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8・岡山ヤクザとさっさ

          8・岡山ヤクザとさっさ



 日曜日は本当に洗濯だけで一日が終わった。昼にカップラーメンひとつと夜におにぎり一個を腹に入れると、あとは受け付けなかった。どうやら旅が始まって以来、胃袋が小さくなっているようだ。


 天気予報の画面を見るたびに、東北の天気が気になった。週間天気を見ると、太平洋側はぐずついた天気が続くようだった。ならばと日本海側の天気を見ると、それもまた決してよいとは言えなかった。なんとなく、新潟まで行ってみようという目標が定まると、すぐに残金確認した。ホテル代は払ったが、土曜日の稼ぎのお蔭で一万円八千円の資金があった。昨日のようなことはもうないだろうからと、とりあえず秋田までの二千六百円はキープすることにした。


 月曜にホテルを出ると、空に向けて空気を吸った。どうやらもう雨は降らない。洗い立ての服でロビーを出ると、真っ直ぐに弘前駅へ向かった。


 一時間に二本の内、一本は特急だ。急ぐ旅ではないので普通を選んだ。四人がけの座席に悠々と座り、スマホを確認する。すると漆黒のユーキから不穏なメールが送られてきていた。途端に、鼻がムズムズし始めた。


 ――岡山でヤクザとやりあっちまった 金が払えないとギターが返してもらえないんだ


 それに驚いたのはもちろんで、彼女は女性らしい質問を返した。状況より何より金額が気になった。


 ――それはいくらなの?


 そう返した。すると彼はネットの出来る環境らしく、オンタイムで返事が返ってきた。


 ――二、三万ってとこかな


 優希は即決で返す。


 ――私、足りないかも知れないけど貸すよ。今電車だから あとでまたメールする それまでに口座番号教えて


 胸騒ぎのする中、頭の中では即座に残金と一万の預金を足してみた。が、秋田に辿り着くと不安なラインだ。それでも彼女は迷わなかった。


 二時間半の移動で秋田駅へ着くと、陸橋が真っ直ぐ商店街へと続いていた。駅の看板で郵便局を探し、辿り着くと急いで一万円を下ろした。虎の子の一万だ。


 と、通帳を見ると、なかったはずの残金が五万円も増えている。


 バイト先の手違いかと思ったが、振込人の欄には――サカシタカズヒト、と父の名前があった。思いがけず涙ぐみそうになり、この金は決して使うまいと心に決めた。いつも言葉少なだった父なりの応援だ。容易く手をつけることは出来ない。


 それはそうとメールを開くと、ユーキからは口座番号が送られていた。優希は精一杯の二万円をハイバラヒロタカ宛てに送金した。これで今夜は否応なしに稼がなければならない。鼻の奥がむず痒かったが、空は晴れて雨の気配はない。


 ――ありがとうユーキ! 必ず稼いで返すから 東京で会おうね!


 旅の中でギターを奪われるというのは死活問題だ。それより早くそんな物騒な地は離れて欲しかった。


 優希が新潟へ、ユーキが大阪へ辿り着けば、残りの距離はもう少しだ。


 カフェで時間を繋ぎながら、優希はスマホで街の検索に勤しんでいた。秋田の飲み屋街は結構あるにはある。弘前のようなところだったらいいなと思いを馳せれば、この旅の終着点は近くに思えた。何せ札幌も小樽も数日の滞在で、八雲、函館と続いていた。駆け足の旅だ。


 そういえば小樽の佐々木は元気だろうかと、その人懐っこい笑顔を思い出していた。


          *


「じゃあね。旅、せいぜい頑張って」


 そう言って緋堂美雪と別れたのは明け方のススキノだった。


「これ、多いんですけど――」


 もらったチップに優希が呟くと、


「しょうがないじゃん、アンタの方が稼いでんだから。忌々しいことに」


 優希の取り分は三千円だった。彼女は千七百円だ。


「はあ……」


「何にしてもお金が一番でしょ。いつもこう上手くいくなんて思わないことね。明日は小樽だっけ? 小さい街だからせいぜい防犯に気をつけて。じゃ」


 別れ際の未練も何も残さず、彼女はまだ明けぬ早朝のススキノに消えて行った。優希は駅前に見つけたネットカフェに向かい、ひと時安らいだ。


 十二時を待たずに札幌駅へ向かうと、観光客の人波に紛れることが出来た。いつも大荷物を持って移動している彼女も、ここならば目立たない。


 今回、彼女らしくなく、小樽の情報は事前にチェックしている。市内のマップもプリントアウトした。アーケードがふたつあるそうで、その先に花園銀座という飲み屋街があるという。


 いざ到着すると屋根の高い旅愁に溢れた駅で、外へ出ると駅から下る長い坂の下には石狩湾の水平線が見えた。空の空気を嗅いでみるが雨の匂いはしない。あとは防寒だと、昨夜の服のチョイスに失敗した自分を戒めた。九月の北海道は秋ではない。朝晩は冬だ。昨夜の稼ぎに手持を足してホテルを取ろうと思ったが、目ぼしい所は割高で、あきらめることにした。それにしてもカラオケ屋もネットカフェもない街だった。


