押さえない道
改行が面倒になってきた今日この頃。
荷物をまとめて、足早に森へ向かう。
トルガの街をでて見慣れた森へと這入る。来た道からそれて、先行する赤羽の後をついてゆくと、開けたところにでた。
そこには3メートルばかりの一本の木が立っているだけで、他にはなにもなかった。その木の周りには草も木も生えておらず、密林のなかのその異様な光景は、周りの木々がその一本を避けているかのようにも思わせた。更にその樹木辺りの地面はやけに湿っていて、ところどころ水たまりを作っているような状況だから、よけいおどろおどろしく見えてしまうのだ。
赤羽は特に何の説明もなしにぬかるんだ地面を突き進んでゆく。
「おらお前ら、いくぞ」
島野に背中を押され、爾と亨も泥濘に足を踏み入れる。足が沈んでゆくほどではないが、水気の強い泥が、足を引っ張るように靴の裏にくっついて、歩き難かった。そうして足を引きずりながら木の下まで来る。辺りの巨人サイズの大木に比べてみれば小さな木だったが、それにしては幹が太く不思議な形をしていて、どこか生命力にあふれる植物だった。
「ビンを出せ」
赤羽の指示で亨が大きなバックの中から、空き瓶を出した。赤羽はビンの蓋をとって、木の幹の下あたりに置いた。
よく見ると、木の幹にパイプのようなものが刺さっていて、コックもついていた。何をするのかと身を乗り出して見ていると、赤羽はそのパイプについたコックをゆっくり回した。
すぐにビンの中に一滴の赤い液体が落ちた。奇妙な色をしていたが、それは樹液のようだった。程なくしてまた一滴ビンに落ちる。
「この木の樹液はとても貴重なんですよ」
「はあ。そうですか」
灯下の説明に亨がそんな声をこぼす隣で、爾は退屈そうに木にもたれかかっている。それはどこか不満そうな風にも見えた。どうせ街でのことをまだ気にかけているのだろうと、亨は後でフォローしに行くことを心の中で決めて、今は気にしないことにした。
こんな色をした樹液は見たこともなければ、聞いたこともなかったけれど、聞かされていない未知に出会って、今更驚くような亨ではない。それでも、亨もまた爾と同じように、どうも秘密主義な赤羽たちに少し疑問を抱きはじめていた。
ともかく、樹液の溜まったビンを抱えて、帰路に付いた。
地下に戻ると、赤羽らは採取したあれこれを整理して、各自で保管した。この一見がらくたのようなものが、革命軍やグリマヘイトの技術繁栄につながるらしい。赤羽ががらくたを組み合わせて手を加え、便利な道具を作ってゆく様を見ていると、確かにこの地下の繁栄具合にも納得ができた。
「ほら、爾」
赤羽の声に振り向くと、急に何かを投げられた。あわてて受け取って見ると、フックのように成形された固い金属に、しなやかな長いロープが垂れている。
「アンカーって奴さ」
「アンカー?」
「こう、高いところにひっかけて、よじ登ったりゆっくり下りたり出来るってこと。お前は高いところを取る戦法が向いているらしいからな」
「は、はあ。ありがとうございます」
「お前も蹴り飛ばされたからって怖気付いてないで、高みを目指せってことだ。ただ今回みたいな真似は二度とするなよ。まあ戦闘については詳しくは島野に聞いてくれ」
「は、はい」
その頃、亨は久々の拠点で体を伸ばしていた。
「疲れたでしょう。後は私がやりますから、亨さんは休んでいていいですよ」
灯下にそんなことを言われてしまったので、亨は今までにないくらいの暇を手にしてしまったのだ。
「休むって言ってもなあ」
ぶつぶつと独り言を吐きながら、バックの整理を始める。
結果的に短い遠征となったが、それでも亨にとっては新しい経験ばかりだった。バックに拾い集めたガラクタ、もとい素材たちは灯下を介してすべて赤羽に託したので、あれだけ重かったバックが大分軽くなってしまった。行きは行きで携帯食や消耗品を詰め込んでいたのだが、それももう消費され、バックの中身はもうほとんど何もなかった。
バックに残っているものと言えば簡単な道具や食器たちと、一冊の本くらいだった。
道具をすべてバックからだし、手入れをして仕舞う。
そうしてバックには、本だけが残った。ハードカバーの少し厚めの本だ。『少年の穿ち』と刻まれた表紙を一枚めくると、やはり大量の文字列が姿を現した。文章量が減っているかもしれないと根拠のない期待をどこかいだいていたが、当然、変化なんてことはなかった。
