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4・始発電車とペンフレンド

           4・始発電車とペンフレンド



 肌寒さでクシャミと共に目覚めると、山越の駅舎の中にはお婆さんが座っていた。ずっと寝顔を見られていたのかと思えば少々恥ずかしかったが、


「おはようございます」


 シュラフを丸めながら言うと、


「若い人はどこでもキャンプするのねえ」


 聞き取れたのはそれだけだ。あとは分からなかったので適当に相槌を打った。時刻を見れば七時で、ボチボチ函館行きの始発が入るはずだ。荷物をまとめ、ギターを背負い、肌寒い駅のホームへと向かった。雨は上がっていたがもう長袖Tシャツ一枚ではやり過ごせない。駅の自販機で缶コーヒーを買ったあと、コンビニへ行けばよかったと後悔した。その差額の三十円で泣く日がやがて来るかも知れないのだ。


 とはいえ手のひらの温もりを堪能していると、まばらな乗客が路線へ並び始めた。荷物の多い彼女は急いでその先端へ並ぶ。大きな荷物を抱えて吊り革につかまるのはどこに行ってもラッシュのタブーだ。


 と思ったのも束の間、七時二十一分に着いた列車はがら空きで、余裕を持って座れた。そのあとは電車の揺れに任せて二時間半微睡んでいるうちに函館へと到着していた。


 駅を降りると風が冷たい。この冷たさが寒さに変わらぬうちにユーキに会えるだろうか。落葉樹が葉を散らす駅前で、不意に心細くなった。気付けばもうじき十月なのだ。


(ネットカフェを探そう)


 昨夜の稼ぎを頼りに、定番のタウンページでネットカフェを探すと、五稜郭と言う文字がふたつ見えた。五稜郭と言えば、昨日教えてもらった飲み屋街だ。近距離で便利そうなのでそこに決めた。情緒溢れる路面電車に乗りたい気持ちはあったが、地図で見るとそこまでの距離でもなかったので歩くことにした。


 通勤、通学の人々と逆行しながら歩く日々にはもう慣れたが、スカートの短い女子高生が友達と笑いながら通るのを見ると切なくなる。彼女の学生時代はそんなものではなかったからだ。通学はいつも一人で、時にはバスに酔って途中下車して歩き通しては遅刻を繰り返し、気分の悪いまま保健室で半日過ごすこともあった。よく卒業出来たものだと思っている。ただし大学はそれなりにランクを落とさねばならず、これもまた友人の少ない女子大に進んだ。


「孤独は今も同じか……」


 優希は小さく呟いてみて、ネットカフェ探しに精を出す。八雲と違って陽射しがあるせいか、大きな荷物を背負った背中も少しずつ汗ばんできた。北海道とはいえ南の外れ。本土と近い気候なのだろう。息を大きく吸い込むと空の彼方に消えかけた飛行機雲ががなびき、もう雨の匂いはしなかった。


「パック料金は自動更新ですので、お会計時の金額でお願いします」


 昼の間はすることがないので、思い切って夕方まで八時間のパックを取るつもりだった。飲み屋の看板は夜になった方が探しやすい。シャワー完備なので三日ぶりにシャワーを浴びようと思った。


 色々と片付ける用事はあるが、まずはPCの電源を入れた。ユーキからのメールを探すと、埋もれてしまいそうな業者のメールの中にそれはあった。『Yuuki-darknessblack@』で始まるメアドは中二病全開だったが彼らしい。


 件名は――乙 、そして日付は二日前だった。


 ――久しぶり! 俺は今 広島まで辿り着いてます そちらはどうでしょうか 北海道はもう寒いと思うので気をつけてください じゃあまた!


 優希はホットコーヒーを飲みつつ、キーボードを叩く。


 ――こっちは函館だよ! 今夜唄ってみないと分かんないけど 来週には本州に向かえると思う お互い頑張ろうね!


 ネットゲーム時代より「!」の多い会話は、親密さの証だった。


 それにしても、もう広島かと、ユーキの移動速度に驚いた。確か九州は七県あり、十日前に始まった彼の旅を思えば一日一県のペースで動いていることになる。こちらも負けてはいられない。函館を乗り切れば海を渡って青森だ。この数日間で地理には多少強くなった。


 ふと思い立ち、財布の全額を手に取ってみる。イカ釣り漁船のお母さんのお蔭で、ここの支払いを終えても三千円強は残る。木曜日の今夜はあまり振るわないとして、まだ明日に繋ぐ手持ちはある。


 この旅が始まって以来、自分が今までどれだけ丼勘定で生きてきたのか思い知らされた。計画性はなく、こらえ性もなく、ネトゲの課金に費やした湯水のような金の重みを今さらながら知った。


(とりあえず虎の子の一万円は通帳に入っている。最悪の場合はそれに手を付けるしかない)


 それから彼女は受付へ行き、シャワー室を空けてもらった。四十分で三百五十円ということで、コスパはいい。一応シャンプーリンスの類は添えつけてあり、タオルさえあれば事足りた。


 ドリンクバーの定番であるメロンソーダを手に、髪を拭き拭きブースへ戻ると、画面には新しいメールが届いていた。ユーキだ。


 ――メールありがと! まだ広島だよ 今もしかしてネカフェ?


