心配ばかりかけやがって。
寝付かれないまま耳をすましていると、カエルの鳴き声ばかりがガーガー、ゲコゲコと喧しく聞こえてくる。チーが帰って来るアスファルトを引っ掻くチャカチャカチャカという音が、いつまでたっても聞こえてこない。
動けるなら、そろそろ帰って来てもいいはずだ。それが帰って来ないということは、やっぱり何処かに引っ掛かっているんじゃないだろうか・・・・。
そんな事を考えていたら、ますます眠れなくなってしまった。やたらとチーの仕草だとか、「クゥ~ン、クゥ~ン」と甘えた鳴き声とか、無心に眠る姿だとか、好物をあげた時のはしゃぎようだとか、二人して甘い物を分け合って食べたこととかが次々と思われてくる。それでも、この前だってちゃぁんと帰って来たのだから、今度だって帰って来る。と、思うようにした。
しかし、もう12時を過ぎてしまった。遅い。
1時を過ぎた。遅い。ま~だ、帰って来ない。
やはり、身動きが取れないのか・・・・。
しょうがない。どうせ眠れないなら、もう一度探しに行こう。
私が起き出して行くと、マルが『ど、どうしたのですか。何事ですか』と、いった感じでオドオドとしている。
まったく、「もともと、お前が悪いんだ」
「マルがベルトを食いちぎったから、こんな事になってしまったんだぞ」
いや、そんな事よりチーだ。
車で、かなり遠くまで探しに出た。すると「居たー」。犬が居た。
2匹居た。しかし、チーじゃなかった。こんな時間に夜遊びしているとは、しょうがない不良犬だ。
なんか、もう、頭がもうろうとしてきた。
私は疲れている。もう、帰ろう。
夜がしらじらと明けてきた。チーは帰って来ない。
犬を子供のころから育てると、その犬は飼い主に母親の対するのと似た愛情を持つようになる。と、犬の本に書いてあった。その通りだと思う。チーは、私を母親みたいに慕っていた。ベタベタとまとわりつき、いつも私の膝の上で甘ったれていた。私が出かける時は、いつも戸口まで来て『出かけるの』と見送ってくれた。私が帰って来る時は、いつも戸口で嬉しそうに迎えてくれる。
私もチーのことを、かけがいのない子供と思っている。
私たちは、親子なのだ。
マルの場合は、少し違う。マルの場合は飼い主と飼い犬の関係で、それ以上のことはないと思う。しかしチーの場合は、違う。
ハタ目がどうであろうが、常識がどうであろうと私たちは親子だ。なぜなら子は親と思い、親は子と思っている。血の繋がりとか、種の違いとかは関係ない。
私は今の人間の親子関係を正常なものとは考えていない。人間の親子には、夾雑物があり過ぎる。依存、打算、甘え、憎悪、背信などさまざまな不純物が入り込み、混じり合う。いつの間にか、無垢な親子の色が歳とともにだんだんとくすんで、汚れていくように思えて仕方がない。
不純物の入らないうちに、子は自立、独立し、ダラダラとした依存関係は
解消すべきと思う。私は、犬、ネコなどの親子関係こそ、理想的な気がする。
4時ごろ私はマルを連れて、心当たりのヤブをかき分けかき分け探してみた。
「チー、チー」
いくら呼んでも、返事は無かった。早朝のコース、昼のコースと廻ってみたが、チーの姿は何処にもない。朝露でマルはぐっしょりと濡れてしまった。
私も、太もも近くまでビショビショに濡れてしまった。
むなしく家に帰えりボ~としていると、ヘンに居間がキレイだ。抜け毛を散らかし、足跡をペタペタと付け居間を汚す張本人が居ないのだ。居るべきものが、いるべきところに居ないのはヘンだ。胸に、ぽっかりと空洞ができたような気持ちだ。
私は、かなり落ち込んでしまった。この先、カラッと気分が晴れることなど、もう、ないのではないかと思えた。
居間は、白々しくキレイだった。
この日の朝のラブとタロの散歩は、彼らの元気のよさが、何か疎ましく感じられた。
散歩を終え帰る車中、こうなったら近辺のヤブや林をシラミ潰しに探してみようと決意した。とにかく、このままではやりきれない。
私は、悲観的になってしまっていた。すでに、チーの安否を絶望視していた。
生きて見つけることが出来ないなら、せめて亡骸を何としても探し出して、自分の手で葬ってやりたいと考えていた。
家に着いた。
「あっ!」
開けたままのサッシ戸から、チーが顔を出して私を見ていた。
「おー、チー!」
私が駆け寄ると、チーは「フーッ!」とネコが威嚇するような、凄い唸り声をたてて怒ったように私に飛びかかってきた。今までに見たこともない、凄まじい喜びかただった。
「おー、チー、無事だったのか。帰ってきたのか。よし、よし。おー、よし、よし!」
私の気持ちは、いっぺんで晴れた。チーは、泥だらけの引き綱を引き摺っていた。綱を外してやる間もチーは「フー、フー」と私に飛びかかってきた。
「チー、チー、ほら、こっちへ来い。ええい、マルはいいんだ。チー、ほら、腹が減ってるんだろ。ほら、ミルクだ」
私は、ミルクをいつもより多めにやった。チーは器に首を突っ込んで、貪るように夢中でミルクを飲んだ。
「よし、よし、ほら、食え」
チーは、私がすくったドックフードを貪るように食った。噛まずに食っているらしい。いつもの、バリバリという噛む音がしない。
「チー、焦らなくていいんだよ。噛んで食え」
ようやく落ち着いて、チーは私の膝の上で丸くなった。
「ん・・・・」
見ると、チーの身体中小さなゴミのような物が、いっぱい動いている。
ダニだった。身体中、ダニをいっぱい付けていた。
よし、ダニ退治だ。
友達になった犬
チーとマル
ガマガエルが居た
ネコが居た
一応、ここで終了です。
読んでいただき、誠にありがとうございました。