 午後二時まで付近を散策して思ったのは、何もかもが観光レート基準だということだ。ワンコインで食事の出来るところなどどこにもなさそうだ。


 そう思っていると、かまぼこ屋の売店スペースで食事が出来るらしいことを知った。念のためスマホで情報収集すると、パンロールというのが人気メニューらしい。迷わず店に入ると『パンロールパン』という、変わった名前の商品を見つけた。パンで包んで揚げたかまぼこを、さらにホットドッグ状に仕立てているらしい。しかし値段もさほど高くなく、地ビールと共に頼んでみた。すると違和感はなく、パン粉で揚げるカツサンドと同じことだと納得した。すり身にした魚肉の甘みがほどよかった。


 とにかく天気がいい。昨夜の札幌が嘘のようだ。その勢いに任せてマリーナの方に行ってみたかったが、いかんせん体力が持たなかった。駅の手荷物預かりに頼もうかと思うも、小金をけちる癖がそれをジャマした。もしも稼げなければ明日も小樽だ。


 閑散としたアーケードでベンチに座り、人が入れそうな大鍋の飾られた金物屋の前で煙草を吸いながら時間を潰した。観光客は運河方面にいて、こっちには寄りつかないのだと思った。せっかく大枚をはたいて旅行に来たのだから、きっと誰もが売れ線の店と観光地へ向かうに決まっている。


 優希はそうしながら、すでに今夜の宿泊を野宿に頼ろうかと考え始めていた。アーケードの端々にはベンチが置かれ、打ってつけの場所がどこかにありそうだ。北海道とはいえ服を重ね着してシュラフに潜れば越せる寒さだろう。


 少し早いが午後七時を待って花園銀座街へ向かった。寿司屋通りのある坂道を上ったガード下の街だ。結構急な上り坂のあちこちにはネオンが灯り始めていた。寿司屋も二軒ある。そのうち一つが背面というのも気になったが、ガード下ということでどうにかなりそうだった。列車の騒音に比べれば彼女の歌は子守唄程度だ。