 彼女は髪にタオルを巻いて答える。


 ――うん 五稜郭ってとこのネカフェ


 するとユーキは、


 ――久しぶりにレイド入る?


 そう誘ってきた。時刻は午前十一時だ。ランク11のレイドなら七時間で十八時終了なのでちょうどいいかも知れない。


 ――私 アポカリプスあるから解放しようか?


 ――いいね じゃあ十一時半 俺ギルドで募集かけてくる


 ユーキは生き生きした雰囲気で一度メールを止めた。


 二杯目のメロンソーダを取りに行き、ゲームにログインした。すでにユーキは冒険者の集まるギルドに招集をかけていた。


 優希たちがやっているのはヒーローズクエストといい、無課金者でもそこそこ遊べる善良な設計のゲームだ。冒険者たちは自分のレベルに合わせて敵を倒し、ランクアップしてゆく。時にはそこで体力の増えるポーションやレアな武器を落としていくこともあるが、醍醐味は何と言っても数十人単位で大ボスを倒すレイドだった。平気で五時間、六時間と時間を費やすゲームは常人には向いていない。優希のような人生をリタイアした者にこそふさわしかった。ゲームをやるから廃人になるのか、根が廃人だからゲームにはまるのか、そこは彼女にも分からない。何にしても平日の昼間から暇を持て余した人々が世の中にはごまんといるのだった。


 ユーキの告知のお蔭で十一時前にはあっという間で制限の三十五人が集った。そこに見知った名前を見つけ、優希は家に帰ったような安心感に包まれる。


 それを見極めて、優希は大ボスの開放をする。


 三分ごとのコマンド入力もデフォルトに落ち着いた頃から、チャット欄では挨拶が交わされ始める。


 ――✝ユーキ✝さんって最近離れてた?


 相手は朝方によく名前を見かけていたビスコッティさんで、優希は照れ臭さを押さえて、


 ――ちょっとね


 ――これ終わったらアカシックレコード解放しようと思うんだけど


 ――あー 今日は乗れないわ ゴメン


 ――そっか 残念


 レイドは十四時を回ってボスのライフゲージが半分ほどに減った。上級ヒーリストも四人いるので誰一人脱落者はなく安定した進行になっている。


 いつもなら中だるみしたこの時間を使ってユーキとチャットに入るのだが、今は何故かそれが照れ臭くてゲームだけに没頭していた。


 やがて十七時になった頃――。


 ――お疲れ!


 ――お疲れ様でした


 タイムリミットを一時間半残しての圧勝でレイドは終わった。その残り時間を、誰もが達成感を胸にチャットへ費やす。ボスが落とすドロップアイテムの申告や、それぞれへの感謝だ。優希は解放者なので逐一感謝の辞をそれぞれのメンバーへ投げかける。


 それが終わると、優希は一度ゲームのブラウザをそのままに、メールのタブを開いて素早くタイピングした。


 ――お疲れさまだね ドロップ何だった?


 するとすかさず、


 ――お疲れ! エナジーポーションだけだった


 ――ウソ 私アンゴルモアの秘宝取ったよ


 ――それって解放者特典だから


 ――明日はユーキも何か開放すればいいのに


 そう返すと、しばらく返信は途絶えた。そして、


 ――明日もネットカフェに泊まれる保証はないからね


 優希は何かしら彼の気に障ることを言ったのかと思い、その先は、


 ――じゃあ 今夜もストリート頑張ろうね


 そんな言葉でごまかしてブラウザを閉じた。楽しかったはずの時間が、不意にせつなさへと変わった。

十九時に五稜郭の街へ出ると、木曜日とはいえ賑わいに包まれていた。昼間はのどかな繫華街に見えていた街が、夜の顔を見せ始めている。酒の匂いに誘われるように路地裏へと向かうと、うねった道の両端にはこれでもかと言わんばかりのネオンが並び、その中にシャッターの降りた店先があった。この場合、完全に閉店しているのかまだ開いていないのか見分けはつかない。


 そこでギターを開こうかと考えていたが、様子見のためにもう一周その辺をうろついた。


 だが結局、最初に見かけた場所しか思い当たらず、戻ってみるとシャッターは閉まったままだった。何の店かは分からないが、夜を迎えた午後八時を回って開かないのだから閉まっているのだろうと決めつけ、緊張気味に準備を始めた。リュックから折りたたみ椅子を取り出し、ケースからギターを取り出し、小樽で買った譜面台を据えると、一端の路上ミュージシャンだった。