目を細めて、じっと一文を見つめてみるが、到底理解できそうにない。
「読める?」
「うわ!?」
驚いた拍子にわかりやすい詠嘆の声があがった。急に隣から女性の声が聞こえたのだ。それも仕方のないことだろう。
そこには羽癒が座っていた。亨の驚いた顔を見て、私何かしました? とでも言いたげな表情を浮かべ、首をかしげて見せた。
「い、いつの間に……」
「この部屋、ドアない」
そういう問題ではないような気がしたが、抗議してどうにかなる問題でもないと思い、亨は言葉を飲み込んだ。
「で、読める?」
「あ、ああ」
当たり前のように自分の話を推し進める羽癒に煽られて、亨は本の一ページに羅列された文字に視線を落とす。
「いや、それが。全然だめで」
羽癒は亨の隣に座り込んで、本を覗きこんだ。
本を差し出そうとするが、羽癒はその手を止めて、二人の間に本を置いた。
「昔、私も本読めなかったの。でも頑張って読んでいたら、いつかわかるようになる。分かると、楽しいし、それに、強くなれる」
羽癒は大体そんなようなことを言った。
――強く。
亨は不思議とその言葉に惹かれた。爾がどんどん強くなって、どこか遠い存在になってゆくように感じていた亨は、強くなることを無意識のうちに望んでいたのだろう。
亨は自分の中の感情を自覚して、言う。
「教えてほしい、です」
「だめ、教えられない。私にできるのは読むのを手伝うことだけ」
彼女はそう言って、亨の目をじっと見つめた。
一方爾はさっそく島野にアンカーを見せに行き、二人で森へ出ていた。
「おお、これはまた面白いものを手に入れたな」
島野はアンカーを手にとって、撫でるようにして形を確かめる。見たことの無い形状の武器だったが、赤羽の目を信じて、爾に手解きを始める。
「俺もそんなに分からんが――そうだな、ためしにあの木に投げてみるか」
と、巨大な木の上の方を指さした。数十メートルはある、それこそ巨人サイズの樹木である。
爾は分からないなりに、とりあえず上をめがけてフックを放り投げる。しかし、フックは木に弾かれそのまま重力に従って落ちてきた。そのまま加速して目の前の地面に突き刺さった。
「ふむ。一筋縄では行かなそうだな」
「こんなの役に立つんでしょうか。これで強くなれるとは到底・・・・・」
「赤羽さんの事だ。きっとこの不思議な道具は、きっとお前を強くするはずだ」
島野の言葉に反論する気はなかったが、爾にとって赤羽は、頑なに信用し続けるに値するような存在には思えなかった。
「まあ俺も使ったことはないからな。練習あるのみなんじゃないか」
「はい」
島野はそう言って爾に特訓の約束を取り付けるが、爾はずっと浮かない顔をしている。
「爾ー! 島野さーん! 晩ご飯ー!」
日も傾いて、木の影がいっそうに長くなったころあいで、亨の声が聞こえ、爾たちは地下へ戻ることにした。
「赤羽さん、あのひとは、一体誰なんですか?」
「ん?」
赤羽は得意な顔をしながら張りぼての疑問符を浮かべる。
「ろ、うび?」
「あー、楼尾吟ね。てか、ここでそれ聞くかぁ?」
「い、いやだめならいいんですけど」
赤羽は口の中身を一気に飲み込んで、応える。
「まあそりゃあ、気になるよな。そうだなぁ」
赤羽は手を止めて、丁寧に口元を拭くと、話し始める。
「楼尾は、敵だよ。俺らに敵意があるかは別として、俺らの目的を達成するにあたって必ず幣害となる。つまるところ」
――巨人の味方だ。
洞窟の壁を照らす灯りがぼうっと揺れた。
巨人の味方なんてものが存在することが、そもそも衝撃で、とても理解できなかった。
「巨人の味方……」
亨はそう呟いて、言葉の意味を改めて噛み砕く。周りも静かに食事を続けながら、耳を傾けている。
「俺らのような巨人に歯向かう人類から巨人を守ろうとする狂った人間だ。あいつも例外なく人類だと言うのに、だ。だからあいつの事なんて考えても無駄だ。あいつの理屈は平和的だが、その先には人類の破滅しか、ない」
赤羽は言葉を濁して、料理を口に運ぶ。
説明したようでいて、何もかもが抽象的で、爾も亨もいまいち納得していない様子だったが、赤羽は早急に楼尾の話を取りやめて、遠征での話を切り出した。