 最近手慣れてきた演奏準備を進め、またひとつ忘れ物を思い出した。カップ酒だ。


 彼女は荷物もそのままに坂を駆け下り、今度はすんなりとコンビニで熱燗を買えた。この文化はそのまま全国に広がって欲しいものだと微笑む。


 ガード下に戻ると、人影が見えた。慌てた彼女は、


「すみません! 私のです!」


 すると人影は優希を認め、


「唄うの?」


 見れば相手は大きな荷物とギターケースを抱えていた。これでは昨夜の二の舞だと思い、


「あ、あの! 七三でいいんで唄わせてもらえませんか?」


「いやいや。七三も何も、路上は早いもの順だから。俺も一緒に唄っていいならそうするけど」


 暗いガード下で白い歯を見せると、皺深い焼けた顔で、男はニコリと笑った。瞬間、ガードの上を電車が走りぬけてゆく。それは思った以上の音だった。


「ま、立ち話もなんだし腰を下ろそう」


 そう言うと、男はバッグから椅子を出した。優希が使っているものより簡素だった。


 優希はそこで、


「あの、お酒って飲まれますか?」


 脈絡もなく訊ねた。男は、


「飲むか飲まねえか聞かれれば飲む方だけど」


 ギターケースを開きながら笑った。


「ちょっと待っててください!」


 優希は再び坂道を駆け下りた。


 息を切らして戻ると男はチューニング中だった。


「これ、よかったら飲んでください」


 レジ袋を差し出す彼女に男は目を見開いたが、中身が分かると途端に笑い始めた。


「十五年以上路上やってるけど、こいつはレアな手土産だ。ありがたく頂くよ」


 男が話を続ける前に、優希は自己紹介をしておくことにする。


「私、唄い旅の一年生――ていうか路上も二か月なんなくて。まだまだ未熟なんです。今日はよろしくお願いします!」


「そっか、二か月で旅するなんてある意味強者だな。で、名前は?」


「はい。坂下優希です」


「俺は佐々木泰利。最近は『さっさ』で通ってる。歳はまあそれなりに、三十五だ」


「さっささん……ですね。よろしくお願いします!」


「まあまあ、そんな固くならずに」


 佐々木は優希の差し入れた酒に早速手をつけ、


「今日の出会いに乾杯だ」


 カップ酒を掲げた。彼女もそれに倣ってカップを掲げる。すると、


「どっちが先に唄うかコインで決めよう」


 佐々木はポケットから百円玉を取り出し、キン、と弾いて手の甲に伏せた。


「私は表で」


「じゃあ俺は裏だ」


 コインは表で、優希の先発となった。


「とにかく私、レパートリーがないんです。なんで、いつもの曲から始めます」


 そして彼女はカポを付けるとゆずを唄い出す。


 と、佐々木がそれを制止する。


「チューニングがおかしくないか」


「そうですかね」


 一弦ずつ弾いてみせる優希に、


「ほらそこ、三弦」


 言われて見ると確かに音がずれている気もする。


「よく分かりますね」


 そうすると彼は照れ笑いか苦笑いか相好を崩す。


「やっぱ初心者ならチューナーは必須だろ。貸してみな、俺のをやるから」


「いいんですか?」


「ああ、俺も新しい奴に変えようと思ってたとこなんだ」


「はあ、ありがとうございます」


 チューニングメーターで合わせたギターは軽快に音を出してくれた。いつもの曲が数段グレードアップしたようだ。


 優希の歌が終わると佐々木は軽く拍手をしてカップ酒を煽った。


「いいよ。無理して何かに似せてないとこが好感持てる」


「不器用なだけです」


 次は佐々木の番で、


「俺のは暗いから」


 と注釈つきで、尾崎豊の歌を唄ってくれた。優希には甘いラブバラードのイメージが強かった尾崎豊だが、まったくそのイメージと違った。そして人の好い佐々木のイメージともかけ離れていた。


 と、その途中に坂を上る人の群れから一人が抜け出し、


「今日は可愛いゲストがいるじゃねえか」


 そう言って五百円玉を投げて行った。常連客なのだろう。


 曲が終わり、今度は優希が拍手をする番だった。


「ギターってホントに色んな音が出るんですね」


 素直に感心する彼女に、佐々木は首を左右に振る。


「上手い奴なんて山ほどいるさ。俺のツレに手越尋生ってのがいるんだけど、そいつはギターもさることながらハープがすごいんだ」


「ハープ、ですか?」


「ああ、ブルースハープ。ハーモニカだ。俺がブルーハーツの『青空』弾いてると勝手に入ってきて上物の歌に仕上げてくれるんだよ」


「今日はその方、見えられないんですか?」


「旅人なんだよ。今は新潟でね。最近は二年に一回会えるかどうかだ」


 そう言うと佐々木は目を伏せ、カップ酒を舐めた。


「その、『青空』って歌、聴いてみたいです」


「お、さり気なく順番替えやがったな」


「すみません」


「ま、いいか。この曲は女性シンガーが覚えておいても損はない歌だから」


 そう言い置き、彼はギターを奏で始める。初心者の優希にも分かりやすいコード進行は彼の気遣いなのか。それだけに、歌詞の重みが胸に迫る。


 最後のコードを弾き終えると、佐々木は残り少ないカップ酒に手をかけた。


「なんつーか、路上唄いのバイブル的な曲だよ。その人間なりに唄える不思議な歌だ」


 優希も原曲は知らないが、誰にでも唄えそうな、そして難しい歌だと思った。


「さっささん、今の譜面、コピーして来ていいですか? 私、覚えたいです」


「ああ、いいよ。ちなみに俺にはブラックコーヒーを」


「お酒、合いませんでしたか?」


「いや、しっくり来過ぎて。自転車なんだよ」


「分かりました! 温かいコーヒー買ってきます!」


 譜面のコピーにカップコーヒー、そしてついでにカップ酒を買うと、寒々しい表へ出た。振り向けば明かりの落ちたアーケードには人気もなく、今この街でいちばん活気づいているのは花園のガード下ではないかと思わせる。


「ありがとうございました」


 優希は譜面と共に缶コーヒーを佐々木へ手渡す。そして、


「コーヒーは私からの差し入れです」


 佐々木は煙草をもみ消すとカップ酒の小瓶へ投げ入れ、


「お、そうか。じゃあ次は優希の番だな」


「はい!」


 彼女は新しい酒を開けて喉に流す。どうやら日本酒というものはとことん自分の体質に合っているのだろうと、水のようにそれを飲んだ。


 楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、街角の時計は十二時になるところだった。


「優希は今晩どこ泊まるんだ」


「大丈夫です。予約済みです」


「なら安心だ。この寒さの中、野宿とか言われたらたまんないからな」


「まあ……そうですね」


 優希は言葉を濁す。札幌での稼ぎを減らすのは躊躇われた。今日の稼ぎは二千円ずつだ。


「明日もいるか?」


「はい」


「じゃあ今夜はこれで閉めよう。最終電車も行ったしな」


 佐々木とはアーケード入口の寿司屋通りで別れ、優希はコンビニへ戻った。今夜の夜食もおにぎりだ。おにぎり一個で足りる自分の燃費のよさを不思議に思いながら、温かいお茶も買ってコンビニを出た。


 吹きさらしのアーケードには数多くベンチが並んでいたが、彼女は潰れた大型店舗の中に細長いベンチを見つけた。風も避けられそうなその場所に座り、おにぎりを食べると、リュックからシュラフを取り出して広げた。ギターをベンチの下へ収め、リュックを枕にし、スマホのアラームをセットするとバッテリーは五十パーセントだった。どこか充電出来る場所を探したかったが、それは明日へ回した。

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