 苦手なチューニングを終え、大きく息を吸うと、彼女はギターを弾き下ろした。


          *


 珍しく夕食時に顔を出した優希の第一声に、


「アンタ、バカじゃないの!」


 母は角を出さんばかりの剣幕で答えた。


 優希は予想の範疇だったので気にも留めず生姜焼きを箸でつまむ。


「学校も休んでるっていうのに、その上旅行だなんて、お母さん許さないからね!」


「旅行じゃないよ。旅」


 それは火に油を注いだようで、


「一緒じゃないの! だいたい、そんなお金どこにあるのよ! 勉強もバイトもしないでゲームばっかりやってて、お母さんがどれだけ……」


 そうなるとあとは啜り泣きを始めるのが母の癖で、食事は一気に喉を通らなくなる。


「心配しなくても、お金は稼ぎながら自分でやるわよ」


 と、そこへ普段寡黙な父が言葉を投げる。


「それは、アルバイトしながらってことか?」


 ようやくまともな会話の出来る相手を見つけ、優希はこのひと月の話を淡々と父へ語った。


「私、駅前の四つ角でストリートミュージシャンしてるんだ。でね、もっと違うところでやってみたくなって」


 すると父もさすがに驚いたのか。


「あんな危ない場所でか?」


 母も続いて、


「年頃の女の子がそんなこと」


 また啜り泣きを始める。そして、


「それは……今の場所じゃダメなのか」


 父は、グラスにビールを注ぎながら難しい顔で言った。さすがにユーキの話は出来ないと思い、


「今しか……今しか出来ない気がして」


 そう言うと言葉に詰まった。


「それは、そんなに稼げるものなのか」


 質問は続く。


「……いい時は三千円くらい」


 雲行きの怪しくなった会話の中、


「コンビニのバイト代にもならないじゃないか。それでどこに泊まるんだ。まさか野宿って訳にもいかないだろう」


 そう聞いて、彼女は逆に、


「野宿もする。今はネットカフェとかもあるし、千五百円くらいあれば一晩泊まれるし」


 父は黙る。そしてグラスのビールを飲み干した。


「それは、本当にお前がやりたいことなのか?」


 真っ直ぐな目で問いかけられた。優希はその眼力に負けぬよう、


「うん。本当にやりたい。私っていつも楽なことばっかり選んできたから。一度くらい自分で決めたことをやり通してみたいの」


 父は冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、新しいグラスにそれを注いだ。


「お前の旅への祝杯だ。ただ、どうしようもなくなった時は必ず戻って来い。それだけが約束だ」


「……うん」


 彼女は父の注いでくれたビールをひと息に飲み干すと、それでも言えないことのある自分を責めた。ユーキに会うことが最終目標だとは言えなかった。


 日が変わり、出発の日取りを決めた。格安航空チケットでも二万円するため他の経路を探したが、特急電車とフェリーの連続で飛行機より高くなることが分かった。そのため一週間で二万円という高額なチップを目標にするつもりで、その日からは手描きの看板を置くようにしてみた。


 ――北海道への旅の資金を稼いでいます 応援ヨロシクお願いします!


 何とも他力本願な看板だったが、反応は上々だった。元々がお酒の入った気の大きい客が多い土地柄、貯蓄は一日に四千円の幅で増えていった。


 すでに飛行機代の蓄えに手が届いた、そんな最後の週末。


「お姉ちゃん、北海道行くの?」


 ネクタイを頭に巻きそうな勢いで酔っぱらったオジさんが、優希の隣りに座り込んだ。


「ええ、まあ」


「やめた方がいいよ。寒いよ」


 オジさんは胸元から取り出した煙草に火をつけ、


「俺もさあ、昔はバイクで一人旅したもんだよ」


 白い煙を吐き出しながら遠い目をした。


「バイクですか……」


 そこで優希は他人の気安さで、旅の理由を明かした。すると、


「なんだそりゃ。出会い系じゃねえか」


「いえ、そういうのとは違うんです。一年も色んなやり取りをしてて、昔で言うとこのペンフレンドみたいなものなんです」


 まさか昔一度母から聞いたことのある「ペンフレンド」という言葉を使う日が来るとは思っていなかった彼女は笑いを堪える。


 しかし言い換えは正しかったようで、


「ペンフレンドねえ。甘酸っぱいねえ」


 オジさんは何度もうなずいてまた煙草を口にした。そしてそれが灰になると、


「ペンフレンド、会えたらいいな」


 立ち上がると同時に財布を取り出し、紙幣を一枚ケースへ置いた。


「あ、あの……ありがとうございます」


「北海道から帰って来たら一曲頼むわ」


 そう言って立ち上がるとオジさんは去って行った。ギターケースには見慣れぬ紙幣が一枚置かれていた。千円札だと思ったそれは一万円札だった。路上演奏で初めて入った高額紙幣だ。


 その日の帰りはいつもの黒服に軽く挨拶をして、あとはドキドキしながら真っ直ぐに家へと帰った。部屋へ戻るとギターケースを壁に立てかけ、この一週間で稼いだ金を封筒から出し、もらったばかりの一万円札と一緒に机へ並べ、逸る気持ちを抑えるのに精いっぱいだった。


(これで北海道だ)


 夢見る少女の顔で彼女はベッドへ転がる。世界中が自分の味方になった気分で、眠剤も飲まぬまま、いつしか眠りへと落ちた。

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