「そんなことより、爾。あれはもうやるなよ。ほら、巨人にいきなり飛びかかるみたいな」
爾は答えない。
「何度もいってるが――何度だって言うが、お前に敵う相手じゃないんだ。もっと言ってしまえば、あの場に居た全員が、そう俺や島野が束になって掛かったって、勝てるとは限らない」
「でも、あんな近くにトルガがいて、黙ってはいれない」
「そうだろう。でもお前は黙ってないといけない。それが今のお前にできることだ」
「あの場で、トルガ一匹倒せないで、どうして革命ができるって言うんだ!」
「いいか爾。俺たちは弱い。トルガ相手に勝つためには頭を使って、密かに力を溜めなければいけない。そこには作戦が必要で、理性が必要だ。やりたいことで動いていては、できることが減ってゆく。救えたかもしれないものが、守れたかもしれない何かが、失われてゆくのを、お前はもう一度見たいのか」
「その作戦、俺は説明されていない」
これこそが爾や亨の抱いていた不信感の正体であった。同じ革命軍の成員だと言うのに、あまりにも秘密主義が過ぎるのである。
「それは、今は言えない。でも、信じてくれ、無理を言っているのは百も承知だが、これだけは言える――すべては勝利のためだ」
爾は乾いた笑いと共に、心の中に溜まっていた違和感と鬱憤を吐き出した。
「はは。あのときだってそうだ。俺が、俺の家族がトルガに襲われているとき、あなたはそれを傍観していた。そんなことをしていて、革命など起こせるか」
「それは、致し方ない事だ。諦めろ。嘆きたいのは分かるが、犠牲になったのは君の家族だけではない。すべては勝利するその時のためにある。俺はその糧になるのなら、なんだってする」
「だからって、目の前に敵が居るのに、隠れて怯えてるのか? 犠牲を積み上げてその上に立つのか?」
爾のこえはやけに潤んでいて、それでいて力強かった。それにこたえる赤羽の声も、力を押し込めたような枯れた響きだった。
――ああ。そうだ。
赤羽は食事をやめて、立ち上がる。
「苦しいか。それに耐えられないのなら、好きに出ていけばいい。こっちだって協調性のない奴はいらない」
そう切り捨てて、部屋を後にした。
「くっそ」
爾も席を立ち、部屋を出る。
「爾? 落ち着けって」
亨の声も今の爾には届かなかった。
爾は自分の部屋へ行き、バッグを背負った。そのまま、洞窟を道なりに辿り、外を望んだ。
「おい。待て、爾」
感情に任せて急かし気味に進む足を止めたのは島野だった。
「本当に、出ていくのか」
「止めないでください。島野さん。俺はもうここには居られません」
「まてって。これ……
島野は爾のすぐそばまできて、何かを手渡した。アンカーだ。
「お前ならきっと、使いこなせるようになる」
爾はアンカーをバックに突き刺した。
島野は爾を見つめるように爾の肩をひとしきり手でなぞった後、ゆっくりとその大きな体で爾を包み込んだ。
「ごめん、島野さん。でも行かないと」
島野は爾を抱き締める腕を緩めて、解放した。
「いつでも、帰ってこいよ」
爾は無言で返事をして、そのまま背を向けて、月明かりの照らす夜の森へ駆けて行った。
島野が食卓へ戻ると、赤羽が灯下に説教を喰らっていた。
「入ってまもない爾さんに、あんな傷口を抉るような言い方は辞めてください! 赤羽さんにも考えがあるのでしょうが、あんまりやっていると本当に出て言ってしまうかも知れませんよ!」
「悪かったって。次から気をつけるよ」
「毎回そういって。大体、彼らにも我々の策を説明すべきだったのです! って、島野さん」
「あ、帰ってきた。爾は?」
赤羽反省の色もなく、灯下そっちのけで、そう訊いた。
「出て行った」
「まじで出てったのか。あいつ今晩の宿代あんのか?」
「街を、出て行った」
「まあ、どうせすぐ戻ってくるだろ――え?」
――なんて?
「この街を出て、森に走っていった」
その言葉に2人は思わず耳を疑った。
革命軍を出ていってグリマヘイトの街で放浪する位なら赤羽の予想の範疇だったが、森に出ていったとなれば話は違う。
「は? おいおい正気かよ。あいつ死んじまうぞ」
「わるい。俺には止められなかった」
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