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3・天の川とオンとオフ

           3・天の川とオンとオフ



「お世話になりました」


 丁寧に頭を下げると、さらに頭を下げたママが顔を起こして微笑んだ。気が付けば午前一時だった。


「で、今夜はどこか泊まるの?」


「いえ……まあどうにかなりますんで」


「そう? 気をつけてね。熊とか出るから」


「熊ですか!」


 真に受けた優希に、ママはおかしそうに返す。


「まあ、熊より何より人がいちばん怖いから気を付けるのよ」


「はあ……ありがとうございます」


 店を出ると急に寒さが襲い、九月の北海道が本領発揮しているようだった。短時間で降ったのか路面は濡れ、やはり雨の匂いが残っていた。それを店の中でやり過ごせたことは幸運だった。


 店の前へ出ていつまでも手を振るママにお辞儀を繰り返し、真っ暗な道へと出た。さて、これからどうするかと考えたものの、八雲駅でシュラフを引いて眠れる場所がなさそうだったので、


(電車代も安くなるかもだし、一駅くらい歩いてみよう)


 と、大通りを南に向けて歩き始めた。やがて民家の明かりも消え、たまに通る大型トラックのスピードに慄き、カシオペアの輝く空を背にしながら方角を確かめた。北海道の道路地図は把握していなかったが、星座は嘘をつかないだろう。函館は南だ。


 明かりの乏しい道を、左端に寄って歩く。


 やがて左手の遠くにひと際明るい漁船が見えたので、イカ釣りのオバちゃんに心で礼を言った。旅というのはいつも心残りを残すものだとは、この四日で分かったことだ。


 漆黒の闇の中を、微かに見えるガードレール沿いに歩く。歩みは亀の歩みだ。そうでなければ足元に道があるのやらないのやら分からない。さっきまで道だった場所が、轟音と共に走り去るトラックのヘッドライトで照らされ、そこから先には道がないことを告げてくれたりもした。


 感慨深いこともあった。周囲に明かりがないだけ、夜空の星は街の三倍ほどに明るく見えた。雨上がりの空にたなびく雲を見ながら、やがてそれが雲ではなく天の川だったことを知った時は感動に鳥肌が立った。そしてすぐにトラックの轟音で感動はかき消される。一寸先は断崖絶壁だった。


 身体を冷やしながら、肝を冷やしながら、三十分歩いたのか一時間歩いたのか。暗闇の先にコンビニらしき明かりが見えた。そして隣がどうやら駅のようだ。救いだ。


 彼女は歩みを早め、だだっ広い駐車場に併設されたコンビニへ入ると、迷わずトイレへ向かった。食事に関してはさっきの店でもてなされ、イカ飯とイクラの醤油漬けを頂いたので朝まで持つ。


 スッキリした顔でトイレを出ると、温かい缶コーヒーではなく、カップ酒を手に取り、レジで熱燗を頼んだ。それは地元で学習した悪癖だ。同じ路上唄いの男性とは話が弾み、お互いに熱燗で祝杯を挙げた。


「これ……何分くらいでいいんですかね」


 訊ねる店員に、


「三十秒でいいと思います。あ、アルミキャップ剥がしてください」


 こうして今夜も熱燗の出来るコンビニ店員を全国に増やしてゆくのだった。


 駅舎の方はどうだろうと向かってみると、山越という駅で、何やら仰々しい構えだった。それもそのはずで、昔は関所だったらしい。もちろん、旅から帰った後付けの知識だ。


 無人の街合室は難もなくカラリと開いた。四畳半のスペースで、壁際に眠りやすそうな平らなベンチがあった。熊も人も現れそうにない。今日の寝床はここで決まりだと、熱燗を啜った。啜りつつ、今夜の稼ぎを財布から出して数える。オジさん達から二千円。お姉ちゃんをはべらしたお兄さんから千円。そしてなんと、和服姿のお店のママからもらったのはポチ袋に入った三千円、合計六千円の上がりだった。ありがたいばかりだ。これで函館行きの千五百円は充分に賄える。函館くらいの大きな街ならネットカフェもあるだろうと、酒を飲み干して身体が温かいうちにシュラフへ潜った。外では小雨が降り出したようだ。


          *


 ――ユーキ! 私も旅に出るからね!


 成り行きで路上演奏を始めてひと月が経った頃、優希はメールを送った。初心者路上はビギナーズラック続きだったのか、毎晩ちらほらと客が付いた。路上演奏文化の少ないこの街ならではの光景だったが、彼女はそれを実力だと過信していた。ただし毎晩、どこかしらレベルアップしているのも確かだった。


 それに比べて筋金入りのストリートミュージシャンである彼は懐疑的だった。


 ――✝ユーキ✝って親元でしょ? 心配するんじゃないの?


 意外とまともなことを言う人だな、と逆に安心しつつ、


 ――大丈夫だよ バイト代とか貯めてるから


 その嘘には彼も納得したようで。


 ――そっか それなら大丈夫そうだね あ そういえば今朝の七時に誰か『彫刻王ミケランジェロの末裔』開放するらしいよ


 ――マジで? じゃあ今日の路上は中止かなあ


 ――早朝レイドは少数精鋭だから そんなにかかんないよ


 あとはお決まりのネットゲームの話になり、その日は十時間かかるというレイドで昼間を費やした。


 人気のない家の中をみしりみしりと歩きつつ、レイド明けの祝杯を冷蔵庫に探した。が、缶チューハイはない。たまに母が焼け酒するのだが、それが昨夜だったようだ。仕方なく父に心で断って、瓶ビールとグラスを拝借して二階へ戻った。


 部屋に戻るとチャットが入っていた。もちろん漆黒のユーキだ。


 ――レイドお疲れ! ドロップ何だった?


 すかさず、


 ――聖杯と紅玉のロンギヌス 私ウィザードだから使えないのに(泣


 そう打ち返して、グラスにビールを注いだ。すると、


 ――ぶっちゃけウィザードの物理武装具も実装していい頃だよね 上級職限定で


 ――そうそう


 ――でさ


 そのあとが続かないコメントにビールグラスを傾けて煙草に火をつけると、PCのアドレスに受信があった。それは話題がプライベートに属するものなのだと気付き、彼女は身構える。


 ――俺 鹿児島を旅のスタートにするんだよ


 ユーキはそう書いたきり、また沈黙へと落ちた。


 旅ってどこまで――


 書き込み中のメールに割り込んで、先に彼のメールが入った。そこには、


 ――会おうよ お互いの旅の中で ✝ユーキ✝にはどこかで会えたらいいなって ずっと思ってたんだ


 オフで会おうという彼の言葉に身体が熱くなった。まだ自分の中にそういった熱があることに驚きつつ、その勢いで優希は、


 ――じゃあ私は北海道を目指す ユーキは九州 だったら東京で会おうよ!


 さらには自分で打っているはずのメールに現実味が欲しくて、


 ――私は坂下優希 遅くなったけどヨロシク!


 本名を告げた。熱くなったはずの全身に冷たいものが迸った。ネットで知り合った友人に身分を明かすというのは、こんなにもエキサイトなものだと初めて知った。


 ――坂下優希! いい名前だね!


 ――ユーキだっていい名前だよ 裕貴だよね


 ――あ それヒロタカだから ユーキはハンドル


 ――そっか でも今さらだからユーキって呼ばせて


 ――うん 俺も君のことはユーキって呼ぶ


 ――なんか紛らわしいね


 ――だね(笑


 優希は煙草に火をつけて、ビールを煽った。人生初のオフ友だ。やり場のなかった生活に張りを与えてくれた彼に、心から感謝した。


 ――じゃあ俺そろそろ路上出るね ユーキはどうするの?


 彼女はしばし考えて、


 ――私も出る 夜に報告会しよ


 ――OK それじゃ ノシ


 ゲームのレイドがモンスターハンティングならば、路上演奏はさながらヒューマンハンティングだと、今夜も階下で聞こえる諍いに耳を塞いでそっと家を出た。街灯のついた路地を真っ直ぐに南へ行けば、駅前の薄暗いシャッター通りに出る。なんとなく収まった定位置ではあったが、コンビニが近いのが利点だった。


「お疲れ、今から?」


 最初は目も合わそうとしなかった街角の客引きは、ここのところよく挨拶をしてくれる。これも路上演奏などしなければなかったはずの縁だ。


「はい。今夜は二時間ぐらいやります」


 笑顔で答えると、黒スーツの男は、


「木曜だけど給料日あとだから人は出てるよ」


 と、前向きになれる情報をくれた。


 路上に腰を下ろし、ギターケースを開き、コンビニで買った缶チューハイを開ける。そうすると目の前の薄暗い商店街が違ったものに見え始める。何気ない街灯も、風に吹かれる看板も、転がる空缶にさえ命が宿って見える。彼女がプレイしているゲームはビジュアルのリアルさが売りだったが、どれだけ圧倒的な極寒の氷河を描いた画面でも、目の前のさびれたアーケードの寒々しさには敵わなかった。コンビニは品揃えのよいアイテムショップだったし、ゲーム中にはないトイレだって貸してくれる。その気になれば朝まででも唄えるのだ。


 優希は今夜もギターを構える。音色のキーを上げるカポタストを二フレットに付け、ゆずの譜面を開く。初心者用ハンドブックに並ぶ十曲のレパートリーは唄えないものも多いが、いつかきっと新しい譜面にチャレンジしたい。


 いつものようにゆずから唄い始める。駅からの人波が僅かではあるものの流れてくる。ひとりのオバさんがチラリと横目で覗き込んでゆく、ある人は小銭の置かれたギターケースの中を覗いてゆく。サクラ銭、という言葉を客から聞いたのは先週だ。いわゆる見せ金だったが、その効果はまだ感じられない。


 ようやく人が立ち止まったのは三十分後で、


「何やるの」


 にこやかな紳士だったので、素直に、


「初心者なんです。ゆずくらいしか唄えなくて」


「うんうん、やって」


 やはりにこやかにうなずく男性に、覚えたての『栄光の架け橋』を唄った。オリンピックの公式テーマソングだったこともあり、もしや知っているかもと思ってのチョイスだった。ただし演奏は惨憺たるもので、エンディングを前にギターが覚束ないままフェードアウトした。歌の高低が難しいのもある。


「すみません、練習不足で」


 照れ隠しにギターをクロスで拭いていたが、男性はリズムを取る手を止めない。何だろうとよく見てみると――。


「いやーーっ!」


 優希は唄う時にさえ出さない最大限の声を張り上げた。男のズボンのチャックは下がっており、そこから赤黒い異様な物体がはみ出していた。


 異変に気付いたのは通行人よりも黒服の呼び込みで、


「どうしたの? 何かあった?」


 彼が駆け寄ると男はそれを仕舞い、足早に去って行った。


「今の人、何かあったの?」


「その……何ていうか……」


 二十二歳・処女の口からはとても言い表すことが出来ず、うつむくだけで話は終わった。


「何かあったら、いつでも呼んでいいから」


 その時ようやく彼が意外に若い男性なのだと分かった。口ひげだけが特徴的で、てっきり四十歳くらいなのだと思っていたのだ。


 その後はよくも悪くもない人通りが続き、代わりに委縮した気分はいつまでも続いた。


「終わるの?」


 黒服が背伸びをしながら、店仕舞いをする彼女の元へ近寄って来た。


「明日が早いんで今日は……」


「そっか。明日は金曜だし期待していいよ。おやすみ」


 そう言い残していつもの店の前へ戻った彼に一礼し、彼女はそそくさと荷物をまとめて家路をたどった。今夜の売り上げは千五百円だった。こんな調子じゃユーキに会えないと、明日こそはと思いを胸に秘めて踏切を越えつつ家へ向かった。


 家は寝静まっている。階段をそっと上がり、部屋へ入ると帰りがけのコンビニで買ったチューハイを開けた。それは何よりの解放感だ。


 しかしそれも、あの男の奇行にジャマされた。どうしてその場で警察に電話しなかったのかと言えば、こちらの身分を明かすのに気が退けたからだ。「両親共に健在で、昼はゲームと夜は路上唄いをしています」と言えば、なぜだか自分の方に非があるように思えたからだ。自分自身の行動に、プライドを持つことが躊躇われた。


 煙草に火をつける。ユーキは煙草を吸う女をどう思うだろう。いつも優しさの滲むメールのやり取りに、優希は彼のイメージを勝手に作り上げていた。少し年上で会話が上手く、レイドでの発言も主導権を握っていた。


(こんな日は朝までレイド参戦だな)


 缶チューハイを揺らしてPCにログインすると、あえて上位クラスを狙わず、レベル5未満のチュートリアル明けの孤独なファイターたちのレイドを手伝った。すると、


 ――ご協力ありがとうございます!


 初心者らしい素直な喜びを伝えられた。彼女自身、駆け出しの頃はそうやってレイドを手伝ってもらったものだ。その懐かしさもあり、そして上級職の先輩たちから受け継いだ思いをそうやって返してゆくのだ。


 今夜は漆黒のユーキもレイドには出ていない。プロヴァンスさんもアキュアさんも見かけない。チャットだけでもと思ったが、明日の朝に風呂へ入るとして今夜は寝ることにした。最近は二日に一回は風呂に入っている。


 翌日の路上は午後七時から出たがなかなかの盛況で、持ち歌を回しているうちに十二時になった。ギターケースに置かれた投げ銭は三千円と小銭がジャラジャラ千円分はあった。


「お疲れさまです! 今日は帰ります!」


 いつもの黒服に挨拶すると、


「明日も出るの?」


 そう訊ねられたので、


「多分――」


 とだけ答えておいた。ユーキはメールがあるとして、プロヴァンスキラーさんやアキュアラインさんと疎遠になるのは寂しかった。ゲーム内で知り合ったとはいえ、同じレイドをいくつも重ねてきた仲間は大事な友達だ。

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